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───そこで陀多は大きな声を出して、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」と喚きました。
その途端でございます。今まで何ともなかった蜘蛛の糸が、急に陀多のぶら下っている所から、ぷつりと音を立てて断れました。ですから陀多もたまりません。あっと云う間まもなく風を切って、独楽のようにくるくるまわりながら、見る見る中に暗の底へ、まっさかさまに落ちてしまいました。
後にはただ極楽の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中途に、短く垂れているばかりでございます。
───芥川竜之介『蜘蛛の糸』
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死んだ人間は蘇らない。
失った命は取り戻せない。
結果を変えられるのは、生者のみの権利である。
どんなに時代が流れても、どんなに世界をうつろいでも、覆る事のない絶対の不文律として、その言葉は語られる。
曰く、限りある命であるからこそ懸命に生き足掻き、生に意味が生まれる。
曰く、自然界の摂理を乱し宇宙の均衡を狂わせる行いである。
曰く、生者より死者を優先しては種の発展が先細って、歴史が行き詰まる。
曰く、曰く、曰く──────
壊れた玩具を直してとせがむ子供を宥めるように、言い聞かせるように。それは間違いのない解答を覚え込ませる。
提出される言葉はどれも正しい。
人は死ぬ。当たり前だ。
何を語らずとも、あらゆるものはいずれ滅びる。腐る。朽ちる。無に還る。
あって当然の理屈、人も自然も納得する何一つ瑕疵のない事実だ。
そも起きれば取り消しのきかない絶対の不可逆を死と呼ぶ。
道徳を論ずるまでもなく、倫理が育つ以前の古来から、ずっと人は答えを目の当たりにしてる。
だが人は古来から、禁忌に手を伸ばさずにはいられない生き物でもある。
護国を為した偉大な名君にも、痩せさらばえた奴隷にも、別け隔てなく平等に訪れる死。
それをどうにかして回避できないか。恐怖を克服できないかと、今に至るまで見えない魔法を探し求めている。
吟遊詩人は妻を取り戻す許しを得ながら、狂信者に引き裂かれた。
不老不死の妙薬を手にした王は、僅かな油断から蛇に薬を掠め取られた。
神すらも、見てはならないという禁を犯し、多産多死の業を人に負わせた。
死者を取り戻す行為は許されず、上手くいかない。
死を遠ざける事は、叶わない。
それは死を恐れる単なる本能なのかもしれない。
愛する者を喪った怒りを源にした、ひとつの復讐なのかもしれない。
定命を義務付けられた存在への、全能者からの憐れみなのかもしれない。
あるいは、夜空を見上げた先の星を掴めないかと思い至った、理由のない希求なのかもしれない。
人はどうあっても死ぬ生き物なのに。
命には必ず終わりがあるのに。
失ったものを取り戻す/そして取り逃す物語を、人は望み、作り続ける。
───この世界も、そんな話のひとつだ。
◆
万全を叶える奇跡は、主の後光も届かぬ地の底に在り。
彼の地の名は冥界。死後の世界。
一欠片の雫に、死者が願い望んで創製された死の領域。
摂理を遡る逆行運河を流出するため、此処に命を招聘し、魂を喚起する。
招かれしは、死の運命を抱く葬者達。
神秘。異能。意志。それらは全て枝葉に過ぎない。
過去に死そうが現在も永らえていようが、死が約束された定命の存在であるのが、ただひとつの条件。
喚ばれしは、常世より起こされる英霊達。
偉業。伝説。神話。いずれも超然の理にある貴人。
死者の座に列しながらも積んだ功により仮初の生を許された、蘇りを果たす幽鬼の魂。
これは新たな冥界下り。
異界に落とされた、いずれ死すべき生者と、英霊の記録帯より罷り越した、既に死する死者をつがいにした、神話の再現。
登り切った魂には然るべき報酬を。望む地への生還、秘めたる願いの成就が約束される。
摂理の反転を禁ずる主が不在の地であれば、今度こそそれは叶えられるだろう。
聖杯戦争───。
願望機を求めてマスターとサーヴァントが殺し合う魔術儀式が、光なき果ての国で開始される。
いざ葬者達よ───冥府の深奥にて、生を勝ち取れ。
最終更新:2024年03月31日 16:05