避-577

図書館に本を返しに行った帰り、せつなちゃんにばったり会った。
わたしを訪ねて来るところだったんですって。
でも、ラブちゃんと一緒じゃないなんて珍しい。



「ブッキーって読者家よね。」
図書館帰りだと言うと、そうせつなちゃんが微笑む。
本当はほとんど読まずに返しちゃったんだけど。
三冊借りたけど、全然読む気になれなかった。
退屈しのぎに借りたつもりだったのに、暇潰しする気にさえなれない。
相変わらず、美希ちゃんからはメールも電話もなくって。
美希ちゃんやラブちゃん、せつなちゃんと一緒なら時間潰しなんて
しようとも思わないのに。
一日が物凄く長く感じて、それなのに何もする気になれない。


自分から連絡すればいい、って言うのは分かってる。
でも、わたしからメールしてもし返事が来なかったら。
電話しても繋がらなかったら。
最初に無視したのはわたしなのにね。



「一人なんて珍しいね。どうしたの?」


「うん…。ブッキーと少し話したくて。」



この間のダンスレッスンの時の事、よね。
やっぱり、気にしてたんだ。うん、気にしない方がおかしいよね。
あんなにジトっとした目で見られたら。
きっと、せつなちゃんは自分を責める。知っててやってたよね、わたし。
せつなちゃんを困らせたって何にもならないのに。
ラブちゃん、呆れただろうな。それに、美希ちゃんも。



「あのね、ブッキー。今から私が聞く事、たぶん答え辛いと思うの。」


「…え?」


「でもね、私も聞きづらいのよ。だから、聞いたからには
ちゃんと答えるって約束してくれる?」



何それ?何だか怖いんだけど……。
でも、こんな真剣な顔のせつなちゃん。嫌…とは、言えない雰囲気で……。



「お願い。」


「わ、分かった。」


「本当ね?」



ちょっと、本当に怖いかも。
何聞かれるんだろう……。
せつなちゃんは「いい?」と問い掛けるように見つめてくる。


やっぱり嫌、……とは、言っちゃ駄目、よね……。



「ねぇ、ブッキー。私が羨ましい?」


思わず、足が止まった。


「私に、嫉妬してる?」


足が震える。


「せ、せつなちゃんっ。そ、そう言うこと、面と向かって言うのって
どうかと思うのっ!」
手足の指先は冷たいのに顔が熱い。
恥ずかしさに体が震える。カアッと一気に瞼が熱くなって、泣き出しくなった。。



「あぁ、ごめんなさい。私、空気読めないから。」



それも自分で言う事じゃないと思うの。
どうして、こんな。せつなちゃんは人を馬鹿にしたり、見下したり
する子じゃないと思ってたのに。
それとも、本当に悪気なく聞いてるの?
それにしたって……



「ね、約束よ。答えて?私、分からないわ。
ブッキーが羨ましがるような物、持った覚えないんだもの。」


「…………せつなちゃんは…すごく、綺麗……。」

「それだけ?」

「……頭が良くて、運動神経も良くって…ダンスだって……。それに……」

「それに?」

「……ラブちゃんと……」



唇を噛み締めた。言葉が続かない。すごく、惨めな気分。
なんで、せつなちゃん。なんでこんな事言わせるの?


「…なんだ。それだけなんだ。」

「…!」

「そんなもの、ブッキーはもう全部持ってるじゃない。」



思わず、顔を上げてせつなちゃんを見る。
わたしを馬鹿にしてなんか、ない?
すごく、優しい顔。そして、少し悲しそうな顔。




ねぇ、ブッキー。私、確かに数学得意よ。教科書見たとき驚いたもの。
この年で、まだこんな初歩的な問題やってるのかって。
運動神経もね、体育の時間とかびっくりよ。
みんななんであんなにダラダラ走るのかしら?
体も固いし、全然真剣じゃないの。あれで上達するものなんてないわよ。
みんな私の事、すごいって誉めてくれた。何でも出来るって。


でも、何で私が出来るかわかる?


「それしか、やってこなかったから。他の事、何一つやってないからよ。」


ブッキー。私、学校に行き始めた時、毎日ヒヤヒヤしっぱなしだったわ。
何か変な事言ってないか。おかしな行動してないかって。
前にね、クラスでお喋りしてて私が「桃太郎」を知らなくて
すごく微妙な空気になった事があったの。
ラブがフォローしてくれたけど、こちらの人は、それこそ五歳の子から
お年寄りまで知らない人なんていないのよね。
調べて驚いたわ。たくさんあるのね、「おとぎ話」って。


ねぇ、ブッキーはいくつ「おとぎ話」を知ってる?きっと数えきれないわよね。
いくつ歌を歌える?トリニティとかの流行りの曲じゃないわよ。
そう、例えば「犬のお巡りさん」とか……。これもきっと数えきれないわね。
子供の頃、何して遊んだ?かくれんぼ、おにごっこ…、ブッキーは
外で遊ぶよりおままごととかが好きだったのかしら。
きっとブッキーはお母さん役だったんでしょう?



「私はそう言うもの、何も持ってないの。」


それは『知識』なんかじゃないわよね。
みんな、息をするように体と心に蓄えてきた事。
初めて「犬のお巡りさん」を歌ったのがいつだか覚えてる?
たぶん、覚えてる人の方が少ないんじゃないかと思うの。
いつの間にか、覚えてた。
他の事もそう。いつ誰に教わったか。そんな事、考えもしない。
知ってて当たり前。出来て当たり前なんだもの。
その「当たり前」がどれだけの場所を占めてるのかしら。
きっと途方も無く広い場所よ。果てなんて見えないくらいに。


私はね、その「当たり前」の部分がすっぽり抜けてる。
だからその場所に、数式や戦闘訓練の体の記憶を詰め込んでる。
それでも、一杯にはならないわ。あまりにも広すぎるから。
今、必死で埋めてるけどきっと追い着かないわ。
知りたい事、やりたい事はどんどん増えるのに、覚えても覚えても、
更にその先に広がってるんだもの。



「ブッキー、お願いだから本気で羨ましいなんて思わないで。
あなたは欲しいもの、もう全部持ってるはずでしょう?」

「せつなちゃん……。」



せつなちゃんに、わたしを責める様子は微塵もない。
ただ、少し困ったように。そして、ほんの少しだけ、怒ったように、
見つめている。


下を向いたまま、顔を上げられない。恥ずかしくて、情けなくて。
わたしは、きっと言ってはいけない事を言ってしまった。
「せつなちゃんが羨ましい」「せつなちゃんは何でも出来る」
みんなが羨ましがるもの、きっとせつなちゃんには自慢でも何でもない。
せつなちゃんがどれだけ努力してるか。
どれだけ頑張って、笑えるようになったのか。
ずっと、側で見てきたはずだったのに。



「ブッキーは美希が好きなのよね。」
コクリ、と何の躊躇いもなく頭が上下した。
もう誤魔化す事も、言い訳もしちゃいけない。
せつなちゃんに、これ以上失礼な態度はとっちゃ駄目だ。
せめて、正直に。ちゃんと、答えなきゃ……。


「美希もよね。」
独り言のように、せつなちゃんは呟く。


「それなのに、私とラブが羨ましいの、どして?」


「……だって。」


告白なんて、されてない。
気持ちだって、はっきり口に出した事もない。



「だったら、ブッキーから言えばいいのに。」

「へ?」


せつなちゃんは不思議そうに、首を傾げる。
顎に指を添え、軽く目を見開いて。
わたしがあんなポーズしたら、きっとすごくブリッコっぽく見えそう。
やっぱりせつなちゃんくらい可愛くないと……って、また僻みっぽいわね。
駄目だわ……わたし。



「だから、美希が言わないならブッキーが言えばいいのに。」


え?そりゃ……。でも!
頭の中がぐるぐるする。
考え事もなかった。わたしから告白?って言うか、
せつなちゃんの中では美希ちゃんが断るって選択肢はないのね。



「ブッキーは美希から言って欲しいの?どして?」


「だって、それは……」
恥ずかしいし、やっぱり好きな人に告白されたいって言うのは
女の子の夢だし。



「恥ずかしいの?美希から言われる方が嬉しい?」


頷く私にせつなちゃんは言葉を重ねる。


「ブッキー、美希だって女の子よ?」
ブッキーが恥ずかしいように、美希だって恥ずかしいんじゃない?
ブッキーが美希から告白されたら嬉しいように、美希も
ブッキーから告白されたら嬉しいんじゃないかしら。
好きな人が嬉しくなると、自分も嬉しくならない?
大好きな人を喜ばせる事が出来るって、とても幸せだと思うの。




今の気持ちを擬音語にすると、ポカーンだろうか。
それとも、ガーン!!…?
わたしはその場に崩れるようにしゃがみ込んだ。
人間、ドン底だと思ってる内は甘い。
その先はさらに深い穴が空いてるんだ。
もう、情けない、とか恥ずかしいのレベルではない。
真剣に、一度死んだ方がいいのかも。
この短い時間に何度目だろう、自分の馬鹿さ加減に暴れたくなるのは。



「ブッキー?」
せつなちゃんが向かい合わせにしゃがんできた。
ごめんなさい。ワケわからないわよね。


「せつなちゃん、わたしって救いようがないわ……」
今まで美希ちゃんが与えてくれたもの。
どれだけわたしを嬉しくさせてくれたか。
何度、幸せを感じさせてくれたか。
わたし、その幸せを一度でも美希ちゃんに伝えた事があったかしら。
美希ちゃんの為に、幸せを運んだ事があったかしら。
美希ちゃん、それでも笑ってくれてた。
それは、今せつなちゃんが言った事。
好きな人が喜ぶと、自分も幸せだから。
自惚れてる?でも、きっとそうなの。
だって、わたし美希ちゃんが好きなんだもの。
美希ちゃんの喜ぶ顔、思い浮かべるだけで胸がいっぱいになる。
美希ちゃんも、そうだったんだ。


言わなければいけない事。やらなければいけない事。
後から後から雪崩みたいに押し寄せてくる。
自分の馬鹿さ加減に打ちひしがれてる場合じゃないのよ。
謝らなきゃ。お礼言わなきゃ。ちゃんと、言葉で伝えなきゃ。
せつなちゃんに、ラブちゃんに、そして何より美希ちゃんに。



何からしていいのか分からない。
せつなちゃんが心配そうに覗き込んでる。



「あのね、せつなちゃん。言いたい事がいっぱいいっぱいありすぎて、
何から言えば良いか分からないんだけど………」



思い切って、顔を上げた。ふぅ、と息をつく。
泣いちゃ駄目。笑うんだ。


「ごめんなさい。わたし、せつなちゃんに嫉妬してました。」

「……うん。」

「イヤな態度、取りました。せつなちゃんが気にするって分かってたのに。」

「…うん」

「せつなちゃんなら自分のせいでって、わたしや美希ちゃんがおかしいの、
自分が原因じゃないかって、悩むの分かってたのに。」


ぎゅっ、とせつなちゃんの手を握った。



「大好きよ。せつなちゃん。」

「ブッキー……。」

「美希ちゃんや、ラブちゃんに負けないくらい、大好き。」

「うん。私もよ。」

「これからも、友達でいて下さい。」

「はい。」



ものすごくありきたり。そして、全然謝り足りない。
たぶん、わたしは自分が思ってる以上に、色んな失敗してる。
でもラブちゃんも美希ちゃんも、今までずっと許してくれてたんだ。
『あーあ、ブッキーはしょうがないなぁ』って。


せつなちゃん、背中を押しに来てくれたんだ。
ラブちゃんは、きっとわたしには何も言わないつもりだったんだろうから。
そうだよね、わたし達3人は昔からそうだったもん。
ラブちゃんは、いつもわたしをそっとしておいてくれる。
ちゃんと、自分で考えて答えを出せるように。
でも、せつなちゃんは違うのよね。焦れったかったろうな。
何もせずに、いられなかったのよね。
うん、でも今回はせつなちゃんが正解だと思うの。
わたし、せつなちゃんじゃなければ素直になれなかった。
もし、忠告してくれたのがラブちゃんなら、言葉にしなくても分かった
気になっちゃってたと思う。
それで、結局…今まで通り居心地のいい所に納まろうとしてたろうな。



「私への告白は終わり?」

ニッコリと、それはそれは綺麗に微笑むせつなちゃん。
やっぱり、この容姿は羨ましいかも。


「うん、……まだまだ言い足りないけど。今日はこの辺で。」

「また、続きがあるならいつでも。」

「よろしくお願いします。」


しゃがんで手を握り合ったまま、ペコリと頭を下げる。


「そろそろ、帰ろうか。」


わたしたちは手を握り合ったまま立ち上がる。
放してしまうのが何だか名残惜しい。
そのまま手を繋いで歩いても、きっとせつなちゃんは嫌がったりしない。
でも、やめておこう。
だって、わたしたちが手を繋ぐ人は他にいるもんね。


並んで歩くせつなちゃんの横顔、美希ちゃんに負けないくらい完璧。
こればっかりは持って生まれたものよねぇ。
じっと見つめてたら、目が合ってしまった。



「何?」

「んー、美人だなぁって思って。」


ふぅ、とせつなちゃんは苦笑い。


「なあに?まだ羨ましいの?」

「せつなちゃんには分からないよ。」


ぷっと膨れてみる。でも、何でだろ?
羨ましさに変わりはないのに、ちっとも心がカサカサしない。


「なるほど、こう言うところね……。」

「??何が?」

「ラブが言ってたの。ブッキーは結構我が儘なところがあるって。」


ええ…?ラブちゃんちょっとヒドイ。でもまぁ、うん、仕方ないかな……。


「ワガママ…かなぁ…?」

「うん。だってブッキー、10人いたら10人とも可愛いって思われたいんだ?」


いや、そこまでは…。ああ、でも10人中5人…6人くらいには
そう思われたい……かな?


「私は……、ラブ一人が可愛いって思ってくれたら、それで充分だけどな。」
だって、百人に誉められたって肝心の好きな人に可愛いって
言って貰えないなら意味なんてないじゃない。



ちょっと俯いてポソポソと呟く。
そのせつなちゃんの顔は耳まで赤くて、何だかわたしの
顔まで熱くなってきた。



「ノロケてるねぇ~。」

「もうっ!そうじゃなくて!」
照れ隠しにわざとからかい気味に言ってみた。
せつなちゃんの顔が近づいてくる。




美希だって、ブッキーは世界一可愛いと思ってるわよ?




息の掛かる距離で囁かれたその言葉は、
蕩けるように甘く耳と胸に響いて。
ちょっと、美希ちゃんに申し訳なくなるくらい心臓が跳ね上がってしまった。


じゃあ、私こっちだから。
半ば固まってるわたしにせつなちゃんは手を振って離れて行く。


「そうだ、ブッキー。今日の事は美希には内緒ね?」

??なんで?何も知られて困るようなやり取りはしてないと思うんだけど……。


「美希より先にブッキーに『大好き』なんて言われたのバレたら大変よ!
私、美希に恨まれちゃうわ。」
だからナイショよ?
せつなちゃんは唇に人差し指を当てて、パチンとウインク。
いつの間にか、そんなお茶目な仕草も様になってきてるのね。
わたし達はほんのり染まった頬のまま、悪戯っ子のような笑みを浮かべ合う。


せつなちゃんはわたしが角を曲がるまで、ずっと見送ってくれていた。
胸の中がクスクスとくすぐったくて暖かい。

ねぇ、せつなちゃん。
せつなちゃんは、ずっと埋まらない大きな隙間があるって言ったよね。
でも、その隙間を埋めてるのは難しい数式や、
訓練の厳しい記憶だけじゃないと思うの。
暖かくて、優しくて、そしてほんのちょっぴり痛いの。
それがせつなちゃんの幸せの感触なのね。


ちゃんと貰ったよ。


今度はわたしが渡す番。


避-722
最終更新:2010年01月21日 23:33