「……せつな」
最初は、幻聴かと思った。
ラブの声。自分の名前を呼ぶ声。ここにはいない筈の、彼女の声。
行かないでと願った心が錯覚した、偽りの声じゃないかと。
「せつな」
二度目の声。
確信する。
違う、幻聴じゃ……無い!
「……!」
慌てて涙を拭い、声のした方
―先程ラブが去っていった方向―に振り向く。
そこには。
「ラブ……!」
ずっと走ってきた為か、額や首元がうっすらと汗ばみ、
口元に時折白い息を生み出しながら、
それでも、その顔に浮かんでいるの笑顔は、走り出した時と同じく飛び切りのままで。
「せつなぁーーーーーーーーーーーっ!」
そしてその口から三度、名前が呼ばれると同時に。
ラブが、せつなに向かって飛び込んできた。
「ラ、ラブ、ど、どして?」
その体を受け止めながらも、まだ現実が受け入れられずにせつなが戸惑いの声を上げる。
どうしてラブがここに、いや、なんで戻ってきたのか。
「……やっと、会えたよ」
ラブは、せつなの問いかけには答えない。
代わりに、飛びついた時に体に回した手に力を込め、強く、抱きしめる。
その腕の中の存在を確かめるかのように。
「あ……」
抱きしめられている。
たったそれだけの事なのに、それなのに。
込められた力と、触れ合うことで生まれる温もりが、
せつなの悲しい気持ちをあっけなく霧散させる。
(なんて……単純なのかしらね)
自分の心の動きに苦笑しつつも、その事に安堵を覚える。
ああ、私はこんなにも。
こんなにも、ラブの事が好きなんだ、と。
だからこそ、確かめたい。
ラブが何故ここに戻ってきたのかを。
その疑問に込められた想いは、自惚れかもしれない。
聞けば、今のこの温かさを奪われる、そんな残酷な答えが待っているのかもしれない。
でも、それでも、どうしても知りたい。
だからせつなは、口を開く。
拳を握ることで心を励まし、精一杯の勇気を振り絞って。
「ねえラブ、さっき、どうしても会っておきたい人がいるって……」
それでも、言葉は最後まで続けらなかった。
か細くなり、消え行く声。
「ん?」
その声を聞いたラブはうん、と一つ頷きを作る。
「うん、確かにそう言った」
「だったら、なんでここに……?」
「だからね、もう会ってきたんだよ。一人目には。
ラビリンスに行く前に、あたしの気持ちをちゃんと伝えておきたいから」
やっぱりそうか。
ラブは答えを言いに行っていたんだ。
覚悟していた事とはいえ、その事実がせつなの顔を再び曇らせる。
だから、続くラブの言葉も最初は全く耳に入らなかった。
もう充分だ、これ以上は聞きたくない。そう思っていたから。
「『ごめんなさい、あたしには好きな人がいるからって』って、言ってきた」
「……………………………………え」
今、ラブは何て言った?
ごめんなさい?
誰に対して?どして?
さっき確か一人目って言ってなかった?
ということは、まだ会いたい人がいるっていうこと?
それが『好きな人』?
頭の中がぐちゃぐちゃになってわけがわからない。
ラブが去っていったと思っていた悲しみ。
戻ってきてくれたという喜び。
告白を断ったという信じられない事実。
他に好きな人がいるという言葉への困惑。
その全てが渦を巻いて纏まらない思考の中で、せつながかろうじて口にした言葉。
「だ……誰のこと?」
それを耳にしたラブは、うん、もう一度頷く。
そして両頬を一度、両手でピシャリと叩いて気合を入れると、
改めて問いかけへの返事を口にする。
優しさと、自分の想いに対する絶対の自信を込めたその飛び切りの笑顔を
せつなだけに、向けながら。
「うん、それがあたしが今日、どうしても会っておきたかった人の二人目。
今、あたしの目の前にいる、一番大好きな人のことだよ!」
「……………………………………!」
見開かれるせつなの目。
「ラブ……今、なんて」
「え?だから、せつなに会いに来たんだってば。
こんな時に会っておきたい人って行ったら一番好きな人でしょ、やっぱり。
あたしにとってのそれって、せつなしかいないもん!」
にはは、と笑いながら答えるラブ。
頬がうっすらと紅いところを見ると、照れ隠しの意味もあるのだろう。
「……」
え、だってさっき私に「会っておきたい人がいる」って行ったのに……それが、私?
なんで?どうなってるの?
でもでも、私の事一番大好きって。
勿論私も一番大好きだけど……って今言いたいのはそういうことじゃなくて。
やだ、今になって心臓がドキドキしてきた、わ、顔も火照ってきてる。
どうしよう、何か言いたいのに全然思いつかない。
先程よりも激しくぐるぐると渦巻く思考に振り回されて、黙ってしまうせつな。
ラブは、そんなせつなの様子に気付いていないのか、照れ笑いをしながら言葉を続ける。
「で、あたしとせつな、家からずっと一緒にいるわけでしょ。
それじゃ「会いに行く」っていうのが出来ないから、
だから二番目にしたっていうのもあったんだけど……」
「え?」
「いやー、ほんとはもっと早く戻ってきて
「会いたかったよ~」ってするつもりだったんだよね。
それが、この辺の道って夜だと街灯が少なくて分り難くてちょっと迷っちゃって!
おかげで全力疾走でもこーんなに時間かかっちゃったよ~。
だから、やっとせつなの所に辿りついた時、ちょっと嬉しかったかな、うん」
「……」
「せつな?」
「バカッ!!」
次の瞬間、ドン、という音と共に、ラブの体が突き飛ばされる。
「うわっ、とっ、とっ」
必死で手を回して、倒れそうになる体のバランスを取るラブ。
なんとか身を持ち直すと、せつなの方に向き直る。
「え、せつな、どうしたの、いきなりこんなことして危な……」
言いかけた抗議の言葉が、途中で止まる。
視界に入ったもの、それはキッと目を吊り上げた、せつなの顔。
その瞳の中に篭る感情は、多分。
「あれ?あれれ?せつな、もしかして……怒ってる?」
背筋を流れる冷たい汗が一つ。
せつなを驚かせようと、そして喜ばせようと思ってした事だったのに。
もしかして余計な事だったのか。
どこかでせつなの機嫌を損ねてしまったのか。
ここまでの過程を思い返して、必死で心当たりを探すラブ。
(うわわわ、考えても思い当たるものがないよ、どうしよ、どうしよ)
何度も何度も記憶を巡っても、該当するものが出てこない。
焦りの感情ばかりが先走って、うろたえるばかり。
「え……」
しかし、そんなラブに対するせつなの反応は、予想とは全く異なるもので。
「せつな……?」
せつなの吊り上げられた、目。
怒りの感情を現していると思っていたそこから、ぽろぽろと零れ落ちるもの。
その滴り落ちる雫をの意味を分りかねて、恐る恐る口を開くラブ。
「せ、せつな……泣いてる……の?」
その言葉が言い終わるか言い終わらないかのうちに、
「わわっ!!」
せつなが、ラブに向かって飛び込んできた。
「わっ、わわわっ……とおっ!」
その体を抱きとめたことで、再度バランスを崩しかけるもなんとか堪えきるラブ。
持ち直した所で、その腕の中にいる少女を見る。
その少女―せつなは、ラブの胸に顔を埋めたままで、時折体が小さく震わせている。
そして聞こえてくる、か細く嗚咽の混ざった声。
「……バカ、ラブのバカ、そんな紛らわしいことしないで、もっと早く戻って来てよ。
本当に、人の気も知らないで……ぅぅ……」
「あ、あのさ、あたし、イマイチよくわかってないんだけど……。
もしかして、あたしのしたこと、余計だった?
そのせいでせつな、泣いてる?
だったら……ごめん」
咄嗟に謝ろうとするラブに、せつなはううん、と首を振る。
「違うの、謝らないで……私、嬉しいんだから」
「え?」
「だってラブが、こんな大事な時に、私に会いたいって言ってくれたんだもの。
それを聞いただけで、私、嬉しくて……涙が、止まらなくて……」
「そんな、大げさだよ、せつな」
「ううん、そんな事無い。
だって私、さっきラブが「どうしても会っておきたい人がいる」って言った時に
覚悟してたから。
ラブには私じゃない、もっと大切な人がいて、
その人に会いに行ったんだって思ってたから。
それなのに、私に会いに来てくれるんだもの。
一番大切だって、言ってくれたんだもの……」
それはつまり。
ラブが、私を選んでくれたということだから。
私とラブが、一緒の幸せをゲットしてもいいんだと、わかったから。
「ぅ……ラブ……ラブぅ……」
再びラブの胸に顔を埋めて、感情のままに泣きじゃくるせつな。
でも今度は、そこにあるのは悲しみではなく、喜びで、
呼び続ける名前も込められた想いも、哀願ではなく、情愛。
「せつな……」
そんなせつなを抱きとめながら、その頭を優しく撫でるラブ。
見つめるその目には、愛情に満ちた光が溢れていたが、
やがてそれが決意のそれに変わる。
(あたし……伝えたい。せつなに、あたしのとっておきの気持ちを)
出会ってから、何度もお互いに想いを伝えてきた。
でもその中で、敢えて一度も口にしなかった言葉がある。
簡単に使っちゃいけない、大切な言葉だと思っていたから。
それを今伝えたい、今だからこそ伝えてあげたい。
二度とせつなが二人の絆に不安を感じることが無いように。
(でも……どうする?)
ただ言葉を口にするだけじゃ足りない、そんな気がする。
もっと強く、もっと確実に。
いや、絶対にせつなの心に届く方法、そんなものがあれば。
(……あった)
一つだけ、ある。
それは、少し前の自分だったら、出来なかった事。
お互いの想いに自信が持てなかったら、
何よりも自分の気持ちに自信が持てなかったから。
でも、今なら。
(……よし)
心の中でもう一度、再確認する。
自分の想い、せつなへの想いを。
そして確信する。
大丈夫、問題ない。あたしは、あたしの気持ちを信じられる。
この想いに、迷いは無い。
「せつな」
抱き寄せる腕に、力を込める。
せつなが、いや、二人の顔と顔がもっと近づくようにと。
そして、せつなの両頬をそっと優しく、両手で包み込む。
いつか見たように。親友が、彼女の愛しい人にしていたのを真似るように。
「ラ、ラブ……」
ラブのしようといる事を察して、戸惑いの表情を浮かべるせつな。
でもそれはほんの一瞬のこと。
「うん……」
自分からもラブに近づけ、目を閉じる。
それが、ラブと同じくいつか見た光景に繋がるものだと、知っているから。
一度は望んで、叶わなかったもの。
それが今、叶おうとしているのだから。
引き合うように、互いに求め合うように、唇の距離を縮めていく二人。
そして―。
冬の寒空の下。
夜道に伸びる影が、一つになった時に。
ラブはせつなの、せつなはラブの唇に、自分の唇を重ね合わせていた。
最終更新:2010年01月16日 00:55