何だか…帰りたくない。夕暮れの公園。
ブランコに乗り、秋風に吹かれている少女、東せつながいた。
もうどのくらいこうしているのだろう。
明るかった空は夕闇に染まり、気づけばすっかり薄暗くなっている。
秋とは言えど、風は随分冷たくなっており、指先は冷え切って感覚がなくなっている。
帰らなきゃ…。
重い腰をようやく持ち上げ、せつなはのろのろと歩き出す。
しばらく歩いていたものの、急に何事か思い立った彼女は、桃園家へと続く帰路を横道にそれた。
辿り着いた先は、何度か訪れたことのある家。
寒さに震える指先で、せつなはインターホンを鳴らす。
『…ハーイ』
しばらく間を置いて、聞き慣れた声が迎える。
「あ、美希?…せつなです」
名乗ると同時に、インターホン越しに慌てて玄関に駆け付ける音がして、ガチャリとドアが開き、美希が姿を見せた。
「いらっしゃい、せつな」
彼女の笑顔を見て、せつなは安堵した。
さっきまでの不安が、ほんの少し和らいだようだった。
「急に来ちゃってごめんなさい。わたし…」
「ううん、いいのよ。来てくれて嬉しいわ。さ、上がって」
ふるふると顔を横に振り、自室へ上がるように促す美希の後について、せつなは靴を脱いだ。
美希の部屋に通されたせつなは、出された紅茶に口をつけ、ひとくち飲み込む。
温かい…。
柑橘系の香りが鼻孔をくすぐり、温かな液体が冷えた喉をすべり降りてゆく。
温度もちょうど飲みごろで、まさに美希の口癖どおりの「完璧」な飲みもの。
綺麗に整頓された部屋の中で温かい紅茶をいただき、今やカップを持つ指もすっかり温まっている。
その温かさは、彼女の心の中にまで染み渡ってゆくようだった。
「…美味しいわ」
「ありがと。それ、うちのオリジナルブレンドなの。香りだけじゃなくて味わいにもこだわってるのよ。お客様にも喜ばれてるのよね」
四角いローテーブルを挟んで、せつなとは対角に座りながら、美希は脚をくずす。
「お家には連絡したの?」
「さっき来る途中で、『美希の家に寄ります』って電話しておいたの。おばさまが出たので、少し遅くなるって言っておいたわ」
「…そう」
「…ねぇ美希、この前のこと怒ってるでしょ?」
「ああ、キスのこと?」
はっきりと言う美希に対し、せつなは少し恥ずかしそうに頷く。
あの丘でどちらからともなく口づけたあと、美希の腕の中から逃げるように立ち去ったあの日。
それはまるで燃え残った花火のように、せつなの心にモヤモヤと燻り続けていた。
「怒るわけないじゃない。…むしろ、嬉しかったの」
「嬉しい?どして?」
問いかけるせつなの眼を、美希は見つめ返しながら何時になく真剣に答えた。
「…アタシ、せつなが好き」
美希の瞳の力強さに、せつなはうろたえる。
美希が…わたしを…?
あの日。
ラブが離れていくような気がして、すがるような気持ちでしてしまったキス。
それなのに、美希は嬉しかったと言ってくれる。
そして、そんな自分を好きだと言ってくれる。
真摯な思いに触れ、せつなにも嬉しさが溢れた。
だが、自分が好きなのは…。
たったひとりの人の面影に、苦しくなるほどの恋慕を覚えて、無意識に胸元をつかむ。
「ありがとう美希。だけど、わたしには…」
「わかってる。ラブだけ、でしょ?」
こくん。黙って頷くせつなの手を握り、美希が言葉を続ける。
「アタシはせつなが好き。せつなが誰を好きでも、その気持ちはおんなじなの。せつなはどう?」
せつなは考える。
美希は、相手の気持ちに関係なく、自分の気持ちに正直であろうとしているんだ。
じゃあわたしは…?。
「…わたしも美希とおんなじよ。わたしはラブが好き。ラブが誰を好きでも」
「それじゃ、早いとこ仕度仕度!」
「何?」
「こんなところで油売ってないで帰るのよ、自分の居場所にね」
「わたしの…居場所」
せつなにとって、帰るべき居場所は何時でもラブだった。
探していた答えは、こんな簡単なことだったのに。
ラブが離れてゆくなら、待ち続けていればいい。
いつか帰ってくることを信じて。
「そうね。帰らなきゃ、わたしの居場所に。本当にありがとう美希。美希にはいつも助けられてばかりね」
「いつでもまた来てね。慰めてア・ゲ・ル」
ふざけながら、小さくウインクする美希。
その仕草に、せつなの顔はみるみる朱に染まった。
「んもぅ美希ったら!からかわないで!」
「アハハ…ごめんごめん」
ふたりでひとしきり笑い合うと、せつなの瞳から小さな光がこぼれた。
涙って、嬉しい時にも流れるものなんだわ。
早くラブに会いたい。
せつなの新たな決意は、困難に立ち向かう勇気をもたらしていた。
最終更新:2009年11月19日 23:00