み-217

「……なに………やってんの…?」


祈里はベッドに仰向けたまま、ラブはその下に尻餅を付いたまま嵐の後の凪のような
気だるさに身を任せていた時だった。
突然聞こえた呆然とした声に祈里とラブは飛び上がる。
ドアを開けて立ち尽くしているもう一人の幼馴染み。美希は信じられない物を見た衝撃に端正な顔を引きつらせていた。

思わず跳ね起きた祈里の乱れた胸元に美希の目が見開かれる。
ラブは中途半端に腰を浮かせ、その視線は慌ただしく宙を泳ぐ。
とっさに説得力のある言い訳が出る筈もなく二人は酸欠の金魚よろしく青ざめて口をパクパクさせるだけだった。


「何、やってんのよ…!」

美希のまなじりがつり上がり、握りしめた拳が震える。ゆらりと揺らめく焔が細い体を包んでいる。


「やっ…!違う、違うんだよ!」
「美希ちゃん、わたしが悪いのっ!ラブちゃんは何も…っ!」
「未遂…って言うか!まだ最後まではって言うか…その…」
「ちょっ、ラブちゃん!何言ってるの?!」
「いや、だからね!結局何もおかしな事にはね…」

「……だからっ!何がよっ!!」


震える美希の声にラブと祈里は思わず目を閉じ首を竦める。
叱られる。怒られる。ひょっとしたらひっぱたかれるか拳骨を落とされるか。
じ…っと身を固くし、来るべき衝撃に備えていた二人。
しかし暫くしても覚悟していた痛みはやって来ない。


「………もう…やだ………」


耳を通り抜けた弱々しい声。
訝しさを感じたラブと祈里恐る恐る目を開ける。


「…もお…やだ…。嫌よ。何なの……?何なのよ…これは…。ヤダ…ヤダよ。もうイヤ!……っ!」


ぺたんと座り込み、肩を落とす美希の姿。
さっきまでつり上がっていた目尻が下がり、瞼に膨れた雫が大粒の涙となって零れ落ちる。

両手の甲を瞼を当て、シクシクと泣き始める。
激昂するでも、怒りを抑えるでも無く、体の芯を砕かれてしまったように。
ひっくひっくと胸を上下させ、苛められた幼子のようなか細い声で泣きじゃくる美希。
長い付き合いの中、美希の泣き顔を見るのは初めてではない。
しかし、これは……


ラブと祈里は言葉が出ない。
心を折ってへたり込んでしまった美希なんて見た事が無かったから。
そして美希にそんな姿を晒させてしまったのは自分達の考え無しな行動なのだ。
怒鳴られて叩き倒された方が遥かにマシだった。


「…美希……」
「…美希ちゃん………」


声も掛けられず、触れる事も出来ずにおろおろと狼狽えるしかなかった二人はやっとの思いで名前を呼ぶ。
ピクリと美希の肩の震えが止まり、緩んでいた唇がきゅっと引き締まった。
涙を拭い、長く息をつく美希をただ身動ぎもせずに待っているしかなかった。


「………帰る。」


抑揚の無い口調でぼそっと呟くと美希はそのまま部屋を出て行こうとした。


「あっ…!待って、待ってよ美希たんっ、話聞いて!それに…せつなにはこの事は…」


言わないで欲しい。
そう懇願しながら腕を掴んで来たラブを美希は汚ない物に触れたかのように邪険に振り払った。
その瞬間の美希の瞳に宿った色。
幼馴染みの視線に滲む隠す気すらない冷えた侮蔑。
ラブはその視線に心臓を射抜かれ、よろめきながら後退る。


「せつなに言うな、ですって?馬鹿にしないでくれる?」
それに何を話すって言うのよ。
吐き捨てるように美希は言葉を投げつける。


「それはこっちの台詞よ。あんた達こそ分かってるの?言える訳ないじゃない!」
「…それは、そうだよ。言えないよ、こんなの。」
「ごめんなさい、美希ちゃん。わたし、これ以上せつなちゃんを傷付けたりは…」


項垂れる二人を見る美希の瞳はますます温度を下げて行った。
形良い唇を皮肉な角度に捻り、視線と同じくらい冷たい声を放つ。


「どうだかね。分かりゃしないわよ。あんた達にまともな判断力なんて残ってんの?」
ついさっきまでの痛々しい様子をかなぐり捨てた美希は女王の傲慢さを覗かせながら
棘の絡まる言葉を紡ぐ。


「いいじゃない。全部ぶちまけなさいよ。せつななら赦してくれるでしょ?」
「美希たん…っ!」
「どうせ黙ってなんかいられないわよ。罪悪感に耐えられずに。
どうにもならない事を我慢する気なんて最初からないんでしょ?」


ふん。と、顎を上げ祈里の姿をねめつける。
慌ててはだけた襟元を掻き合わせる祈里に軽く舌打ちさえしてみせた。


「あんた達はもう分かってんのよ。分かって甘えてる。せつなには何をしても良いと思ってんのよ。」


「そんな、美希ちゃん…。」
「違う!そんな事って…っ!」


「違わないわよ。」
せつなはどんなに痛め付けられても逃げなかった。
どんなに手酷く裏切っても赦してくれた。
だからせつなには何をしても大丈夫。せつなは四人でいる事を望んでる。
だから…


「せつなは赦してくれるわよ。自分が傷付くのには呆れるくらい無頓着なんだもの。」


でもアタシは許さないから。


「これ以上せつなに荷物を背負わせるような真似、しないわよね。」
あんた達が何考えてこんな真似してるかなんて聞きたくもないわ。
ただ、秘密にするならそれは墓場まで持って行きなさい。


お願いだからもうこれ以上失望させないで。


そんな呟きをため息と共に美希は置いて言った。


ドアが閉まり、階段を降りて行く音がする。
ラブと祈里の胸には美希の瞳と声が深く食い込み、爪を立てている。
それは血管を通して全身に巡り、体の内側から自分達の愚かさを責め立てているのを感じた。


「………どうしよう……わたし、どうしたら……」
祈里は唇まで色を無くし全身を戦慄かせていた。ラブは頭を掻き毟り、血の滲むほど爪を立てる。


「どうしようもないね……あたし達。」
「……うん…。」
「馬鹿過ぎる。あり得ないくらい、馬鹿……。」
「…ラブちゃんの所為じゃない…。」
「あああ、もうっ…!」


ラブは床に突っ伏し、額を擦り付ける。どうしてこんなに頭が悪いのか。
どうしようもない。馬鹿。あり得ない。そんな軽い言葉しか出て来ない。
違うのだ。美希に見せてしまった光景はそんな紙のように薄っぺらい言葉で表すべきじゃない。
美希のか細い泣き声が耳にこびり付いている。瞼の裏に涙を溜めた瞳がちらつく。
自分達の行為が食い荒らした美希の心。
ラブと祈里の居場所は美希の居場所でもある。
自分達の感情だけでめちゃめちゃに踏み荒らしていい訳があるはずない。
美希がどれほどその居場所を愛し、守ろうとしていたか。
ずっと見て来たのに。


美希が必死に繋ぎ止めていてくれてたのに。
四人がバラバラにならないように。
祈里が輪の中に居続けられるように。
ラブとせつなが安心して手を繋いでいられるように。
それなのに。


目の前に突き付けられるまで自覚していなかった。
美希を軽んじていた事に。




み-305
最終更新:2011年02月11日 18:12