「へぇ・・・・・・驚いた。本当に来るとはね」
「――――イース」
扉を開けてすぐのロビー。せつなを迎えたのは、階段に腰掛けて本を読んでいた南瞬と、何故か筋トレをしていた
西隼人だった。瞬は揶揄の視線を、隼人は困惑と怒気が混じった複雑な目を、せつなへと向けてくる。
が、彼女は二人のそれに、沈黙で応える。心に鎧を纏い、決して揺れたりはしない、と誓う。
「ノーザは、どこ」
低く押し殺した声で、せつなは二人に問いかける。その声と、冷たい表情は、一瞬、彼らにイースを思い出させる。
が、あからさまですらある敵意は、彼女がもはやラビリンスに戻るつもりが無いことを悟らせた。
「ノーザ、さんなら・・・・・・」
「あれ。東さん?」
玄関正面の階段。その踊り場から呼びかけられ、せつなは思わずそちらを振り仰ぐ。聞きなれた声。そう、学校で
毎日、聞いている声。
「やっぱり、東さんだ」
「由美・・・・・・? どうして、ここに・・・・・・」
トントンと足音も軽やかに階段を下りてくる由美。その隣には、背の高い少年の姿があった。どこかで見たような
――――考えて、気付く。写真を見せてもらったことのある、由美の彼氏だ。転校して、今は遠くの街にいると聞いて
いたが、戻ってきていたのだろうか。
「えへへ。ほら、ここの占いって、よく当たるって話でしょ? だからね、先輩と一緒に占ってもらおうと思って」
「そう、なんだ・・・・・・」
由美は、せつながここで占い師をしていた頃のことを知らない。いや、そもそも、ラブ以外に知っている人はいない
だろう。実際には、せつなが見たことのある顔が同じクラスの中にもあったが、ローブを被っていたせいか、向こうから
彼女のことに気付くことは無かった。
「それでね、東さん、聞いて聞いて。私と先輩の相性、最高なんですって。ね、そうなんですよね」
「ええ、そうよ」
聞こえてきた艶やかな声に、せつなは息が止まった気がした。
いつの間に、だろうか。
由美とその彼氏、二人の後ろに立っていたのは――――北那由他。
かつてのせつなと同じように、黒のローブを身に付けているのは、占い師を装っているからか。長く艶のある黒髪と、
不自然なまでに白い肌、そしてフードの作る影の中、鮮やかに過ぎる赤の唇は、薄い笑みを浮かべていて。
「これからも二人、仲良くしていれば幸せを手に入れることが出来るわ」
「ありがとうございます!! えへへ」
先輩と顔を見合わせて、照れ臭そうに笑う由美の姿を、しかしせつなは見ていなかった。彼女が見ていたのは、ただ、
那由他の姿だけ。
その視線を受けて、また、彼女は笑う。声を上げぬまま。
「じゃあ、東さん。またね」
先輩と腕を組んで出て行く彼女を、せつなは見送る。占い師姿の那由他が隣に立ち、同じように見送りながら呟く。
「ホント、この世界の人間は愚かね」
「――――っ」
その言葉に、せつなは彼女をキッと睨み付ける。だが、那由他はその視線に気付きながらも、なんら臆することなく
続ける。
「幸せになると言いさえすれば、すぐに喜ぶ。単純なものだわ」
「それは――――!!」
「貴方にそれを非難されるいわれはないわ。だって、同じことを思っていたんでしょう?」
振り向き様に言われ、彼女は言葉に詰まる。確かに、ここで占い師をしていた頃、やってきた客に対してそう思って
いたことがあった。
今では、それが間違いだったとわかる。けれど、どう間違っているのかを彼女に説明するのは、難しい。何より、説明
したところで、聞き入れてくれる相手だとも思えなかった。
「ふふ。人の不幸は蜜の味、ってね。それより――――」
那由他はフードを下ろし、その顔を露にする。それを合図にしたかのように、瞬と隼人が立ち上がり、二人に近付いて
きて。
「待ってたわ、イースちゃん。来てくれないかと、心配してたのよ?」
何をヌケヌケと。思うが、反論はせず、せつなは確かめる。
「これで、お母さんには、手を出さないんでしょうね」
那由他は、だがしかし、ただ笑うだけで、彼女の問いかけに答えを返そうとはしなかったのだった。
忍び寄る影 心 惑いて
「座ったら? イースちゃん」
「いいえ、ここで結構よ」
かつてイースだった頃、三人が集まる場所だった応接間に、せつなは通される。
テーブルの上座に座りながら、不気味な程に優しく振舞う那由他の言葉に、しかしせつなは拒絶の意思を示す。長居
をするつもりはない、と言わんばかりの彼女の態度に、那由他は含み笑いを浮かべるだけ。
周りを見れば、隼人は壁にもたれかかるように立ち、瞬はソファに足を組んで座っている。そして那由他が、テーブル
の上に肘を付き、手を組んで、その上に顎を乗せてこちらを見ている。三人の視線が交わるのは、せつなの顔。
ゴクリ、と小さくつばを飲む。自分が、ラビリンスの――――敵の懐に踏み込んでいることを、改めて意識させられる。
無意識に、彼女の手は腰のあたりに置かれる。そこにあるのは、リンクルン。いざとなれば、変身して戦うことも辞さない覚悟だ。
「そんなに構えなくてもいいのよ。戦う気はないわ」
だが、そんな彼女の意思を見透かしたかのような那由他の声が響く。少し意外そうな顔をする隼人と瞬だったが、チラ
リと彼女を見るだけで、口に出しては何も言わない。
「今日はね、お話がしたいと思ったの。イースちゃんとね」
「話の前に、一つ、いいかしら」
毅然とした態度をしながら、せつなは那由他の言葉を遮った。怪訝そうな彼女に、きっぱりと言い切る。
「私はもう、イースじゃないわ」
「――――クックック」
せつなの言葉に、小さく驚いた素振りを見せた後、那由他は笑い始める。喉で笑うその様が、まるで嘲られているか
のように感じ、せつなは眉を顰める。
「そうだったわね。今の貴方は、せつなちゃんだったわね――――ああ、それともこっちの方がいいのかしら――――
せっちゃん」
「――――っ!! その呼び方はやめて!!」
お母さん、お父さん――――あゆみと圭太郎と同じ呼び方で彼女に呼ばれ、せつなは、自分でも驚く程に強い苛立ち
を覚えた。反射的に、そう叫んでしまう程に。
「あらあら、そんなにお母さんのことが大切なのかしら、せっちゃんは」
「止めてって言ってるでしょう!?」
これ以上、愚弄するなら――――強い敵意を向けてくるせつなに、那由他は笑いながら首を横に振った。
「冗談よ、せつなちゃん。落ち着いて聞いてくれるかしら」
その言い草に、グッと握った拳に力が入る。が、一つ、小さな息を吐いて、強張っていた力を抜く。落ち着け、私。この
ままだと、相手の思うツボよ。
自分にそう言い聞かせ、せつなは改めて那由他を見つめる。油断はしない。でも、我を忘れる程には入れ込まない。
すっかり落ち着きを取り戻した彼女の様子に、那由他は小さく鼻を鳴らす。が、すぐにまた酷薄な笑みがその顔に
浮かぶ。お楽しみは、まだこれからだ。
「それで? 話って、何かしら」
「大した話じゃないわ――――インフィニティのことよ」
やはりか。思い、眼差しを厳しくするせつなに気付きながらも、那由他は話し続ける。
「あなたのお友達、ラブちゃんの持っている人形――――シフォンちゃん、だったかしら? その子がインフィニティ
なのよね?」
問いかけに、せつなはしかし、答えない。そしてそれを予想してたのか、那由他は構わず、
「せつなちゃん。貴方をここに呼んだのはね――――インフィニティを、渡して欲しいから」
「お断りよ」
間髪入れずに、せつなは答える。強い語気に、隼人と瞬が腰を浮かすが、那由他が軽く手を振ってそれを抑えた。
「私はもう、イースじゃないわ。ラビリンスの為には、働かない。何より――――シフォンは、私達の大切な仲間だから」
「そう――――どうしても?」
「どうしても、よ」
言って、せつなは那由他に背を向ける。話はこれで終わり、とばかりに。
だが、その背中に、彼女は言の刃を投げる。
「お母さん」
嘲笑が交えられたそれは、少女の胸に深く突き刺さって。
思わず、せつなは振り返る。その顔に絡みつく、冷たい那由他の視線。心臓を、その長い爪で引っかかられたかの
ような痛みが走る。背中からは、ドッと汗が噴出して。
「せつなちゃんはお母さんのことが、よっぽど大事なのね」
急に、部屋の気温が下がったような、そんな幻覚をせつなは覚える。長いテーブルの向こう、座ったままの那由他の
姿が、何故か不意に巨大に感じられて。
圧迫、される。
「そんなに大事なお母さんに何かあったら――――せつなちゃんは悲しいわよね?」
「お母さんに、何をする気!?」
思わず叫ぶせつなに、那由他は笑いながら首を横に振る。
「大丈夫よ。何もしてないわ」
せつなが、その言葉に安堵の表情を浮かべるのを確かめてから、那由他は言った。
「今は、ね」
「――――っ」
再び厳しい顔になるせつなを見て、彼女は笑う。翻弄されているとわかって、せつなは顔をしかめた。
「お母さんに、手を出さないで」
「あら、それは出来ない相談だわ――――だってもう、手を出したもの」
言った彼女の服の袖から、コロン、と転げ落ちる一粒の種。それが何かをせつなは知らなかったが、直感的に勘付く。
恐らく、ソレワターセの実。
「良かったわね、お母さんを助けられて」
「あれは、貴方だったのね!!」
つい先日、あゆみの偽物に入れ替わったソレワターセと、彼女は戦った。その入れ替わりという作戦は、ウエスターや
サウラーの考えたものではないような気がしていたのだが、やはり、ノーザ自らが指揮を執っていたのか。
「よくも、お母さんを――――!!」
「返してあげただけ、優しいと思って欲しいわね」
その言葉と共に、那由他の顔に貼り付いていた薄い笑みが、さらに冷たいものに変わる。いっそ、禍々しいばかりの
その顔に、せつなの感じていた怒りが、スッと消え去る。残るのは――――恐怖。冷水を浴びせられたかのように、
背筋に寒気が走って。
「分かっていないようね。あれは警告よ」
「警・・・・・・告?」
「ええ、そう。警告――――どうやらやっぱり、イースという兵士は、もういないみたいね。こんなに甘い生き物が、メビ
ウス様のしもべであったはずが無いわ」
嘲られている。分かっていても、何も言えない。
ただ、混乱する意識の中で、必死に考える。警告、という言葉の意味を。
その、余裕の無い表情に、那由他は内心の満足感を隠しながら、言葉を重ねる。
「貴方は、どこでお母さんを見つけたのかしら」
「か、鏡の中で・・・・・・」
「そう。トイレの鏡の中の、ロッカーに閉じ込められていたのよね。スカートが少し、出てたんじゃなかったかしら?」
「どうして、それを・・・・・・」
「だって。そうしたのは私ですもの」
驚きに、せつなは目を見広げる。
そうしたのは――――私? どういうこと?
まさか――――あれは、わざとだったというの?
「貴方なら、気付くと思ったわ。そしてやっぱり、気付いてくれた。良かったわね。お母さんが無事で」
「何を・・・・・・言ってるの?」
声が、震える。考えが、まとまらない。
呆然と立ち尽くすせつなに、那由他は笑いながらとどめとなる言葉を投げる。
「まだわからないの? 私はね――――貴方のお母さんの命を奪うことも出来たのよ」
不意に。
世界が色を失った気がした。
息が止まる。心臓は、緊張のせいか、早鐘のように激しく鼓動する。
「簡単なことだったでしょうね。その胸に私の爪を突き刺すことも出来た。首を引き裂いて、鮮血に染めることも出来た
――――誰にも邪魔はされなかったでしょうから」
那由他の言葉に、せつなの心はえぐられる。
大切な、守りたいと思っていた存在。自分を助けてくれ、居場所を与えてくれた人。
なのに、私は――――その人の危険に、気付くことが出来なかった。
震える。全身に怖気が走る。
寒い。冷たい――――心も、体も。
あゆみの声を、ぬくもりを思い出す。そして、それを失うことを想像する。
それだけで。
足元を支える地面が無くなったかのような感覚に、襲われる。
「今回は、返してあげた――――けれど、次はどうかしら?」
「・・・・・・・・・・・・」
お母さんに手を出さないで。つい数分前までのせつななら、気丈にそう言えただろう。
けれど、今は――――守れなかったことに、気付いてしまった今は。
そして、意気消沈するせつなを見て、那由他はほくそ笑む。狙い通り、と。
「覚えておきなさい。私の手は長いの。そう、貴方に気付かれないように、貴方の大切な人に触れられるぐらいに」
その言葉に、せつなは目を伏せる。
この館に来てすぐの、強い彼女は、もういない。そこにいるのは、か弱い少女。
「せつなちゃん。もう一度、言うわ――――インフィニティを渡しなさい」
猫撫で声で、彼女は囁く。だが、その言葉には、言霊が込められていた。拒絶を許さない、という強い言霊。
「これは、お願いじゃない。命令よ。貴方がイースでもせつなでも、どちらでもいいわ。ただ、命じる――――インフィニ
ティを渡しなさい」
「それじゃ、今晩にでも――――待っているわ、せつなちゃん」
言って、那由他は館の扉を開ける。ふらふらと亡者のように、外へと出て、去って行くせつなの背中を見ながら、彼女は
ゆっくりと微笑んだ。その顔は、強い邪気に彩られていて。
「ノーザ。一つ、聞いてもいいか」
扉を閉めて振り返ると、隼人がそこに立っていた。その後ろには、瞬も立っている。無関係を装っているが、意識は
こちらに向けられていた。
「ノーザさん、でしょう。ウエスター君」
「――――っ。ノーザ、さん」
一つ、咳払いをして、彼は続ける。
「一体、どうしてイースにあんな役目を? 俺達に任せてもらえれば、インフィニティを奪いに行くぐらい、たやすいことだ」
「そしてプリキュアに負かされて、スゴスゴと帰ってくるのでしょう?」
ピシャリ、と冷たく弾かれて、隼人はムッとした表情を見せる。が、言い返さないのは、これまでの経緯があるから
だろう。
那由他はそれに構わず、ポン、と彼の肩に手を置いた。
「ごめんなさい。貴方達を評価していないわけじゃないの。ただ、私は確実に事を進めたいだけ。それに――――」
「――――? それに?」
「あの子には、もっともっと、不幸になってもらいたいの」
その言葉は、純粋な悪意。隼人だけでなく、瞬ですら引く程に、強く激しいもの。
「ラビリンスを、メビウス様を裏切ったんですもの。たっぷり不幸になってもらわないとね」
彼らの眼に自分がどう映っているか、気にした素振りも見せず、那由他は、笑う。
「人の不幸は、蜜の味――――フフフ、せつなちゃん貴方の不幸は、どれだけ甘いのかしら?」
夕の朱が、空と街を染める。
その中を、せつなは一人、歩く。苦悩しながら、歩く。
耳元を離れない、彼女の言葉。
『インフィニティを渡しなさい』
出来るわけがない、と思う。
だって、インフィニティを渡せば、ラビリンスが全ての次元を支配することになる。そうなったら、ラブのいるこの世界も。
それに何より、インフィニティは、シフォンなのだ。彼女はもう、自分達の子供みたいなものだ。守ってあげなければ
ならない、そう思う。
けれど――――
歩きながら、せつなは唇を噛み締める。
脳裏に過ぎるのは、お母さんの姿。
左手の手首を見る。赤のハートが繋がったブレスレット。お母さんからの、贈り物。
『貴方のお母さんの命を奪うことも出来たのよ』
『私の手は長いの。そう、貴方に気付かれないように、貴方の大切な人に触れられるぐらいに』
ノーザの、あの言葉。
それが何を意味するか、わからない彼女ではない。
インフィニティを渡さなければ、お母さんが。
「あら。せっちゃん」
「え? お母さん!!」
不意に、背の向こうからかけられた声に振り向くと、そこにはあゆみの姿があった。買い物袋を持って、ニコニコと
優しく微笑んでいる。
「どうしたの? そんなに、驚いた顔して」
「え? あ、ううん、何でもないの――――それより、お母さんこそ、どうして? 買い物なら、さっき行ったのに」
「お醤油を切らしてたのを忘れててね。慌てて買いに行ってきたところ。ラブはせっちゃんを探しに行くって、出かけ
ちゃったみたいだし――――そういえば、一緒じゃないの?」
言われて、慌ててリンクルンを取り出す。アカルンで部屋を抜け出した後、着信音が鳴らないようにしていたことを
忘れていた。見れば、ラブからの着信とメールが、たくさん入っていて。
「ごめんなさい、お母さん」
言ってから、ラブに電話をかけ直す。と、一コールもしないうちに、彼女が出た。
「もしもし、ラブ?」
「もーう!! せつなったら!! どこ行ってたのよっ!!」
いきなり大声で話されて、思わずせつなは耳を離してしまう。それだけ心配させてしまったのだろう。怒ってるラブに
謝りながら、せつなは今、自分があゆみと一緒にいるということを説明する。どこに行ってたかについては――――
誤魔化すしか、なかったけれど。
「ふぅ」
「せっちゃんも大変ね。ラブにこんなに好かれて」
電話を切って溜息を吐いたせつなに、あゆみはクスクスと笑いながらそう声をかけてくる。
「あ、いえ――――大変なんて、そんな」
恥らうように言って、せつなはあゆみの手から、醤油の入ったビニール袋を取る。
「あら。ありがとう、せっちゃん」
「ううん――――お母さん」
「じゃあ、はい」
あゆみは、空いた手で、せつなの手を掴む。思わずドキンとする彼女を、あゆみは慈愛の笑みを浮かべて見る。
「思い出すわー。ラブがちっちゃな頃、よくこうして手を繋いで歩いたものよー」
「お母さん――――」
「だから、せっちゃんとも、手を繋いでみたいなー、って。ダメかしら?」
「そんな・・・・・・」
ブンブンと首を横に振るせつなに、良かった、とあゆみは言って。
ギュッ、と繋いだ手に、力を込めてきた。
その手のぬくもりに。
想いの深さに。
せつなは心に決める。
私は――――
お母さんを、守らなきゃいけない。
絶対に。
どんなことを、しても。
最終更新:2009年11月23日 23:35