5-351

美希はぐすっと鼻をすすり上げる。
あれから美希も祈里も無言になり、どちらからともなく公園を後にした。


何か、言うべきだったのかも知れない。
でも、何て?


美希は自分を過信していた、と思った。
ラブは、美希と話してから瞳に光を戻してくれた。少しは役に立てたのかも。
だから、祈里の役にも立てるかも。いい方向に導けるかも知れない。
そう思った。とんだ、思い上がりに過ぎなかったけど。



「………っう…、うっく………」
喉の奥から嗚咽が漏れる。ダメだ、堪えられない。


美希はしゃがみ込み、ひとしきり泣いた。


(なんでよぉ………。なんで、こんなになっちゃったの?)


それでも腹筋に力を入れて泣き声を飲み込む。
えいっ、と立ち上がり少し回りを気にする。
こんなところでしゃがみ込んで泣いてしまったのが、少し恥ずかしい。
幸い、誰もいないみたいだ。



(……あんまり、ヒドイ事にはなってないな。)
鏡で顔をチェックする。少し瞼が腫れぼったくなって、目が赤い。
これくらいなら、家に帰って軽く冷やせば直ぐに引くだろう。



これから、せつなを見舞いにラブの家に行く予定だ。
祈里との話し合いの結果によっては、そのまま祈里も連れて行き、
謝らせる事が出来たら……。
そんな空恐ろしい事を考えていた自分に呆れかえる。
まったく、知らないって幸せだ。



家に帰って身支度を整える。泣いた跡はほとんどわからない。
けど、念のため目元に軽く色を入れてカムフラージュする。
ラブやせつなに余計な心配をかけたくない。


約束の時間までまだ少しある。
ぼんやりしてると祈里とのやり取りが頭に浮かび、口の中に飲み下せない
嫌な苦味が広がる。


祈里はラブとせつながレッスンに来ない事は知らなかった。


(よく……、来られたわよね。)
皮肉ではなく、真剣にそう思う。
美希はラブとのやり取り以来、せつなと顔を合わせるのは今日が初めてだ。
正直、まともに顔が見られるだろうか。
直接は関わっていない自分ですら、逃げ出したい。
祈里は、気まずいなんて言葉では言い表せないだろう。


それでも来た。
せつなだけではなく、ラブや美希もいるであろう場所に。
どんな気持ちだったのだろう。
何を言われても構わない、と覚悟を決めていたのか。
ただ単に開き直ってたのか。それとも………



(会いたかったのかな………。)



せつなに。
多分、そうだ。根拠はないけど。


美希は少し不思議だった。
自分が、今回の事でまったくせつなにマイナスの感情を抱いていない事に。
少し前の自分なら、こう思っていたかも知れない。


(せつなさえ、現れなければ。)


せつなが自分達の前に現れなければ。四人目でなければ。
祈里のした事を酷いと思い、せつながされた事に胸を痛めても、
ほんの少し、そんな風に思ったであろう自分が容易に想像出来る。
そのくらい、三人の絆は完璧!そう思っていたから。


自分も祈里と一緒だ。
ラブと祈里がいれば、他に友達なんて出来なくても平気。
だから、三人バラバラの中学に進んでも不安はなかった。
もし、何か上手く行かない事があってもラブと祈里がいる。
自分を丸ごと受け入れてくれる親友がいる。
だから、新しい環境にも思い切って飛び込んで行けた。


学校にも友達はいる。
でも芸能人を目指す子が多い中、周りは少ない椅子を取り合うライバル。
そう言う意識が根底に流れてる。
いくら表面上仲良くしてても、相手を蹴落さなくてはならない場面も
出てくるだろう。
同じオーディションを受けて、クラスメイトの一人が受かり、
もう一人は落ちる。今でもそんな話しはザラに聞く。
美希はまだ読者モデルだけとは言え、途切れずに仕事がある。
これから着実にステップアップしていける手応えも感じている。
まだ中二とは言え、鳴かず飛ばずの子達との間には何とも言えない
ギスギスした空気があることを、嫌でも日々感じる。


小学生の頃からの友達だって、美希の容姿が類い稀に恵まれたものであり、
自分達との差を意識し出した途端に態度が変わったものだった。
よそよそしくなる子。逆に馴れ馴れしく媚びて来る子。
美希の整った顔や、スラリと長い手足に向けられる視線。
今でこそ軽くいなせるようになってきたが、少し前までは煩わしくて
仕方がなかった。


そんな中、ラブと祈里だけが変わらなかった。
美希が芸能科に進学しても、モデルとして雑誌に頻繁に載るようになっても。
ラブと祈里にとっては、いつまでも『美希たん』で『美希ちゃん』だった。
それが美希にとってどれだけ支えになっているか。
帰る場所がある、それだけで頑張れる。
そして、美希はふと気が付いた。そう言えばせつなもラブ達と同じだな、と。


せつなは人の見た目にまったく頓着しない。
初めて美希に会った時も、驚くでもなくお世辞に誉める事すらしなかった。
正直、容姿を誉められ慣れてる美希にとってはその方が意外だった。
せつな自身も相当に綺麗な子だったから、最初は自分なんて大した
事ないと思われてるのでは?と、少し穿った見方をしてしまったものだ。


まあ、少し見てればせつなが自分が容姿に恵まれてるなんて事に
まったく気付いていない事は分かったけど。
そもそも見た目を誉める、と言う発想そのものがなかったのだろう。
かと言って美醜の感覚がずれているか、と言うとそうでもないのが
また不思議だ。


(……って、こんな事考えてたってしょうがないわよね。しかも全然関係ないし……。)


家を出て、また公園に向かう。手土産にドーナツを買った。
何の気なしにラブもせつなも好物だから、と思ったからだが
ラブの家に近づくにつれ、止めとけばよかったかな……
と思いが過る。
ダンスレッスンの後に、放課後に、四人で集まる時はドーナツカフェで
お喋りするのが恒例だった。
そう言えば、初めて会った時のせつなはドーナツも知らなかったんだけ。
また少し感傷的になってしまった。


ラブの家に着く。鍵が閉まっていたのでインターホンを鳴らして名乗る。


(あれ?……今の声…。)


「いらっしゃい。」と言う声と供にせつなが顔を覗かせる。
パジャマの上にカーディガンを羽織っただけの病人ファッションだ。



「ごめんなさい、こんな格好で。」
「別にいいけど、起きてていいの?ラブは?」
「ラブは……」



今日はおじさんは休日出勤、おばさんはパート。家には二人だけって聞いてた。
だから、話しもしやすいかと今日訪ねてきたんだが、ラブもいないとは
どう言う事だろう。
その時、タイミング良く美希のリンクルンが鳴った。ラブからだ。



「あぁ、もしもし美希たん?あのねぇ……」
前フリもなくラブは喋り出す。
ラブは圭太郎の忘れ物を届けに行く事になってしまったらしい。


「だからさぁ、あたしが帰るまでせつなに付いててくれないかなぁ。
まったくせつなってば、ちょっと良くなってきたと思ったら
すーぐウロウロしようとするんだから!」


もう着いてるわよ。そう言うと、またラブがまくし立てる。


「そーなんだ!あっ!せつな、ちゃんと上に羽織ってる?
裸足じゃない?お茶入れるとか言っても聞かないでよ!
すぐにベッドにもどしてね!それから………」


チラリとせつなを見ると、赤くなって俯いている。
ラブの大きな声はせつなにも丸聞こえだろう。過保護にされてるのが
バレバレになって恥ずかしいらしい。


「……せつなに代わろうか?」
そーして!と言うのでせつなにリンクルンを渡す。



「もしもし……、うん、分かってるわ。…………分かってるってば。
………うん、………うん、…………だから、分かってる。………」
電話の向こうで、ラブはまたひとしきり心配してるのだろう。
せつなは照れ臭いのか、美希をチラチラと窺いながら素っ気ない
言葉を繰り返している。
だけどその頬は、ほんのり染まったままだ。
大事にされている。そう実感するのが嬉しくないはずないから。


せつなが視線で、代わる?と聞いてくる。美希は首を降って、いい、と答える。


「うん、じゃあね。………もう!だから、分かってるから!
……うん…ありがと……」
せつなは電話を切って美希にリンクルンを返す。



「何よ……?」
ニヤニヤしながら見ている美希に、せつなが拗ねたような声を出す。
頬を染め、少し下唇を付き出してる様子が可愛らしくて、
ついからかいたくなってしまう。



「べっつにぃ~。ラブラブだなぁって思って。」
「………ラブったら、最近過保護なのよ。もう平気なのに。」
「まあまあ。早く部屋に戻りましょうか。アタシがダーリンに叱られちゃう。」
「……もう!美希!」
「愛されてるわねぇ。」
「だから!………もう!」



部屋に戻ってベッドに入っても、せつなはまだ拗ねた顔をしている。

「でも良かった。思ったより元気そうね。」
ベッドに身を起こす様に座っているせつなに改めて話し掛ける。
本当はそんな風には見えないけど。
明らかに痩せた。カーディガンの上からでも肩が薄くなったのが見て取れる。
元々白かった肌がますます透き通るように白くなっている。


(儚げ…って、正にこんな感じなのかしらね。)
実際の元気な頃のせつなは見た目と裏腹にハキハキした面も持っているのだが。
割りとハッキリものを言うし、結構頑固で融通が聞かない。
ラビリンスでも相当な訓練を積んでいたらしく、基礎体力や
運動神経はプロのダンサーのミユキさんでも舌をまいている。
そのせつながここまでやつれるんだから………。


「あのね………。美希は、知ってるの……?」
目的語のないせつなの問い掛け。何を?とは聞けない。
差すのは一つの事しかないから。


「うん……。ラブから聞いたし………今朝、ブッキーにも会った。」
そう……、とせつな俯いて、膝の上で拳を握り締める。
美希と、目を合わせられないらしい。


「祈……ブッキーはどうしてた…?」
祈里、そう言いかけてせつなは言い直した。
それだけで、何となく祈里とせつなの関係の一端が見えてしまったようで、
美希は居たたまれない気分になる。



「………私、全然気付いてなかったの。」
祈里の気持ちに。美希の返事も聞かないままに、せつなはそれが
途方もない罪悪のように口にする。



「知らないうちに、無神経な態度取ってたかも……。」
「……あるかもね。」
「無意識に、ブッキーを傷付けてた……。」
「……そーかも。」
「………ごめんなさい。」
「……………。」



「馬鹿じゃないの?」
「……え?」
「馬鹿、って言ったの!何でせつなが謝るの!せつなは何も悪くないでしょーが!」
「……でも……」
「でもじゃない!!」



気持ちに気付かなかった。だから何?それがどうしたの?
無神経だったかも?仕方無いじゃない!告白もされてないのに
分かれって方がムリでしょ!
傷付けたかも?好きになった人にもう相手がいる。そんなの珍しくも何ともないの!
どう考えてたってブッキーが悪いでしょ!
裏から見ても表から見ても、上下左右タテヨコナナメどっから見たって
1%も同情の余地なんてないわよ!


「…………美希……………。」
頬を紅潮させて、一気に言い切った美希を見て、
せつなはポカンとして言葉を失う。


「………って、割りきれたらいいんだけどね…。」


無意識に探している。祈里を庇うための言い訳を。
酷い、そうとしか言い様のない祈里の告白。
祈里自身も、自分なら耐えられない、と言い切った。
もし、せつなをそんな目に合わせたのが他の誰かなら殺しても飽き足らない。
そう思っただろう。


目の前の力無く憔悴仕切ったせつな。
そうさせたのが、美希が知る誰よりも優しくて思い遣りがある、
そう思ってた祈里だと言う事実に胸が掻き毟しられる。


せつなは祈里が好き。そう言ったらしい。
好きだから、もう止めたい、と。
せつなも同じ気持ちなのだろうか。
これほど心身供に疲弊仕切るほどの目に合わされても。
まだ、祈里を庇いたいと思っているのだろうか。
だから、だからラブに祈里に脅され無理矢理に関係を続けさせられた事を
話せないのかも知れない。

(都合よく考え過ぎね……。アタシってば。)



美希はせつなのベッドに腰掛け、せつなの頭を撫でる。
どうして、この子ばかりこんな目に合わなくては行けないのだろう。
せつなの手の中にあるもの。その少なさを思う。
過去のすべてを、命さえ奪われたせつな。
その手が今持っているのは、

ラブへの愛情。
仲間への信頼。

その二つだけだろう。そして、少ない分だけ大きく、驚くほど深い。
一点の曇りも無い、無垢な全幅の信頼。
せつなは全身全霊で仲間を信頼してくれていた。



「………辛かったわね。」
せつなを抱き締める。
「……美希…。」

これ以上ないくらい、シンプルな慰め。
祈里はせつなの信頼を利用し、罠にかけた。
どれほどせつなが絶望するか分かっていながら。


胸が痛い。
それなのに、自分は更にせつなに辛い事を強いようとしている。


「………祈里を、助けて……。」



せつなを抱き締めたのは、せつなの辛さを少しでも分け合いたかったから。
それともう一つ。目を見てしまったら言えなかっただろうから。


闇に向き合うしかない、暗く冷たい水底を己の場所にしてしまった祈里。
ラブが、せつなが許しても、他ならなぬ祈里自身が自分を許す事を拒むだろう。
欲望の代償に、すべての許しも救いも拒絶している。
神の手に掬い上げられる事を、自ら拒む罪人が望む事とはなんだろう。


美希には分からない。でも、恐らくそれが与えられるのは
せつなだけだ。
せつなだけが、祈里の目を闇から背けさせる事が出来る。


どれほど理不尽な願いなのか。
『辛かったね』そう抱き締めながら、更に傷口に塩を塗る。
自分の身勝手さに潰されそうになりながら、美希はせつなに乞い願う。
誰一人、失いたくないのだ……と。



「ね、………美希。」
耳元で吐息と供に感じる、せつなの囁き。


「ドーナツ………、食べたいわね。」

「………?…せつな……?」

「………また、四人で。」



美希は柔らかく体を預けてきたせつなを、全身で受け止める。
切ないくらい優しい声が胸に痛い。
美希は黙って抱き締めた腕に力を込める。
声は出せない。口を開けば、大声で泣いてしまうに決まってるから。


せつなにばかり、辛い役目を押し付けている。
なのに、なぜせつなは、怒りも詰りもしないのだろう。



「きっと……、ラブも同じ気持ちよね……」


美希はまだ口がきけない。
『ありがとう』も『ごめんなさい』も違う気がする。
ただ、美希は思った。せつなになら、この先のすべての自分の幸せを
あげても構わない、と。


その手にあるもの。
それは―――


6-126
最終更新:2009年12月29日 17:55