意識が、浮上する。
 電子の海から再び混沌へ。
 ナラム・シンの玉座は崩壊した。
 よって今や、自分がこうあれる場所など現実には存在しないはずだというのに。

「……不可解。説明を要求し、ます――?」

 思わず漏れた言葉に割り込む形で、異常事態(エラー)。
 シッテムの箱のメインOSとしての頭脳中枢に不明な情報が雪崩込んでくる。
 あらゆる防衛機構を無視して侵入してきたその"色彩"が、少女に今置かれている現状を過不足なく教授した。

「冥界。死の世界……魔力と願いを蒐め続け誕生した万能の願望器――聖杯。
 その争奪をもって冥界を遡る儀式。聖杯戦争。逆行運河の、流出。
 人理の影法師。サーヴァント。そして、葬者。
 ……なるほど」

 どうやら、異常は想定を超えた域に達しているらしい。
 右手。新雪を思わせる白磁の細腕に刻まれた刻印を見下ろして、少女は小さく頷いた。

「アロナ先輩には、悪いことをしてしまいましたね」

 ここはもう、キヴォトスですらない。
 願い抱く者を死者として蒐集し続け成立した蠱毒の壺中。
 あの玉座とは非なる場所だが、同時に限りなく近いとも言える。
 だからこそ、単なるOSに過ぎない自分がこうして現出できているのだと理解する。
 だが与えられた役割は、今度こそ完全に本来のそれを逸していた。
 サポートでも監督でもなく、自分が主役となって舵を取る。

 すなわち葬者。
 新造された冥界神話の、その主役として。

 困ったな、と率直にそう思った。
 機械は願いを抱かない。
 いや、百歩譲って類稀な運命のいたずらでそういうことが起こり得たとしてもだ。
 自分はそういうモノではない。よって、不躾に放り込まれたこの世界で何をするべきか考えあぐねてしまう。
 思考の停止。問題解決の方策、データベース内に存在せず。
 "先輩"の意見を仰ぐこともここがシッテムの箱から遥か遠く引き離された場所である以上、望みは薄いと言わざるを得ない。

「……指摘。端的に、人選ミスの疑いを提起します」

 一応、話の筋自体は通っているのだろう。
 死者という形容は確かに、自分にある程度似合うものである。

 そう。
 既に自分は、葬られたものだ。
 命があり、人格がある。だがそれだけ。
 補佐し共に戦うべき人は、あの戦いで遠く旅立ってしまった。
 教室を失い、従う相手を失い、行き着く先さえ失くした者がたどり着く先が死者の國というのは理解のできる話ではある。
 だが、まさかこの手で何か成し遂げろと求められるとは思ってもみなかった。
 それは未だかつて、自分という存在が確立されてから今に至るまでついぞ縁のない役割だったから。

 帰るべき場所のために戦う。
 願いを叶えるために、戦う。
 自分にそれをできる熱があるとは思えない。
 自分のために他者を退けて、ひとつきりの玉座を狙うため戦うなどどう考えても役者不足だ。

 異議を唱えようにも相手がいない。
 いや、唱えたところでどうにもならない。
 答えの出せない状況というものを、彼女の観点では八方塞がりと呼ぶ。
 まさに今、少女は。
 ひとつの死にたどり着いた世界からこぼれ落ちた、白黒の色彩は。
 振るい方も知らない武器を持たされて、極彩色の死と願いが乱れ舞う異界へと放り出されてしまったのだ。

 人選が外れている。
 役者を間違えている。
 物語(ジャンル)の色が違う。
 無機質な諦念が漏らしたそれは独り言の筈だったが――――しかしそれに応える"誰か"の声がひとつ、あった。


「否(いいや)?
 そんなことはないと思うぜ、葬者ちゃん。君が自分の価値をどう見積もってようが、聖杯ちゃんは確かに君を選んだんだ」


 声を聞き、振り返る。
 その表情にはわずかな驚きが滲んでいた。
 考えてみれば当然の話、ではある。
 葬者と英霊は必ずワンセット。片手落ちは聖杯戦争の法則上、あり得ない。
 だからこそ自分にもサーヴァントが存在するというのは当然なのだったが、彼女が驚いたのはそれとはまったく別な理由。

 響いたその声が。
 振り向いて視界に入れた、その面影が。
 "なぜか当然のように都市の真ん中に生えている"菩提樹の下で胡座を掻いているその男が――実際の身の丈以上に、大きく見えたからだ。

 霊峰や摩天楼の壮大を五体のひとつひとつに横溢させた、五感のすべてが規格外を伝える誰か。
 少女の世界を冒した恐るべき色彩でさえ、暗躍する無銘の司祭達の陰謀でさえ。
 こと存在の階位においてならば、この男の影すら踏めはしないと確信する。

「そうじゃなきゃ、よりによってオレにお呼びがかかるわけがねえ。キミは選ばれたのよ、運命ってヤツに」
「……重ねて指摘。根拠と呼ぶには、いささか理屈が薄弱と思われます」
「あ~ん? だってそうだろ、ただの偶然なわけがあるかよ。
 ましてや人選ミス? ハッ――鼻で笑っちまうぜ。そんなわけがない。そんなわけがねえのさ」

 タンクトップにサンダル、サングラス。
 どれを取っても現代的、悪く言うなら俗。
 髪は無造作に伸ばしており、お堅さは微塵も感じさせない。

 しかし。
 しかし。
 額の白毫が、後頭部で結ばれた頭髪が描く蓮の花が。
 そして何より、その暴力的なまでの存在感が。
 語る口調、声色、そこにあふれる神でも御せない尊大が。
 そのすべてが――この男の真名を、そこに宿る重みを体現していた。




「だってよぉ。
 釈迦(オレ)だぜ?」




 菩提樹を背にそう言って舌を出した男のその名を、知らぬ者はこの世にいない。
 生まれながらにすべてを持ちながら、それをことごとく捨て去って王の座を蹴ったドラ息子。
 悟りの果て、現代にまで色褪せず轟くひとつの宗教を興した偉大な"開祖"。
 人類史に数ほどしか存在しない、救世者(セイヴァー)の冠を戴く資格を有した男。
 にも関わらず、度重なる不遜と勝手は狂気のごとし。
 他でもない英霊の座にさえそう見做され、これほどの偉業と救いを背負いながらも狂戦士のクラスを当て嵌められた人類最強の個(ひとり)。


 天上天下唯我独尊。
 覚者。仏陀。
 そして、釈迦。


 ――――ゴータマ・シッダールタ。それが、この男の真名である。


「さあ、オレは応えてやった。次はキミが応える番だ」


 どこで調達してきたのか、幼児向けのチョコレート菓子をカリ、と齧って。
 神器たる六道棍を孫の手代わりに背負い込み、釈迦は少女に白い歯を見せて笑った。

「まあ、まずは名前だな。葬者ちゃんじゃ堅苦しいし、何より辛気臭え」
「……質問に回答します。私は、A.R.O.N.A――…………いえ」

 いまだ、困惑とエラーメッセージが満たしている思考回路。
 そんな中で絞り出そうとした名を、あえて噤む。
 個体の識別名としては間違いなく正しいそれを、何故回路の内側に引っ込めたのか。
 それは。
 その事実こそが、まさに。
 歩み出した少女がこの冥界に引き寄せられた意味を、物語っていた。

 言い淀んだまま空を見上げる。
 菩提樹の下で対峙した、葬者と英霊。
 もとい、釈迦と少女。
 そのふたりを、果てしなく広がる都心の星空(Planatarium)が照らしているのを見て。
 自分の手を引いてくれた"先輩"のくれた名前を、合理ではなく自分自身の意思で口に出す。
 少女は、その名を選んだ。

「――プラナ、と。そう呼んでください、覚者(バーサーカー)」



◇◇



「プラナ、ね。
 いい名前じゃん。
 それに思い入れもあると見える。大事にしなよ」
「肯定。この感情を"思い入れ"と呼んでいいのかは、まだ私には判りませんが。その勧告には従おうと思います」
「良(いいね)。なんだよプーちゃん、キミって自分で思ってるよりぜんぜん人間らしいんじゃね?」
「…………、プーちゃん?」
「プラナだからプーちゃん。異論ある?」
「……いえ。少々予想の斜め上でしたが、呼称を承知しました」

 食う? と言って差し出されたチョコレート菓子を手に取る。
 そのまま口に運んで、しゃく、と小さく噛んだ。
 甘い。脳に直接訴えかけてくる分かりやすい甘味だ。
 まさか"お釈迦様"なんて存在から、こんな施しを受ける日が来るとは思わなかったが。

「オレさぁ。ぶっちゃけ葬者とかいなくてもここにのさばれんだよね」
「――驚愕。それは聖杯戦争のシステムに背いているのでは?」
「どうだろね。まあイレギュラーではあるんだろうが、釈迦(オレ)だしな。そういうこともあるんじゃないの?」

 星空の下、菩提樹を背に、ファンキーな覚者と語り合う。
 状況だけを見ればとんだトンチキだが、彼の語っている内容は更に常軌を逸していた。
 そして最もたちが悪いのは、それがどうもれっきとした事実であるということだ。

 言われて初めてプラナは、これほどの英霊を使役しているにも関わらず自身に一切の負担が及んでいない事実を知覚する。
 消耗が少ないだとか、そんな話では毛頭ない。
 真実、まったく消耗をしていないのだ。
 すなわちこの釈迦は、葬者であるプラナの魔力を一ミリたりとも食うことなくこうして堂々の現界を継続している。
 無からエネルギーは生まれない。
 それは普遍の真理である。
 ならば今起きているこれがどれほどの異常であるかは言うに及ばずの話だったが、となるとひとつ疑問が生じてくる。

「質問。ではあなたは、こうして私に付き合う理由など持ち合わせていないのでは?」

 英霊とは。
 サーヴァントとは。
 願いを叶えるため、時空の果てより聖杯戦争に推参する存在だ。

 叶えたい願いがないだなんてケースの方がごくごく希なイレギュラー。
 そうでなくとも、葬者という無力な要石など抱えないに越したことはない。
 彼のように一度召喚されてしまえば要石を必要とせず世にのさばれる手合いなら、そもそも関わり合う必要すらないと言ってもいいだろう。
 なのにこの覚者は、律儀にも自分と肩を並べて言葉を交わし、あと一緒にお菓子なんか食べている。
 これはプラナにとって、当然ながら不可解な状況だった。
 彼がしているのはまったく合理性を欠く、意味のない行為であると言わざるを得ない。
 そんな相棒の質問に、釈迦は「そうだな」と頷いた。

「まあオレだって今は単なる影でしかない。
 最終闘争(ラグナロク)で暴れ過ぎちまった当てつけなのかな、霊基まで一段下げられちまってる。
 つーか何だよバーサーカーって。人のこと狂犬みたいに呼んでさ、失敬だよなまったく。プーちゃんもそう思わね?」
「それよりも、さらりと聞き慣れない非常に不穏な単語が飛び出したことの方が気になります」
「ま、とにかくオレも見てくれほど自由じゃないってワケ。
 それでもまあ……そうだな。一週間くらいはプーちゃんなしでもあちこち駆け回ってブイブイ言わせられるかな」

 そう、やはり彼に葬者へ付き合う理由はないのだ。
 天上天下唯我独尊を地で行く規格外の単独行動スキル。

 それは、彼を逸話通り孤独のままに最強たらしめる。
 その事実が改めて浮き彫りになり、プラナはもう一度問いかけた。

「では、何故」
「オレがそうしたいと思ったから、かな」

 返ってきた答えに、思わずプラナも閉口する。
 あまりに無体。やはり、合理性など欠片もない。
 既知のどの人物とも一致しない、我が道以外何も歩まない精神性に彼女は静かに振り回されていた。

 理屈が通らない。
 理解不能だ。
 この人の考えていることが、ひとつも分からない。
 ただその一方で、どこかほんの少しだけ。
 ほんの少しだけ、自分が懐かしさのようなものを感じている。
 プラナは、その事実にも新たな困惑を覚えねばならなかった。

「オレとプーちゃんの間に縁はない。
 だってのにキミは、ガンジス川よりも広大な時の運河の中からオレを引き当てた。
 面白え。見ていてえ。だからオレはキミに寄り添う。キミと共に戦ってやる。釈迦(オレ)がオレのためにそう決めた」
「……あなたは、それでいいのですか?」
「いいに決まってんじゃん。正しい道を選んで歩くんじゃない。オレが選んだ道が、正しい道になるんだから」

 道を選ぶのではなく、自分が道の値打ちを決める。
 それは、プラナにとって知らない価値観――
 では、なかった。


『君がなりたい存在は、君自身が決めていいんだよ』


 ノイズが走る。
 記憶という名の、ひび割れのようなノイズ。
 そう言って"生徒"に手を差し伸べた人の姿を、覚えている。
 そうだ、思えばあの人もそういう風に生きていた。
 それは決して、この覚者みたいに唯我独尊ではなかったけれど。
 それでもあの人もこうして、彼のように、往く道の価値を自ら付けるような人だったと記憶している。
 もう二度と、言葉を交わすこともできないヒト。
 最後の一瞬まで、自分のことなんか何も顧みずに。
 "誰か"のために歩み、そうして消えていったヒト――。

 そんな大人の背中を、確かにプラナは知っていた。


「なあ、プーちゃん。キミは何を願ってる?」


 追憶に沈みかけた意識を浮上させる問いが、星空の下で鼓膜を揺らした。
 願い。願い――。
 その問いに対する答えは、機械らしいエラーメッセージ。

「回答。……願いなどという強い感情は、私の中にはありません。
 だからこそ私はひどく困惑しています。何故私が葬者に選ばれたのか、願いの如何を問われているのか」

 すなわち、不在。
 願いなんてものは、プラナのどこにもない。

 だからこそ彼女は、自分が葬者に選ばれたことを他の誰より疑っている。
 願いもなければ、死に物狂いで生きてやりたいと想うほどの熱もない。
 他の誰かを足蹴にして、殺した死骸を足場にして、そんな風に歩むことはきっと自分にはできないだろう。
 故にそう答えたのだったが、その口は不明な理由で続けて言葉を重ねた。
 まるで漏電のような、たどたどしい言葉だった。

「私は、ただ消えゆくだけの存在でした」

 それは、蜃気楼のように。
 役目を終えて大気圏に突入した、衛星のように。
 軌跡を描いて燃え尽きる、星のように。
 ただ消える。ただ、潰える。
 そんな、運命とも呼べない自明だけがこの身体には残されている。その筈だった。

「教室を失い、恩師を失った。
 帰るべき世界はとうに遠く。
 どこへともなく消えて、それで終わるだけの存在でした」

 長い、長い旅路だった。
 色彩に呑まれ、魂の端々までを侵され。
 それでも足を止めず、戦い続けたヒトがいた。
 プラナはその旅路に寄り添い、そして見送った。
 それが、彼女の役割だったからだ。
 そして役割を終えたなら、もう生きるべき理由はない。
 在り続ける、意味がない。そう思っていたし、今でもそう思っている。

「でも、そんな私の手を引いてくれた人がいた。
 おうちはこっちだって、そう言って。
 消え去るだけの私をつなぎ止めて、私に名前をくれた人がいた」
「……それが、"プラナ"ってこと?」
「はい。Planatarium……私が星を思わせるから、それをもじって"プラナ"と」

 旅路の果てに巡り合ったもうひとりの自分は、自分とはまるで似つかない少女(A.R.O.N.A)だった。

 彼女は、消えゆく星に手を差し伸べ。
 そして星も、その手を取った。
 それで物語は終わり、次の巻へと続くはずだったのだ。
 にも関わらず招き寄せられた冥界。死者と、無念と、願いの集う場所。
 あまねく生涯の終着点にて、星は今菩提樹を背にしている。
 星空と菩提樹の見守るどこかで、意味があるとも知れない言葉をつらつらと重ねていた。

「ですが、あの人……先輩にももう顔向けできません。
 結局私はあの人の言う"おうち"には帰れませんでした。
 それどころか、帰るべき道を未だに考えあぐねている始末です。恩を仇で返すとは、まさにこのことでしょう」

 ――おうちはこっちですよ、一緒に行きましょう!

 そう言ってくれた"先輩"の顔を、覚えている。
 あの人はきっと、自分が消えたら泣くのだろうなと思った。
 そのことについては、少しだけ申し訳なさを感じている。
 なんとなく、あの人が自分のために泣く姿は見たくなかったから。

 たくさんの不可解と、形も分からない感情の渦巻く思考回路。
 そこからたどたどしく析出した言葉を、覚者はただ黙って聞いていて。
 ひとしきり聞き終えたところで彼は、もっともらしく頷いた。

「そっか。なるほどね」

 理解した、とばかりに頷いて。
 そして、世界一偉大な狂戦士は言った。

「プーちゃん。キミさ、自分で理解ってんだろ?」

 沈黙する。
 思考を空白で染め上げられたから、ではない。
 聡明にして理知的。そして無機質かつ、合理的。
 そんなプラナには考えられないことと言ってもいい事態であったが。
 今、彼女は――"痛いところを突かれた"と思い、言葉に窮したのだ。

「……質問の意味が分かりかねます」
「あんじゃん。"願い"」
「――、――」

 願いなどない、故に葬者たる資格など持つはずもないこの身。
 それがプラナの思考を止めていた理由。
 だったはずなのに、その前提が釈迦の指摘で崩れ去る。
 子どもが見様見真似で作った砂の城が、波に浚われてたやすく崩壊していくみたいに。

 しかしそれも当然の話だ。
 偽るには、相手が悪い。悪すぎる、と言ってもいい。
 たとえそれが、自分自身さえ騙す対象に含めた詐称だったとしても。

 相手は、悟りの向こうにまで辿り着いた覚者なのだ。
 子どもよりなお拙い、未熟な心と自我でついたなけなしの嘘なんてものが、この釈迦に通じるわけがなかった。

「家に帰りたいんだろ、キミは」

 家に帰る。
 それは子どもなら、誰もが望むこと。
 そして、今のプラナにはとても難しいこと。

「……そう、かもしれません」

 それがキミの願いだろうと、隠し立ての余地なく指摘されて。
 プラナは少し押し黙った後、静かに呟いた。

「肯定。私の中には指向性らしきものが確かに存在しているようです。
 それがあなたの言う"家に帰る"という目的を志すものであることも、恐らくは正しいのでしょう」

 おうちはこっちだと、帰り道を示してくれた人がいた。
 自分自身、その手を取った。
 新しい教室(おうち)に向かって歩き出した、記憶はそこで途切れている。
 ならば願いとしてはむしろ単純。それでいて明快。
 途切れてしまった帰り道の続きを歩みたいと、そう簡単に言語化できてしまう。

 実に簡単な話だ。
 深く考えるまでもないことだ。
 だが、それは。

「しかし私の前には今、帰り道がふたつあります」

 ――帰るべき家が、そこに続く道が、ひとつだけならばの話。

「もうなくなってしまった家に帰るか、消えゆく私に与えられた新たな家に帰るか」


 ――それは、既に終わってしまった物語。
 悲劇の果て、蝕む運命に抗い続けた誰かの話。
 最後のページは静かに畳まれ、"彼"の御話は正式に過去の遺物となった。
 かつての家は、プラナの寄り添った青春は、今は冥界の最奥に。
 物も言わず、鼓動も刻まず。
 ただ静かに、そこで眠っている。

 ――それは、これから続いていく物語。
 悲劇の果て、蝕む運命を乗り越えた誰かの話。
 苦難を超えて繋がれた想いを受け取り、"彼"の御話は次の巻へ進んでいく。
 彼の教室は、彼女が手を引いてくれた青春は、今は蜘蛛糸の向こう側に。
 笑顔に溢れ、希望に溢れ。
 ただ優しく、プラナの帰りを待っている。


「過ぎ去った過去を取るか、これから続いていく未来を取るか」

 ――冥界の底へ。
 死骸の足場を乗り越えて、眠りについた過去を起こしにいく。

「あまねく命を弑逆し、失ったものを取り戻すか。
 なくしたものに背を向けて、ただこの冥界を上るのか」

 ――光射す地上へ。
 蜘蛛の糸をただ上り、自分を待つ未来へ会いに行く。


「……バーサーカー、覚者たるあなた。
 私と共に戦うと言ってくださったあなたに質問します」

 プラナの前には今、分かれ道が広がっていた。
 先に待つものも、その正誤も分からない難題。
 積み上げてきた演算の経験も知識も、何ひとつ役には立たない冥界神話の只中で。
 少女はただひとり、過去と未来の狭間で孤独な煩悶を続けていたのだ。

「私は、どうすればいいのでしょうか」

 過去と未来。
 それは光と影。
 白と黒が、理想と現実が。
 孤独な、未熟な心のなかで静かにせめぎ合う。
 気付けば少女は、目の前の覚者に答えを求めていた。
 これまでの問いとは明確に違う。
 疑問への答えではなく、生涯への答えを求める問い。

「分からないんです、私には、何も。
 私にはそれを決められるほど、多くの感情が搭載されていません」

 だから、と。
 プラナは、釈迦の顔を見上げた。
 隣に座り、もしゃもしゃと菓子を頬張る偉大な人の顔を。
 神でさえその意思を曲げられなかった、悟りの向こうの仏の顔を。

 人の子が、英霊に問う。
 迷い子が、釈迦に問う。
 ごくん、と菓子を嚥下し胃の奥に送り。
 それからシッダールタは、事もなげにこう答えた。


「うん。思春期だな」


 身も蓋もない、あまりにがさつな答えを。
 迷える星に対し、ひょいと投げかけたのだ。

「悩んで迷って下向いて、答えが出せずにやきもきしてんだろ。
 いいじゃん、可愛い可愛い。何も恥じ入ることなんてないから堂々としなよ。
 思春期なんてもんはな、恥も外聞もかなぐり捨てて思いっきり悩めばいいのさ。それも人生だ」
「……抗議。私は真面目に話しているつもりなのですが」
「知ってるよ。だからオレも、真面目に答えてる」

 一時はたまらず抗議したプラナだったが、他でもない覚者その人に臆面もなくこう返されては二の句が継げない。
 思春期。そういう概念については、プラナとて知っている。
 知らないわけがない。かつてプラナは"彼"と共に、それに向き合い続けていたから。

 彼。先生。
 シャーレの先生として、どんな生徒にも胸襟を開けて向き合った偉大なひとが。
 たくさんの"思春期"へ向き合い、道行きを支えるその背中を……ずっと見てきた。
 だがまさかこの期に及んで、こんな状況で、他でもない自分自身に対してそんな言葉を突き付けられることになるとは思っていなかったのだ。

「弱く、脆い。未熟で、幼い。その青さこそが思春期だ。
 人間誰だって、迷って間違って、幸福の絶頂と不幸のどん底を行き来しながらデカくなっていく」
「まるで、自分もそうだったと言うような口振りですね」
「そうだよ。御仏とか如来とか言われてるけどさ、オレだって最初はどこにでもいる普通の人間だったんだぜ?
 金はあったし食い物にも困らなかった。何ひとつ暮らす上で不自由はなかったが、それでもただの人間だった。
 迷った。悩んだ。オレだって思春期だった。けど今は晴れてこんなにデカくなれたんだ」

 私は、人間ではないので。
 そんな横槍を挟む余地がないほど、釈迦の言葉は含蓄を纏っていた。
 ファンキーな装いと言動は、今だって変わっているわけじゃない。
 蓮座に座っているわけでもなければ、曼荼羅を背負っているわけでもない。
 堅苦しい言葉を使って、説法を論じているわけでもない。
 なのに、信じられないほどにその言葉は重く、そして深く。
 プラナの身体、思考回路(こころ)――その節々に染み入っていく。

「だからプーちゃんもさ、好きなだけ悩んで迷えばいいと思うよ。
 悪いことだなんて思わなくていいし、正々堂々真正面から思春期していけよ。
 オレはそういうプーちゃんの方が可愛いと思うし、かっけえと思うぜ?」
「……。かっけえ、ですか?」
「うん。なんかヘンなこと言ってるか?
 悩みながら迷いながら、答えを探してデカくなってくヤツってのはさ――かっけえだろ」

 そう言って、釈迦はからからと笑った。
 その姿に、もういない彼の面影が重なる。
 最後まで、運命に向き合い続けた人。
 たくさんの思春期に、寄り添い続けた人。

 誰かのために、その手を伸ばして。
 優しさと強さを、教え続けた人。
 そんな彼のことを、思い出してしまったから。
 プラナは静かに、顔を伏せた。
 そしてぽつりと、話し始めていた。

「……先生がいました」

 そう、彼は教師だった。
 恩師で、支えるべき相手で、"先生"だった。

「最後まで、とても立派な人でした。
 生徒のために、誰かのために。
 自分が消え去る間際までも、そのために生きて死んだ。そんな、人でした」

 不安も孤独も、両手で静かにすくい上げて。
 そっと包み込んで、大丈夫だよ、と優しく語りかけてあげられる人。
 そんな人がかつて、プラナのそばには確かにいた。

「プーちゃんは、その人のことが好きだったの?」
「……、……そうですね」

 今はもう戻らない、どこまでも澄み切った青い春。
 永遠のはずはない、ある学び舎の町の話。
 それを、振り返る意味もないと思っていた過去を。
 静かに振り向いて、記憶の中だけの景色をそっと見つめて。
 そしてプラナは、覚者の問いへ静かに答えた。

「――好きだったのだと、思います」

 色恋ではなく、生徒として。
 彼の教え子のひとりとして。
 自分はあの人のことが好きだったのだろうと、今になってそう気付いた。

 だから伝えた。
 不器用なりに、無機質なりに。
 それを聞いて釈迦は「そっか」と小さく笑った。
 爽やかな、透き通る空のような微笑みだった。

「じゃあ、先輩ちゃんのことは?」
「そうですね。少なくとも嫌ってはいないかと」
「は~、なるほどね。じゃあ大変だ」
「だから言っているんです。……それでもあなたには、思春期の一言で片付けられてしまいそうですが」
「いいじゃん。どっち選ぶにしろそれはプーちゃんの人生だ。
 大事なのは悔いなく選ぶこと、選ばなかったことを後悔しないこと。
 それさえ間違わなきゃ、人生なんて意外となんとかなるもんだよ」

 ――それがいいとこなのさ、人生ってやつの。

 言って釈迦が、立ち上がる。
 その彼方、ビル街の隙間から朝日が見える。
 夜の終わり、星空の去る時。
 されど、星の物語は続く。
 彼女は今宵、箱の中のOSではない。

 自ら考え、自らの意思で足を踏み出す。
 そんな葬者/主役として、今この冥界にいる。

「すげえヤツだったんだな。プーちゃんの"先生"はさ」
「……はい。ええ、とっても」

 その言葉が、人類の最先端に立つ男から放たれる恩師への餞の言葉が。
 何故だかとても、無機であるはずの心が熱を灯すほど暖かくて。
 だからプラナも、つい頷いていた。
 そして釈迦を追うように立ち上がり、彼と同じくして朝日の光を見つめる。
 夜が明け、朝が来る。そしたらまた、空が青く染まる。
 青春の時間が始まって。尊く輝く、思い出(アーカイブ)が綴られていく。

「……己れの弱さと向き合い、未熟さに抗い、打ち勝とうとするその思春期(おもい)。
 それをオレは肯定する。最高のかっこよさだと断言して、一緒に歩んでやるさ」

 手が――差し伸べられた。
 先生と呼ぶには型破りすぎる。
 あの人には、見れば見るほど似ていない。
 なのに見た目でも言動でもない、もっと深くの部分が。
 迷える誰かに答えをくれる、その在り方が――
 プラナの中で静かに眠る、大事な恩師の思い出と重なって見えるのは何故だろう。


「だからさ――――オレと一緒に悟ろうぜ? プーちゃん」


 そう言って、手を伸べた覚者に。
 救世主でありながら、その在り方を狂おしいと称された男に。
 プラナは、目覚めたばかりの星は静かに、触れた。
 手と手は繋がれ、この時正式に主従の縁は結ばれる。

「……私でも。本当に、あなたの言う悟りにたどり着けるのでしょうか」
「できるさ。だからこそ、オレの名は後世にまで轟いたんだ」
「……納得。では改めまして――A.R.O.N.A改め、プラナと申します」

 手を取って、正面からその尊顔を見据えて。
 あえて頭は、下げなかった。
 彼はきっとそれを望まない。
 遜ることなんかより、確と見据えることをこそ愛する。
 彼はそういう人だと思ったから、0と1の頭脳に刻まれたお作法を無視して、ひとりの"人間"として向き合う。

 たとえそれが、今だけの思春期だったとしても。
 この未熟がいつか、納得のいく答えになることを信じて。


「私といっしょに、迷っていただけますか?」
「――了(りょ)。シッダールタの名に誓おう」


 シッテムの箱の小さな星もまた、青い春(ブルーアーカイブ)に手を伸ばしたのだ。


「オレとプーちゃんは今から友達(マブ)だ。共に笑って、共に戦って。悟ってこうぜ――人間らしく」



【CLASS】
 バーサーカー

【真名】
 釈迦@終末のワルキューレ

【ステータス】
 筋力B 耐久B 敏捷B 魔力A 幸運A 宝具B+

【属性】
 中立・善

【クラススキル】
狂化:EX
 天上天下唯我独尊。
 神と人類の最終闘争においてさえその在り方を崩さなかった、狂おしいまでの自分本位。
 万古不易の強すぎる自我(エゴ)はあらゆる精神への影響をシャットアウトする。
 神でも揺るがせない、人類最強のロクでなし。

【保有スキル】
カリスマ:A+
 軍団を指揮する天性の才能。一国の王でさえBランクで十分と言われている。A+ランクとなると既に魔力・呪いの類。
 仏教の開祖にして、悟りを開いた者……覚者。
 至りし者。ゴータマ・シッダールタ。
 この世の誰よりも自由な男。

単独行動:EX
 マスターとの繋がりを解除しても長時間現界していられる能力。
 依り代や要石、魔力供給がない事による、現世に留まれない「世界からの強制力」を緩和させるスキル。
 マスターなしでも最低一週間は現界を継続でき、宝具の発動にもマスターを必要としない。
 それでもバーサーカーはマスターを友人(マブ)として大事にする。
 「わざわざ時空(とき)超えて呼ばれてんだぜ? そりゃ誰だって応えんだろ。俺はそうするね」

無窮の武練:A+
 ひとつの時代で無双を誇るまでに到達した武芸の手練。極められた武芸の手練。
 心技体の完全な合一により、いかなる精神的制約の影響下にあっても十全の戦闘能力を発揮できる。
 シャカ族の王子として学んだ武芸と天性のセンス、そして阿頼耶に通ずる"心の眼"が絡み合って生まれる天下無双。
 色即是空とも。

正覚阿頼耶識:EX
 相手の行動を事前に識る能力。簡単に言えば未来視。
 対象の意思の動き、魂の揺らぎを視認することで数秒先の未来を知覚できる。
 使用制限なし、使用上のエネルギー消費なし。まさに天上天下唯我独尊。

【宝具】
『六道棍』
ランク:B+ 種別:対人宝具 レンジ:1~5 最大捕捉:30
 神器。バーサーカーの感情に応じて変形する。
 斧(ハルバード)、棍棒、独鈷剣、楯、戦鎌、そしてまだ見ぬ第六形態。
 この多彩な変形形態による多種多彩の攻撃が、バーサーカーの卓越した武芸、そして未来視と組み合わさって敵手を襲う。

『一蓮托生』
ランク:-(実質的なEX) 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:2
 仏界の全域に伝わる力。
 互いの生を預け合い、同じ蓮/運命の上に乗せることで全身全霊を引き出すもの。
 聖杯戦争においては原則として発動困難であり、よってこの宝具は欠番扱いを受けている。
 だが万一にでも発動が叶った場合、そしてその条件を満たせた場合。
 バーサーカーは人類史上最強の覚者という称号の、更にそのひとつ先のステージにまで到達することができるだろう。

【weapon】
 『六道棍』

【人物背景】

 ヒトの王子として生まれ、仏として散った男。
 人類史上最強のドラ息子。
 釈迦。

 本家Fate同様にセイヴァークラスの適性も持つ正真正銘の覚者だが、今回は最終闘争で神々を裏切るという"狂気の如き唯我独尊"を働いた逸話からバーサーカークラスに該当した。

【サーヴァントとしての願い】
 「別に? 聖杯(そっち)は興味ないかな」

【マスターへの態度】
 「プーちゃんのこと?」
 「肉体の有無なんて些事だろ。大事なのは魂でどう生きてるか、さ」
 「答えが出るまでは付き合ってあげるよ。俺、これでも覚者(ブッダ)だからな」


【マスター】
 プラナ@ブルーアーカイブ

【マスターとしての願い】
 未定。
 聖杯を使うか、"先輩"のところに帰って新しい教室に通うか。

【能力・技能】
 連邦捜査部S.C.H.A.L.E――通称シャーレの"先生"が所有するタブレット型端末『シッテムの箱』のメインOS。
 言うなれば電子上の存在であり、本来はシッテムの箱の外に出ることはできない。
 しかし現在は冥界という次元・時間・実在の有無が肯定されずに混ざりあった混沌の領域……かつてのナラム・シンの玉座に似た環境にあることから普通の人間同様に行動することが可能となっている。

【人物背景】

 教室を失い、色彩から離れ、恩師と離別した生徒。

【方針】
 今はただ、この思春期(みじゅく)に向き合っていたい。

【サーヴァントへの態度】
 先生と呼ぶには自分勝手すぎる不思議な人。
 ただその奔放が、この逡巡の答えになるような予感がしている。

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最終更新:2024年05月15日 03:21