アットウィキロゴ

7-345

 せつな。
 せつな。せつな。せつな。
 思い浮かべるのは、幸せな時間。共に過ごした、大切な記憶。

 せつな。せつな。せつな。せつな。せつな。

 どうして何も言わずに行ってしまったのか、とか。
 どうして自分達を信じてくれなかったのか、とか。
 そんなことを、ラブは――――キュアピーチはもう、考えていなかった。
 ただ一つの言葉を、心の中で念じるかのように繰り返すだけ。

 せつな。せつな。せつな。せつな。せつな。せつな。

 会いたい。すぐ側に行きたい。無事でいて欲しい。全ての気持ちが集約されて。
 せつな、と彼女は繰り返す。ただ、繰り返す。
 そして、屋根の上を駆ける。風よりも速く、彼女の居場所へと自らを導く鳶を目の端で捉えながら、ただ一目散に駆け
る。

「ピーチ!!」

 誰かの声が聞こえた気がした。けれどそんな意識も、せつな、という単語に塗り潰される。
 彼女は駆ける。一瞬でも早く、せつなの元に辿り着く為に。


 その背中を、ベリーとパインは必死に追いかける。

「速すぎるよ、ピーチ」

 少しずつ遠ざかる彼女の姿に、パインはわずかに息を荒げながら呟く。彼女は持久力に秀でている、と言われている
が、それは一定のペースで刻み続けてのこと。今は、全力疾走をずっと続けるようなものだから、いくらプリキュアと
なっているとはいえ、疲労が脚を鈍らせる。
 無論、彼女とてせつなを案じているからこそ、へたりそうになるのを我慢して走っている。走っているのだが――――

「周りが見えなくなってるわね、あの子」

 パインの身を案じるように隣に並ぶベリーが、冷静にそう指摘する。
 そう、ピーチの速度は、まるで鈍らない。まるで、無尽の体力を持っているかのよう。
 多分、リミッターが外れてしまったんだろう、そうベリーは考える。
 昔からラブは、何か一つのことに集中すると、他が目に入らなくなり、限度を越えた異様な集中力を発揮する子だった。
今はそれが、せつなを助けるということに向けられているのだろう。だから、仲間の声すら聞こうとしないで駆けている。
 単独行動なんて、ラブ、それじゃせつなを責められないわよ。そう心の中でぼやくが、文句は後回しにする。



「ここは、ピーチに任せましょう」
「ベリー?」
「今は少しでも早く、パッションに助けが必要よ」

 そう言いながら、愁眉を曇らせるベリーに、パインが不思議そうに尋ねる。

「ベリー、どうかした? なんだか、焦ってるみたい」

 指摘されて、ベリーはわずかに目を細める。その視線の先には、だいぶ小さくなってしまったピーチの背中があって。
 確かに、彼女は焦っていた。そしてそれには、理由があった。
 何故か、とても――――とても、胸が痛い。それは、ここまで必死に走ってきているから、というのではなく――――
もっと、心の問題。
 口にする必要がない。判っているのに、ベリーは、思わず口に出してしまう。自分の抱えている不安を。

「嫌な予感がするのよ――――嫌な予感が」






        そして、悲劇 





 ダンッ

「ぐっ」

 ダンッ

「がっ」

 ダンッ

「あ、く――――!!」

 ダンッ

「あぁっ!!」

 足首に絡みついた木の根。鞭のようにしなるそれに、パッションの体は振り回される。まるで子供が玩具を乱暴に
扱うように。
 壁に、地面に、叩き付けられる度に、少女の口からは抑えきれない悲鳴が漏れる。必死に噛み殺そうとして、なお
消しきれないそれは、とても悲痛なもので。

「フフフフ」

 だがノーザの耳には、それは全て甘美な響きだった。恍惚の表情を浮かべながら、土にまみれるパッションの姿を
眺めている。



「いいわ、いいわよ、せつなちゃん――――貴方の不幸、とっても甘くて美味しいわ」

 もう何度目だろう。地面に叩き付けられたパッションの体が、跳ねる。それと同時に、彼女の足首を掴んでいた木の根
が、シュルシュルとノーザの足元に戻っていって。

「さぁ。もっと私を楽しませなさい。貴方にはそうしなければならない義務がある――――私を騙し、インフィニティを
持ってこなかったのだから」

 彼女の言葉が、工事現場に冷たく響く。その声が消え去る前に、ピクリ、と倒れ伏していたパッションの指が小さく
動く。そして、地面を掴んで。
 フン、と笑うノーザの前で、彼女が体を起こした。ノロノロと。四つん這いから、膝を立て、崩れ落ちそうになりながらも、
何とか起き上がる。
 その赤の衣は、泥まみれだ。彼女の美しい顔もすっかりと汚れてしまい、白い肌のあちこちに血が滲んでいる。
 ボロボロの、戦士。それでもパッションの瞳には、その名のごとく、強い情熱の炎が宿っていて。

「負け、ない・・・・・・」

 それは、宣言というには弱々しいものだった。ただ、自分に言い聞かせているだけ。
 だが彼女は、そう呟くことで、自分に暗示をかけていた。負けない。決して、負けないと。

「負けない、んだから・・・・・・!!」

 ゾクリ、とノーザが身を震わせる。
 パッションの気迫に恐怖したから――――ではなかった。その真逆、愉悦のゆえに。
 彼女は、想像したのだ。
 こんなにも強い心を折ってあげたら、どれだけ楽しいだろうか、どれだけ甘い不幸を味わえるだろうか、と。
 かつて、イースだった頃の彼女は、どこにでもいるちっぽけな存在だった。メビウス様に忠誠を誓い、彼を盲愛する
だけの、代わりがいくらでもいるただの駒だった。その頃のノーザは、彼女のことを歯牙にもかけていなかった。
 それが、こうして敵に回ったことで、こんなにも楽しめるなんて。
 ノーザは笑う。そして感謝する。運命の悪戯に。
 彼女が――――イースがプリキュアになって、良かった。

「さぁ。かかってきなさい」

 ノーザが、人差し指をクイクイと曲げて、パッションを誘う。わざと隙すら作って見せて。

「言われ――――なくても!!」

 立つのがやっと。そんな風にフラフラとして見せていたパッションが、声と同時に顔を上げ、地面を蹴る。
 ダッという音を立てながら飛び掛ると同時に、パッションはアカルンの力をフルに解き放つ。
 その場に留まるのは、瞬き程の時間も無いほどの一瞬。繰り返し、繰り返し、瞬間移動を続けて。
 ノーザの眼には、まるで、パッションが分身したかのように映っただろう。

『はぁぁぁっ!!』

 気合の声すら、サラウンドで聞こえる。そして幾人もの彼女が、ノーザに拳を叩き込もうとした、その時。




「甘い――――っ!!」

 彼女のスカートの裾から溢れた無数の木の根が、無差別に辺りの空間を薙ぎ払う。その速さは目に止まらず、ただ
、不意に薄い茶色の球体がノーザを包み込んだようにしか見えなくて。

「――――あああっ!!」

 捨て身の一撃だったから、防御など出来るわけもなく、彼女はまともに攻撃をくらってしまう。
 弾き飛ばされ、何度も地面を跳ねる。そして壁にぶちあたり、

「がっ、はっ」

 一瞬、息が止まる。それほどの、衝撃。全身が、バラバラになるかと思った。

「フフフ――――まだ、生きてるわよね」

 必死に、途切れそうな意識を繋ぎ止めて。落ちそうな瞼を、無理矢理、開けて。
 パッションは、近付いてくるノーザに目を向ける。そして思う。
 強い、と。
 瞬間移動を繰り返し、分身のようにして見せれば、隙を付けるかと思った。だが、ノーザは、自分の周りを、まるで
球のように無差別に攻撃することで、瞬間移動で近付かれるのを阻止した。
 強い、と改めて思う。捨て身の攻撃ですら、かすりもしない。
 そもそも、策を練り、ここに連れ込んだのは、必殺の初太刀をあびせるためだった。ロードローラーを用いた渾身の
一撃が通じなかった今、もはや勝ち目は無いのかもしれない。
 ラビリンスにいた頃から、ノーザがすさまじい力の持ち主だとは聞いていた。だが、これほどまでだったとは――――

「諦めたら? まだ間に合うわ。諦めて――――私にインフィニティを渡しなさい」
「誰が・・・・・・諦めるもんですか・・・・・・!!」

 本当は、もう、立ち上がるのですら辛かった。
 このまま、目を閉じて、眠ってしまえばどれほど楽だろうとも思った。
 それでも――――パッションは、立ち上がる。
 インフィニティ、いや、シフォンを渡すなんてことは、絶対に出来ないから。

 必死になって、もがくように立ち上がる彼女の姿に、ノーザは笑みをさらに深くする。
 どうしよう。どうしよう。どうやってこの心を、押し潰してあげようか。

「――――っ」

 手始めに、彼女の首筋に木の根を巻きつけ、ギリギリと締め上げながら、地面から足が離れるほど体を持ち上げて
みる。

「あ、か、っ」

 空気を求めて、喉と口が激しく動く。呼吸が出来ず、苦しみ悶えるパッションに、ノーザは再び、問いかける。

「インフィニティを――――」
「渡さ、ないわ」

 苦しくて仕方ない筈なのに、気丈に答える彼女に、そう言うと思った、とノーザは心の中で思った。
 本当に強い子だ、この子は。
 あぁ。
 楽しい。楽しいわ。いったい、どれだけ楽しませてくれるというの。
 さて、どうしようかしら。


 そんな物思いにふけっていたから、だろうか。

「はぁぁぁぁぁっ!!」

 激しい気合の声と共に飛び込んできた人影の攻撃に、ノーザは直前まで気付くことが出来なかった。
 その蹴撃は、パッションの首を掴んでいた木の根に突き刺さる。そして、それを切り裂く程の力を秘めていて。
 さすがに驚きを隠せず、飛び退るノーザ。そんな彼女に目もくれず、人影は――――キュアピーチは、地面に倒れ
こみそうになったパッションの体を抱き止めた。

「ピーチ・・・・・・?」
「せつな。良かった。無事だったんだ」

 優しく微笑んで、ピーチはギュッ、とパッションの体を抱きしめる手に力を入れる。その桃色の衣が、彼女の血や泥で
汚れることを厭わないで。
 だが、それは一瞬のこと。

「待ってて。パッション。ここはアタシが――――」
「ダメよ、逃げて!!」

 ノーザに向かって、構えを取ろうとしたピーチの肩を、パッションが強く掴む。

「え?」
「ノーザは強いわ。私達じゃかなわない――――ここは、逃げて。私を置いていってもいいから!!」
「何、言ってるの、パッション!?」
「いいから!!」

 驚きに目を見広げるピーチ、だがパッションも引き下がることなく、ピーチをノーザと戦わせまいとする。
 そんな二人の様子を、面白そうに眺めていたノーザが。

「フフ」

 一人、ほくそ笑む。思いついたのだ。


 どうすれば、皆を不幸にさせられるか、を。


「戦ってはダメ!! 逃げて!! そして守って!! シフォンを――――皆を!!」
「だからって、パッションを置いてなんていけない!!」

 コロコロコロ。ノーザの衣の袖から落ちた一個の実が、コロコロと転がっていく。少女達の足元を通り過ぎ、その背後
で動きを止めて。

「私が倒すから!! こいつとは、私が戦うから!! だからピーチ!! お願い、逃げて!!」
「パッション――――」

 すがりつきながら、目をうるませながら、頑なに言うパッションの声に、ピーチは驚きを隠せない。一体、何がそんなに、
彼女を駆り立てているのか。どんなことをしても、戦わせたくない、そう願っていることがわかる。
 だが。

「ダメだよ、パッション」
「ピーチ!!」
「どうしてもパッションが戦うって言うんなら――――アタシも一緒に戦う!!」



 その言葉に、パッションは唇を噛む。判っていたはずなのだ。彼女なら、そう言うだろうと。なのに自分は――――
それを、言わせてしまった。もっと、違う言い方があった筈なのに。
 だが、もう遅い。彼女は、ノーザに向かい合っている。炎のように眩しく輝く瞳で、氷のように冷徹な彼女を見つめて
いる。
 戦わせるしか、無いというの――――
 思いながら、目を伏せた、その瞬間。
 視界の片隅で、何かが起き上がった。黒々とした物体が、形を変えながら、立ち上がって。

『ピーチ!!』
「え?」

 二人の仲間――――ベリーとパインの声に、ピーチが背後を振り向くと。

「ソレワターセ!!」

 巨大な姿を表す、怪物がいた。
 その、触手のような腕が、空気を裂きながら彼女を突き刺そうとする。

「ピーチッ!!」

 驚く彼女を庇おうと、飛び込んでくる一つの影。
 そして。


 鮮血が、舞った。


7-402
最終更新:2009年11月28日 18:55