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「さあ、急がなくっちゃ」


せつなが朝食の支度に駆け回る。
真剣な表情の中に、時折こぼれる笑顔。
まるで舞うように手際よく調理をこなす。

これで完成!
食卓に美味しそうな匂いが立ち込める。
焼き魚と目玉焼き。ご飯に味噌汁。お漬物とサラダ。

手際よく盛り付けて食卓に運ぶ。お茶の温度も香りも申し分ない。


「あら、おはよう。せっちゃん」
「おはよう。美味しそうだなあ」
「おはよう! おとうさん、おかあさん」


圭太郎とあゆみの元に、せつなが嬉しそうに駆け寄った。

夏休み中の朝ご飯の支度は自分にやらせてほしい。せつなのお願いだった。
始めは軽いお手伝いのつもりだった。やっている中に、その楽しさに目覚めてしまったのだ。
大好きな家族に一番に会える。迎えておはようって言える。喜んでくれる。笑ってもらえる。

前にお母さんに聞いたことがある。お母さんの幸せは何って。
「家族みんなの笑顔を見られることよ」って言ってた。
その意味がなんとなくわかったような気がした。


「毎朝悪いわね、せっちゃん。ラブはどうしてるの?」
「ラブは……お休みの日はレッスンでもない限り起きてこないもの」
「まあ、夜遅くまで勉強してるみたいだしねえ」
「甘やかしちゃダメですよ。お父さん」


微笑みながらせつなは給仕に専念する。一緒に食べようとの誘いを、後でラブと食べるからと
やんわり断る。


「いってらっしゃい」


仕事に向かう圭太郎とあゆみに手を振って見送る。軽く後片付けしてから、時計を見る。


「まだ、起きてくる時間にはだいぶあるわね」


ラブの部屋の方を見てからため息をつく。小走りに玄関に向かいシューズを履いた。

朝のお散歩に出かける。これも――最近の習慣だった。






河川敷を散策する。

川のせせらぎ。

新緑の木漏れ日。

朝の柔らかい日差し。

小鳥のさえずりと――犬の鳴き声!?

え?


「きゃあ、止まって~」


向かってくる一匹の大きな犬。正面は危ないと判断して廻り込んで抱き止める。


「ごめんなさい、せつなちゃん。ありがとう」
「ブッキーじゃない、どうしたの?」


大きな黒い犬と黄色いワンピースの似合う小柄の少女。犬の散歩というよりは、猛獣に引きず
られた被害者といった風体だった。


「ほんとうにごめんね、せつなちゃん」
「たいしたことないわ」


預かってる犬の散歩の途中にせつなを見かけて、その犬が嬉しがって駆け寄ったらしい。
大きすぎるため人を怖がらせるといけないので、早朝の人気の少ない道を選んでいたのだ。


「おとうさんなら片手で簡単に止めるのにな」


まだまだ修行不足とこぼす。ブッキーのおとうさんは大きいものね、と内心思いつつも口には
しなかった。
このまま一緒に帰ることにした。






びー、びー、びー。


「小鳥の囀り、可愛いわね」
「……待って! せつなちゃん。様子がおかしい。この鳴き方は警戒よ」

「マンションの工事現場の方角よ、行って見ましょう」


二人は駆け寄った。
黄色いメットと灰色の作業着を着た男性が、一本の木を切り倒そうとしていた。その周りを緑
色の小鳥が飛び回る。


「まって! お願いします。待って下さい」
「せつなちゃん、あそこ!」


二メートルに満たない小さな木。その中央辺りの葉の茂みの中に、釣鐘状の茶色い巣があった。
そっと覗き込むと、飛んでいるのと同じ緑色をした小鳥が卵らしきものを温めていた。


「これは……メジロね。こんな小さいアセビの木に巣を作るなんて」


メジロというのが鳥の名前らしい。近づいたため巣の鳥も飛び立った。離れて様子を伺うと、
また巣に戻り温めようとする。
もう一羽の鳥はずっと上空を旋回していた。



「お嬢ちゃんたち、そろそろどいてくれないかな。今日中にここは平地にして舗装してしまい
たいんだ」

「そんな……。それじゃあ巣が――卵が!」
「お仕事なのはわかります。でも、巣の保護を優先してもらえないでしょうか」


慌てるせつなと対照的にブッキーが毅然と反論する。見たこともないほど強い意志を感じた。


「鳥獣保護法で鳥や卵の損傷は禁止されているはずです。わたしは山吹動物病院の娘です」
「損傷はしない。木を切って巣ごと邪魔にならない場所に移す。それならいいだろう」

「それじゃダメです! メジロは気の小さい生き物です。大きく環境を変えられたら、
巣と卵を捨ててしまう可能性があります」
「そこまで責任は持てない。おじさんたちは愛護団体じゃないんだ」


ブッキーの目が怒りに燃える。強く反論しようとしたのをせつなが止めた。


「ブッキー、喧嘩はダメよ」
「でも……せつなちゃん」

「ここは……ラビリンスの攻撃を受けて空き地になった場所なの……」


ブッキーはせつなの手が震えているのを感じた。気持ちを察して口をつぐむ。
せつなは深々と作業員のおじさんに頭を下げた。


「私には、難しいことはわかりません。でも……ここは悲しいことがあった場所です。
もう、誰にも、何にも傷ついてほしくありません。なんとか、助けてあげてください」

せつなは深く頭を下げたまま、微塵も動こうとしなかった。かなり苦しい体勢であるにもかか
わらず。
ブッキーも見かねて一緒に頭を下げる。無理な姿勢に震える足を懸命に押さえ込む。


「まいったな……。ちょっと監督に相談してくるから待ってな」

「「ありがとうございます!!」」


二人は手を取り合って喜んだ。



それから半時間ほど、監督に掛け合ったり事務所に連絡取ったりして、なんとか舗装工事を後
回しにしてもらえることになった。


「なあに、いざとなったらおじさんたちが徹夜してでも工期は間に合わせるさ」


せつなとブッキーの情熱に打たれたのだろう。先ほどの人も最後には味方になって説得を手伝
ってくれた。


「良かったね、また明日も様子見にくるね。元気な雛が生まれるといいね」
「私、精一杯応援するわ! 小鳥さんも、おじさまたちも」


落ち着いたのか、上空を飛んでいた鳥も巣に戻ってきた。虫らしきものをもう一羽の鳥に与え
ていた。

ぴー、ぴー、ぴー。

今度は優しい声で鳴いた。立ち去るせつなとブッキーに、お礼を言ってるかのように。






「こんにちは~」


危険だからと言う理由で、昼の休憩時間のみ巣の見学を許されていた。すっかり親しくなった
現場の方々に挨拶してまわる。せつなとラブが手製のお菓子と紅茶を差し入れしてまわる。


「見て! 美希ちゃん。卵が孵ってる」
「うわぁ、可愛いのね。口がおっきくて。三羽もいるのね」
「どれどれ、ほんとだ。メジロの赤ちゃんってピンク色なんだね」
「ラブ……。ピンクなのは体毛が生えてなくて地肌だからでしょ」


親鳥が青虫らしきものを雛に与えていた。雑食性で、穀物、果実、木の実、昆虫と何でも食べ
るんだそうだ。
いつ翼を休めているのかわからないくらい、親鳥たちはひっきりなしにエサを運んでくる。


それから、四人は暇ができるたびに見に行った。特に、せつなとブッキーは毎日のように。

雛の成長はめざましかった。数日で目が開き、また数日で体毛が生え揃っていく。
日に日に大きくなって成長していく。それを見守るのが嬉しくて、楽しくて、わくわくして。
せつなの嬉しそうな顔で幸せな気持ちが伝わったのか、はたまた毎日の差し入れの効果なのか、
現場の作業員のおじさんたちも一緒になって見守るようになった。

祈るように毎日見つめ続けた。






巣を見つけてから二週間。孵化してから十日間ほどたったある日のことだった。


「なんだか様子がおかしいわ」
「せつなちゃん、この声は警戒よ。――ううん、違う! これは」


メジロの親が木の周りを旋回するように飛んでいる。雄鳥だけならともかく、二羽とも。


「もしもし、ラブ、巣に何かあったみたいなの。美希と一緒にすぐに来て」



びー、びー、びー。


「お待たせっ、せつな!」
「何があったの? ブッキー」


親鳥たちは、相変わらず鳴き声を上げながら旋回を続けている。
そして、巣に変化が起こった!


バサッ――バサッ――バサササッ――

一羽の雛鳥が飛び立った。
それにつられるように、もう一羽も。

二羽の雛鳥はゆっくりと飛びながら、隣のもみじの木の頂上近くで止まる。


「「「「わぁぁぁぁーーーー」」」」


せつなが、ブッキーが、ラブが、美希が歓声を上げる。



残りは一羽。

懸命に羽を広げる。
大きく大きく羽ばたく。

しかし、飛び立てない。
親鳥が二羽とも巣の隣まで戻って来た。

一羽は心配そうに鳴き声を上げる。
もう一羽は手本でも見せるように羽を広げて羽ばたく。

四人は祈る。

――がんばって!――がんばって!――がんばって!――

ついに雛鳥が浮き上がる。
フラフラとよろけながら飛び立つ。

もみじの木の途中辺りまで来て、バランスを崩し落下した。


「あっ!」


せつなが見かねて飛び出そうとする。その手をブッキーがしっかりと掴んで止めた。


「よく見て、せつなちゃん。あの子、まだあきらめてない」


雛鳥は起き上がり、再び羽を広げた。
親鳥はその上を旋回し、木の上の雛鳥たちも鳴き声を上げた。


「がんばって――頑張るのよ――。おとうさんも、おかあさんも、必死にあなたを育ててきたんだから!」


ついにせつなが叫び声を上げる。


『そうだ~がんばれよー。俺達もついてるぞー』


作業員のおじさんたちも、すぐ後ろまで来ていた。メジロたちもこの期に及んでは逃げなかった。
クローバーとおじさんたちと、メジロの親子の叫び声が重なる。


バサッ――バサッ――バサササッ――


今度こそ、力強く羽ばたいた。まっすぐ、木の上で待つ雛鳥たちの元に飛んでいく。


「「「「わぁぁぁぁーーーー」」」」
『おぉぉぉぉーーーーーーーーーー』



ぴー、ぴー、ぴー。

親鳥がみんなの周りを低空で飛ぶ。だけど、その動きには威嚇はなくて。
まるで、お別れを言っているように見えた。

そして、五羽のメジロの親子はいっせいに大空に向かって飛んでいった。


――高く――高く――真っ直ぐに――



せつなは願う。

どうか、あの子達の行く先が幸せに満ちていますようにと。

そして、自分の目から流れている涙に気がつく。それは、感動と感謝の涙。

私も――もらったんだ。あの子達に――その成長に――幸せを。

ラブも、美希も、ブッキーも、みんな涙ぐんでいる。おじさまたちも。


親の想い。子の想い。家族がいる幸せだと、ひとくくりに考えていた。
命を生み、守り、育む幸せ。私の知らなかった、これも幸せのカタチ。

メジロの親子が残してくれた――教えてくれた。
大切な思い出と――命の素晴らしさ。


せつなは空を見上げてつぶやいた。



――――ありがとう。



最終更新:2010年09月27日 23:36