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夕暮れの四つ葉町。
ダンスレッスンの帰り道、
ラブ、美希、祈里、せつなの四人の歩みは
クローバータウンストリートの中心にある天使の像の前に差し掛かる。
ここは、四人の時間の始まりと、終わりの場所。
学校帰りに集まる時、遊びに行く時、ダンスレッスンに行く時、
いつも待ち合わせる場所はここ。
そして、それぞれの家路に着く為に、別れる場所もここだから、

「じゃあ、美希タン、ブッキー、またねっ!」
「二人とも、また明日」
「ん、じゃあまたね」
「みんな、バイバイ」

通り過ぎると同時に発せられるのは、別れと明日の再開を約束する言葉。
そのまま二人と一人と一人、互いの目指す方向へと足を向けようとしたその時に、

「あ、美希ちゃん」

思い出したように、祈里が美希に声を掛ける。

「何?」
「あのね、今日はまだしてもらってないから……」

そういうと祈里は美希の前で目を閉じる。
ん、と上に向けられた顔に差すのは、溢れんばかりの期待が込められた朱色。
対する美希は、そういえばそうだったわね、と誰にともなくつぶやく。
一瞬、ラブとせつなの方に向けられた視線には幾ばくかの照れが混じっていたものの、
それでもためらう事は無く、ゆっくりと祈里の顔を両手で優しく挟み込むと
目を閉じて、彼女の唇にそっと、自分の唇を押し付けた。

「んっ……」
「うんっ……」

周囲の全てが沈黙したような、世界が止まったかのような瞬間がそこにあった。
そしてその中で、誰よりも長くその瞬間を味わった二人がゆっくりと、
お互いの唇の間の距離を離していく。
やがて、普通に向き合う距離まで離れる二人の顔。
そこにあるのは、すっかり上気した顔に至福の表情を浮かべる祈里と、

「えへ、美希ちゃん、ありがと。
 ……じゃあみんな、今度こそ、またね」

そんな彼女に照れくさそうに、しかし優しい笑顔を送る美希の姿。

「……もう、ブッキーてば、こういうのは二人きりの時に
 頼みなさいってば……って、じゃあバイバイ、二人とも」

お互いの気持ちを伝え合った二人が、思い思いに二度目の別れの言葉を口にする。
そして、それぞれの帰路を歩き始めたその途端、
魔法が解けたかのように、止まっていた時がまた動き出したのだった。




そして残ったのは二人、ラブとせつな。

「さあラブ、私達も帰りましょ」

美希と祈里の姿が見えなくなったのを見届けると、せつなは隣のラブに促す。
しかし、そのラブはせつなの声に無反応。

「わはーっ……」

キラキラと目を輝かせながら、
両手を胸の前に組んだままの姿勢で固まっているラブ。
そしてその視線は、先程までの美希と祈里の行為が
行われていた場所に固定されている。

「ねえラブ?」
「……ハァ」
「ラブ?」
「いいな~」
「ラブったら」
「あたしもいつかはあんな風に幸せゲットしたいな~」
「ラ~ブ~!」
「ふえっ!」

ラブがいつまでも惚けたように一人で呟いているので
せつなはその耳元で、大声で呼びかけた。

「……ど、どうしたのかな、せつな」
「どうしたのかなじゃないわよ、さっきから私が呼んでるのに
 全然応えてくれないんだもの!」
「ありゃ~そうなの、ゴメンゴメン……で、何だっけ?」
「……もういいわよ」

そっぽを向いて頬を膨らませるせつなの態度に、
あ、これはへそを曲げちゃったかなと頭の中で
数十通りの謝りかたをシミュレートし始めようとするラブ。

(……あれ?)

せつなの様子をよく見ると、
時々目線だけでちらっ、ちらっとこちらを窺っている。
その仕草にラブは一安心。

(……良かった、本気で怒ってない)

さっき相手にしてくれなかった事に怒っているのでは無くて、
敢えてそういうフリをして、その後のフォローに期待しているのだ。

(ああもう、この娘は本当に)

構って欲しくてわざと拗ねてみせるなんて、
そんな仕草を他の誰でも無い、
自分と二人きりの時にだけ見せてくれるなんて。

(なんて、可愛い)

心に湧いた想い。
それがその中に納まりきれずに溢れ出す。
その想いの奔流に逆らうことなく、
勢いに身を任せて、ラブはせつなを抱きしめる。

「……ラブ」

ラブが応えてくれたことで、せつなの顔に喜色が浮かぶ。
でも、まだ。
もうちょっとだけ、何かが欲しい。
欲張りな気持ちがせつなの中に生まれる。
それがこれ以上はラブに迷惑を掛けるかもという気持ちと葛藤する。

「……な、何よ、こんなことでごまかされないんだから!」

最後に打ち勝ったのは、欲張りな気持ち。
自分自身の都合を優先して人を困らせる。
それは昔の自分がやっていた、してはならないこと、
そう解っている筈なのに。
ラブのことになると気持ちに歯止めが掛けられない。
そして、もう一つ、心に生まれたもの。
次にラブは何をしてくれるのだろうという心に期待。
この2つが合わさった時、頭で考えるよりも先に、
気持ちが口に出てしまっていた。

「そっか、じゃあせつなは何をして欲しい?」

それでもラブは、優しくせつなに問いかけてくる。
その言葉と、その顔に浮かぶ満面の笑みが、
せつなの理性を麻痺させる。

(何でもって、何でもいいの?!じゃあ……)

脳裏に浮かぶのは、先程見た光景。
美希と祈里の間で交わされた、別れの挨拶。
お互いに相手を愛おしむ感情とを
顔一杯に浮かべて交わされるその行為と
そしてそこから生みだされる、熱。
それにあてられた時の自分の中の想いが揺り動かされる。
あの時、ラブのように口にこそ出さなかったものの、
せつなの心に確かに生まれていた想い。

(私も、あれを……してほしい)

せつなは、その想いに素直に従って目を閉じて、
黙って顔を上に向ける。

(ラブ……)

暗闇の中、光だけでなく音すらも聞こえなくなったせつなの世界。
その中で、想い人の名前を心の中で何度も思い、その時を待つ。
お互いの心の中にある相手を想う気持ちを口移しで交換出来る、その時を。
……しかし、いつまでもその時は訪れなかった。

「……?」

不審に思ったせつながゆっくりと目を開くと、目の前にいたのは、
甘く、熱い表情を浮かべながらせつなの頬を両手で挟み込み、
ゆっくりと唇を近づける。
……という、せつなの期待していた行為とは全くかけ離れた、
直立不動で硬直しているという有様のラブの姿だった。

「ラブ、どうしたの、さあ、早くして?」

目の前のラブの様子が全く理解出来ないせつなは、
もう一度目を閉じて同じ姿勢。
そこにラブが慌てて声を掛ける。

「あ、あのさあせつな……ゴメン、それだけは、あたし、無理」
「え?どして?」

思いもよらなかったラブからの拒否の言葉をせつなは理解出来ず、
すかさず聞き返す。

「うーんと、えーと……ダメだから、ダメ、じゃダメかな?」

問われたラブは心底困惑した表情を浮かべて、
それでもなんとか言葉を続ける。

「ダメよ、そんなのおかしいもの。だってラブ、さっき美希と祈里のキスを見て
 いいな~とか、いつかはあんな風にしたい、って言ってたじゃない」
「……うん、確かにそう言った。でも、それとこれとは話が別で」
「わからないわ、それじゃ」
「……ハハ、そうだよね」

全く言い訳になってない言い訳、
こんなのじゃせつなを納得させることは出来ない、
そんなことはラブ自身でも解っている、
解っていても他に言い様が無い。

「……もしかしてラブ、私とだとキスするのが嫌なの?」
「そんなことない、それだけは絶対にないよ!」

せつなが口にした言葉をラブは慌てて打ち消す。

「だったら、してくれるでしょ?」
「それは……」
「ダメなの?なんで?どして?」

キスするのは嫌じゃない、でもキスは出来ない。
せつなにはラブの言っていることが全く理解できない。
理解できないから、問い詰めるしかない。

「せつな……」

詰め寄るせつなの表情にも、
その瞳に宿る強い光にも
好きな人にキスをして欲しい、
好きな人とキスをしたいという真剣な想いが現れている。
それが自分に向けられていることをラブは嬉しく思う。

しかし、それに応えてあげたいという想いと、
それを受け入れることは出来ないという
もう一つの想いが自分の中にあることも理解している。

矛盾する自分の中の気持ち、向けられているせつなの気持ち
その全てを上手く心の中で整理して、せつなに応えてあげること。
それを今この場でやりとげることは、ラブには難しすぎた。

「あのねせつな、実はキスってのは西洋風の挨拶なんだ、美希タンはモデル志望だし、
 ブッキーはミッション系の学校に行ってるからそういうこともするけど、
 桃園家はほら、お爺ちゃんが畳み職人だってこともあって
 先祖代々日本の伝統を重んじて来てるからそういう習慣がなくて……」

それでとっさに選んだのは、想いをかわすだけの、
ごまかしの言葉。
ダメだとわかっていても、
この状況から逃げたい、なんとかしたいという気持ちが
言葉を止めることを許してくれない。

「……もういいわ、ラブ」

しかし、それはせつなによって途中で遮られた。

「せつな?」

彼女の方を見たラブが目にしたのは、
目元に涙を滲ませた、せつなの姿。
その顔に浮かぶのは、怒りというよりも、落胆。

「………………っ!」
「私、先に帰ってるから」

言葉を失ったラブに平静な声でそう告げつつ、
せつなはリンクルンを取り出す。

「待って、せつな!」

ラブの言葉を待たず、せつなはアカルンを起動する。
赤い光が視界を遮ったかと思うと、
次の瞬間にはせつなの姿は消えていた。

「ハァ……」

残されたラブ。

(あたし、何やってるんだろ……)

そう思い、肩を落とすと、一人で家への帰路を歩き出すのだった。


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最終更新:2009年11月11日 01:40