避2-198

“母の日” 日頃のおかあさんの苦労を労り、その感謝を伝える日。
おかあさんが大好きだって、伝える日。


「いくよ、せつな」
「ええ!」
「せーの」

 チャリンチャリン

「「…………」」


情けない顔のラブ。きっと自分はもっと。
今日の日のことを知らなかったとはいえ、軽率だったと思う。

今日は母の日。プレゼントを一緒に買いに行こうと、ラブとお小遣いを持ち寄ったのだが……。


「たはは……この間の遊園地で遊びすぎたね」
「そうね。つい――乗り物以外にもあれこれ使っちゃったものね」


食事にデザート。おやつにお土産。お祭りの時みたいなゲームもあったり。誘惑には事欠かな
かった。
別に遊園地用にもらっていたお小遣いはあっという間に使い切り、気が付けば――という訳だ。


「まあ、悩んでいても仕方ないよ! 美希たんとブッキーに相談してみよう」
「美希とブッキーがどんなプレゼントを用意するのかは聞いてみたいわね」







美希とブッキーに連絡を取っていつもの公園で待ち合わせる。
間を置かずにやってきた二人に事情を説明する。


「なるほどね。それで今日はドーナツもドリンクも頼んでないわけね。わかったわよ。今日は
アタシがおごってあげる」
「やったー! 美希たん太っ腹! ――って、そうじゃなくて、プレゼントの相談にのってよ」

「冗談よ、おごるのは本当だけど。でも女の子に太っ腹はないわよ」
「要するに、予算に見合ったプレゼントを考えればいいのね」

美希はお店にも飾れそうな大き目の花束を買って、後はレストランを予約したんだって。
ブッキーはカーネーションの鉢植えと手製のパジャマを作ってプレゼントするらしい。
自作のパジャマのプレゼントはとてもいい考えだと思えた。
でも今からでは間に合うとも思えないし、そもそもそんな技術も無かった。参考にするのは来
年以降になるだろう。


「無理に何か買わなくても、親孝行とかでもいいんじゃない?」
「わたしは、やっぱりカーネーションがいいと思う。ありきたりって思われるかもしれないけ
ど、大切な意味があるのよ」


カーネーションは、十字架にかけられたキリストを見送った聖母マリアの涙の後に生じた花、
という言い伝えがあるらしい。
花言葉は色によっても違うが、どれも“愛”の意味を含むもので、大切な母親に贈る花として
最適なのだそうだ。


「決まりだね。カーネーションを買えるだけ買って、後は夕ご飯作ったり肩もんだり、色々や
ってみるよ。ね、せつな!」
「え……ええ、そうね。そうする。ありがとう。美希、ブッキー」


二人にお礼を言って別れ、花屋さんに寄ってカーネーションを買った。

ラブはピンクのカーネーション。せつなは赤いカーネーションをそれぞれ束にしてもらう。
ピンクの花言葉は“熱愛”。ラブにピッタリのイメージかもしれない。
せつなが選んだ赤色は“愛を信じる”という意味があるらしい。
行き場の無かった自分に無償の愛を注ぎ、信じさせてくれた人。それがおかあさんだった、と
せつなは思う。
大切な意味を持つ花束を大事に抱える。

それでも――何か足りない気がした。
このままでは、いけないような気がした。







「「おかあさん、いつもありがとう!!」」


家に帰って、おかあさんと向き合う。手に持った花束を渡す。まずはラブから。
凄く嬉しそうなおかあさんの笑顔に少し安心する。
次は私。何か――気持ちを伝えたかった。でも、結局何も言えずに手渡した。

おかあさんもお礼を言って、ラブと一緒に抱きしめてくれた。
何度目かの抱擁。おかあさんの温もり。

とても嬉しくて、そして、少し落ち着かなくて不安な気持ちにもなる。
愛されているのはわかっている。でも――私はこれ以上踏み込んでは、いけないんじゃないか
って。



「今日はお掃除もお料理も後片付けも、ぜーんぶあたしたちでやるからゆっくりしてね」
「私、精一杯がんばるわ」

「あらあら、それじゃあお言葉に甘えようかしら」

お買い物袋を片付る。ラブと手分けしてお掃除する。食材の中から作れそうなメニューを選ん
で調理に取りかかる。
当たり前に使ってるエプロン。お茶碗にお箸。私のために買い揃えた日用品の数々。
今作ってるお料理だって、おかあさんから教わったものだ。

あの時、おかあさんが私を受け入れてくれなかったら――私はどうなっていただろう。
おかあさんの励ましと愛情がなければ――私はどうなっていただろう。



夕ご飯の後、おかあさんの肩を揉んだ。言葉にできない想いを、どうにかして伝えたかった。

でも――

これじゃ――ダメ。――楽しいもの。

お料理だって、お掃除だって、全部楽しいもの。

こんなものじゃ伝えられない。私が――どれだけおかあさんに感謝してるかなんて。


「何か、話したいことがあるんでしょ。せっちゃん」


おかあさんはお見通しだった。慎重に言葉を選びながら伝える。

今日はおかあさんに、感謝の気持ちを伝える日。
精一杯の気持ちを伝えて、ささやかでいいから何かお礼をしたい。
でも、上手く伝えられない。ありがとうなんて一言で、収めきれるような想いじゃないもの。
心を込めて聞く。私に何が出来るのか。私が何をしたら――おかあさんは一番嬉しいのかって。


「何もお願いしなくても、せっちゃんはいつでもわたしの一番の望みを叶えてくれてるわ。
それでも、どうしてもって言うなら――わがままが聞きたいかも」


“わがまま”

自分勝手な振る舞い、行動や発言。

びっくりして、耳を疑う。
そんなものがお礼になるなんて聞いたことが無い。
疑問に思って尋ねてみた。おかあさんは笑って答える。

それでも――子供のわがままを聞いてあげるのも、親の喜びの一つなんだって。







感謝の気持ちを伝えたいだけなのに、喜んで欲しいだけなのに、どうして私がわがままを言う
話になるのかしら。
途方にくれて、ラブの部屋に行って相談してみた。

「あたしも聞いたことがあるよ。子供のわがままは可愛いって。子供のわがままはね、親への
無垢な信頼から生まれるからなんだって」
「ラブも、わがままを言うの?」

「昔は言ったよ。疲れたからおんぶしてとか、ぬいぐるみ買って、とか。ああ、これは今でも
言ってるか……」

「そんなものが嬉しいなんて、やっぱりわからないわ」
「簡単だよ!」

「大好きな人が笑顔になったら嬉しいよね。頼ってもらえたら嬉しいよね。おかあさんは、自
分の手で笑顔になったせつなが見たいんだと思うよ」


ラブにお礼を言って部屋に戻った。一人でゆっくり考えてみたかった。
おかあさんの言葉に納得はいった。でも、どんなわがままを言えばいいのか見当も付かない。

自分の胸の内に問いかける。

普段は抑えている想い。口にすることのはばかられる望み。
それは、本当はとても激しくて苦しいもの。衝動となるほどの願望。渇きを伴った渇望。
この家に来るまで、生まれ変わるまで、わたしを支配して突き動かしていたもの。

それを本当に口にしていいのか。これ以上何かを望んでいいのか躊躇われる。
でも、きっとそれこそがおかあさんの望んだことなんだろう。







まだ、眠るには少し早い時間だ。おとうさんとおかあさんは寝室でくつろいでいるだろう。
これはラブの提案。だからおかしくない。間違ってない。そう言い聞かせる。

手には愛用の枕。洗ったばかりのパジャマ。寝る前なのに、なぜか念入りに梳かした髪。
扉の前を何度かうろうろしてから、思い切ってノックした。


「いらっしゃい、せっちゃん。どうしたの」
「おかあさん――私――」

「わがまま――思いついたの?」
「私――甘えてみたい。一緒に寝てみたい。小さな子みたいに……一晩でいいから」

「ええ、わかったわ。今夜は一緒に寝ましょう」
「あり……がとう。おかあさん」


言えた。――声が震えたけど、なんとか言えた。
早鐘のように打ち続ける鼓動。顔はきっと、耳まで真っ赤に違いない。
言ったっきり、動けなくなった私の手を引いて、おかあさんが自分のベッドに招いた。


「それじゃあ、僕は隣の部屋で寝ることにするよ」
「ごめんなさい、おとうさん」

「なあに、その分父の日に期待するさ」
「さすがに――おとうさんと寝るのは恥ずかしいわ」
「それは僕も困る」


一緒に笑ったら少し気持ちが落ち着いた。
ラブの入れ知恵とは言え、こんな子供じみたお願いをしてる自分を不思議に思う。

同じ布団に入る。二人とも仰向けで距離も少し離れてる。それでも、十分にお互いの体温は伝
わる。
ラブ以外の人と一緒に眠るのは初めてだ。寝室を共にすること。それは相手に命を預けること
だと教わってきた。
心から信頼してる大人の人。おかあさんと呼ぶ大切な人。ラブと眠る時とはまた全然違う、不
思議な安心感に包まれる。


布団の中で、色んなお話をした。最初は当たり障りの無い学校の話や、美希とブッキーのお話
なんかを。
そのうち、小さな頃のお話を始めていた。

途中からおかあさんが泣き出した。話をやめようとすると続きをせがまれた。わたしの目頭も
だんだん熱くなる。
当時は――そんなに辛いなんて思わなかった。それが、あたりまえだったから。それこそが日
常だったから。
当時が辛いと思えるのは、それだけ今が幸せだから。そう伝えた。


「あなたは――これから、うんと幸せになりなさい」


強く抱きしめられた。大きな胸に顔を埋める。小さな子にそうするように、頭を優しく撫でら
れた。何度も――何度も。
おかあさんの気持ちが伝わってくる。親に甘えた記憶の無い私の子供時代を、少しでも埋めよ
うって。

今夜は特別な日。そう言い聞かせて素直に甘えた。いつの間にか涙が溢れてきて、子供のよう
に泣きじゃくった。



「おはよう! おかあさん」
「おはよう、せっちゃん」


気持ちの良い朝。すがすがしい目覚め。同じ布団で目を覚ました。いつの間にか眠ってしまっ
ていた。
どこまでが本当にあったことで、どこまでが夢だったのかわからなくなっていた。

でも、朝の挨拶の中にも感じられる確かな違い。また一つ深まった親子の絆。胸に温かな実感
として感じる。


ありがとう――――おかあさん。



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最終更新:2010年07月24日 18:28