「あなたにひとつ忠告せねばならないことがある」

 歌舞伎町の一角、クラブ・バー。
 若くは背伸びしたい年頃の未成年から、老いたるは若さを失った事実を受け入れられない中年まで幅広く足を踏み入れては踊り明かす酒盛り処。

 このバーにはしかし、裏の顔がある。
 色街で店を持つのは簡単なことではない。 
 利権、勢力図、ありとあらゆるしがらみが雁字搦めに張り巡らされた日の沈まない魔境の街。
 その一角で老若男女を問わず客として吸い込んでは、知性をなくしたように踊らせてきたこの店。
 そのケツを持っているのは、年々強くなる取り締まりにも臆さず稼業を継続しているとある暴力団組織。つまるところの、極道であった。

 オーナーと癒着し、麻薬や"まだ"合法なドラッグ、果てには有名ブランドのコピー製品の卸売なども行っているまさに犯罪者達の巣穴。
 知っている者は当然、知っている。
 だからこの店には近づかない。
 けれど知らない者は、歓楽の気配に吸い寄せられて間抜け面でネギを背負ってやってくる。

 実態に気付いた時にはもう遅い。
 所持金だけで済むなら超幸運。
 銀行口座の中身全部で済んでも、まだ幸運の部類。
 最悪なら土地の権利書、家族の身柄に本人の臓器。
 そんなものまで残さず吸い上げられて、ゴミ同然に捨てられる。
 ここはそういう店なのだ。
 だからその男を見た時、知っている者は誰もが一様にこう思った。
 ああ、またバカなカモがネギを背負ってやってきた、と。

 言葉巧みに店の奥、秘密裏に行われる違法ギャンブルの賭場に誘い出して。
 そして勝負を引っ掛ける。もちろん、素人が勝てる仕組みにはなっていない。
 チンチロひとつでもダイスは巧妙なイカサマに支配されていて、百回やっても勝てる道理などありゃしない極悪極まりない処刑場。
 今日も、すべてがいつもの通りだった。
 その、筈だった。
 少なくとも、最初は。

「あなた達の土俵で勝負をしている時点で、何らかのイカサマが行われているリスクは承知している。
 それについてをとやかく言うつもりはないし、それくらいのハンデがなければ私もつまらん。
 なのでこれは良しとするが」

 ゲームはポーカー。
 カードには巧妙なマーキングがされ、ディーラーから他のプレイヤー達まで全員がグルなので万に一つもカモが運勝ちする可能性はない。

 だというのに、その男を含めて卓を囲む誰ひとり笑ってなどいなかった。
 ディーラー。勝負師の顔をしたサクラ達。
 そのどれもが、まるで何か化け物でも見るような顔で男を見つめ青ざめている。
 彼らの手元に、チップは一枚たりとも残っていない。
 ディーラーの元にさえ、一枚の通貨も見て取れない。
 それが、今この賭場でありえない事態が起こっていることを証明していた。
 カモが猟師の身ぐるみを剥がして食い尽くすという、起こるはずのない番狂わせが。

「引く客はよく見て選ぶのを薦める。
 そんなこともできないマヌケだから、あなた達はこんな目に遭っているのだ」

 ロイヤル・ストレート・フラッシュ。
 文句の付けようもない最高役。
 男がそれを出したのは、これで三度連続だった。

 賭場に怒号が響き渡る。
 痺れを切らしたディーラーが、吠えた。
 イカサマだ。ありえない。連れて行け。
 それに呼応して、事の成り行きを見守っていたケツモチの極道達が男に近付いていく。
 ちゃぶ台返しは胴元の特権だ。
 胴元に嫌われたギャンブラーは、勝とうが負けようが破滅するしかない。

「見る目がないのは悪徳だと、たった今そう伝えた筈だがな」

 男は深く、とても深くため息をついた。
 その瞬間だ。賭場に居合わせた、男以外の全員が。
 みな一斉に、息を呑んだ。


 何故、ここまで誰もそれに気付かなかった。
 何故、こんなにも分かりやすい"異常"を見落としていたのか。
 賭場の隅。そこに、異様なモノが立っている。

「ンフフ。葬者(カレ)の言う通りよ? アンタ達。
 一般人(カタギ)に負けてちゃぶ台返すのなんて極道(わたしたち)の十八番だけどォ――食い物にする相手は選ばなくっちゃ。
 逆に食われても、知らないわよぅ?」

 左右で、あらゆるカラーリングが反転していた。
 胸元を大きく開いた白衣と、形まで左右非対称の髪型。
 爬虫類を思わす長い舌をでろりと垂らして笑う顔は凶悪だが、そんなもの一々問題にしてはいられない。

 その男は、あまりにも。
 あまりにも、巨躯(デカ)かった。
 長いのだ、縦に。
 まるでそれは、そう。
 人間をふたり、縦に繋ぎ合わせたみたいに。
 白衣に浮かぶ奇妙奇怪な膨らみの位置が人体の一般的な構造とまるで一致していない。
 その巨体は、その風体は、ああまるで怪人のようで。
 いや――

 怪獣(モンスター)の、ようで。

「勘違いしているかもしれないが、私は賭場の色気に惹かれて足を踏み入れたマヌケな勝負師気取りとは違う。
 私は医者だ。よっていたずらに暴力を振るうことは主義に反する」

 怪獣を従えて、自称医者のギャンブラーが眼鏡を小さく指で動かした。
 その奥で光る眼光は冷静、怜悧の具現のようでありながら。
 しかし、明らかに常人のそれではない。
 据わっているだとか、狂っているだとか、そういうのではなく。
 単純に、見ている世界が違いすぎる。見ているモノが、違いすぎる。
 もはや素人目にも理解のできる威容を放ちながら、医者は次に口を動かした。
 怪獣ならぬ怪物が、静かに口角を緩めて。言った。


「素直に負債を払え。何、払い切れないのなら相談には乗ってやる。
 私への借金は様々な形で返済できるからな」


 ――冥界・東京都に伝わる真実(マジ)のお伽噺。
 裏社会で賭場(ギャンブル)かますと怪獣が来襲(く)る。

 裏カジノ、裏パチスロ店、更にはネットカジノに至るまで。
 あらゆる場所に、怪獣医は現れる。
 一度現れたならその過ぎ去った後には、多額の負債が残るのみ。
 無数の眼を宿した化け物だったとか。
 異常に体躯の巨躯(デカ)いオカマがいただとか。
 様々な尾ひれと共に語られる、現代日本は色街の怪獣伝説。
 死を糸に編まれた虚構の街に立ち上がる怪獣の威容は、確かな震撼を轟かせ続けていた。


◆◆



「ちょっと暴れすぎなんじゃないのォ? ヤクザ者は敵に回すと怖いわよ、葬者(マスター)?」
「問題ない。私はミスをしない。すべていずれ来る手術(オペ)に備えてのことだ」

 暗い、薄暗い、正式な認可など得ているとは到底思えない闇医者の診療所(ラボ)にて。
 二体の怪獣が、手術台を囲んで語らっていた。
 手術台の上には、彼らに喰われてすべてを失った患者が横たわって腹の中身を文字通り開け広げにしている。
 そこにメスを入れ、胃袋を開きながら、葬者たる百目鬼(どうめき)は白黒の怪獣医へ答えた。

「何をするにも先立つモノがなくては始まらない。
 人脈然り、金銭然り。私としても実に退屈な時間だったが、あなたの存在を知らしめるためにも極道のシノギを荒らすのは必要不可欠だった」
「まあ、儲かりはしたわねェ。両方とも」
「私が診療の合間を縫って手ずから赴いたのだ。そうであってくれなくては困る」

 結果的に、その本懐は過不足なく果たされたと言っていい。
 今のところ、すべてはこの医者の計算通りに進んでいた。

 東京の闇賭場を荒らし回り、多額の金銭を負債として搾取する。
 そして負債で立ち行かなくなったところに、"交渉"を行って支配する。
 ランサー……『怪獣医』という最強の極道を後ろ盾(ケツモチ)にして、影響力を強化し続けた。
 その結果、今では百や二百では利かない数の極道がランサーの影響下に置かれている。
 いつの世もそうだが、ならず者は強い者の影にいることに安心感を抱くものだ。
 ランサーの支配を煙たがって反旗を翻すどころか、その存在に依存し、喜んで働く者が今では大多数を占めている始末であった。

「連中の使いどころは私が指示するが、活かすか殺すかの判断はあなたに任せる。
 私は所詮ただの医者だ。餅は餅屋に任せるに限るからな」
「無欲な人ね、アナタって。そんなに頭がいいんだもの、自分で前に出て顎で使ってやればいいのに」
「性に合わん。私は好き好んで暴排法の締め付けを受けに行くようなマヌケ達と一緒にされたくない」
「あらやだ辛辣ゥ~。事実だからしょうがないけど」

 今や東京の極道で、怪獣医の名を知らない者はいない。
 そう言っても決して、過言ではなかった。
 ただでさえ社会に抑圧され、法に縛られ、孤独を味わい続けてきた極道達だ。
 彼らにとって二匹の怪獣はある種、閉塞した現実を破壊する救世主のようにさえ見えたのだろう。

「それに、戦争などという前時代的な催しに精を出すのは私も初めての経験だ。
 キープしておく手札(カード)は多い方がいいし、使える術式も然り。
 金と人。序盤戦を制するには恐らく、その両方を抱えておく必要性がある」
「序盤戦、ね。まるで遠からぬ内に、金だの人だの言ってられるステージは終わるみたいな言い方」
「逆に聞くが、都心を舞台にして行う戦争などというマヌケな趣向がいつまでも保つと思うか?
 調停役(ディーラー)でも出てくれば話は別だが、だとしても長続きするとは私には到底思えんが」
「いいえ? まったくの同感。じきにブッ壊れるでしょうねェ……いろいろ。ウフフ、厄介だけど少し楽しみ」

 彼らは、世界の脆さを知っている。
 社会とは、世界とは、よくできているように見えてまったくお粗末な砂上の楼閣なのだと知っていた。
 例えば、一部の異常者(ギャンブラー)の気まぐれで簡単に人命や人権が吹いて飛んだり。
 例えば、抑圧を超えて踏み出した孤独な者達の怒りが秩序を紙切れみたいにブチ壊したり。
 そういうことが起こり得る薄氷の積み木細工こそが、皆がこぞってありがたがる社会とやらの実像なのだと知っている。



 だからこそ彼らは、世界が長続きすることを端から想定に入れていない。
 冥界化の進行が完全に回るよりも早く、おそらくこの社会は破綻する。
 であれば、たかだか序盤のイニシアチブを握るために手駒を揃えて基盤を作ることは無駄だと思うだろうか。
 ならば彼らは、二匹の怪獣はこう言う。


 マヌケめ。逆だ、と。


「世界は既に末期状態(エンドステージ)だ。直に多臓器不全を起こす」
「ええ。だからこそ、QoL(クオリティ・オブ・ライフ)の確保が急務」
「世界が壊れるまでを如何にして過ごすか。そこでババを引くか、引かないか。これが来たる危篤の日において、必ず差になる」


 世界は壊れる。
 虚構の街という患者は必ず死ぬ。
 病は骨髄に入り、もう助けようはない。
 だからこそ準備が要るのだ。
 いずれ来る死を幸福に迎えられるのは、早期発見をして準備を重ねていた者の特権なのだから。

「我々は極道と麻薬で"死"を制する。そのためにはあなたの働きが必要だ、怪獣医(ドクター・モンスター)」
「ええ、承りましょう。何しろ得意分野だもの。一度やったことが二度できないだなんて、そんな無能ではないのよ私。
 ――その命令(オーダー)。しっかりこなさせていただくわ、Dr.村雨」

 村雨と呼ばれたこの医者は、あまりに優秀な闇医者(ドクター)だった。
 数多の極道を見てきたし、表裏を問わず数多の医者を見てきた怪獣医。
 その彼をして、太鼓判を押す。

 恐らくこと他者を観るということにおいて、自分はこの男以上に優れた人間を見たことがない。

 間違いなく、怪物。
 間違いなく、怪獣。
 百の眼を持つ、恐るべき鬼だ。
 否応なしに思い出させられるのは、かつてランサーが心酔したある極道者の顔だった。
 人の心が分からない。その一点において彼らは共通していた。
 空洞を飼い慣らすか、受け入れられずに腹を開くか。
 ふたりの違いはランサーの見る限りそこだけだ。奇縁もあったものだと、心底そう思わされる。

「時にだが、ランサー」
「あら。なぁに?」
「診断が確定するまであえて言及は避けていたが。実に素晴らしい肉体だな、あなたの"それ"は」
「……フフ。まあ、そりゃそうよねェ。アナタほどの医者が気付かないとも思えない。別に隠してたワケでもないケド」

 胃袋の中に根付いた腫瘍。
 その輪郭に添ってメスを這わせながら言った村雨に、ランサーは引き裂くような笑みを浮かべてみせた。




 ――常人の文字通り倍ほどにもなる、巨躯。
 ――白衣越しに浮かび上がる、人体の構造を無視した奇怪な輪郭。
 ――村雨という稀代の医者をもってしても、その全貌を読み解くのには時間を要した。


 何故か? 決まっている。
 こんなものは、本来あり得ないからだ。
 あらゆる道理、常識、そして倫理に背いている。
 医者と一口に言っても玉石混淆いろいろいるが、それでもこんな発想に至る者などまずいない。
 そう断言できる。少なくとも村雨は、迷わず断ぜられる。

 これは狂気の産物だ。
 だがだからこそ、常軌を逸して美しい。
 前例などあるはずもなく。
 構想を語っただけで、狂人の誹りは免れない。

「キレイでしょう。私の『驚軀凶骸(メルヴェイユ)』。私の人生、そのすべてを体現する怪獣躯体(モンスターボディ)」
「ああ。まったくもって素晴らしい。この卓越した技術の粋を介せない医者などいないと断言する」

 辛辣、冷徹を地で行く男でさえ断言する。
 これは、美しく。そして、掛け値なしに素晴らしい神業であると。
 同じ手術をしろと言われたとして、自分ではきっと逆立ちしたとて不可能だろう。
 そう認めて尚欠片の敗北感すら抱けないほどに、これは完成された一種の芸術品だった。
 医術を志した者であれば、これを見て何も思わないはずがない。
 これを認めずにいられるはずがない。
 だからこその驚軀凶骸(メルヴェイユ)。ひとりの男の、狂気の結晶。そしてふたりの兄弟の、絆の顛末。

「……繰田孔富。あなたは素晴らしい医者だ。
 私はこれまで同業者にこの手の言葉を吐いたことはないが、それを恥とも思わない。
 あなたは間違いなく稀代の名医(ゴッドハンド)だ。
 形はどうあれ同じ道を志した者として、率直に敬意を禁じ得ない」
「ウフフ。嬉しいわねェ――鉄面皮の不思議ちゃんに褒められるってとっても素敵。これだけでも現界した甲斐、あったわァ」

 村雨を知る者がもしこの場にいたなら、すわ槍でも降ってくるのかと身構えたことだろう。
 この男が、最悪を絵に書いたような医者である彼が、他人をこうまで褒めそやすなど滅多にあることではない。
 それこそ天地がひっくり返りでもしない限りはあり得ないと断ぜられる、それほどの異常事態である。

 その賞賛を受けた怪獣医――ランサーのサーヴァント。極道・繰田孔富はニヤニヤと破顔した。
 驚軀凶骸を成し遂げた名医、闇医者の神。
 人に生まれながら。間違いなく、恵まれた環境にありながら。
 それでも英雄ではなく、怪獣に憧れた男。
 誰もが認める名医から極道の闇医者に堕ちた、ある悲劇の主人公。
 それが、繰田孔富。百の眼を持つ医者/葬者に召喚された、サーヴァントであった。

 村雨は認める。いや、認めざるを得ない。
 自分に、驚軀凶骸(これ)は作れない。

 これを成し遂げるまでにどれほどの研鑽があったのか。
 そして、一体どれほどの執念があったのか。
 考えを及ぼしただけでも気が遠くなる。
 医者としての敗北宣言を承知で、作れないと言う他なかった。
 繰田孔富は素晴らしい医者だ。
 間違いなく、医を生業にする者のひとつの到達点だ。

「だが」

 そう理解し、認識し、称賛し、その上で。

「その"救済(りそう)"を除けば、だ」

 村雨は、腫瘍を切り離しながら孔富の願望に触れた。




「……ふぅ。上げて落とすにも程があるって感じねェ。私、アナタに話したことあったかしら?
 こっちは本格的に戦争が始まるまで、秘め事(ナイショ)にしておくつもりだったんだけど」
「見くびるな。私も医者だ。あなたという英霊の能力と、そしてその言動に滲む影。表情の機微。それを見れば、自ずと理解はできる」


 繰田孔富は、医者である。
 だがそれ以前に、極道である。
 社会に排斥され、運命に裏切られた孤独な者。
 故にその願いが、順当なものであるなどあり得ない。
 その思想が、世に理解されるものであるなどあり得ない。
 その思想、その根源。
 それを、村雨は既に見抜いていた。

「全人類を麻薬に漬けて幸せな夢の中で殺す。語るまでもない、論外だ。あなたは狂っている」
「――そうかしら。狂っているのはこの世界の方じゃない? 私はそう思うけどねェ」
「否定はしない。私や、"あの銀行"に集うマヌケ共を生むような世界がまともである筈はないからな。
 世界は皆病んでいる。救いようはなく、どんなに医療が発達しても根本の解決には到底なり得ない。
 そこは私も認めるところだが」

 この世に、救世主(メシア)はいない。
 救済(すくい)はなく、故に慈悲とは幻覚の中にしか存在しない。
 だからこそ麻薬を投与して中毒に陥らせ、夢を見せて幸福のままに死へ至らしめる。
 それこそが、孔富の理想。彼が率いた、救済なき医師団の求める最終到達点。
 そしてそれは、彼が英霊となった今でも変わっていない。
 そのことを承知の上で、村雨は一言で断じた。

「夢などというクソの値打ちもない幻影を指して救いと呼ぶほど、私は愚かにはなれん」

 ……手術室に、沈黙が流れる。
 それを破ったのは、怪獣の笑い声だった。
 くつくつと、引きつるような笑い声。
 それと共に紡ぎ出されたのは、問いであった。

「言うじゃない。アナタに私がどう見られてるのか気になってきちゃったわ」
「問いかけはそれでいいのか? ならば一言、答えてやる。
 背負う荷物の重さも分からなくなったマヌケだ。
 医者としてのあなたは考えるまでもなく偉大だが、一個人としてのあなたはどこまで行っても愚か者でしかない」
「……ンフフ。じゃあもうひとつ。ちょっとズルい質問だけれど、答えてくれる? Dr.村雨」

 繰田孔富は、救世主にあらず。
 その言葉は、その麻薬は、確かに多くの孤独な者達を導くだろう。
 だがそれだけだ。あらぬ方へと導くだけで、結局最期まで救えはしない。
 彼の求める理想の絵図も、夢に描く大海嘯も、決して例外ではなかった。
 だからこそ、村雨は医者である以前にひとりの人間として。 
 答えを求めて彷徨う求道者として、こうも辛辣にそれを否定するのだ。
 少なくとも、それが答えである筈などないと。
 マヌケの落伍者が抱く妄想に過ぎないと、そう断ずるのだ。



「――アナタなら、この病んだ世界をどう救う?」
「私も今、それを探している」

 怪獣が、問う。
 怪獣が、答える。

「……私の兄は実に偉大な人間だった。
 決して聡明ではないが人望があり、常に他人のことを考えながら"幸せ"に過ごしている」
「ステキなコトじゃない。それがどうしたのかしら?」
「私は兄の腹を開いた。兄の腹は、幸せとは縁遠い苦痛で満ちていた。
 この言葉の意味はあなたなら分かるだろう、繰田孔富。
 他人のために自らを犠牲にして尽くした人間の体内がどんな色を帯びているか、名医であったあなたなら」

 そう、世界は病んでいる。
 誰も彼も、幸せな顔をして病みを抱えている。
 なのにその病みを、矛盾を誰もが噛み殺して生きている。
 おぞましい苦痛と疲弊の渦、そこから時たまこぼれてくる沈殿物を指して"幸せ"と呼び。
 そのわずかな、本当にわずかな成果を得るために誰も彼もが自分を痛めつけ、そしてそれを立派と褒めそやして称える。
 その先にいつか訪れるだろう破綻など、一時のぬくもりを麻酔代わりに見ないふりをして。
 そうして、今日も世界は回っている。

「私は世界の正常を証明するために病みを暴き、世界が救われていることを確かめ続けている」
「…………お兄ちゃん。ね」
「感じ入るものがあるか? ……まあ、私もそこまで悪趣味ではない。これ以上は掘り下げないが」
「アラ。意外と優しいのねェDr.村雨は。……でも、そうね――つくづく奇縁だわ。
 私達の縁はてっきり他人の空似だけだと思っていたけれど、まさか"ソッチ"の方が本命の縁だったなんて、ね」

 かつて操を立てた、心酔した"極道の希望"に似ている男。
 人の心の分からない、空洞を隠して生きている男。
 だからこそ、縁(よすが)はそこにあると思っていた。
 だが違ったのだ。少なくとも、それだけではなかったのだ。

 恐らくは。
 自分達を真に結びつけた縁の形は、きっと――――――


「じゃあどうする。止めてみる? 私の救済(すくい)を」
「興味はない。そちらの世界でやるだけならば私は知らん。マヌケはマヌケで勝手にやっていろ」
「なぁんだ。じゃあ最初から角の立つようなコト言わなきゃいいのに」
「そこまでマヌケだったのか? 私もあなたと同じで医者を稼業にしている。
 目の前に患者がいるのなら、その腹を捌かずにはいられない」


 彼らは片割れ。
 共に、片割れ。
 血より深い絆で繋がれた家族に、その生き方を狂わされた男達。


「どの道最後に勝つのはこの私だ。
 私が聖杯を手にする前に、あなたはその複雑怪奇な腹の内を私の手術台でさらけ出せ」
「セクハラはやぁよ、Dr.村雨。――フフ。どうしてもって言うのなら、お得意の眼で暴いてみなさいな」


 悪魔のような。
 怪獣二匹。


◆◆



 彼らは怪獣。
 人の世界では生きられない、妄執に取り憑かれた怪物たち。

 共に、人を救うことを志していながら。
 どうしようもなく、人を破滅させることに長けている。
 故に"葬る者"。
 怪獣としてあるがままに人を破滅させ、死骸の山を歩いて患者を探すそういうモノ。
 百目鬼は、異形の獣を呼び寄せた。
 救済を謳う大海嘯の主を呼び、正義の味方(ネビュラマン)の敵たる驚軀凶骸(メルヴェイユ)を使役したのだ。

 救済の証明者にして葬者。
 医者にして、ギャンブラー。
 名を、村雨礼二。

 破壊の八極道、大海嘯の主。
 今はもう、ゴッドハンドに非ず。
 怪獣医、繰田孔富。

 半殺し(ハーフライフ)では収まらぬ皆殺し(ワンヘッド)。
 手術台の怪獣が、冥界という名の賭場に入場を果たした。



【CLASS】
 ランサー
【真名】
 繰田孔富@忍者と極道
【ステータス】
 筋力B 耐久A 敏捷A 魔力E 幸運D 宝具B+
【属性】
 混沌・悪

【クラススキル】
対魔力:D+
 一工程(シングルアクション)によるものを無効化する。魔力避けのアミュレット程度の対魔力。

【保有スキル】
外科手術:A
 マスター及び自己の治療が可能。
 医術が高度に発達した21世紀において、世界的名医とされたほどの腕前。
 既存の術式を用いた手術から、表の医者が生涯通じて見聞きすることもないような外道の手術に至るまで広くこなすことができる。
 その腕は、もはや神業と呼ぶにも値する。

薬物製造(違法):A
 薬物を製造する。ランサーの場合、麻薬を始めとする違法薬物の製造に秀でる。

孤独な者:A
 極道。
 ランサーは社会から排斥され、運命に見捨てられた者である。
 サーヴァントとして感知されず、発する魔力もごく小さいものとして認識される。
 後述する宝具を"服用(キメ)"た瞬間、このスキルの効果は薬効が切れるまで沈黙する。

救済のカリスマ:D++
 救済を求める者たちの声を聞き、それを導く資質。
 世界に深く絶望していればいるほど、ランサーの声は強くその胸を打つ。
 ただし、救世主(メシア)にはなることができない。



【宝具】
『驚軀凶骸(メルヴェイユ)』
ランク:B+ 種別:対人宝具 レンジ:1~10 最大捕捉:1~50
 ランサーの生涯最大にして、彼のあり方を怪獣(モンスター)へと決定づけた大手術。その成果たる、繋がれた肉体。
 ランサー自身の胴体に彼の兄の肉体を物理的に接合させた狂気の産物で、ランサーは四本の腕と常人の倍の身体能力・機能を持つ。
 人間の限界を超えた多角的な戦闘技法を用いる他、内臓の機能も倍なためそれを活かしたブレス攻撃などが可能。
 だが聖杯戦争におけるこの宝具の真価は、ランサーが"ふたりでひとつ"であるという点。
 魔術に対してやその他各種あらゆる抵抗判定において、ランサーの達成値は常に二倍として換算される。
 この特性により、彼は霊核ひとつの英霊ひとりという常識を完全に超越している。

『地獄への回数券(ヘルズ・クーポン)』
ランク:E 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:1
 ランサーが開発した奇跡の麻薬にして、極道が一方的に殺戮される時代に終わりを告げた最高傑作。
 服用者の身体能力を超人のレベルにまで引き上げる他、普通なら致命傷になるような大怪我でも数秒で回復させる異常な回復能力をもたらす。
 この麻薬をランサーは魔力消費で製造することが可能。
 基本的にサーヴァントが服用しても意味は得られないが、ごく一部の極めて身体能力の低いサーヴァントや、またランサー及び彼と孤独を共にした"極道"のサーヴァントだけは例外的に効果を得られる。
 ただ服用するだけでも高い強化作用を得られるが、これを二枚同時に服用した場合、更に爆発的な戦闘力を獲得することができる。
 反面デメリットとして二枚服用から五分後に確実に死、あるいは霊核の崩壊に至ってしまうが、ランサーは前述した第一宝具『驚軀凶骸』の特性上、これを無視する。その上で更なる強化の余地を残すなど、怪獣の躯体はこの宝具ときわめて親和性が高い。

【weapon】
 『驚軀凶骸』

【人物背景】

 救済なき世界に、救済をもたらそうとした闇医者。
 怪獣医(ドクター・モンスター)。

【サーヴァントとしての願い】
 人類の救済。
 聖杯を用いた全人類の麻薬漬けを実行する。

【マスターへの態度】
 意外とカワイイところのあるイイ男。
 能力も申し分ないので気に入っている。


【マスター】
 村雨礼二@ジャンケットバンク

【マスターとしての願い】
 聖杯戦争という勝負(ゲーム)に勝利する。

【能力・技能】
 医者である。そのため、外科を中心にした各種医術に精通している。
 だが真に恐ろしいのは仔細な人体観察に基づく超人的な読心。
 一対一であれば無敵に近いとまで称される、狂気的なまでに優れた診断力を持つ。

 ちなみに。最近、問診することを覚えた。

【人物背景】

 世界の醜さを許せなかった男。
 他人の心に寄り添うことを知り、弱点のなくなった怪物。

【方針】
 聖杯戦争に勝つことは前提として、しかし銀行のような元締めのいないこの賭場を見極めることも重要だろうと踏んでいる。
 最終的にどんな形であれ勝利する、そのために行動する。

【サーヴァントへの態度】
 背負う荷物の重みも分からなくなったマヌケ。
 相容れない、と思っている。
 彼の語る救済論については論外。……だが、同時に興味深くもある相手。

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最終更新:2024年05月11日 11:31