(美希ちゃん………)
心の中で何度も呟く。
平凡なはずの名前。それなのに、この上なく素敵な言葉に感じるのはなぜだろう。
わたしの綺麗な幼馴染み。強くて優しい親友。
そして特別な、大切な人。
ずっとずっと好きだった。幼い頃から。
でも、わたしはその想いに敢えて名前を付けなかった。
ぼんやりと胸を漂うに任せ、明確な形を作らせないようにしてた。
だって、辛くなるだけだから。
叶う事はない。叶ってはいけない。
だって、いけない事でしょう?どうしようもないでしょう?
女の子同士なんだもの。ずっと仲良しの友達だったんだもの。
そして、美希ちゃんも気付いてる。
わたしがどんな風に美希ちゃんを見てるか。
気付かないはずない。人一倍、人の気持ちや視線に敏感な美希ちゃんだもの。
気付いて、それでいて知らんぷりしてくれてる。
わたしが、美希ちゃんに気付かれる事を望んでいないから。
だから、気付かない振りで、ほんの少しだけわたしを特別扱いしてくれる。
わたしを一番近くに置いてくれる。
時にちょっぴり困った顔で、我が儘な妹を甘やかすみたいに。
(美希ちゃん……、好き。)
いつ頃から好きだったのかは、もう思い出せない。遠い昔の事だから。
でもこの想いが、確かな形になり始めてしまった時期は、はっきり
覚えてる。
漂っていた細い糸が絡まり合い、繭を作り始めたのは夏の盛り。
そして、その繭が孕んでいる想いに名前が付いたのは夏の終わり。
(わたしは、美希ちゃんに恋してる……。)
それは、彼女。東せつなちゃんが私たちの仲間になった頃の事。
異世界からやってきて、瞬く間にもう一人の親友、ラブちゃんの
心を奪い去ってしまった。
わたしはつぶさに見てしまう事になった。
二人の間にあった曖昧な、だけど無視する事の出来ない細く煌めく絹糸。
逆らう程に纏わり付き、身も心も絡め取られてゆく様を。
それが意思を持って紡ぎ上げられ、美しい模様を織り成し、
彼女達をくるみ込んでゆくのを。
ラブちゃんとせつなちゃんは、自分達の心を誤魔化さなかった。
わたしが何年も乗り越えられず、また乗り越えてはいけないと
信じていた壁を、出逢って数ヵ月の彼女達は越えて行ってしまった。
情熱に任せて、勢いで越えてしまった訳でないのは分かっている。
時間が短い分だけ濃密で、嵐のように翻弄されただろう。
悩んで、苦しんで、諦めようとした事だってあったに違いない。
それでも、あの二人はお互いを己の片身と決めた。
もしわたしなら、同じ様に出来ただろうか。
あんな風に、ラブちゃんのように大切な人を取り戻す為、体一つで
ぶつかる事が出来ただろうか。
せつなちゃんの様に、
自分の命が尽きるその日に、大切な人とぶつかり合う事を選べるだろうか。
わたしは、臆病で卑怯だ。
自分でぬるま湯の物足りない心地好さを選んでおきながら。
美希ちゃんにも、それを望んでおきながら。
我慢出来なくなってきてる。
視線の熱を下げられない。
想いの繭は硬く絡まり、心臓にしがみ付き、脈打つ度に
その存在を主張する。
お前は、美希を欲しがっているのだと。。
美希ちゃんは、今さら、と思うだろうか。
何年も何年も、わたしの身勝手な一人相撲に付き合わせておきながら、
今さら向き合う事を望むなんて。
わたしは想いを伝えた事はない。ただ、美希ちゃんは知ってる。
そのつもりで、接してきた。
美希ちゃんもわたしを、特別に感じてくれてるんだって信じて。
美希ちゃんも、わたしを好きでいてくれてるって信じて。
だから、わたしの我が儘な甘えを許してくれてるんだって。
美希ちゃん、どうしよう。わたし、どうしたらいい?
(祈里…………。)
優しい響きの綺麗な名前。
これ以上無いくらい、ぴったりだといつも思ってた。
彼女がマリア像の前で頭を垂れ、祈りを捧げる姿は
さながら一枚の絵画のようだろう。
穏やかで、包み込むように癒してくれる幼馴染み。
でもね、アタシは知ってるの。あなたって、実は結構ワガママだって事。
とても欲しがり屋のくせに、絶対に欲しいモノを口には出さないの。
その癖、こっちには気持ちを読み取る事を要求するのよね。
おねだりなんて絶対にしないくせに、当たり前のように
アタシが応えるのを待ってる。
でもあなたがそんなワガママを見せるのはアタシにだけ。
ねぇ、祈里。アタシ、ちゃんとあなたの期待に応えて来られたかしら。
あなたが何を求めてたのか。ちゃんと分かってたつもりよ。
アタシの事を好きでいてくれてたのよね?
自惚れてるかしら。でも伊達にモテてるワケじゃないのよ?
視線の持つ温度に気付かないワケないでしょ。
分かってるつもりよ。あなたは決して自分から何かを望んだりしない。
あなたは欲張りだから、新しいモノを手に入れる事で、他のモノを失うのが
怖いの。
けど、お行儀悪くすべてをおねだりする事も出来ないのよね。
だから、相手が察して、与えてくれるモノだけを受け取るの。
そうすれば、誰も傷付かないもの。
責めてるんじゃないのよ?
アタシだって同じだもの。
アタシ達が幼馴染みの仲良しだって事は町中の皆が知ってる。
母親同士も仲良が良くて、一緒に過ごした時間は、早くから
別れて暮らしてる弟よりも長いくらいよ。
だから、無理よね。たった一つの想いと引き換えにするには
絡んでるものがたくさんあり過ぎる。
だから、一番の幸せは考えないようにしてたんだもの。
二番目の幸せで満足しよう。誰より近くにいられる事には代わりないんだから。
そうよね?祈里。あなたもそれを望んでたはず。
アタシ達、それで充分幸せだった。
ちょっぴり物足りないって気持ちが無かったって言えば嘘になるけど。
これ以上は望んじゃいけないって。
壊れてしまうくらいなら、未完成のままでいいって。
そう、思ってたんだものね。
………本当に、まいっちゃうわよね。
あんなもの、目の前で見せ付けられたら。
今までのアタシ達の我慢、一体何だったの?って思っちゃう。
人の気持ちが目に見えるなんて知らなかった。
淡く、濃く、時に暗い色も滲ませながら複雑なグラデーションを
画いていくの。
そして、それがオパールみたいに鮮やかな結晶になって、
多彩な光を振り撒きながら、彼女達の胸におさまっていった。
その様子をまざまざと、目を背ける事すら出来ずに見守るしかなくて。
困るわよね。アタシ達が見ないようにしてたモノ。
想像する事すらしないようにしてたものが、目の前で形になっていく所を
見てしまったんだもの。
でもね、アタシやっぱり思ったわ。
あそこまで、しなくちゃいけないのか…って。
あれほどの事が起こらなければ、壁を踏み越えられないのかって。
ラブだって、相手がせつなでなければ、相手が普通の女の子なら
あそこまで突き抜ける事はなかったんじゃないかしら。
すべてを失ったせつなだから、ラブの為に己のすべてを差し出せたんじゃ
ないかしら。
ラブもそんなせつなだから、すべてを受け止める覚悟が出来たんじゃないかって。
……単なる言い訳ね。アタシ達は好きで曖昧な関係でいただけなんだから。
あの子達が、嵐のような数ヵ月で出した答え。
ラブとせつなには、言い訳を考える時間も、自分を誤魔化す余裕も無かったもの。
自分の気持ちと否応なしに向かい合わされて、直ぐに答えを出さなければ
相手を永遠に失ってしまうところだったんだもの。
アタシ達に同じ事が出来たかしら。
逃げ出さずに、その手を掴む事が。
どうしたらいいのかしらね、祈里。
踏み越えるにはアタシ達、自分で壁を高くし過ぎちゃったんだもの。
心は溶け合いそうなほどに近くにあるのに、それに反比例して
体の距離は離れていく。
ふとした拍子に触れ合う指先。意識しなくても絡む視線。
手を繋いで歩き、ふざけて抱き締めあったのは、もうどれくらい前だろう。
何も考えずにお互いを求め合えた幼い日々。
初めて、触れ合った部分に疼くものを感じたのはいつだったか。
いつしか、手を繋がなくなった。
並んで歩く肩がぶつからないよう、いつしか、ラブを真ん中に挟んで歩く
ようになった。
今ではラブとせつなの二人を間に、自分達は端と端に。
余りにお互いを近くに置いてしまったから、これ以上近づこうとしたなら、
一つになるしかない。
もしも、初めからこんなに近くにいなかったら、二人の距離を埋める過程で
満足出来たかも知れない。
ここまで近づけたんだから……。
ここまで、分かり合えたんだから……。
でも、気付いた時には一番近くにいた人を、もっともっと求めたくなった時は
どうすればよかったんだろう。
(美希ちゃん、どうしたらいい?)
(祈里、どうしようか?)
好きって言ったらどうなる?
拒絶されるのは、怖い。
でも、受け入れられるのは、もっと怖い。
逃げられないもの。
もし、周りに知られたら?
もし、気持ちが冷めてしまったら?
もし、どちらかに他に好きな人が出来たら?
もしも、もしも、もしも、もしも……………
今は、この想いが色褪せるなんて考えられない。
でもね…、臆病だから。今までが、幸せ過ぎたから。
怖いの。ねえ、どうしたらいいの?
最終更新:2009年12月03日 21:02