「ねぇ、いるんでしょう?」
柱からあたしの予想していた通りの人物が姿を現した。
「よく、わかったね」
「暗い所にいると神経が研ぎ澄まされるみたい」
サウラーはゆっくり格子の前に歩いて来る。
引きこもり癖のあるこの男との接触はウエスター以上に珍しい。
「世間話でもしようと思ってね」
「前置きはいいわ。イースのことでしょう?」
「つれないねぇ」
サウラーは微笑んだ。あたしが今まで見た中で一番信用できない笑みかもしれない。
「イースを助けたくてね。死なせるのは惜しい」
ウエスターに感じた違和感の正体がようやくわかった。
彼もイースを死なせたくないのだ。
イース、ウエスター、サウラー
あたしが知る限り彼等の関係は良好ではなかった。
お互いの存在を意識しつつ、決して交わることはない。
家族でも、友達でも、恋人でもないただの同僚。
あまりに淡泊で仲間意識すらないのではと感じたこともあった。
しかし実際は、
彼等はあたしより仲間を大事に思っている。
あたしは、死にそうになっている友達で幼なじみで親友の彼女達を見捨てたのだ。
最後は視界にすら入っていなかった。
「助ける方法がある」
「どんな?」
「この館はね、メビウス様の監視外なんだよ。まぁ、プライバシーってやつ」
「あたしの存在は秘密だったってこと?」
「君のその賢さは嫌いじゃない。あの馬鹿と違って話がしやすいからね」
あたしは立ち上がり、話を聞くために格子のぎりぎりまで近づいた。
鏡の中には世界が広がっているの――――
何時だっただろうか。
部屋の姿見を見ながら美希がそんなことを呟いた。
『鏡の国のアリス』がね、小さい頃から好きだったんだ
私が部屋にいない時、町にでている時に本を読みたいと彼女が言った。
サウラーがいない時を見計らい書斎に行くと、彼女は最初にその本を手にした。
内容を知ってるなら時間は潰せないというと、少し考えて四、五冊の本を選んでいた。
ボーン
午前六時、目覚めは意外にもすっきりしていた。
このベッドは安眠だけは約束してくれる。
最後くらい、このベッドで寝かせてあげればよかっただろうか。
そんな考えが頭をよぎり、私は苦笑した。
情がうつってはいけなかった。
彼女は敵で、奴隷で。
最初はいつでも殺れるつもりで側に置いた。プリキュアとしての彼女を。
脅える彼女は全ての要求に答えた。
泣きながら、震えながら。
そして、あの日がくる。
むせ返る熱気に、流石に私もくらくらする。
蒼乃美希は長い髪を乱し、むせび泣いている。
「ふふ、貫通した……」
自分でもわかるほど私は陶酔している。
ぐちゅり
ゆっくりと指を抜いたのに、美希は小さく悲鳴をあげた。
白い指にはねっとりと液体がついている。
「わかる?血がついてる」
わざと彼女の目の前に手をかざす。私の手は彼女の愛液と真っ赤な血で染められている。
人形のようだった。
涙を流し続ける人形。
彼女が目を閉じれば、瞳から大粒の涙がこぼれた。
濡れた右手を彼女の口に突っ込んだ。
「嘗めて」
珍しく躊躇しているようだった。彼女が私に逆らったことはない。
舌を撫でるとようやく指を嘗め始めた。
私は指をそのままにキスをする。
いつもとは違う味。
指を抜けば、もう赤色は無くなっている。美希は茫然と私の指を見ていた。
何度か抱いたはずなのに、この時初めて私だけのモノになった気がした。
少しだけ、本当に少しだけ自分にない器官を羨んだ。
この日だけは行為の後にシャワーを浴びさせた。流れる血が脚すら汚したから。
「はぁ」
少し目を離したら彼女は消えていた。余程切羽詰まっていたのか、髪を乾かさなかったのだろう。床に水滴が残っている。
追っていくとすぐに場所を突き止めることができた。
近づくにつれガンガンと不快な音が大きくなる。
「なんで、開かないのよぉ。なんでっ」
探し人は涙声で玄関の扉を叩き続けていた。
「諦めなさい」
糸が切れたマリオネットのように、美希はくたりと膝をついた。
私の心には支配欲と独占欲が渦巻いている。
逃がす気なんてなかった。
その日から彼女は変わった。
進んで快楽を受け入れ、黙って私に奉仕する。
そして、時が経つにつれ彼女なりに私との付き合い方を学んだらしい。
反抗とは違う意思表示で、私の興味をあきさせなかった。
「奴隷から、ペットぐらいにはなったのかしら……」
誰に言うでもなく自分に呟く。
大きく深呼吸して、広すぎるベッドを降りた。
朝ごはんを食べにリビングに行くと、既にウエスターがご飯を食べていた。
軽く挨拶を交わし、冷蔵庫を開ける。
フットワークの軽い彼が買ってきた菓子パンを食べようと思ったが、止めた。
牛乳とシリアルを持ってテーブルに着く。
「サウラーは?」
「さあな。まだ寝てるんじゃないか……なぁ、イース」
「最後の朝食ね」
ウエスターは黙った。
私は皿に牛乳をそそぐ。
まずくも美味しくもない。
「必死に食べてた……」
「ん?」
「何でもない」
まだ固さの残るソレをゆっくり口に運んだ。
「これ……」
美希は涙目になっている。
プライドの高そうな彼女だから尚更、屈辱なんだろう。
でも、空腹には耐えられないはずだ。昨日から何も口にしていないのだから。
「食べていいわよ。手を使わないでね」
彼女はひざまづき、手を突き、頭を下げる。
「とまってちゃ、食べれないっでしょっ」
びちゃりと牛乳が飛び散った。
頭を押さえた脚をどけると、顔中シリアルと牛乳だらけの彼女はゆっくりと起き上がった。
「食べなさい」
ようやく自分の意思でシリアルを食べだした。
顔が汚れるのも気にせず。
今度は皿に脚を突っ込む。大皿に入れたかいがあった。
ぐちゅぐちゅと踏み付けるその横で、美希は泣きながら食べ続けた。
「ごちそうさま」
「イース」
ウエスターがもう一度私に話しかける。今度は聞いてあげようと思った。
「何?」
「生きたいか?」
「可能ならね」
くだらないと私はリビングを後にした。
向かうのはいつもの場所。
FUKO集めだったり、プリキュアとの戦い、占いの仕事以外の日は時間がずれたりもするが行かない日はない。
「イース」
廊下の途中で呼びとめられる。
振り返ればいつものように陰気な雰囲気をかもし出すサウラーが立っていた。
「何か用?」
「今日はライブがあるようだ」
「だから?」
「最後くらい、メビウス様にいいとこを見せたらどうだい?人が大勢集まるしFUKO集めにはちょうどいい」
メビウス様への忠誠は忘れたことがない。
そうだ。
私がメビウス様に遣えるのも今日が最後。
「僕も行くつもり」
「そう」
私は方向転換する。
玄関へ向かうために。
サウラーが少し後ろからついて来る。
玄関でウエスターが待っていた。
「あなたは?」
「彼は残るよ」
私の質問にサウラーが答える。
「行ってきます」
初めて、そう声をかけた。
「キャー」
「早く逃げろー」
逃げ惑う人々。
ナキサケーベは会場を破壊していく。
「う、ぐっ……ふふっ」
ナキサケーベの反動で身体が締め付けられる。
痛いのに、笑っている。
「いい感じだね。そろそろ来るよ」
サウラーは何しに来たのだろう。手を出すこともせず、ただ側にいる。
「イース!!」
「プリキュア」
彼女たちはあの一件以来強くなった。
あの時、戦闘も不慣れなうちにとどめを刺すべきだったのかもしれない。
気まぐれな行動を取ったことに後悔はしていないけれど。
「いい加減にして!ベリーを、美希を返して」
「美希ちゃんは無事なの?」
「今日で、終わりよ」
「「え?」」
「イース……?」
サウラーが不審な顔をする。
今日で終わりだから
美希は解放するつもりだ
私のモノは私だけのモノだから
彼等に渡すつもりもない
二人のプリキュアは攻撃をかわされても、諦めずにナキサケーベに立ち向かう。
「っ、ぐっあああああ」
痛みが増す。
私だって負けるわけにはいかない。
「はぁはぁ、くっ、まだ」
長引く戦い。私の体力はどんどん削られていく。
どうせ死ぬのだから、残る体力なんて気にしても仕方ないのかもしれないけど。
「プリキュアーーー!!っな」
特攻しようとした私を止めたのはサウラーだった。
弱っている身体では抵抗すらままならない。
「ここまで。ここで死なれたら困る」
プリキュアたちはその一瞬を見逃さなかった。
ナキサケーベは倒される。
「がっ、あ」
身体中を駆け巡る痛みに意識が遠のく。
遥か遠くから、サウラーの声が聞こえてくる。
「おやすみ」
「プリキュア!」
目が覚めた時、身体中が悲鳴をあげていた。
見慣れたものが視界に入る。
ここは私の部屋だ。
きっとサウラーが連れ帰ったのだろう。
大分寝ていたようだ。窓の外は朱く染まり、太陽が沈もうとしている。
私は急いで時間を確認する。
ああ、もう時間がない。
ベッドから飛び起きて、部屋を出る。
どうしても、会わないといけない気がした。
会って話したいことがある。
地下室は薄暗い。
もう何度も足を踏み入れているから、戸惑うことはない。
最期に、死ぬ前に会いたいと思ったのが彼女とは、本当に笑いぐさだ。
私はメビウス様の為に存在している。
だからメビウス様の為なら死すら受け入れる。
それでも………
怖かった。
私は一人で死んでいく。
彼女の瞳には私がいた。
美希は私を必要とした。
ただそれだけが、嬉しかった。
「美希……?」
目が暗闇に慣れてきた。
いつもとは違う違和感に心がざわつく。
「美希」
先ほどよりも大きな声で呼ぶ。
返事はない。
「いない……の?」
目的の牢屋の前で立ち止まる。
中には誰もいなかった。
鍵は開いている。
逃げた……?
でもどうやって。
混乱する思考を遮ったのは鐘の音だった。
ボーン
これで………私は……。
心を無に、真っさらにしようと頑張るが、上手くいかない。
そうこうしている内に自分が死んでないことに気づく。
「生き……てる?どして……」
あの手紙は嘘だったのだろうか。いや、そんなことはない。
メビウス様もクラウスも冗談が通じる相手ではない。
「美希……は?」
私は走った。
「あなたの部屋よ」
私が案内したのは地下室だった。
美希はきゅっと唇を結んで、牢屋を睨みつけていた。
ヒールを履いた私より背の高い彼女を後ろから抱きしめ肩に顎を乗せる。
ふわりといい匂いに包まれた。
「覚悟してね」
耳を甘噛みすると、びくりと彼女が震える。愉しくて仕方がない。
綺麗な綺麗な玩具を手に入れた。
「イース」
牢屋に美希を入れ、鍵を閉めていると呼び止められた。
「いつ来てくれるの?」
「朝には来るわ」
彼女は安堵したようで、格子から手を離した。
プリキュアはこんなに弱かったのかと驚いた。変身をとけばなんてことはない、普通の女の子だ。
私は静かな地下室からそっと出た。
地下室を出て、二人を探す。
美希一人であの場所から出ることは不可能に近い。
だとしたら、この館にいる二人が何かをしたと考えるのが普通だ。
嫌な予感がする。
死ななかった自分。消えた美希。
リビングの扉を開けると、珍しく二人揃ってそこにいた。
「どういうこと?」
上がった息を整えるのに十数えた。その間二人は一言も発さなかった。
「よかった。生きてたんだな」
「ウエスター、ど……して?」
「僕らは君に死んで欲しくなかったから」
角砂糖がコップから溢れている紅茶を飲みながらサウラーは言った。
私は、彼らのことを勘違いしていたのかもしれない。
「美希は、どこ?」
今一番聞きたい事を質問した。
「解放した」
サウラーは私に視線を合わせないまま。
「どういうこと?」
胸がざわつく。
良いように受け取ることが出来ない。ウエスターも俯き私を見ない。
サウラーがカップを置き立ち上がった。
「メビウス様に君の手柄として差し出した」
「なっ、じゃあ美希は……」
足元がふらつく。
「ふざけるなああああぁぁ」
サウラーの胸倉を掴み自分でも驚くほどの声がでた。
「心外だな。君はそのお陰で助かった。蒼乃美希はそれほど大切だったのかい?」
君の玩具だろう
サウラーの言葉が頭に響く。
彼女は私の―――。
「どこいくの?」
「うるさいっ!」
「イース!」
ばたんっ!!!
「おい!どうするんだ」
「ふーん」
サウラーはまた紅茶に手を伸ばし、本を開いた。
「大事だったんだね」
「…………美希のことか」
「どう思う?君はイースが好きだしね」
サウラーは横目でちらりとウエスターの様子を伺う。
「お前」
「二人がやってるところ見たんだろ。蒼乃美希が憎い?どっちにしろ君は僕と共犯だ」
サウラーの言葉に嘘はない。
「くっ、イースの所へ行ってくる」
ウエスターは足早にリビングを出た。
「美希には近づかないで」
ある日突然、イースがプリキュアを連れてきた。
蒼い髪の女。キュアベリー、蒼乃美希。
二人の間にどんなきっかけがあったのかは知らない。
彼女の姿を見ることはほとんどなかった。地下とイースの部屋を行き来していて、イースも部屋に篭ることが増えた。
一度だけ二人の情事を目の当たりにしたことがある。
サウラーが外出し、館には三人だけ。その日はたまたま書斎でサウラーに頼まれた本を探していた。
暫くすると、人が入ってくる気配を感じる。
イースだろうと思った。ここは普段イースとサウラーしか入らない。
「大丈夫よ。サウラーは外出してるわ」
イースは誰かと話している。美希と二人イースの部屋以外にいるのは珍しい。
彼女は極端に美希と俺達が接触するのを嫌うから出ていこうか迷う。しかし、出口に行くには二人と顔を合わせなければいけない。
そのうち出ていくだろうと思いなるべく静かに行動する。幸い棚が並んでいて二人が奥に来ない限り顔を合わせることはない。
それが間違いだった。
「も……だめ……」
「だめじゃないわ」
最初は何をしているのかわからなかった。だが、耳を澄ませばよくわかる。
衣擦れ、机の軋む音、微かに聞こえる乱れた呼吸。
俺は二人のソレがすむまで、ずっと息を殺すことしかできなかった。
イライラする。
落ち着かない。
勝手に事が進んで、何もわからない。
落ち着こうと常備していたペットボトルを手にする。
ふと、ベッドサイドの数冊の本が視界に入った。
「鏡の国……か」
鏡の国のアリス。彼女は定期的に本を変えても、この本だけはずっと手元に置いていた。
何故そんなに好きなのか尋ねたら、ただ笑って、子供の頃は鏡の国に行けると夢見てたからと答えた。
「イース」
イースは椅子に座り頭を抱えている。怒っているというよりはまいっているように見えた。
「わからないの……」
「イース?」
「私はメビウス様の為に、メビウス様に使えていて……」
「ああ」
「プリキュアは敵なのに……美希が」
最後は、泣きそうな声だった。
「行くぞ!」
「どこへ?」
イースの手を取り、歩き出す。
「助けないと後悔するだろう」
自分が何をしているのか、考えたくはない。今からメビウス様に背こうとしているのだから。
手袋をしているイースから温もりは感じない。それでも繋いだ手からぎゅっと握りかえしてくる感触があった気がした。
「朗報だよ」
廊下の途中にサウラーが立っている。
「サウラー?」
「彼女はメビウス様の所じゃない」
「どこにいるの?」
語気を荒げた私に落ち着くようウエスターが肩に手を置いた。
「僕も計算外だったよ。選択肢が急に増えたのさ……ある意味メビウス様に差し出すより悪い方向に向かっているかもね」
サウラーは淡々と話す。
私はゆっくりと息を吸い、吐いた。
「ご機嫌いかが、お姫様」
ラビリンスの人々のメビウスに対する忠誠心はどういう基準なんだろう。イース、ウエスター、サウラーを見ていても浅くはない。
けれど、今だあたしの存在はメビウスには知られていないのだ。
それは、イースたちがあたしの存在を隠したから。
そして、目の前で笑う彼女があたしを閉じ込めたから。
「最低よ。こんなんじゃせっかくのベッドが台なしね」
ジャラと鎖を彼女に見せつける。手と足に巻き付けられた錠は全然取れそうにないのから、動くたび鎖が音をたてる。
「それは難儀ね」
綺麗な人なのに蛇のようにねっとりとした視線が気持ち悪さを覚える。
「美希」
名前を呼ばれるのが不快でたまらない。
「私のモノになりなさい」
どこかで聞いたことのある台詞に笑いが込み上げる。
あたしは彼女からは解放され、今は自由なのだろうか。
結局は、その不確かな自由さえも、今摘み取られようとしているけど。
イースもなかなかの女王様だったけれど、ノーザは本物のようだ。
あたしには第六感は無いはずなのに、得体の知れない何かに死ぬことより恐怖を感じているかもしれない。
あの時みたいに、泣きじゃくりはしないけれど。
「どうする?キュアベリー」
「その名前で呼ばないで」
あたしはイースを助けたかった。サウラーの計画を聞いたとき、自分の処遇は覚悟した。
それは死を恐れていないこととは違う。
『イース』を中心に考えた結果だった。
計画はズレてしまったけど。
本当ならあたしの身柄はプリキュアという付加価値を付けてメビウスの所に行くはずが、彼女のもとにある。
サウラーと彼女の交渉の結果だった。
彼女、ノーザはイース達よりメビウスに近い存在らしくイースの生死を扱っていたのも彼女たちらしい。
サウラーとノーザで交わされた細かいことはわからないが、イースはきっと無事なのだろう。
よかった
と心から思った。
地球人なんて彼女たちにとっては非力な存在。
プリキュアとして力を手に入れてようやく対峙できる相手。
今のあたしにはプリキュアになる力もリンクルンすら手元にない。そういえば、アレは今イースの手元にあるのだろうか。
「なんで……あたしなの?」
「興味かしら」
あたしは気づかず口にしていたが、今の言葉はノーザに向けたものではない。
誰でもない、プリキュアとしてのあたしの運命への言葉。
「あたしに決める権利なんてないでしょう?」
彼女はニタリと笑った。
時間がない……
あたしに残された時間が。
少しでも『彼女』の為に状況を改善したかったのに。
やっぱりあたしはイースに依存していたのだろう。
自分のしたことは『彼女』の為にはならない。
それでも不思議と後悔はしていなかった。
最終更新:2011年03月30日 01:11