避-351

 ラビリンス――メビウスの居城。

 巨大なスクリーンに映し出されるナケワメーケとプリキュアたち。
 ウエスターの召還した強大な力を持つ怪物。その攻撃がことごとく空を切る。


“キュアパッション”


 常にプリキュアの先陣に立ち、攻撃を一手に引き受ける。疾く、鋭く、そして躊躇いが無い。
 類まれなる運動神経と瞬発力。そして他のプリキュアと一線を画す――覚悟。


“プリキュア・ハピネス・ハリケーン”


 美しき舞がナケワメーケを霧散させる。そして駆け寄る仲間たち。
 悲しみと決意を湛えた真紅の瞳が、スクリーンを通じメビウスを見据える。

 メビウスの右手が真横に振られ、スクリーンが閉じた。



「クラインよ、イースの生体コードはまだ解析できんのか」


 静かな口調に秘められた怒りと苛立ちに、クラインは平伏する。


「はっ、申し訳ありません、メビウス様。常に生命停止の指令を送り込んではいるのですが、凄ま
じい速度でプロテクトの暗号が書き換えられており、アクセスが出来ない状況です。恐らくはイン
フィニティ、あるいはそれに連なる端末により守られているようです」

「イースはこちらの情報を知りすぎている。危険だ、急げ」


「はっ、全てはメビウス様のために」




 ☆




 新しい命と自由。
 温かい家族と親友。
 思いやりのこもった部屋。
 温かい布団と柔らかいパジャマ。

 それでも訪れない、安らいだ眠り。
 それは罪の意識か――過去の呪縛か――





 ラビリンスの児童軍事訓練施設。メビウスの全パラレル制覇実現のための幹部養成学校。
 コンバットチルドレンと呼ばれる少年少女たち。
 先天的な資質を持つ優生遺伝子を掛け合わせて交配した中から、特に優れた能力を持つ者だけが
集められた。
 繰り返される洗脳教育。
 メビウスへの絶対的な忠誠を誓わせるため、家族や友人といった、あらゆる関係を持たないよう
に隔離された世界。
 いつからここに居るのか、いつまで居ればいいのか。
 私はここしか世界を知らない。



「ES-4039781、戦闘訓練の時間だ。出なさい」


 基礎訓練を終えた私に待っていたのは、実技の名を借りた訓練生同士の殺し合いだった。
 相手は三歳年上の男の子。体は二周りも大きい。
 その眼に宿る恐怖と狂気。それを見た瞬間に私は悟る。この子はわたしには勝てない、と。


“スイッチ・オーバー”


 共に戦闘形態を取る。肉体の強度と出力が数百倍に増幅される。
 極めた者が扱えば数千倍に強化されるそれは、全世界制服の切り札の一つであり、選ばれた天才
の証。
 生身の肉体にロケットエンジンと強固な鎧をつけて動きをサポートするようなものだ。
 超人的な精神力とコントロールと、優れた体力を併せ持つ者だけが運用を可能とした。


 巨体から繰り出される動きは速く重い。ここまで生き抜いた戦闘技術も鮮やかだ。
 しかし――――
 この戦いの先に待つ運命が恐怖を呼ぶ。恐怖は焦りとなり動きに柔軟性を失わせる。
 生への執着が殺気となり、せっかくのフェイントも意味を成さない。
 ハンマーのようなフックを掻い潜り、みぞおちにショートアッパーを叩き込む。
 崩れ落ちる体を抱きかかえるようにして首筋に手刀を叩き込み、戦闘は終わった。


 止めを、と要求する教官の言葉を無視して私は戦闘服を解除した。
 拷問に似た処罰がこの後、私に下るだろう。それもまたいつもの事だ。



 二日後、相手だった男の子の部屋が空室になった。
 わかっている。寿命が止められたのだ。そうなることはわかっていた。
 私がやったのは偽善。自分の手を汚したくなかっただけの卑劣な行為。
 私はあの子に無用な恐怖の時間を与えたのだ。


 いつまでこんなことが続くんだろう。
 それもわかっている。最後の一人になるまでだ。
 ラビリンスの四大幹部の一角、イースが生まれるまでだ。




 ☆




「ねえ、おねえちゃん、泣いているの?」


 いつから居たのだろう。見たことも無い少女に声をかけられた。
 何時から――か。そもそも私こそ何時からここに居るのか、いつまで居るのか。


 私と同じくらいの年だろうか。薄紅色の長い髪の女の子。
 綺麗な睫毛にクルクルと回る紅い瞳が、心配そうにこちらを見つめていた。
 華やかなドレス服。頭に大きなリボン。無機質で飾りのない施設には似つかわしくなかった。


「あなたは――誰? 私はあなたを知らない」


 少女は悲しそうに問いかける。


「どうして泣いているの。どうしたら助けてあげられるの?」

「私は泣いてなんかいないわ。助けなんて要らない、そんな資格もないもの。ただ知りたいの。
なぜ、こんなに胸が苦しいのか。痛いのか。どうして――まだ生きていたいと思えるのかを」

「寂しいのね」


 寂しい。
 そんな言葉は知らない。教わったことがない。
 少女がそっと両手で私の手を握ってくる。振り払う気にはならなかった。


「ここから出してあげる」


 どういうこと?
 答えを聞くより先に世界が反転した――――




 ☆




 目が覚めた。
 また夢を見ていた。
 幼い頃の思い出。ラビリンスの暮らし。イースとして人々を苦しめていた頃の夢。
 悪夢と呼ばれる罪の意識の再現。毎晩のように繰り返される飽くなき再生。


 心臓が痛い。荒い呼吸を整えていくと徐々に痛みも引いてきた。
 手が汗で濡れている。パジャマがびっしょり湿っていて気持ちが悪い。
 着替えを持って私はお風呂場に向かった。


 シャワーを浴びてすっきりした頭で考える。
 あの子は誰だったんだろう。記憶にそんな人物は無かった。私は一人だったはずだ。
 いつも悪夢を見るたびに出てくる。
 沢山話したような気もするし、一瞬だったような気もする。起きたら顔も思い出せない。



「おはよ~せつなっ」


 ラブがノックしてから扉を開ける。慌てて笑顔を作った。
 一瞬ラブに相談しようかと思って、やめた。人の夢のことなんてわかるはずがない。
 余計な心配はかけたくなかった。


「ん~石鹸とシャンプーのいい香り。朝シャンか~あたしは寝起き悪くってできないな~」


 せつなはオシャレだねって、くんくん嗅ぎながら私の周りを回る。


「やめてよ、恥ずかしいじゃない」


 またいつもの日常が始まる。
 夢なんて気にしない。私は大丈夫。
 これが現実。ラブがくれた幸せ。命を懸けて守りたいもの。




 ☆




「あ~もうこんな時間。すっかり話し込んじゃったね、せつな。もう寝ようか」
「そう――ね。ええ、おやすみなさい、ラブ」


 また、夜が始まる。
 友達に、家族に囲まれた私が唯一ひとりになる時間。
 小さく声に出してつぶやく。

 私の名前は東せつな。そして、キュアパッション。

 過去の亡霊には――負けない!







「やれ、ナケワメーケ!」


 私の生み出したモノが結婚式場を襲う。
 悲鳴とともに逃げ惑う人々。
 投げられることなく散るブーケ。汚れ破れるウェディングドレス。踏みにじられたヴァージンロ
ード。
 生涯で最も幸せであるかもしれない、大切な時間が絶望に変わる。


 ――痛い――
 胸が痛い。お前が、お前たちの笑顔が私を苦しめる。


 ――苦しい――
 幸せなんて虫唾が走る。無くなってしまえ、消えろ。


 見てください、メビウス様。この不幸をあなたに捧げます。
 私はあなたの為なら何だってできます。


 だから――だから――だから――


 お願い――私を――私を見て――――


 全てが憎かった。
 生まれた境遇も、育った環境も、自分を取り巻く者たちも、何も知らずに笑っている連中も。
 そして……そんな自分自身も。


 だからすがった。絶対者に!
 この世の全てを支配するメビウス様なら、自分を許してくれる気がした。



「行け、全てを踏み潰せ!」

「だめっ――――――――」


 大きな眼をいっぱいに広げて通せんぼをする少女。
 またあの子だ。
 泣いている。
 当然だ、私は襲っているんだから。なのに、なのに、なぜそんな目で見る。
 その瞳に憎しみは無く、恐怖も無く、悲しみだけが湛えられていた。


「泣いてるのはお姉ちゃんの心じゃない! 傷つけているのはお姉ちゃん自身でしょ! 苦しくた
って、寂しくたって、悲しくたって、人を傷つけちゃダメだよ。そんなことしたら、幸せはどんど
ん遠くなっていくんだから!」


 黙れ! 黙れ!
 黙れ! 黙れ! 黙れ!
 黙れ! 黙れ! 黙れ! 黙れ!


 幸せ? そんなもの求めてなどいない。
 ただ――――全てはメビウス様のために。
 考える必要なんてない。悩むのは愚か者のすること。
 あの方はきっと……きっと私を許してくれる。
 それだけが―――それだけが私の――――私の――――!!


「わたしが許してあげる。わたしが側に居てあげる。だから……もう、やめよう」


 少女が私に抱きついてきた。
 どうして、お前に。お前なんかに何がわかる!!
 振りほどこうとして、出来なかった。
 温かかった。ただそれだけなのに。どうして……。


 私はそのまま意識を失った。

避-355
最終更新:2010年07月06日 20:20