四ツ葉町商店街の中にある小さな公園。
その日も、いつもの仲良し三人組の女の子達が元気に駆けていた。
「はぁ、はぁ、はぁ。鬼ごっこはもうおしまい」
「はぁ、はぁ、はぁ。もうつかれたのね、らぶ」
「らぶちゃん、みきちゃん。つぎはおままごとしよう」
一人だけ息も切らせてない子が目を輝かせて提案する。
「アタシたちもうすぐ小学生よ。もうおままごとなんて……。
――わかったわよ。すればいいんでしょ」
「じゃあ、ちゃぺるごっこしようよ。みきたんがおむこさんであたしがはなよめさん」
「いやっ! みきちゃんのおよめさんにはわたしがなるんだもん」
「うん、いいよぶっきー。じゃあ、あたしがぼくしさんね」
「なんじあおのみきは、やめるときもすこやかなるときも、いかりゃく。
え~と、ぶっきーをあいすることをちかいますか」
「らぶちゃん。やまぶきいのりっ!」
(ぜったい、なまえわすれてる。らぶちゃん……)
「ちかいます」
「なんじ、やまぶきいのり、いかりゃく。ちかいますか」
(りゃくしすぎ、らぶちゃん)
「ちかいます」
「では、ちかいのくちづけを」
青い髪の子が唇が触れる寸前で止めた。後、数センチ。その差を山吹色の髪の子がかかとを上
げて埋めた。
『……って』
「ぶっきー、まねだけでいいのよ」
「えへへ、ごめんね。みきちゃん。でも、これで……」
(ほんとうに、みきちゃんのおよめさんになれるかな?)
「ブッキー、ねえブッキーったら聞いてるの?」
美希ちゃんの声で意識がこちらに呼び戻される。視界にはおままごとで遊ぶ子供達。
眺めているうちに、自分でも忘れていた昔の思い出が蘇ったのだ。
「あ、うん。聞いてるよ。ラブちゃんとせつなちゃんの様子が最近おかしいってことだよね」
「おかしいというか、仲良すぎよね。あれはもう、まるで……」
恋人同士のようだと美希ちゃんは続けた。
せつなちゃんが仲間になって以来、元々仲が良かった二人はまるで双子のように馴染んでいっ
た。
ぜんぜん似ていないラブちゃんとせつなちゃん。でも、だからこそ一緒に居るのが自然だった。
光と影のように。夜空と星のように。常に寄り添っていた。
そして、ある日を境に更にその関係が深まった。
手を繋ぎ、肩を寄せ合い、指を絡め、視線で語り合う。
自然に振舞おうとしていても、隠し切れない愛しみが仕草の端々に見て取れた。
「何か、あったのかな?」
「うん……。わたしもそう思うよ。美希ちゃん」
それ以上は言葉にすることが躊躇われた。きっと、考えていることは同じなんだろう。
大切な幼馴染。
物心ついた頃から、ずっと一緒だった。
他人の痛みを感じて悲しみ、他人の喜びを感じて微笑む。
そんなラブちゃんが、初めて自ら望み、手に入れた幸せ。
それを与えてくれたのが、最近知り合ったばかりのせつなちゃんだった。
求められた者が、与えてあげた者が、自分達でないのが、ちょっと――――寂しかった。
空にはうろこ雲。黄色と赤に彩られた美しい四ツ葉町公園。激動の夏が過ぎ、ひんやり冷たい
秋風が吹くようになった。
(うらやましい……のかな?)
こんな季節だもの、感傷的になるのは仕方が無いよね。そう思っても、心に――隙間風が吹き
抜ける。なんとなく、両手で肩を抱くように丸くなった。
「冷えるのが早くなったわね。美味しい紅茶があるの。続きはアタシの部屋で話しましょう」
「うん、お邪魔するね」
寒いものね。そう言い訳して、肩を寄せ合うように歩いた。
「お待たせ、ブッキー」
「ありがとう、美希ちゃん。いただきます」
澄んだ空のような青で統一された美希ちゃんの部屋。調度品のデザインや位置も工夫が凝らさ
れていて美しい。
室内にはいつもアロマの香りが満ちていて、吸い込むだけで体の中まで洗われる。
だけど、無駄を一切省いたその部屋は、今はとても寒く感じられた。
大きなおうち。この家でレミおばさんと二人きりの生活なんだよね。寂しくないのかな?
美希ちゃんの顔をそっとうかがう。その表情からは何も読み取れない。
でも、向かい合わずに並んで座った。
きっと――わたしと同じ気持ち。そう思って、甘えるように美希ちゃんにもたれかかった。
しばらく寄りかかって、目を閉じていた。わたしの肩に手がかかるのを感じ、そっと目を開く。
目前に美希ちゃんの顔があった。何か思いつめたような表情には、普段の余裕が感じられない。
「美希ちゃ……」
話しかけようとした口を美希ちゃんの唇が塞いだ。
わたしは呆然と目を開いたまま、しばらく動けなかった。
初めてのキス……。ううん、幼稚園の頃以来の、二度目の口付け。
唇が離れ一息つく。やっと我に帰って、口を押さえて立ち上がろうとした。
美希ちゃんも立ち上がり、わたしの肩に手を添える。すぐ後にあったベッドに引き倒された。
「美希ちゃん……」
「ブッキー――ごめん」
(どうしたの? 何をするの? おかしいよ)
そんな言葉を飲み込んだ。美希ちゃんの顔が、なんだかとても悲しそうに見えたから……。
再び口が塞がれる。腕は美希ちゃんの両手でしっかり押さえられている。痛いくらいに強い力
に美希ちゃんの本気が感じられる。
長いキスの後、両の手が解放された。
自由になった美希ちゃんの手が、今度はわたしの胸に添えられる。
美希ちゃんの細い指が、器用にボタンを外していく。下着と、その上のシャツ一枚になる。
大きく持ち上げられた二つの双丘。
コンプレックスのある胸を、美希ちゃんの手が覆うように包んだ。
その掌に力が加えられて、胸がその形を崩す。 ゾクッっとした感覚と恐怖が襲い掛かる。
「やっ、やだっ、美希ちゃん」
掌から逃れようと体を捻る。仰向けから横向けに体を返して背中を向ける。
でも、掌はしっかりとわたしの胸を捉えて刺激を送り続ける。
指先が胸の先端を見つけて摘む。
混乱する頭で、とにかく愛撫から逃れようともがいた。
美希ちゃんはそのまま背中からわたしに抱きついてきた。
わたしの髪に顔を埋めて、体を順にまさぐっていく。
「んっ……んんっ」
懸命に手で口を押さえ、声を殺す。
体は小刻みに震え、手足は行き場の無い快楽に突き動かされてバタバタともがく。
美希ちゃんの掌がやわらかくお腹を撫でる。細い指がおへそに潜ろうとする。
その手が更に下に降りようとした時、わたしはついに叫んだ。
「嫌っ! 嫌よ、美希ちゃん、やめてっ」
少し怒りすら含んだ悲鳴に、美希ちゃんは硬直したようだった。
「あ……アタシは――。ごめん、ブッキー……」
そう言ったっきり、美希ちゃんは顔を伏せ何も言えなくなる。
わたしは涙を堪えて黙って下着を直し、散らばった服を身に着けて部屋を出た。
人通りの減った、夕暮れの商店街をとぼとぼと歩く。何人かに声をかけられたが、応える気に
はならなかった。
さっきの出来事が、脳裏に浮かんでは消えていく。その都度に現実感が増してくる。
思いつめた美希ちゃんの顔。拒んだ時の、傷ついた表情。部屋を出た時の、悲しそうな――瞳。
どうして――あんなことをしたの?
わたしは――あんなことがしたいわけじゃなかった。
「ただいま」そう言ったっきり、部屋に閉じこもる。
ベッドに体を横たえる。しつこく刺激された左の胸の先がまだ尖っていた。
そっと指をあててみる。ゾクッとした刺激が全身を駆け巡る。
(嫌っ)
受け入れられない。こんな感覚は認めない。
生まれた快感を打ち消すように、痛いほど強く枕を胸に押し当てた。
自分で触れたこともなかった。
小さい頃のトラウマ。うっかり覗いてしまったお父さんとお母さんの営み。
綺麗だとはとても思えなかった。苦しそうなお母さんの声が耳について離れなかった。
動物と暮らす生活が、その嫌悪感に更に拍車をかけた。
動物は好き。でも、ただ一つ。周期的に起こる発情期。性の衝動に狂い、鳴き喚く動物たち。
その声だけは、どうしても好きになれなかった。
体を寄せるのは好き。抱きしめられるのは好き。体温を感じるのは好き。美希ちゃんが好き。
でも――性の刺激だけは嫌い。怖いから――嫌い。
自分が自分でなくなってしまいそうで――嫌い。
心まで汚れてしまいそうで――嫌いだった。
子供の頃の誓いが思い返される。
美希ちゃんが好き。美希ちゃんとずっと一緒に居たい。美希ちゃんの――お嫁さんになりたい。
変わっていない。わたしは何も変わってなんかいない。
だけど――わたしは美希ちゃんを拒んでしまった。
寂しいと体を寄せたのはわたしなのに……。
特別な関係で居たいと望むのはわたしも同じなのに……。
わかってる! 美希ちゃんはラブちゃんとせつなちゃんが羨ましかったんだ。
自分の気持ちに素直になれた二人のようになりたかったんだ。
冷え切った体を湯船に沈めて温める。体を洗おうとして、指が胸の先に触れる。
くすぐったさと同時に走る快感。体がまだ敏感になってる。たったあれだけの間の事で……。
自分がひどく汚いものになった気がした。もし、すべてを許してしまったら、わたしはどうな
るんだろう。
お風呂から上がり、鏡を見つめる。
美希ちゃんほど綺麗だとは思えない。顔は可愛い方かもしれない。スタイルも悪い方じゃない。
発育は少しいい方だろう。でも……それだけだ。
美希ちゃんは生まれながらのモデルだ。天性のルックスとスタイルを努力で磨き抜いている。
美希ちゃんより綺麗な人なんて、いや、並ぶ人すらプロ以外では見たこともない。
こんな――平凡な体を惜しむなんて、滑稽だと思った。
こんな――平凡な体で繋ぎとめることなんて――できるとも思えなかった。
それでも美希ちゃんは……わたしを求めた。
膨らんだ胸。丸みを帯びてきた体。
人に、大好きな人に触れられるために変わってきた体。
もう子供じゃない。子供のままじゃいられない。
どれほど――それを望んだとしても、人は変わっていかなければならない。
ラブちゃんも変わっていった。
美希ちゃんも変わろうとしている。
なら、わたしも変わらなければならないのかもしれない。
例え――今の綺麗な自分がなくなってしまうのだとしても。
この先もずっと――美希ちゃんと一緒に居続けたいのなら。
美希ちゃんの泣き出しそうな表情を思い出した。部屋に戻り、リンクルンを開く。
メッセージが一件。美希ちゃんからだ。
「ごめん、ブッキー。アタシどうかしてた。もうしないから許してね」
美希ちゃんは悪くない。謝るなんて間違ってる。わたしが間違っている。だから……。
「もしもし、美希ちゃん。ごめんね。わたし、びっくりして……。もう――平気だから。
覚悟決めたから。だから――明日、もう一度美希ちゃんの部屋に行くね」
(これでほんとうに、みきちゃんのおよめさんになれるかな?)
そう、これは幼き日の誓いの繰り返し。
わたしの変わらない気持ちを伝えるの。
勇気を出すんだ。これからも――美希ちゃんと共に歩み続けるために……。
最終更新:2010年05月12日 19:33