8-223

美希が手に取ったのは淡いクリームイエローのニット。
優しい色合いと、女の子らしい可愛らしいデザイン。

(せつなにはちょっと甘過ぎるかしらね?これはどっちかと言うと………)
せつなは色白だから、割りと着る選ばない。こう言う色もいいだろうけど、
どちらかと言えば、せつなの顔立ちにはもう少しはっきりした
色の方が映えそうだ。
それか、淡い色ならデザインはシンプルで甘さを抑えたのが……


つらつらと考えていると、いきなり横からキュッと鼻を摘ままれた。


「!!!っちょっと、何よ!」

「もう、美希。今日は誰の服選ぶのか分かってる?」

軽く腕組みしたせつなが憤慨したようにジトっとねめつける。
勿体付けた仕草で、怒ったポーズだけなのは丸分かりだが、
真剣に選んでいたのに文句を言われる筋合いはないと思うのだが……


「無意識?気付かずやってるなら大したものよ。」
せつなは美希の持っているニットを指差して苦笑する。

どの店でも最初に手に取るのは、パステルカラーの可愛いデザイン。
そして少し悩んだ後、全然違う感じのヤツを選んで私を呼ぶの、
「せつな、これは?」って。

「そんな事ないわよ。現にこれだって……」
美希は、手に取って悩んでいた事を説明するのだが…

「だからね……」
せつなは相変わらず苦笑いで指摘する。


「イマイチだって分かってるなら、わざわざ手に取って思い悩まなくても
いいんじゃないの?」
一度や二度なら分かるけど、何回やってるのよ?


「あー……。」


言われてみれば確かにそうなのだが……。
しかし素直に認めるのも癪に触る、と言うか……。


「ま、いいんだけどね。あぁ、でも可愛いわね。これ。」
ブッキーにすごく似合いそう。


ニヤニヤしながらそんな事を言う。
まったく、せつなも扱い辛くなったものだ。


「何よ、憎たらしいんだから。」

「どして?ブッキーに似合いそうだから、そう言っただけじゃない。」

「だーかーらー、何でそこでニヤニヤするのよ。」

「ブッキーがいなくて残念よねー。」

「だからー、そのニヤニヤはね……」


ずっとこんな調子で軽口を叩き合いながら時間が過ぎる。
からかわれてるのに全然腹が立たないのは何故だろう。
せつなは美希が祈里を想っている事を平気でからかってくる。
美希が祈里を大切にしているのを当たり前の事実として。
それが何だかくすぐったい。くすぐったくて、少し嬉しいと感じてしまう。


本当は、告白どころか気持ちを確かめ合う事すらしてないのに。


せつなには、自分達の姿は恋人同士として映っているのだろうか?
それとも、仲の良い友人と言うのはこう言うものだと思っているのだろうか。
何にせよ、美希はそんなせつなといると、まるで祈里と公認の恋人同士
のような気分になる。


付き合い始めの頃のせつなは、異世界育ち故の感覚の違いと、
世間知らずから来る天然っぷりで、かなり美希を慌てさせた。
当初は、また手の掛かるのが増えたもんだと頭を抱えたくなったものだ。
しかしながら、もともと頭の出来は良い上に順応性も高かったのだろう。
まだ大分浮世離れしたところがあるとは言え、かなりこちらの常識に追い付いて来た。

付き合い方が分かって来ると、美希にとってせつなはラブとも祈里とも違う、
気楽な関係でいられる事が分かった。


最大級に格好悪い姿を見られてしまったせいもあるだろう。
せつなといると、自分でも驚くほど肩の力が抜ける。
何となく、せつなにはみっともない姿を見せても平気な気がするのだ。
どんな顔を見せても、「美希にはこんな面もある」、
そう受け入れて貰える安心感があった。


勿論、ラブや祈里だって美希の欠点や弱い面を理解してくれてる。
理解した上で、「完璧でありたい」と、努力する美希を姉のように
頼りにしてくれてる。
長い時間を掛けて、培ってきた3人のポジションだ。
ずっとそれで上手くいっていて、それに満足してきた。
相談に乗ったり、頼られたり。時には叱ったり。
でもせつなとの関係には、そう言った『お約束』が一切通用しない。
あくまで対等で、気を使わない、親友。それが今の美希とせつなだ。

「そう言えば、ブッキー今日は合流出来るかも知れないんでしょ?」
「そうね、ちょっとメールでもしてみる。」


リンクルンを手に取ると、美希は初めて既にメールが来ていた事に気付いた。
直ぐに返信を、と思ったが着信時間を見ると一時間近く経っている。
今さら返信しても忙しい中かえって気を使わせるだけかも知れない。
少し迷ってからリンクルンをしまった。


(帰ってからゆっくりメールするか、電話でもいいわよね。)


「ブッキー、今日は無理だって。忙しいみたいよ。」
「そうなの?」


残念ね。そう呟くせつなを見て、美希は祈里が来ない事に
少しホッとしている自分に気付き、戸惑った。
そしてここに祈里がいたらどうだったかな?と、美希は考える。
たぶん、今とは全然違う表情をしているだろう。
もっと緊張して、神経を張り詰めて。
こんな風に、気楽にせつなと笑い合って過ごせはしなかっただろう。
だから………


チクリ…、と針で突いたような罪悪感に似た痛みを感じる。


せつなに指摘されたように、いつも美希は心のどこかで祈里の事を考えてる。
そして、今日は無意識にそれを忘れようとしていたから。


今朝、美希が待ち合わせ場所に行くとせつなはもう待っていた。
彼女は美希に気付かずメールを打っていた。その顔には柔らかな微笑みが
浮かび、相手はラブだろうと自然に想像出来た。
足音を忍ばせ、そっと後ろからリンクルンを覗き込む。
せつながビクッと振り向く。
「もう!脅かさないでよ、美希!」、そう言うせつなの顔が微かに
紅潮していた。メールを見られたかと焦ったのだろう。
美希に見えたのは、恐らく文末に付け加えたであろう一言だけ。
『私も大好きよ。』
からかってやろうと覗きこんだけど、やっぱり止めた。
何だか、自分が虚しくなりそうだったから。
メールを打ってたせつなの、少しはにかんだ微笑み。
彼女はきっと同じ表情で、そして少し頬を染めながらも
真っ直ぐにラブを見つめて同じ台詞をいつも言っているのだろう。


『私も大好きよ。』


正直、羨ましさに気が遠くなりそうだった。
自分が祈里にそんな風に言われる日なんて来るのだろうか、と。


せつなと別れた後、帰る道すがら祈里にメールした。
祈里が来られなくて残念だった事。
祈里に似合いそうな服を見付けた事。
今度は祈里の服を見に二人で出掛けよう、と締め括った。
家に着くと、シャワーを浴び着替える。
今日は楽しかった。自然と頬が緩む。
リンクルンを見るが、まだ祈里からの返信は無い。


(電話してみよっかな?……でも、まだ手が離せないのかな…?)


もう一度、祈里のメールを見直す。

「用事を切り上げられそうにないので、今日は無理みたい。」

一行だけの、絵文字一つ無い素っ気ないとも見えるメール。
少し、祈里らしくないように思えてきた。
合流するかも、と言っておきながら行けなかった。
その事に対して、いつもの祈里なら「ごめんなさい」の一言くらい
入れそうなものだ。
それに、せつなの事に全く触れてない。
せつなには祈里からメールは入らなかった。
それなら、「せつなちゃんによろしく」くらいは書いても良さそうなものなのに。


(……アタシ、ひょっとして、マズった?)
そもそも、今日の祈里の用事は何だったのか具体的には聞いてない。
家の事、と言ってたから病院の手伝いかと思っていたけど…。
もしかしたら、用事なんてなかったのでは?
でも、なんで?理由が分からない………


美希は自嘲気味な笑みを漏らす。
既に癖になっている。
祈里の何気無い言葉。ふとした拍子に見せる表情。
その中にある祈里の心を深読みしようとするのが。
祈里が何を言いたがっているのか。
何を求めているのか。
言葉に出来ない言葉。表に現せない思い。
それを砂利の中から砂金を選り分けるように、掬い上げてきた。
祈里の求める美希でいるために。
いつだって、完璧でいるために。


(……考え過ぎよ…ね。)
ついつい、どんな何気無い素振りにも意味があるのではないかと
身構えてしまう。
確かに、祈里らしくないメールかも。
でも、考えようによっては忙しい中合間を見付けて送ったから
簡単な文面になってしまった。
本当なら、最初から行けないと言ってたんだから、そのままにしておいても
良いだろう。
それを律儀に再度メールを送ってくるのだから、祈里の気遣いと
取れなくもない。
むしろ、その方が自然だろう。


美希は溜め息を付く。
ふわふわとした心地好い疲れに浸っていた心身が、
一気に現実の重力に引き倒される。

リンクルンを眺めながら、美希はイライラしている自分を自覚した。
このメール、多分祈里は美希に何かを読み取って貰いたがっている。
間違いない、と思う。今まで伊達に神経を使って来た訳じゃないから。
でも、美希はそこで考えるのをやめた。
再度、メールを打とうとしていた指を止め、無造作にリンクルンを
放り出す。


(言いたい事があるなら、ハッキリ言えばいい。)


今日、一緒にいたのがせつなでなかったら、美希はメールに一時間も
気付かずにいること自体なかったろう。
直ぐに電話なりメールなりをして、祈里の真意を探り、求める答えを
与えられるように必死になっていただろう。


でも、今日は楽しかったから。
何も考えず他愛ないお喋りをして、ふざけ合って。
疲れる事を考えたくなかったのだ。


祈里が好き。ずっと好きで、祈里の望みを叶えてあげらるのが嬉しかった。
笑顔が見られるだけでよかった。
自分にだけ見せてくれる我が儘を可愛いと思ってた。

それでも………


いつの間にか、ピンと張り詰めていたはずの心の端っこが
撚れてくたびれていた。
ぷくりと血の玉が膨れる程度の傷。意識しなければ痛みを
忘れている時間の方が長い。
けど、傷の中に残った棘は柔らかな血肉を化膿させ、気付けば
ぶよぶよとふやけた皮膚の下に膿を溜め込んでいた。

(ねぇ、祈里。アタシ今まで随分頑張ったと思うの。)


あなたは、アタシに何をしてくれた?
アタシのために、何かを頑張ってくれた事、ある?


祈里が好き。こんな風に思いたくない。
祈里に見返りを求めた事なんてなかった。
好きで与えてただけ。祈里のサインに上手く答えられるのが
幸せだったはずなのに。


どうして、アタシばっかり……


胸の傷が疼く。熱を持ち、ほんの少しの刺激で血膿が溢れ出しそうだ。
綺麗に洗い流しても、そこには醜く引きつった傷痕が残るだろう。


せつななら、こんな事しない。
言葉はまるで、相手の気持ちを確かめる謎掛けのよう。
仕草の一つ一つに、まるでバレエのマイムのように意味を持たせる。



(もう、いいじゃない。もう、何も考えたくない。)


せつなはラブへの愛情を隠さない。
唇から、指先から、まばたきする瞳から、ふとした瞬間に
ラブへの想いが零れるのが見える。
せつなの中はラブで溢れている。
曇りの無い、無垢な想いを躊躇いもなくラブに捧げている。


羨んだって仕方ない。
彼女達は彼女達。自分達は自分達だ。
ずっとそうしてきた。誰のせいでもない。


ねぇ、祈里。またアタシが考えなきゃいけないの?


アタシが何も気づかなかったら、あなたどうする?


アタシ、もう止めるかもよ?ちょっと、疲れちゃったのよね。



好きよ、祈里。でもね……。
あなたが欲しいモノと、アタシが欲しいモノは、違ってきちゃったのかも。


アタシが何も言わなくなったら、あなたはどうするの?



その日、美希は結局それ以上メールも電話もしなかった。
そして、祈里からの返信も朝になっても来なかった。


避-552
最終更新:2010年01月11日 15:21