暑い日差し。抜けるような青い空。そして、棚引く飛行機雲。
例年より少しだけ早い梅雨明け。
たっぷりの雨を吸収した草木が、強い日差しを浴びて生き生きと生え広がる。
柔らかい若葉が力強い緑に姿を変える。命輝く季節の到来だ。
「どうしたの、せつな? なんだか嬉しそうね」
「そうね。街全体が生き生きしてるみたいで、今日はいいことがあるような気がするの」
「天気がいいものね。この分なら今年は見られるかもしれないわね。七夕の星空を」
「七夕って?」
「はい、お待たせ。カオルちゃん特製、七夕ドーナツセットだよん」
「えっ? カオルちゃん、あたしたち頼んでないよ」
「いーのいーの。七夕なだけに棚ぼた。なんちゃって、ぐはっ」
「もう、ぼたもちじゃなくてドーナツでしょ。でも、中の穴が星形になってて面白いわね」
「外はちゃんと丸いのがいいね」
「見て、氷が星形になってる」
「いつもありがとう。カオルちゃん」
『いただきま~す』
わいわいお喋りしながら、カオルちゃんにご馳走になった。さっき中断された質問を口にする。
「ねえ、ラブ。七夕ってどんな日?」
「えーとね、――七夕はね」
「せつなって、妙に詳しかったり全然知らなかったりするわね」
「去年の今頃は、色々忙しかったよね」
「えーっと、うーんと――――ブッキー……お願い」
「はいはい。七夕はね、逸話を元にして生まれた五節句の一つなの」
それは古い中国のお話。
織女って天女と牽牛という牛飼いの青年が恋に落ち、結ばれて新しい生活を始めた。
ところが、もともとは働き者であった二人が、結婚したことによって浮かれて仕事をしなくな
ってしまった。
それが天帝の怒りに触れ、天の川を隔てて別々に引き離されてしまう。
そして年に一度、七月七日のみ会うことが許されるようになったのだとか。
「今日は天の川を渡って二人が会える特別な日。それにちなんでお祝いしたり、お願い事をし
たりする日なの」
「ずっと――許しもらえないままなのね」
「いや、せつな。これは本当のお話じゃなくて教訓を含んだ御伽噺だから」
「ええ、わかるけど、悲しいお話ね」
「そうだよね! あんまりだよ」
「ラブちゃんは忘れてたんじゃ……」
去年の今頃はまだイースだった。敵同士だった。四枚のカードを使っての命を懸けた死闘。
それも大事な記憶。大切な思い出の一つ。ようやく受け止めることができるようになってきた。
自分のせいで、去年はお祝いどころではなかっただろう。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「せつなちゃんは、お願い事何にするの?」
「そうね。すぐには決められないわ」
「今夜は笹に短冊をつるしてお願い事をするの。考えておいた方がいいよ」
「あたしはね~」
「ラブのは聞かなくてもわかるわよ」
「口ぐせだものね。美希ちゃんはモデルで活躍かな。後は和ちゃんの健康とか」
「そうね。ブッキーは人と動物がもっと仲良くなれますように、よね。毎年だもの」
みんなの楽しそうなお話を聞いていて思う。本当に――この世界はお願い事が多い。
色々な行事や自然現象。何か理由を見つけてはお願い事をする。
幸せになりたい。幸せであってほしい。そんな想いが強いからだろう。だからこの世界には幸
せが満ちている。
くだらない、とは思わない。例え叶わなくても、想い、願うことには大きな意味がある。
人々の想いや願いを、翼に変えて戦った私達にはそれがよくわかった。
「せつなっ、今日はお買い物して帰ろう。七夕にぴったりの夕食思いついちゃった」
「そうね、私たちで作りましょう。美希、ブッキー。またね」
今日は――ううん、今日も精一杯楽しもうと思った。
織女と牽牛の再会を祝いながら。
大切な人と別れて暮らしている人達の再会を願いながら。
大きなお鍋にたっぷりのお湯。ぐつぐつ煮立ったらそうめんをほぐしながら――
「待って、せつな。今夜は束のままで茹でるの。端っこを紐でしばってね」
「バラバラにならないように片側だけを縛るのね。わかったわ」
茹で上がったらすぐに流水で熱を取って氷に浸す。くくっている紐の部分を切り落としたら、
綺麗な束のそうめんが出来上がった。
広いお皿に束の形を崩さないように盛り付けていく。色取り取りの野菜とたっぷりの氷で飾り
付けたら完成だ。
そしてメインは鮎の塩焼き。香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
「おとうさん、おかあさん、お待たせ! ラブとせつな特製の七夕スペシャルだよ」
「カオルちゃんのお店のメニューで思いついたらしいの。私は手伝っただけよ」
「これは綺麗だなあ」
「七夕をこんな風にお祝いにしちゃうのは始めてね。楽しくなっちゃう」
『いただきま~す』
型崩れしてないそうめんは天の川のイメージ。
スライスしたオクラは星の形。スティック状に切ったキュウリとニンジンが美しく彩る。
縦に長く切った焼きなすびと玉子焼き。流れるような盛り付けはせつなのセンスだ。
メインディッシュの鮎は代表的な川のお魚。そして健康的なタンパク質。見た目や意味だけで
はなく、栄養のバランスも申し分ない。
もちろん味も美味しくてさっぱりしてて、大好評だった。
「お母さんのお願い事叶っちゃったわね」
「おかあさんのお願いって?」
「ラブの生まれた翌年の七夕にね、優しくて料理の上手な子に育ってほしいって書いたのよ」
「そんなこともあったね、料理ってところがおかあさんらしいなあ」
「だって、お料理は食べるのも作るのも大好きですもの」
楽しい家族の団欒。穏やかな気持ちで静かに聞いていたせつなを、あゆみが優しく抱き寄せた。
優しい手のひらから伝わる温もり。
大切な娘はあなたのことでもあるのよ。そう言っているのが感じられる。そっと目を閉じて体
を預けた。
「さあ、せつな。飾りつけ終わらせちゃおう」
「ええ、笹に結んでいけばいいのね」
おとうさんがもらってきてくれた笹に、折り紙で作っておいた飾りを付けていく。
あみかざりに、ふきながし、いちまいぼしに、ひしがたつづり。ちょうちんに――たんざく。
「後は短冊ね。これは――私は後にするわ。まだ決めてないの」
「たくさんありすぎて迷っちゃうとか?」
「どうかしらね。たくさんあるような。ひとつもないような」
願いはある、それは凄くたくさん。
私の願いは――――
チクリ――と胸が痛む。心の奥底から湧き上がる黒い感情。
それは寂しさ――それは乾き――それは欲望――それは渇望。
首を振って、その想いを飲み込んだ。得られる間は享受してもいい。だけど、自ら望むのはい
けないことに思えた。
自ら望み、願えば、私にも罰が下るような気がした。
「せつな、お星様が綺麗だよ。あれが天の川かな」
「本当ね。どれが織姫と彦星なのかしら?」
「あれだよ。わかるかい、天の川の中心に大きく光る二つの星があるだろう」
「三つあるわ。おとうさん」
「あたしも三つに見えるよ」
「左の一つは白鳥座のデネブだ。織姫と彦星を加えて、夏の大三角形と呼ばれているんだ」
「天の川を挟む二つがそうなのね」
「上が織姫で、下が彦星よ、せっちゃん。織姫の方から会いにくると言われてるの」
幸せに溺れ、成すべきことを見失って処罰された二人。だけど、引き離され、胸を焦がしなが
ら勤めに励む人生が正しいとも思えなかった。
今は――ゆっくり考えようと思う。そのための時間でもあるのだろう。
私は――間違えずに歩みたいと思う。今までが間違えだらけだったのだから。
「せつな、あたしは年に一度なんて嫌だからね。幸せは一緒にゲットするって決めてるんだよ」
「ええ――そうね。ずっと一緒に居られたらいいのにね」
こちらの気持ちを見透かしたかのようなラブの言葉。きっとラブは知っている。
私の迷いの――答えを。
それでも、自分で見つけなければならない気がした。
星空を見上げる。
どれが織姫と彦星か見失った。そう――織姫と彦星も無数の命の輝きの一つでしかない。
この世界には、ううん。色んな世界に無数の命があって、その全てが精一杯に輝き、幸せを求
めている。
なんだか、その全てがとても――愛しくなった。
「私の願い、決まったわ」
「えっ、なになに? あたしに見せて」
「恥ずかしいから嫌よ。見たらしばらく口きかないわよ」
「え~ひどいよ、せつなぁ」
「さっ、明日も学校よ。宿題と予習済ませるまで寝かさないんだから!」
「宿題だけでいいよ~。せつな、厳しいよ」
「「おとうさん、おかあさん、おやすみなさい」」
「おやすみなさい。ラブ、せっちゃん」
「おやすみ、夜更かしするんじゃないぞ」
ラブの手を引いて部屋に駆け上がっていくせつな。あゆみと圭太郎は嬉しそうに見送った。
少し前までは、誰かの手を自分から引いて行動するような子じゃなかった。
本当に、明るくなったと思う。
ラブとせつなの短冊を手ですくうようにして読んでみる。
七夕の短冊は、子の夢や願いを知る大事な意味もあった。
“みんなで幸せゲットできますように” ラブ
“みんなの願いが叶いますように” せつな
「二人とも良い子だな。双子みたいに同じことお願いして」
「違う……同じじゃないわ。――せっちゃんのお願いには、自分の幸せが入っていないの」
あゆみの表情に、悲しそうな影が差し込む。
ずいぶん明るくなった。自分から楽しいことを求めていくようになった。
だけど――変わってないんだ。
必要なら、あの子はいつでも自分の幸せを手放すことが出来る。――全く、惜しむことも無く。
そんな――覚悟なんていらないのよ、せっちゃん。
人は誰だって、まず一番最初に自分を幸せにしなくちゃいけないの。
他の誰より、自分は自分の味方でなきゃいけないの。自分を愛してなきゃいけないの。
圭太郎があゆみの肩を抱いた。
「焦ることはない、僕らは家族だ。ゆっくり伝えて行こう。そして、僕らの願いは決まったな」
「ええ――そうね」
“二人の娘が、幸せになれますように” 圭太郎・あゆみ
風に吹かれて、せつなの短冊が大きく揺れた。
どうか“みんなの願いが叶いますように”そう言っているかのようだった。
最終更新:2010年09月27日 23:36