アットウィキロゴ

み-382

 少女は歩く。
 ゆらゆらと木漏れ日の降り注ぐ、静かな森の中を。
 美しい黒髪を揺らして。物憂げな瞳で遠くを見据えて。

 森は好きじゃなかった。一人でいることをひしひしと感じるから。


 街に出たとたんに辺りに満ちる喧騒。
 威勢のいい掛け声。楽しそうな談笑に囲まれる。

 街は好きじゃなかった。自分だけ独りでいることを実感するから。


 目的の場所に着いて一息つく。
 朝の柔らかな日差し。広々とした空間。まばらに見かける人の姿。

 公園は好きじゃなかった。ひとりでいる人なんてほとんど見かけないから。


 でも――――ここには。


 四ツ葉町公園の野外広場。そこに目指す人物が居た。
 桃園ラブ。少女のただ一人の友達――――親友。

 笑顔は好きじゃなかった。決して、自分には向けられることがないから。

 だけど、ラブだけは違った。
 どんなに皆に振りまいていても、自分の姿を見つけたらきっと――――
 一番輝いた笑顔で振り向いてくれるから。

 日課となった公園の散歩。ダンスの練習の見学。
 でも……その日に見かけた光景は、なぜかいつもと違っていた。







 『翼をもがれた鳥(第三話)――――夢のまた夢――――』







 ミユキと呼ばれるコーチ。そして、桃園ラブ、青乃美希、山吹祈里。
 四人とも揃っているのに、なぜか一向に練習を開始しようとしない。
 なにやら、誰かを探しているようにも見えた。

 少女――――東 せつなは、怪訝に思い近づいて様子をうかがった。


「いたっ! せつなっ!」
「遅刻よ、せつな。連絡くらいしなさいよね!」
「せつなちゃん、何かあったの? 大丈夫?」

「えっ? 一体何なの?」
「さあ、みんなレッスン始めるわよ。ほら、せつなちゃんも急いで支度する!」


(遅刻? レッスン? それに、せつなちゃんって一体……)

 公園のトイレに押し込まれてジャージに着替えさせられる。あまりの強引さに、何の抵抗もできずに
 言いなりになってしまった。
 横一列に並ばされる。ダンスミュージックがスピーカーから流れ出し、ダンスが始まる。

(ちょっと待って! 意味がわからない。どうして私がダンスなんて! やったこともない。できるわけ
 ないわ!)

 そう言いかけた言葉を、ミユキと呼ばれる女性の眼光がさえぎった。
 力ある視線。期待と信頼と、そして強制。「やりなさい!」そう言っているようだった。

 音楽が始まっているのに、一人だけ踊ろうとしないせつなに気がつき、全員が動きを止める。
 叱られる、そう思って身構えた。ちょいどいい、言い返してこの場を離れよう。茶番に付き合わされ
 るのはまっぴらだと思った。
 しかし、せつなに向けられたのは抗議ではなく、心配と思いやりと優しさだった。


「大丈夫だよ、せつな。わかるところだけでいいから、あたしたちに合わせてみて」
「ラブに合わせたら下手になるわよ? アタシに合わせたら完璧よ! なんてね」
「いきなりごめんね。まずは踊る楽しさを知ってもらおうって、ラブちゃんが強引に」


 ラブがせつなの手を取って励ます。それだけなら理解は出来る。でも、青乃美希と山吹祈里まで――
 どうして?
 祈里はせつなの腕に軽く抱きついてきた。後ろに立った美希の手が肩に乗せられる。長い髪がせつな
 のほほをくすぐり、形容できない素敵な匂いに包まれた。

 この二人は――――ラブの親友で仲間。自分のことは疑っていた。怪訝に思って警戒していたはず。
 何かの罠なのだろうか?


「さあ! もう一度始めからよ。せつなちゃんもいいわね!」
『はいっ!!!!』


 命令慣れした声。決して強い語調ではないのに、つられてせつなまで返事をしてしまった。
 毒を食らわば~なんて諺を思い出した。わからないことから逃げ出すのは誇りが許さない。開き直っ
 て様子を探ることにした。

 ダンスはいつも見ていた。
 偵察の――――ためだ。他意は――――無い。
 音楽はいつもと同じもの。振り付けは頭に入っている。ミユキと呼ばれる女性の叱咤の声も、何度も
 聞いてきた。
 大事なのは呼吸を合わせること。全員で動きを一致させること。確かにそう言っていたはず。
 目付けと呼ばれる戦闘技術を駆使する。視野を扇状に広げていき、左右に立つ美希と祈里をなんとか
 視界に入れることができた。

 始めは動きについていくがやっとだった。音楽なんて耳に入れる余裕も無かった。しかし、やがて気
 がつく。
 本来、姿など見えるはずの無い四人を繋ぐ唯一の共通の情報、それが音楽であることに。
 生演奏ではない録音テープは、毎回寸分の狂いも無く一定のリズムを刻む。そこに動きを落とし込ん
 で行けばいいのだと。

 ミユキにしても、初心者であるせつなにいきなり一緒に躍らせる気は無かった。デタラメでいいから、
 とにかく一度踊る楽しさを体感させるのが目的だった。
 しかし、音楽を鳴らして数分でミユキの目つきが変わる。コンマ数秒遅れてはいるものの、信じられ
 ないことにせつなの振り付けは全て正確だった。
 細かい動きにぎこちなさはあるものの、動きもどんどんキレが良くなっていく。曲が三週目を回る頃
 には、遅れていたリズムまでもが他の三人と一致していた。






(これは――――なに?)

 ダンスの動きに徐々に身体が慣れていき、リズムに意識を大きく割かなくても踊れるようになった。
 その頃から、これまで経験したことのない気持ちが胸に湧き起こり、全身に広がっていく。
 訓練や戦闘ではない汗。無意味で効率の悪い運動。こんなものが――――なぜ――――

 気持ちいいと――――感じた。楽しいと――――感じた。嬉しいと――――感じた。

 ミユキの口からレッスンの終了が告げられる。それをがっかりしながら聞いている自分に驚いた。
 終わるのが――――惜しいと感じた。ずっと――――ずっと、もっと踊り続けていたいと感じた。


「お疲れさま、せつなっ! すっごかったよ」
「ホント、びっくりしたわよ。内緒で特訓してたんじゃないでしょうね」
「せつなちゃんなら出来るって、わたし、信じてた。でも予想以上だった」


 口々に賞賛の言葉を浴びせられる。お世辞ではない、心からの喜びの声。美希と祈里から伝わって
 くる、信頼と好意に満ちた振る舞いに動揺する。
 何があったのか未だに理解できない。ただ――――それを嬉しいと感じている自分がもっと理解でき
 なかった。


「お見事よ、せつなちゃん。これで次のダンス大会の目処はついたわね。これからの練習は厳しくなる
 から覚悟してね」
『はいっ! ありがとうございました』


(去っていくミユキに自然と頭を下げてしまった。何を――――やっているのだろうか、私は――――)


「よーし! 四つ葉になった新生クローバーで、今度こそ優勝ゲットだよ!」
「「「お~~~!!!」」」


 小さな声。控えめに挙げた拳。でも、確かに参加してしまった。そのことに気がついて顔を赤らめる。
 様子をうかがうと、優しそうな目でラブと美希と祈里が自分を見つめていた。
 くすぐったくて、居心地が悪くなって帰ろうと思った。しかし、先手を打たれてしまった。


「せつなのクローバー加入のお祝いに、ドーナツパーティーしようよ!」
「賛成!」
「いいね、やろうやろう!」

「待って! 私は入るなんて一言も……」


 右手と左手をそれぞれラブと美希に引っ張られる。背中を祈里に押される。
 何を言っても聞いてもらえない。もう――――なるようになれと、せつなは諦めた。不思議に口元は
 ほころんでいた。






 陽もずいぶん高く上り、日差しがきつくなる。
 カオルちゃんのお店のパラソルを広げてテーブルについた。ラブがドーナツと飲み物を買いに走った。

 ラブの居ない場所で美希と祈里と同じ時間を過ごす。たった数分でも、緊張で何時間にも長く感じら
 れた。
 でも、二人は何気なく話しかけてくる。嬉しそうに、楽しそうに、好意に満ちた表情で。
 もう、罠とは思えなかった。とにかく一生懸命に返事をした。何を話したのかは覚えていない。


「お待たせ! お昼だからかな、混んでて時間かかっちゃったよ」
「お帰り、ラブ。ありがとう!」
「ラブちゃん、おつかれさま」
「ありがとう……」


 せつなは、カラフルなトッピングのドーナツを口に運んだ。とても甘くて、運動した後の疲れた身体に
 染み渡る気がした。
 そして、渡されたオレンジジュースを口にしようとした時、美希の手が差し出された。


「そのドーナツは特に甘いから、ウーロン茶の方が合うわよ」
「えっ? でも、これは美希のドリンク……」


 最後まで言わないうちに、ストローを口に入れられた。びっくりしながらも一口飲んだ。美希が優し
 く微笑んだ。


「いいな~美希たん、せつなと間接キスだね。あたしのも飲む?」
「もう、ラブちゃんのはせつなちゃんと同じオレンジジュースでしょ」
「そっか、あはは」


 何が起きているのか、全然わからない。このままではラチがあかない。そう思って、せつなは思い切
 って尋ねた。


「どうして、美希と祈里は私に優しくするの?」

「どうしてって、お友達だからよ」
「うん、もっと仲良くなりたいからよ」


 答えになってなかった。どうしてそう思えるのかを知りたかったのだ。
 そして、ラブがとんでもないことを言い出した。


「いっそ、呼び方を変えてみようよ、せつな。美希たんとブッキーって! さあ、言って!」
「えっ、ちょっと待って、言えるわけないでしょ」

「大丈夫! 恥ずかしいのは最初だけだから」
「――――美希……た……。――――無理よ! 私、帰る!」

「まあまあ、せつな。アタシは美希でいいわよ。ブッキーなら言えるんじゃない?」
「無理しなくていいよ。でも、そう呼んでくれたら嬉しいかも」


 ラブに引っ掻き回されたせいだろうか、その後は少し肩の力を抜いて美希と祈里とも話せるようにな
 った。
 馴れ合うことに抵抗はあったが、気まずいのはもっと嫌だった。彼女たちのことを知って損は無い。
 そう自分に言い聞かせて積極的に会話に加わった。


「それで、美希はモデル、祈……ブッキーは獣医になりたいんでしょ。ダンスしてていいの?」
「もちろん、最終的にはアタシはトップモデルになるわ。でも、ダンスは良いステップになるはずよ」
「わたしも、獣医ってそんなに急がないから、勉強は続けながらもみんなとダンスもしてみたいの」

「せつなちゃんは、やっぱり占い師さんなの?」
「そっか、占い師だったわね。でも、それじゃ夢がもう叶っちゃってるじゃない」
「占いは仕事よ。なりたいとも楽しいとも思ってないわ」


 彼女たちの話を聞きださなくてはならない。自分のことを話しても意味はない。なのに――――自然
 に口が滑り出す。
 他人の不幸を聞き出すための調査でしかなかった占い。実は、それなりに楽しいこともあったんだと
 話していく内に気がついた。
 何より――――ラブと出会うことが出来た。
 生まれて初めて、好意を向けられることの喜びを知ることが出来た。


「ダンサーになろうよ、せつなっ! 歌って踊れる占い師。全然ありだって!」
「そうね。それって、凄く素敵かも」
「せつなちゃんスタイルいいし、綺麗だし、神秘的だし、人気出ると思う」

「私は……ダンサーなんて……」

「ねえ、せつな。前に聞いたよね。せつなの幸せは何?」

「えっ?」

「良かったら、一緒にダンサーになろうよ! 美希たんとブッキーとはいつか別の道に分かれるけど。
 せつなとなら――ずっと一緒に……だめ、かな?」


 真剣な表情で、まっすぐにラブの瞳がせつなの瞳を見つめる。言葉だけではなく、わずかなサインも
 見逃すまいとするかのように。

 心を直接ラブに掴まれたような衝撃を受けた。激しく鼓動が高鳴る。
 もし――――本当にそんなことができたら――――どんなに……。
 胸のペンダントをそっと手繰り寄せた。
 緑色にきらめく四つ葉のクローバーのペンダント。ラブとせつなを繋ぐ親友の証。せつなの幸せを願
 い、送られた幸せの元。


「ラブ――――私……。私は……」


 形にならない気持ちを伝えようと懸命に言葉を探す。勇気を振り絞るべく、固く、固く、ペンダントを
 握り締めた。


 そして――――



 砕け散った。














「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」


 イースはベッドから飛び起きた。荒い呼吸を懸命に整える。全身が汗だくだった。
 まだ薄暗い、早朝と言っていいくらいの時間なのだろう。
 身体のあちこちが痛かった。でも、疲れは随分取れていたように思えた。

 イースの姿で眠ってしまっていたことに気がつく。身体に負担のかかるこの姿よりは、解除してから
 休むべきだった。
 布団も被らず、ベッドを斜めに使い、片足を半分はみ出すようにして寝ていた。我ながらみっともない
 と反省する。

(今のは――――夢?)

 砕けたペンダントは?
 手を開いて確かめる。そこにあったのはペンダントではなく、ウエスターから奪ったパワーストーン
 だった。
 足元が崩れ、落下するような感覚に襲われる。胸が強く締め付けられ、ぽっかりと心に穴が開くよう
 な感傷に包まれる。
 知っている。これは――――喪失感。


「ふふふ……はははは――――」


 何にショックを受けていると言うのだ。

 全て――――自分のやったことではないか。
 わざわざラブの目の前でペンダントを砕いたのも。
 ラブを倒すために、ウエスターのパワーストーンを自分のものにしたのも。
 全て――――自分が決めて行ったことではないか。


 もう――――認めよう。
 自分は……自分の中に芽生えたせつなの人格は、ラブに憧れていたことを。
 ラブに友情を感じ、ラブをうらやましいと感じ、ともに歩みたいと感じていたことを。


 今見た夢こそが、自分の願望なのだろう。
 いや――――違う!
 自分の中に芽生えた、東 せつなという少女の願望。


 せつなとは夢。
 この世界に深く関わり、ラブと親しくなりすぎたために生まれた夢。
 今の夢は、イースの夢の人格である、せつなが見た夢なのだろう。



“夢のまた夢”



 それはこの世界の諺で、決して叶わない願望を意味するという。

 構うものか! もともと違う世界の、自分には関わりの無い事なのだから。


「我が名はイース! ラビリンス総統メビウス様が僕!!」


 さようなら……ラブ。


 そして、さようなら。


 ――――東 せつな。




 イースは最後の決戦に挑むべく、静かに部屋を発った。



み-397
最終更新:2010年11月12日 21:42