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8-233

「美希ちゃん、大丈夫!?」
「う、うう――――せつな――――」

 痛みにおぼつかない足で、立ち上がった美希は。
 ソレワターセの中に消えて行くノーザに向けて手を伸ばす。
 だが彼女の想い空しく、その姿は消えてしまう。
 何をするかわからない。けれど、せつなの夢の中に向かうのだろう。
 そして、せつなを――――

 失敗、だったの? ここまで来て――――!!

 目を伏せる美希に、祈里が声をかける。

「信じよう、美希ちゃん」
「――――え?」
「まだ、ラブちゃんがいる。きっと、ラブちゃんがせつなちゃんを助けてくれてるって、わたし、信じてる!!」

 美希の体を支えるようにして立つ彼女の声は、微かに震えている。それでも、気丈に、祈里は前を見据えている。そ
の小さな体のどこに、それだけの勇気と強さがあるのだろう。美希は、ふと、そんなことを思う。そして、頷いた。

「そうね。ラブを、信じましょう。きっと、ラブなら――――」
「うん。ラブちゃんなら――――」

 必ずせつなを連れ戻してくれる――――!!




「きゃああぁぁぁっ」

 ソレワターセの触手に弾き飛ばされたラブが、地面を転がる。
 ここは、せつなの夢の世界。だがその痛みは、現実そのもの。

「く、ぅ……」

 顔をしかめながら、それでもラブは立ち上がろうとする。そんな彼女を見て、ノーザは嘲笑を顔に浮かべた。

「随分と頑張るのね、貴方。そんなにイースが大切なの? 素敵だわ、友情って」

 皮肉の後に、彼女は続ける。

「けれど――――変身も出来ないのに、どうやって助けるつもりなのかしら?」

 そう。
 ノーザとソレワターセがこの世界に現れて、ラブはプリキュアに変身をしようとした。だが、ピルンは現れず、いくら
リンクルンを操っても、彼女は変身出来なかったのだ。

「生身の人間の力で、ソレワターセが倒せる筈もない。ましてや、私をね」

 ノーザの言葉は、正しい。ラブにも、それがわかっていた。
 プリキュアに変身出来ない自分は、ただの人間に過ぎない。いや、伝説の戦士の力を身にまとっていても、たった
一人で、ノーザとソレワターセの両方と戦えるかは疑問だ。
 長老の声も、聞こえない。呼び掛けにも、返事は無い。
 今。
 ラブは、たった一人――――孤独な戦いを、強いられているのだ。

「諦めて、私達に従いなさい。他人の為に命を賭けるなんて、馬鹿なことはやめて、ね」

 甘い、甘い声で。
 ノーザは誘う。



「そう、かもね――――」

 膝を付いて答えるラブに、彼女は意外そうな顔をする。同時に、興醒めしたような様子も見せて。

「そうそう。よくわかってるじゃない。誰かさんとは、大違い」

 だが、彼女はノーザの言葉を聞いていなかった。ただ、自らの心を、胸の奥から押し出すだけ。

「残された人が、どんな気持ちになるか。やっとわかったよ、アタシ」

 言いながら、色を失い凍りついたままのせつなを、ラブは見つめる。その瞳には、変わらぬ慈愛が溢れていて。

「せつながアタシを守ってくれて――――けれど、そのせいで眠り続けて――――本当に、辛かった」

 少し、怒ってたんだからね。立ち上がろうと足に力を込めながら、ラブは続ける。

「けれどね。この、せつなの夢の中の世界に来て――――せつなが一番、怖がってることがわかって――――やっ
ぱり、感じてることは一緒なんだな、って。変かもだけど、ちょっとそれは、嬉しかった」

 ラブは、笑う。フラフラになりながら、それでも立とうとする。
 この世界――――せつなの夢の世界に。

「それでね、思ったんだ。やっぱり、簡単に誰かの為に命を賭けるなんて言うのは、良くないことなのかな、って――――
そういう意味では、ここに来る時、美希タンやブッキーに心配かけちゃったかな」

 こうして、せつなに触れえずにいたことで、ようやく本当に、ラブはわかった気がした。
 誰かに頼らなくてはいけない、任せなくてはいけないことの苦しさを。たとえ、信じていても。
 美希も祈里も、せつなのことを大事に思っている。そんな彼女達の想いを、本当に自分はわかっていたのだろうか。そんなことも。
 自分のわがままで、命に代えてもせつなを救うつもりで、ここに来た。そんなアタシに託した美希達は、どんな思い
だったのだろう。

「待ってたり、残されてる方だって、辛いんだもんね――――簡単に、命を賭けるなんて言えない」

 ふと、思い出す。
 そもそもは、アタシがイースに向けて言ったことだったっけ。
 命が尽きてもいいなんて、思ってないんだよね、と。

「うん、やっぱりそう。命は、大事にしないと」
「聞き分けのいい子は好きよ。さ、私達に降りなさい。そうすれば――――」
「だから!!」

 ノーザの言葉を、ラブは大声で遮る。
 顔を上げた彼女の瞳には、強い光が――――眩いほどの光が、宿っている。

「だから――――二人で帰るの!! アタシ達の世界に!!」
「――――っ!!」

 驚くノーザに、ラブは力強く続けた。

「命が尽きてもいいなんて、思わない!! 生きて戻る!! また一緒に、せつなと一緒に、幸せをゲットするの!!」

 もう一度、二人で。
 新しい、二人で。

 始めるんだ。
 幸せを探す旅を。

「目を覚まして、せつな!!」





 彼女は、暗闇の中にいた。
 真っ暗の、闇。
 どこまでいっても、光はなく。
 どこまでいっても、終わりの無い。

 永遠の闇。漆黒。

 一体、どうして。
 彼女は思う。
 私は、ついさっきまで――――

 え?

 彼女は、驚く。

 私、ついさっきまで――――何をしていたの?

 すっぽりと、記憶が抜け落ちていた。それはまるで、闇の中に記憶を落としてきてしまったかのようで。
 あるいは、吸い込まれたのか。

 大切な誰かに、抱きしめられていた気がした。
 ――――誰に?
 思い出そうとすればする程に、何かが零れ落ちていっているような気がした。
 そうして出来た心の隙間に、闇が忍び込んでくる。
 虚ろが、彼女を侵食していく。

 何? 何が起きているの?

 うろたえる、彼女。だが、成す術は無く。
 ボロボロと、自分というものが無くなっていく。
 失ってはいけない筈の何かすら、消えていってしまう。

 彼女に手を差し伸べてくれた少女がいた筈なのに。
 その笑顔は、太陽のように眩しかった筈なのに。
 思い出せない。

 彼女に愛を注いでくれた女性がいた筈なのに。
 その優しさは、包み込むように彼女を守ってくれた筈なのに。
 思い出せない。

 忘れていく。無くなっていく。
 恐怖に慄く彼女は、最後に。 

 私――――私は、誰?

 自らの名前すら、失って。

 やがて彼女は、自分が立っているのか、座っているのか。
 歩いているのか、止まっているのか。
 生きているのか。死んでいるのか。

 それすらも、認識できなくなって。







「残念だけれど」

 ラブの言葉を、ノーザは、笑い飛ばす。冷たく。いつか、せつなにして見せたように。
 プリキュアというのは、諦めが悪い。だからこそ、楽しめる。

「貴方の大好きなせつなちゃんは、もう目覚めることはないわ」

 言うと同時に、ノーザは手を軽く振る。
 と、世界が暗転する。暗闇の中、ラブの視界に映るのは、ノーザとソレワターセ、そしてもう一人だけ。

「せつな!!」

 駆け寄る、彼女。だが、せつなは何の反応も見せない。
 それは、夢の中で触れられないから、というわけではなかった。
 ただ、虚ろな目で、瞬きすらしないまま、固まっているのだ。

「せつな――――?」
「もうその子は、イースでも東せつなでも、キュアパッションでも無いわ――――ただの抜け殻よ」
「どういうこと!?」

 振り返るラブの浮かべた切迫した表情に、ノーザは艶やかに微笑む。もっと、もっと見せて、そんな顔を。私を楽し
ませなさい、プリキュア。

「その子の心から、全ての記憶を奪い取ったの。プリキュアとして、キュアパッションとして生まれ変わったことも、貴
方と出会ったことも、一緒に暮らしたことも――――それだけじゃない、イースとして生まれたことですら、ね」

 コロコロと彼女は笑う。楽しげに、笑う。

「全ての思い出を奪った今、彼女はただの人形よ。何もない、ね。貴方の呼び掛けにも応えない。だってその子は、
自分が東せつなだということすら、覚えていない――――知らないのだから」
「――――そんな!?」

 せつな。せつな。せつな――――!?
 ラブは、声の限りに呼び掛ける。ようやく触れられるようになった肩を掴み、揺り動かす。
 何度も、何度も。

 だが、彼女は何の反応も見せない。

「諦めなさい。もう、その子の心に触れることは出来ない。もう、自分が生きているということすら、感じられないでしょうね」
「せつな!! せつな!! せつな――――!!」

 何度も呼びかける。その悲痛な声が、ノーザの耳には心地よく響いた。

 どれだけ、繰り返されただろう、その呼び掛けは。
 ようやく、少女はその名を口にするのを止める。
 そんな彼女の背中に、ノーザは笑いながら言った。

「ようやく諦めが付いたようね――――貴方の声はもう、届かない。想いは、伝わらない――――貴方の元に、その
子は戻らない」

 嬲るように語りかけながら、ノーザはラブの背後に立つ。

「インフィニティを、渡しなさい。今ならまだ、許してあげる。私達にインフィニティを差し出せば、その子を返してあげ
る――――どう? 悪くない取引でしょう?」

 そうして、心を折ろうとする。
 ラブという少女の。キュアピーチという戦士の。
 心の一番、幹となる部分を腐らせようとする。




「残念だけれど」

 ラブの言葉を、ノーザは、笑い飛ばす。冷たく。いつか、せつなにして見せたように。
 プリキュアというのは、諦めが悪い。だからこそ、楽しめる。

「貴方の大好きなせつなちゃんは、もう目覚めることはないわ」

 言うと同時に、ノーザは手を軽く振る。
 と、世界が暗転する。暗闇の中、ラブの視界に映るのは、ノーザとソレワターセ、そしてもう一人だけ。

「せつな!!」

 駆け寄る、彼女。だが、せつなは何の反応も見せない。
 それは、夢の中で触れられないから、というわけではなかった。
 ただ、虚ろな目で、瞬きすらしないまま、固まっているのだ。

「せつな――――?」
「もうその子は、イースでも東せつなでも、キュアパッションでも無いわ――――ただの抜け殻よ」
「どういうこと!?」

 振り返るラブの浮かべた切迫した表情に、ノーザは艶やかに微笑む。もっと、もっと見せて、そんな顔を。私を楽し
ませなさい、プリキュア。

「その子の心から、全ての記憶を奪い取ったの。プリキュアとして、キュアパッションとして生まれ変わったことも、貴
方と出会ったことも、一緒に暮らしたことも――――それだけじゃない、イースとして生まれたことですら、ね」

 コロコロと彼女は笑う。楽しげに、笑う。

「全ての思い出を奪った今、彼女はただの人形よ。何もない、ね。貴方の呼び掛けにも応えない。だってその子は、
自分が東せつなだということすら、覚えていない――――知らないのだから」
「――――そんな!?」

 せつな。せつな。せつな――――!?
 ラブは、声の限りに呼び掛ける。ようやく触れられるようになった肩を掴み、揺り動かす。
 何度も、何度も。

 だが、彼女は何の反応も見せない。

「諦めなさい。もう、その子の心に触れることは出来ない。もう、自分が生きているということすら、感じられないでしょうね」
「せつな!! せつな!! せつな――――!!」

 何度も呼びかける。その悲痛な声が、ノーザの耳には心地よく響いた。

 どれだけ、繰り返されただろう、その呼び掛けは。
 ようやく、少女はその名を口にするのを止める。
 そんな彼女の背中に、ノーザは笑いながら言った。

「ようやく諦めが付いたようね――――貴方の声はもう、届かない。想いは、伝わらない――――貴方の元に、その
子は戻らない」

 嬲るように語りかけながら、ノーザはラブの背後に立つ。

「インフィニティを、渡しなさい。今ならまだ、許してあげる。私達にインフィニティを差し出せば、その子を返してあげ
る――――どう? 悪くない取引でしょう?」

 そうして、心を折ろうとする。
 ラブという少女の。キュアピーチという戦士の。
 心の一番、幹となる部分を腐らせようとする。


 一途に願えば、かなう。
 その強い想いがあれば、現実を超越することを、本気で信じている。

「黙りなさいっ!!」

 言うと同時に、ソレワターセに彼女を地面に叩き付けさせる。
 解放されても、すぐには立ち上がれない程、傷付けられた彼女。
 だが、ラブの目からは光が消えない。
 どれだけ苦しめられても、諦めようとしていない。
 せつなにあった、自分がどうなっても、という捨て鉢な気持ちが無く、二人で生きて帰るんだという、意思を感じる。

 ノーザは、そんな彼女に慄然とした。
 なんなんだ――――なんなんだ、この生き物は!?

「そこまで大事なら、何故、インフィニティを渡そうとしなかった?」

 思わず、問いかける。インフィニティを、シフォンを渡しさえすれば、こんなに苦しむこともなく、取り戻すことが出来る
のに、と。
 だが彼女は、ふらつきながら立ちあがり、首を横に振って。

「出来ないよ――――シフォンだって、大事なんだもの――――!!」
「なにを――――!!」

 絶句する、ノーザ。

「何かを手に入れたければ、何かを失う覚悟が必要でしょう!?」
「そんなこと、アタシは知らない――――!!」

 ラブは、ノーザの言葉を拒絶する。そして、凛とした目で言い放った。

「アタシは、欲張りなの。何かの為に、何かを諦めるなんて、そんなことは出来ない!!」

 かつて、プリキュアとダンス、両方を頑張ると彼女は言った。
 同じように、せつなとシフォン、どちらも守ると、彼女は決めていた。

「だから――――だから!!」

 彼女の視線に、ノーザは射抜かれる。
 まるで力を持たない、変身すらしていないただの少女に。
 彼女は、怯えてしまって。後ずさる。

「せつなを――――アタシ達のせつなを、返してよっ!!」


 その時。

 世界に、声が響いた。






       ありがとう  ――――I'm Here――――








 彼女の意識は、凍りついていた。
 理性は、動かなくなっていた。

 それが、ノーザのかけた呪い。
 全てを失った彼女。
 時という概念すら、無くなって。

 一瞬と言う名の、永遠。
 それは、心の死。

 そのままであれば、ラブが消滅した後に、再びせつなは悪夢の続きを見せられたことだろう。
 今度はノーザが作り上げた、心の裏側の世界を、覗かされただろう。
 あるいはその世界で、彼女はさらに心を殺されたかもしれない。幾度も幾度も血を流し、絶望に喘ぎながら、やがて
摩耗していったかもしれない。
 ただラビリンスに不幸を捧げるだけの存在に、なっていたかもしれない。

 けれど。

 ドクン



 鼓動が、伝わる。
 時を認識出来なくなった彼女の知覚に伝わってくる、規則正しく刻まれるリズム。


 ドクン


 それは、彼女の右手から訪れる。


 ドクン ドクン ドクン


 そうして、時が刻まれる。
 彼女の中に。
 体に。


 ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン


 心も、意識も。止められていた。何も感じられなくなるようにと。
 けれど、彼女の体は。

 ――――現実の世界に残された体は――――
 ――――ノーザに束縛されなかった体は――――

 思い出す。
 この鼓動を。
 右手から伝わる鼓動を。

 その熱を。
 ぬくもりを。

 ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン

 体が、記憶している。
 この手の先に、あるものを。



 この手を繋いでくれている、大切な人のことを。

 ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン 
ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン ドクン

 刻まれる、リズム。
 心の中の時計が動き出す。
 それは、凍りついていた彼女の時間が動き出すということ。

 そして、彼女は認識する。
 このぬくもりが、誰のものなのかを。

 一度、動き出せば、早かった。

 手。大切な人の、手。
 暖かい、手。
 この熱を、私は知ってる。

 さっき、私の背中を押してくれた手だ。

 ラブの手だ。

 思い出した。これは、ラブの手。私の手を握っているのは、ラブ――――桃園ラブ。
 私の、一番大切な人。

 私――――東せつなの、大切な人。


 ――――どうして?
 ラブは、死んだ筈。
 なのに、どうしてその熱を感じるの?
 ううん。そもそも、ここは一体――――?


 フラッシュバックする記憶。
 全てを彼女は取り戻す。
 ラブが死んだこと。ずっと部屋にこもっていたこと。家から逃げ出したこと。
 あゆみに、救われたこと。
 全てを、思い出す。

 思い出して、不思議に思う。

 ここはどこ――――?
 私、お母さんに抱きしめられていたんじゃ――――?

 開かない、目。
 まるで凍りついているかのよう。
 いや、たとえではなく、本当に凍りついているのかもしれない。
 ひどく、寒いと思う。

 けれど。
 けれど、その右の手は暖かい。
 誰かのぬくもりが、伝わってくる。

 とても、とても心地よいぬくもりが。




 ラブ。
 どうして、ラブのぬくもりが――――?

 ラブ――――生きてるの?

 そんなこと、と心が否定する。
 信じられない、と理性もそれに続く。

 だが。
 ただ、体だけが、覚えている。確かにこれは、彼女のぬくもりだ。
 絶対に、間違える筈ないと強く吠える。


 ならば、考えられることは、ただ一つ。

 もしかして。

 もしかして、これは――――夢?



 気が付けば、せつなは。
 あゆみの腕に、抱きしめられていた。

「お母さん――――」

 言いながら、彼女は母親から体を離す。

「これ――――どっちが、夢なのかしら?」

 問いかけに、あゆみは答えない。ただ、微笑みながら、娘を見つめている。

「どっちでもいいか――――私、幸せだもの」

 クスッと笑いながら、せつなはあゆみの手を取る。そして、

「でも――――もし、私に選べるなら。やっぱり、ラブが生きている現実を選ぶわ。だって」

 お母さんが悲しんでるところは、やっぱり見たくないんだもの。
 言って、ギュッとせつなは彼女の手を握る。あゆみの目を、真っ直ぐに見つめながら。

「私、行くわ。皆が待ってる」

 その言葉に、あゆみはゆっくりと頷いた。変わらぬ微笑を、顔にたたえたまま。

「お母さんが来てくれて、私、嬉しかった。すごく、幸せな気持ちになったわ」

 この気持ち、忘れない。そうせつなは続ける。

「これが夢で、本当のお母さんはこのことを知らないだろうけれど、でも――――私、お母さんに優しくされたこと、
絶対に忘れない」

 彼女は、誓う。そしてその誓いを、心に刻み込む。

「だから――――ありがとう、お母さん」



 ありがとう。




 その声が響くと同時に。
 闇が、一気に払われていく。
 世界が、色を取り戻す。

 北風に揺れる木々の茶色。空の青。
 雲の白。太陽の、光。そして。

 赤の服を着た、一人の少女。

「――――せつな!!」
「お待たせ、ラブ」

 突然に現れたせつなに、ラブは驚きの声を上げながら飛び付いた。ギュッと抱きしめてから、ペタペタと彼女の体に
触れる。

「せつな――――ホントに、せつなだよね?」
「くすぐったいわ、ラブ」

 目を細めて笑う彼女の姿に、ラブは歓喜に顔を染めて。

「ホントにせつなだっ!!」

 また、抱きつく。もう、動きにくいわ。そう言いながらも、せつなはまんざらでもなさそうな顔をしていて。

「バカなっ!?」

 そこに水を差したのは、ノーザの声だった。驚愕に目を見広げながら、二人を睨みつける。

「戻ってきたですって!? ソレワターセの力からも、私の力からも解放されて――――」
「よくも好き勝手やってくれたわね、ノーザ」

 真剣な表情になったせつなが、ノーザに向き直る。

「お返しは、たっぷりさせてもらうわ!!」
「――――っ!! ええぃ、ソレワターセ、やってしまいなさい!!」

 ノーザの声と共にソレワターセが触手を振るう。それは、一直線にせつなとラブへと向かう――――が。

「なにっ!?」

 驚きの声を上げたのは、ノーザだった。
 触手は、少女達の体に触れることが出来なかった。まるで彼女を包み込むように光が集い、触手を跳ね返し、宙に
留めてしまっていたのだ。

「忘れたのかしら、ノーザ。ここは、私の夢の世界よ。私が気付いた以上、ここでは私の思うままよ」

 不敵に笑いながらせつなが言うと同時に、ソレワターセの触手が、ノーザへと向かう。

「なに!?」

 慌てて地面を蹴る彼女。それを追うように、触手が蠢いて。

「くっ!!」

 瞬時に、自分達の不利を見て取ったのだろう。触手の一撃を掴むと同時に、ノーザは地面にトンネルを穿つ。そして、
ソレワターセと共に、その中へと消えていく。
 現実世界へと逃げ戻る彼女を、せつなは何もせずに見逃した。正直、夢とはいえ、自分の意識下の世界にこれ以
上、彼女にいて欲しくはなかったから。
 それに――――


「せつな」
「――――ラブ」

 それに。
 たくさん、話したいことがあったから。彼女と。ラブと。
 穏やかに微笑むラブに、せつなは近付いていって、そして。

「ラブ――――」
『ようやくお目覚めみたいやな、パッションはん』

 口を開いた瞬間、聞こえてきたのは、長老の声だった。

「長老!?」
『感動の再会の最中にすまんけどな、ピーチはん。わしの力も結構ギリギリなんで、悪いけど戻ってきてくれるか?』
「あ、そっか」

 自分が彼の力を借りて来ていたことを、せつなと会えた嬉しさで忘れていたラブは、思わず頬をかく。不思議そうな
顔をしているせつなに、長老に助けてもらったことを話そうとするが、

『それだけやあらへんで。ベリーはんとパインはんの二人が、パッションはんを助けようと戦いに行かはったんや』
「美希タンとブッキーが!?」

 息を飲む二人。夢の世界と現実の世界とでは、流れる時間も違うらしい。ラブは、厳しい顔をするせつなを見て、

「せつな。帰ろう。アタシ達の世界に」
「ええ。帰りましょう。現実の世界に」

 ボンヤリと消えていく、ラブの姿。長老の力も、やがて感じられなくなる。
 それを確かめてから、せつなは目覚めようとする。
 ただ、最後に一度だけ、振り返る。

 そこに一瞬、浮かび上がる、あゆみの姿。
 髪がボサボサで。部屋着のままで。靴は左右違っていて。
 けれど、その笑顔は。
 とっても綺麗だと、せつなは思う。
 だから、もう一度だけ、彼女は言う。

 ありがとう、お母さん。

 それは彼女が悪夢の中で家から逃げ出した時に、残した言葉と同じ。
 だが、そこに込められた想いは、熱は。
 まるで、違ったのだった。






「はぁぁぁ。ホンマ、疲れたわ」

 大きく息を付きながら言ったのは、長老だった。杖で腰をトントンと叩きながら、首を回している。

「お疲れさんでしたなぁ、長老」
「まぁな。けど良かったわい。ちゃんと二人とも戻ってこれて」

 そう言いながら、タルトと長老はベッドの上を見る。そこには、シフォンがただ一人いて、キュアキュアとはしゃぎな
がら頷いている。
 ラブとせつなは、アカルンの力を使って、すでに美希と祈里の元に向かっている。今頃、戦い始めているのではな
いだろうか。

「タルト、なんや美味いもんでもないんかいな」
「それやったら長老。とっておきのドーナツがありますんやー。ここやったらなんやさかい、下に降りましょか」

 言いながら、タルトは長老と共に部屋を出て行く。シフォンも、その後をフワフワと浮かびながら追おうとしたが――――

 ――――ドン――――

 突然の衝動が、彼女の体を包んで。
 その額のマークが、灰色に染まる。
 すでに階段を下り始めていたタルトと長老は、シフォンの異変に気付かない。
 クローバーボックスは、ベッドの上に放置されていて。

 やがて、彼女は呟く。まるで感情のこもらない、機械のような声音で。


「ワガナハ インフィニティ ムゲンノ メモリーナリ」


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最終更新:2009年12月20日 18:43