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み-121

耳に優しい静かな雨音。音楽のように聴きながら机に向かい勉強に励む。
ふと、その曲が途切れた。ベランダに足を運ぶ。
開けた窓から流れ込む夜風。長く降り続いた雨に清められた空気。胸いっぱいに吸い込んだ。

空を見上げる。
漆黒の闇。雨雲に覆われた空は、いかなる光も運ぶことは無い。
前にラブと一緒に見上げた夜空は綺麗だった。無数の星がきらめく光を放つ。無限の空に数多
に描かれる光の芸術。そして、見つけた流れ星。一緒に手を合わせて願い事をした。


コンコン


「せーつなっ、入っていい?」
「どうぞ。ちょうど休憩していたところよ」


開きっぱなしの窓。風に揺れて動くカーテン。ラブも興味を引かれてベランダに出た。
お風呂上りのラブ。もうパジャマに着替えている。
ピンクの可愛らしいパジャマ。部屋の光を反射してキラキラと金色に輝く髪。暗い夜空を映し
ても、なお輝きを失わない瞳。まぶしそうにせつなは見つめた。


「外を見てたんだね。それとも夜空? 最近は雲ばっかで真っ暗だよね」
「そうね、――でも、光はあるわ」


せつなは街を指差す。道を照らす街灯。街に灯る生活の光。家庭を照らす幸せの灯火。
それらを反射して光る、雨に濡れた家並み。
この世界はいつだって、どんな時だって美しい。せつなはそう語った。


「せつな。曇りの日でも見られる星空があるって知ってる?」
「ええっ、ありえないわ。雲の上にでも行かない限り無理よ」


悪戯っぽく笑って、その先をラブは教えない。週末おとうさんが連れて行ってくれるって。
楽しみだねって。そう言ったっきり口を閉ざす。
気になってせつなが問いかけても知らない顔。すっかり拗ねてしまったせつな。
その夜のせつなの、ラブの宿題の指導は熾烈を極めた。







約束の日、幸いにも雨は降らなかった。空は厚い雲で覆われている。
久しぶりに圭太郎が車を出す。普段馴染んだ四ツ葉町の河川。その遥か上流を目指すらしい。

上に、上に、高いところに! 川をさかのぼる二百キロの旅。
助手席にはあゆみが座る。せつなとラブは後部座席でくっつくようにしてはしゃいでいた。
結局、せつなは何を見に行くのかを最後まで教えてもらえなかった。


「綺麗な光を見に行くのよ。せっちゃん」
「星空? でも、こんなに曇っていては無理だと思うわ」

「曇っていても平気だよ。雨が降るとあたしたちが辛いけど」
「最後まで私だけ内緒なのね。いいわ、こうして一緒にお出かけできるだけで幸せだもの」


光は好き。それがどんなものであっても。希望を感じさせてくれるから。
次第に暗くなり視界から色彩が失われていく。車の光。街灯の光。街の光。黒と白の二色にな
った景色をぼんやり眺めながら期待を膨らませていった。


「さあ、着いたぞ。ラブ、せっちゃん」
「久しぶりね、ラブは二度目かしら」

「初めてだよ。せつなと一緒に見るのはね」
「そろそろ教えてくれてもいいでしょ。一体何なの?」


着いた場所は川辺というより山の中。こんな夜中にこんな場所。それでも沢山の人が集まって
きていた。一様に楽しそうに奥に奥にと歩いていく。ラブたちも続いた。

道中にせつながしびれを切らして尋ねた。あゆみが苦笑しながら教えてくれた。
この一帯は源氏蛍がたくさん繁殖していることで有名なんだって。ちょうど梅雨の今頃が一番
綺麗に見られるんだって。

体内に発行器を持ち、群れを成して幻想的な光を放つ。図鑑で読んだことしか無いせつなにと
って、それは素晴らしく興味を引かれることだった。







「着いたわ。ここよ」
「わは~。どこかな、どこにいるのかな」

「まだ少し早いぞラブ。もうすぐじゃないかな」
「あの大きな川が、上流だとこんなに細くなるのね」

「もっともっと、最後にはまたげるくらい細くなるんだよ」


暗がりの中、大勢の人が期待を膨らまして時間の訪れを待つ。源氏蛍の発光時間は夕方の八時
半くらいから九時半くらいなのだとか。
遠くに行ってはぐれたら危ないわよ。そんなあゆみの忠告にも我慢できず、ラブとせつなはあ
ちこちと探し回った。


「あれ、おかしいな」
「いつもなら、今頃はたくさん光るわよね」

「もう、九時になるよ。どうしたんだろう」
「人がたくさんいて驚いて逃げちゃたのかしら」


待てども待てども蛍は現れない。ざわざわと周囲の人々も戸惑の声を上げはじめた。


「年々、数が減ってきているとは聞いていたが……」
「寂しいわね。もう、見られないのかしら」

「そんな――きっと、どこかにいるはずだよ」
「私、探してみる!」


思いつめた表情でせつなが駆けだした。
蛍を見られないのは残念だ。そして、自分を喜ばせようとしたおとうさんやおかあさんやラブ。
期待を膨らませてここまで見に来た、沢山の人達のがっかりした顔を見るのが何より辛かった。
必ず――見つけてみせる! みんなを――笑顔にするために。







人より優れた五感、視覚を研ぎ澄ませて周囲を探る。

いない――どこにも――

時間ばかり過ぎる。気持ちが焦る。
川辺を駆け回っても何も見つけられない。一度戻ろうとして振り返る。山の方で何かが動いた。


「あれは……。見つけたっ!」


ほんの一瞬、瞬きするほどの刹那の光を捉える。光の残光から進路を推測して追いかける。


「どこに行くの、せっちゃん。そっちは山の中よ。蛍は川辺、水のある場所にしか居ないわ」
「危ないから戻ってきなさい!」
「せつなっ、何か見つけたの?」


すぐ戻るから! 振り返りもせずに蛍の飛んだ方向を追いかける。見失ったらお終いだ。

蛍はせつなを誘導するかのように、時折光りながら飛び続ける。奥に、奥に、山の中に。
足場の悪い、細い道をくぐり抜けると開けた場所に出た。
まばらに美しい配置で茂る樹木。しっかりした地面に生える柔らかい草。空も広く見渡すこと
が出来て。もし、昼間に来たらさそがし美しい場所だろうなと感じた。

目の前に灯る一点の光。さっきの蛍。観念したかのようにじっと動かない。


「ごめんなさい、みんなにあなたを見せてあげたいの。そしたらすぐに放してあげるから」


そっと手を伸ばす。その時――異変が起こった!


光が――増えていく。


ひとつ。ふたつ。みっつ。よっつ。いつつ。せつなの手を中心に光が広がっていくように。

やがて光が草むらを覆いつくす。樹木にも光が灯る。それはどんなイルミネーションよりも
美しかった。
幻想的な光景。自然が生み出しているのに、現実感がまるで無い。

せつなは息をするのも忘れて座り込んだ。







「せつなっ!」
「せっちゃん!」
「せっちゃん、大丈夫か!」


心配して追いかけてきたのだろう。ラブとおとうさんとおかあさんが駆け寄る。
そして――同じように光の生み出す奇跡の芸術に目を奪われる。


「綺麗……」
「こんなの、見たことないわ……」
「これは……姫蛍か。聞いたことはあったが」


美しきエメラルドの光。源氏蛍より短い周期で光る希少な蛍。森の中で生息する不思議な習性。


「すご……い。凄いよっ。せつなのおかげだね!」
「これは、忘れられない夜になりそうだね」
「お疲れ様、せっちゃん。でも、あんまり無理しちゃダメよ」

「私――行かなきゃ。みんなのところに。――ここを教えてあげなきゃ!」


すぐ戻るから。さっきと同じことを言って再びせつなが駆ける。その手をラブがつかむ。


「あたしも行くよ、せつな。みんなで見たほうが、きっと、もっと素敵だよね」
「うんっ!」


荒れた道を急いで駆け下りる。滑り降りるようにして川辺に戻ってきた。
ラブが大きな声で帰り支度を始めている人たちを呼び止める。響き渡る高い声は、集まった人
々の興味を引きすみやかに一所に集めた。

せつなが一列に誘導して案内する。


「しばらく足場が悪いので気をつけてください。小さな子は手を引いてあげてください」

「せつな、これで全員だよ」
「ありがとう。ラブは後ろからはぐれる人がいないか見てて」


木々の間をくぐり、蛍の園に戻る。ワイワイ騒いでいた人たちが言葉を失う。

蛍の数はさらに増えていて――

それは、まるで星空が降りてきたかのように見えた。







「おかえりなさい、ラブ、せっちゃん。おつかれさま」
「偉いぞ。ラブ、せっちゃん」


圭太郎とあゆみがそれぞれ二人の娘の頭を撫でる。二人は顔を見合わせて嬉しそうに微笑んだ。

しばらくの間、みんなは茫然と光の演奏に魅了された。一面を覆いつくす淡い無数の光点。
不思議な曲線を描きながらふわふわと動く光の幻想曲。零れる感想はため息のみ。


そして起こる、もう一つの奇跡!


「ラブ……あれ……空が――晴れるわ――」
「星が……星が……降りてくる――――」

『わあぁぁぁ――――――』


上空の風が運んだ贈り物。雲が割れ空が晴れていく。星が顔を覗かせ、徐々に広がっていく。
それは、初めてせつなが蛍を見つけ、その光が広がった様子にも似ていて――

高原の美しい空から見る星空は、落ちてきそうなくらい近くにはっきりと見えた。家から見る
星空よりも、何倍もたくさんの無限の光が視界を覆う。

そして――繋がる。

天空の星空と地面の蛍の光の絨毯が、空に舞う蛍の光で繋がれていく。視界一面を埋め尽くす
白と緑の光の競演。この世のものとも思えない、それは不思議な光景。


「ラブ――少し怖いくらいよ。星空の中に放り出されたみたいに。でも――綺麗」
「わかるよ、せつな。あまりにも綺麗で、一人じゃ受け止めきれないんだよね」


畏怖すら感じる圧倒的な美しさ。人々は肩を寄せ合い、集まるようにして見つめ続けた。
ラブはせつなの手をしっかりと握った。星空が隠れ、蛍が光を失うまでの間――――ずっと。

半時ほど後、黒いカーテンが降りるかのように再び辺りは暗闇に包まれる。
人々は余韻に引きずられ言葉少なげに、でもしっかりラブとせつなにお礼を言って帰っていっ
た。
せつなは感動に目を潤ませて、おとうさんとおかあさんにお礼を言った。


「ありがとう。おとうさん、おかあさん、ラブ。私、今夜のこと一生忘れない」
「あたしもだよ、ありがとう。せつなのおかげで見れたんだもの」

「私も忘れないわ、せっちゃん。でも、忘れられないのは私達だけではないわ」
「素敵な場所を案内してくれた優しい女の子と奇跡の夜。ここに来た人は忘れないだろうね」


せつなは恥ずかしくなって顔を真っ赤にしてうつむく。


「さあ、あたしたちも帰ろっ!」


ラブが嬉しそうに駆け出した。

繋ぎっぱなしのせつなの手を引きながら。



最終更新:2010年07月10日 22:22