鏡に映った自分の姿。
目尻の垂れた大きな目。丸くて少し低めの鼻。薄い唇のおちょぼ口。
小柄な背丈の割りにふっくらと盛り上がった胸元。
柔らかそうな丸みのある腰回りや太もも。
可愛らしい、と言ってくれる人もいるかも知れないけれど……。
はぁ……、と祈里は溜め息をつく。
その顔に浮かんでいるのは、明らかな不満。
(何でこう、どこもかしこも丸っこいのかなぁ。)
鏡に顔を寄せ、色々な表情を浮かべてみる。
体を捻ってシナを作りポージング。
(何やってんだろ、わたし……?)
百面相したって、顔立ちが変わる訳じゃない。
いくら腰を捻ったところでくびれが出来る訳でなし。再び溜め息をつき、ゴロリと行儀悪くベッドに転がる。
瞼に浮かぶのは一人の少女。
スラリと細身の長身に、しなやかに伸びる長い手足。
切れ長な涼しい目にスッと鼻筋の通った高い鼻梁。
クールな雰囲気に似合う少し薄目の唇。
枝毛一つ無いだろう、腰まで届く艶やかに豊かな髪。何て自分とは違うんだろう。
寝転んだまま、チラリと鏡に目を走らせる。
子供っぽい、拗ねた表情。こう言う顔をすると、ますます童顔が際立つ気がする。
せめてロングヘアーにすれば、もうちょっと大人っぽくなれるかと
髪を伸ばそうと思った時期もあった。
しかし、ふわふわした波のある縮れた髪質は伸びても引き上がって、
それほど長くなったようにも見えず。
それなのに梳くのも引っ掛かって一苦労。
結局、この長さが自分には限界だった。
昨日今日分かった事ではないではないか。
自分と美希とでは容姿に差がある事くらい。
自分がブス…とまでは思わないけど……。
時にはそこそこ可愛いかも?と思わないでもないけど……。
以前ラブに呆れられた事がある。
『ブッキーで可愛くなかったら、世の中顔晒して外歩ける子いなくなっちゃうよ。』
誉めて貰えて嬉しかった。嬉しかったけど、やっぱり…。
(ラブちゃんは、気にならないのかしら?……せつなちゃんと二人で歩くの。)
ラブの容姿が劣っている、と思っている訳ではない。
むしろ、ラブほど魅力的な女の子はそうはいない、と思っている。
だがラブの魅力は体から溢れ出るエネルギー、と言うか、輝くばかりの生命力
が映し出す眩い命のことほぎ。
それがラブをこの上なく愛らしく見せ、
彼女を誰にも無視出来ない存在感を放った
女の子として心に住み着かせてしまうのだ。
だから、純粋に見た目だけの話となると……
(ラブちゃんは、わたしの側だと思うのよね……。)
美希とせつなは誰が見ても綺麗な子、美少女だと言うだろう。
自分とラブは、その人の好み次第、と言ったところか。
でも、ラブには美希にもせつなにも負けない人を惹き付ける引力がある。
ラブの笑顔で心を蕩けさせない人はいないだろう。
結局、一番冴えないのは自分だ……。
今日、美希はせつなと二人で買い物に行った。
以前、せつなが美希の服選びに付き合ったお返しに、
せつなの服を美希が見立ててやる約束だったのだ。
ラブは学校の友達と先約があるとかで不参加。
当然のように、美希とせつなは誘ってくれた。
けど、祈里は断った。有りもしない用をでっち上げて。
ラブも一緒なら、まだいい。
自分一人だけで、あの二人と行動したくなかった。
綺麗な子の中に、一人ぱっとしないのが混じってる。
周りがそんな風に見てる気がして。
我ながら自意識過剰なのは分かってる。
それでも、一度意識してしまったコンプレックスを知らん顔するのは難しく。
美希への想いを誤魔化し切れなくなってからの自分は、どこかおかしい。
前はこんなんじゃなかった。
こんなに人目を気にしたり、被害妄想スレスレの劣等感に苛まれたり。
自分にまったく自信が持てない。ダンスを始めて、少しは引っ込み思案も
マシになったと思ってたのに。以前よりも酷くなってしまった。
気持ちの大部分をネガティブな感情が占めている。
美希に対しては劣等感。ラブに対しては羨望。
そして、せつなに対しては……嫉妬だ。
恋を自覚して、もう少し甘酸っぱい思いに浸ってもいいだろうに、
笑えるくらい後ろ向きだ。
(わたし、せつなちゃんに嫉妬してる………。)
ラブから学校での様子を聞くと、勉強もスポーツも完璧らしい。
スポーツ万能なのはダンスを見てても分かる。一番遅れて始めたのに、
あっという間に美希やラブに追い付き、祈里は追い抜かれてしまった。
合宿で自分が手解きした事なんて、今となっては冗談みたいな話だ。
ラビリンス時代の訓練の賜物か、動きを目で見て頭で覚えれば、
その通りに体を動かせるらしい。
いくら振り付けを早く覚えても、体が付いていかない自分と
差が開くのは当たり前だ。
学校でもそんな風に、サラッと難しい事を何でもないようにこなして
周囲を驚かせているのだろう。
おまけに、見た目があれだ。
結局、そこに行き着いてしまう。
それに……、と祈里は思う。
祈里は、せつなが羨ましいのだ。
一番大切な人に、一番大切に想われ、一番近くにいられる。
何より、それが羨ましかった。
ラブに想いを受け入れられ、体中に愛情を注がれている。
ラブがせつなを見つめる、蕩けそうな瞳。
誰よりもせつなを愛している、その事を隠そうともしない。
こんな嫉妬はお門違いだ。理不尽だと思う。
そんなものを向けられたってせつなだって困るだろう。
でも………
どうして、何でこんなに心がざわめくのか。
理由は分かっている。
美希のあんな顔を見てしまったから。
(美希ちゃん。そんなに、せつなちゃんといるのが楽しいの?)
今日見た二人の姿。
別に何でもない。おかしな事など何もない。
可愛い女の子が二人、仲良くじゃれ合いながら買い物をし、
お喋りに花を咲かせている。それだけの事だった。
祈里は誘いの断りのメールを出す時、最後にこう付け加えた。
『用事が早く片付けば、合流出来るかも』
一緒に買い物に行くのは嫌。
でも美希が自分以外の人と二人きりで過ごすのも何だか落ち着かない。
だから、気になって我慢出来なければいつでも様子を見に行けるように。
でも結局、声を掛ける事は出来なかった。
二人はすぐに見つかった。前もって場所は聞いておいたから。
ふと気が付く。そう言えば、自分以外の親しい人と美希が一緒にいる所を
外から見るのは初めてかも知れない。
美希だって、学校の友人と出掛ける事くらいあるだろうけど、
案外いつも一緒に過ごす人が、他人にどんな顔を見せるかなんて、
見る機会ってそうそうない。
(あんな美希ちゃん、初めて見た。)
美希の、猫の目のようにくるくると変わる表情。
屈託のない、無邪気な笑顔。
二人は服を選びながら、何かしら話していた。声までは聞こえない。
美希が悪戯を思い付いたような顔で、せつなに話しかける。
たぶん、からかおうとしてるんだろう。
せつなは素っ気ない態度。美希は懲りずに、せつなの反応を誘う。
相変わらず、せつなは涼しい顔で相手にしない。
途端に美希は拗ねたように唇を尖らせる。
今度はせつなが美希に答える。その表情から、たぶんからかい返したんだろう。
美希は頬を膨らませ、芝居掛かった態度でプイッとそっぽを向く。
せつなが苦笑いしながら、美希の顔を覗き込む。
美希はますます顔を背ける。
せつなが美希の腕に自分の腕を絡め、逃げる美希の顔を追い掛ける。
機嫌を取るように微笑みかけ、美希の膨れた頬をつつく。
思わず、と言った感じで美希が吹き出す。
つられるように、せつなも吹き出す。
そんな自分達が可笑しくなったのか、二人は額をくっ付けんばかりに
顔を寄せて笑い合っていた。
ドクン……。と胸の中で音が響いた。
美希への想いを孕んだ繭が、心臓を締め付けながら膨張していく。
美希は、あんな顔で自分には笑い掛けない。
あんな風に、からかわれた事もない。
あんな風に、わざと拗ねて見せ、機嫌を取って貰いたがる美希なんて知らない。
せつなといた美希。
あまりに無防備で、隙だらけで………
驚くほど、年相応に子供っぽかったのだ。
小柄なせつなに甘えるように身を寄せて笑う美希。
そんな美希をいぶかしがる事もなく、ハイハイとあしらうせつな。
綺麗な二人がじゃれ合う姿は微笑ましく、そしてどこか、入り込めない
空気を感じた。
祈里は立ち竦み、それから黙ってその場を立ち去った。
逃げる事なんてない。「楽しそうね。何話してたの?」、そう言って
仲間に入れて貰えばいいだけなのに。
どうしてこんなに臆病になってしまったんだろう。
胸の繭が脈打つ度に、血液の変わりにどす黒いタールが
送り出される。
どろどろと血管を目詰まりさせながら流れる澱が、皮膚までもベタつかせる。
いつも美希に姉のポジションを押し付けてた。
甘えて、我が儘を言って、美希が困った顔で許してくれるのに
心地良く身を任せていた。
美希に子供の顔をさせなかったのは自分ではないか。
それなのに、自分には見せない顔をせつなに見せていた美希に苛立っている。
自分の知らない美希の表情を引き出したせつなに嫉妬している。
我慢出来ない。どんな美希も自分だけの美希でいて欲しい。
我慢出来ないのに、美希にそれを伝えられない。
だって、自分に自信がないから。
釣り合わない、と思われたくない。
例え美希が受け入れてくれても、美希の隣に並んだら見劣りする。
周りからも、美希とお似合いだって想われたい。
矛盾してる。女の子同士でお似合いも何もないのに。
そんな風に見られないように、ずっと気持ちを押し込めて来たのに。
せつなの様な、繊細でたおやかな容姿が欲しかった。
ラブの様に、溢れ出るしなやかな強さが欲しかった。
そうすれば、今よりもっと違った関係が築けたかも知れないのに。
引き返す前に美希にメールを出した。
『用事を切り上げられそうにないので、今日は無理みたい。』
帰ってから三時間経つ。
返信は、まだ来ない。
合流するかも、と言ったのに連絡があるかと気にもして貰えないんだろうか。
メールをチェックするのも忘れるくらい、せつなとの時間が楽しいのだろうか。
馬鹿馬鹿しい。単なる言いがかりだ。
美希もせつなも何も悪くない。
それでも胸にベタベタと粘り付く感情は、拭っても拭っても回りを
余計に汚すだけだった。
枕に顔を押し付け、ギュッと目を瞑る。
何もせず、ただ美希からの連絡を待ち続ける。
自分からは何もしようとしない。そんな関係に慣れきってしまった。
いつだって、美希が望むものを与えてくれてたから。
いつの間にか、それが当たり前になっていた。
でも、本当は美希はそんな関係に嫌気が指していたんじゃないだろうか。
胸に閉じ込めていた、脈打つ美希への想い。
大切に抱いていこうと思ってた。
温めて、育てて、そうすれば、いつかかけがえのない美しいモノが
生まれてくれるのではないか。そう信じてた。
それがいつしか、祈里の血を吸い上げながら、黒い粘液を吐き出している。
禍々しささえ感じる、その繭の中に眠るもの。
孵ってしまえば、己の身すら喰らいつくす化け物が生まれるのではないか。
(助けて………。)
苦しい。こんな醜い自分は嫌だ。
美希ちゃん。わたしの事、好きよね?
だったら、どうして他の人と楽しそうにするの?
どうして、わたしが一人でいるのに放っておくの?
身勝手だ。頭では理解できる。
こんな我が儘ぶつけられたら鬱陶しいに決まってる。
美希ちゃん、美希ちゃん、美希ちゃん………
分かってるけど………。
自分の想いで頑じ絡めになっている自覚はある。
たぶん次に美希に会うときは、酷い態度を取ってしまうだろう。
美希ちゃん、それでも許してくれる?
最終更新:2010年01月11日 15:20