爽やかな風、春の空気の香り。
薄着の春物を軽やかに着こなす美希。
軒先に咲く梅の花を見ながら、新しい季節の到来を感じる。
最近、美希と一緒に過ごす時間がどんどん増えてきた。
誘うのはいつも美希の方。でも、せつなの表情も嬉しそうだ。
ただ、一つ問題が。
「そうね」
「………………」
「………………」
また会話が途切れてしまう。
せつなは急いで次の話題を探す。
あれこれ思案してる美希の負担を軽くするために。
ずいぶんこの世界に慣れたとは言え、せつなには色んな知識が足りない。
大抵の場合、せつなにとっての会話は、やりとりではなく知識の吸収だ。
だから、どうしても返答が短くなる。
「ごめん、せつな」
「もう、どうして美希が謝るのよ」
しょげた顔で美希が謝ってきた。
せつなも何も思いつかない、せめて一歩距離を縮めて気持ちを伝えた。
クラスの様子を思い出す。せつなはクラスの人気者だ。
憧れている者も多く、たくさんの人がせつなに話しかける。
しかし長くは続かない。間が持たず、隣のラブに話し相手を移してしまう。
ラブとブッキーは違った。
ラブと一緒に居る時は、不思議と自然に口から言葉が紡がれていく。
ブッキーとはやはり会話が続かない。しかし、彼女の側は心が安らぐ。
ときどき目を合わせる。そっと笑いかける。それだけで満たされた。
「だって、誘ったのはアタシなのに……退屈してない?」
「私は楽しいし、嬉しいわ。私こそごめんなさい」
美希とは、会話が続かない上にそれがつらかった。
気まずい空気。美希の困った顔。
その原因が自分にあると知ってからは、せつなも緊張するようになった。
でも会いたい。
それでも嬉しい。
どきどきして、わくわくする。
焦りと不安と緊張感の連続。
なのに、どうしてこんなに楽しいのか不思議だった。
「ねえ、せつな、もうじきバレンタインよね」
美希がこれだっ!とばかりの顔で話しかけてきた。
「好きな人にチョコレートを渡して告白する日ね。不思議なイベントね」
せつなも安心した顔で続ける。そのイベントはラブから聞いていた。
「どの辺が不思議なの?」
「告白するなら、その日じゃなくてもいいのにって、そう思っただけよ」
みんなでいっせいに同じ日に告白をする。
自由を良しとするこの世界において、それは不自然にも思えた。
「それはそうね。でも、普段は言い出しにくいから、
バレンタインデーに背中を押してもらうってのもいいんじゃないかしら」
「ふふ、なんだか美希、張り切ってるわね」
気がついてないのだろうか。美希は握りこぶしまで作っていた。
生き生きしてる美希の表情を見て、せつなも気持ちが弾んできた。
「そっ、そうかしら。気のせいよ」
「ならいいけど、美希が誰かに告白しちゃうんじゃないかって思ったわ」
くるっと一回転して振り返って笑いかける。
本気で思ってるわけじゃないわって意思表示。
「アタシが誰かに告白したら、嫌?」
せつなの顔を覗き込みながら話す。表情を見逃すまいとするように。
「嫌って言うか……なんだか寂しいわ。
うん、やっぱり嫌なのかもしれないわね」
美希に好きな人が出来る。美希が幸せになるのは嬉しい。
でも、もう自分とこうして過ごせる時間が取れなくなるかもしれない。
それは寂しかった。
「そ、そっか。せつなは誰かに告白したりするの?」
期待を込めた顔でせつなを見る。
意味が理解できずぽか~んとしてしまった。
美希の表情がすぐに不安そうなものに変わっていく。
「えぇ~、私は考えてないわ」
愛の告白。愛ってなんだろうと思う。
大切な人はたくさん居る。命にかえても守りたい人たち。
だけど、もし、二人きりでずっと過ごすなら。
「そっか……」
「もしかして、今度は落ち込んでる?」
せつなは、元気のなくなった美希を見て不安になる。
また良くないことを言ってしまったのかもしれない。
「えっ、ううん。そんなことないわよ。
むしろほっとしたと言うか」
「ほっとした?」
告白しないほうがいいと思ってる。
なら美希も自分と同じように、寂しいと感じてくれているのかもしれない。
「あ、やっぱりなんでもないない」
探るようなせつなの表情に気がついて、美希は笑ってごまかした。
「ほんと、今日の美希は変よ」
きっと自分も変なんだろう。意識しすぎだ。
今まで相手の気持ちがこんなに気になることはなかった。
でも、心はこんなにも弾んでいるもの。だからこれは悪いことじゃない。
そう思うことにした。
コトコトコト
湯気が立ち上る。
チョコレートの匂いが部屋中に染み渡る。
外はまだ薄暗い。まだ普通なら誰も起きていない時間。
せつなはチョコを湯煎してハートの型に流し込む。
「せつな、おはよ~」
「ラブッ、こんな時間にどうしたの?」
寝巻き姿のラブが元気よく入ってきた。
「ん~なんか良い匂いにつられて起きちゃった」
「普段は起こしても起きないくせに」
(目覚まし鳴らしても起きてくれませんのや)
タルトに何度か泣きつかれたこともあった。
「たはは、せつなチョコ作ってるんだ」
「ええ、ラブは昨日の晩作ってたでしょ。私はまだだったから」
興味津々って感じで、ちょこまかちょこまかとくっついてくる。
幸せに敏感なラブは、こういった行事やイベントに凄く関心が強い。
「へ~、せつなもハートの型なんだ。えっ、これ?」
「だめよっ、見ないで!」
慌てて体で隠した。特に一人一人に書いたメッセージは読まれたくなかった。
英文で書いたから、ラブにはすぐに解らないかも、と思うのは酷いだろうか。
「え~、いいじゃん」
「だめよ、渡す楽しみなくなっちゃうじゃない。
朝ごはんも私が作っておくから、ラブはもう少し寝ててね」
朝ごはんのメニューを頭の中で選んでいく。
今朝くらいは用意してもてなしたかった。
「は~い。
そっか、せつな、やっぱり……」
ラブには四つのハートを集めたクローバーの大きなチョコレート。
美希とブッキーにはそれぞれハート型の中くらいのチョコレート。
ブッキーのチョコには犬っぽい顔が描かれていた。
そして、美希のチョコには赤いトッピングが散りばめられて、
中心に青いスペードの意匠が刻まれていた。
ラブは、ドアの外でもたれかかって考えた。
全部は読めなかった。
でも多分あれは、あの言葉の意味は。
(あたしのチョコのメッセージカード、抜いておかなくちゃ)
「大は小をふくむ、な~んてね」
先に洗面所で顔を洗おう。
そう決めてフラフラと廊下を歩いた。
「今朝はずいぶん早くから頑張ったのね、せっちゃん」
「おはよう、せっちゃん」
「おはよ~おとうさん、おかあさん、せつなっ」
「おはよう、おとうさん、あかあさん、ラブ」
ほとんど三人同時に居間に入ってきた。
ラブはあれからは寝られなかったのかもしれない。
少し目が赤かった。
「あの、おとうさん。今日は遅くなるって聞いたから、
これ、いつもありがとう…………大好き」
真っ赤な顔でせつなは恐る恐るチョコを手渡した。
もらえるとは思っていたおとうさんも、それ以上に真っ赤だ。
躓いたり、どもったりしながらなんとか受け取った。
「えへへ~おとうさん、あたしからも」
せつなに触発されたのか、ラブも軽く抱きついてから渡した。
「あらあら、今日は良い日になったわね、お父さん。
これは残業も頑張らなくちゃね」
おかあさんも凄く嬉しそうだ。
「ラブにはこれ、持って行くにも大きいし、
…………大好きよ、ラブ」
「うん、あたしもだよ、せつな」
自作のチョコレートを交換してから、ラブがせつなを見つめる。
その目はとても愛しそうで、でもどこか寂しそうな憂いもあった。
「さっ、遅刻するわ、急ぎましょうラブ。
えっ!」
突然、手をぐっと引かれる。
ラブはせつなの首に両手をかけて強く抱きしめた。
ぎゅ~っと。
「どうしたの、ラブ。ちょっと苦しいわ」
「……………………っ、
なんでもないっ、行こっ、せつな!」
惜しむように離れた後にあったのは、いつもの笑顔満面のラブだった。
最終更新:2010年02月14日 12:38