焦熱地獄という概念が仏教にはある。
 八大地獄の第六層に墜ちた罪人は灼熱で徹底的に炙られ、地獄の鬼に殴打され続ける。
 地上全てを焼き尽くす煉獄から解放されるには、五京を越える時間が経たなければならない。
 この冥界は、そんな地獄と何が違うのか。
 冥界に堕とされ、葬者(マスター)とされた男は、ただ震えていた。

「ば、馬鹿な…………!?」

 死の恐怖で体が動かない。
 あと僅か。ほんの数秒で、葬者は死者にされる。片割れは一閃され、既に冥界の奥底に引き摺り込まれた。
 下手人は、その手に握り締めた鎌を横に薙いだだけ。瞬き一瞬で胴体は上下半分に切り裂かれ、消滅した。
 男が召喚したサーヴァントは決して弱卒ではなく、むしろ最優と名高いセイバー。生前に幾度となく立てた武功を誉れ、英霊の座にまで登り詰めた。
 そのステータスは優れ、宝具の登録された大剣で勝利を手にし続けた。
 だが、容易く敗れた。理由は単純明快、ランサーのサーヴァントがセイバーより強かっただけ。

「あは♡ どう? アタシの自慢のランサーは、とっても強いんだよ~ん!」

 おどけるように笑う敵マスターの女。
 口にする言語とは裏腹に、ヨーロッパ系の人種を彷彿とさせる顔だ。瞳と毛の色も、日本人のそれとかけ離れている。
 最低限のセルフケアも行われていないのか、栗色のロングヘアは枝毛が目立つが、不潔感から程遠い容姿だ。一般的な成人男性とも肩を並べる長身でありながら、身に纏う白衣と丸眼鏡が愛嬌を引き立てる。
 科学者、または医者に近い風体の女が見せる笑顔。無邪気で、どこか冷淡に、片割れを失ったマスターをまじまじと見つめている。

「マスター、過信は禁物だ。この聖杯戦争は、私の理解に及ばない怪物が数多く潜んでいる……その可能性を失念してはいけない」

 主の軽薄な態度を窘める女。
 従者はその身から厳格なオーラを纏ち、場にいるだけで周囲の空気を焼き焦がしかねない。
 彼女は麗人だ。マスターと同じ背丈で、真っ直ぐに伸びた背筋が確固たる信念を窺わせる。白と黒、対局のカラーリングを目立たせる服装を着こなし、流麗なボディラインを強調させた。
 襟元の飾り、鋭いヒール、ネイルを彩るは炎の赤で。焼け爛れたか、あるいは壊死したのか……その両腕は血が通っているとは思えない程に黒い。
 銀髪には黒のメッシュが入り、美男子と間違えられる程に整った顔立ちで誘惑されれば、性別問わず落ちてしまう。
 だが、双眸で浮かび上がる灼熱のクロスマークで睨まれては、凡夫は瞬時に失神する。標的にされた男は意識だけ保つも、もはや立っているのがやっと。
 抵抗や逃走を試みようにも、サーヴァントの威圧感で縛られては身動きが取れない。

「フフッ……アタシはただ、ガッカリしただけだよん。英霊として崇められたからには、ランサーにどう立ち向かうのかを期待したのに、こんな簡単にゲームオーバー。マスターだって、もう諦めてる」

 事実上の死刑宣告に、男は己の過ちと不運を呪う。
 冥界を舞台にした聖杯戦争が始まってすぐ、サーヴァントのステータスに男は歓喜した。
 宝具たる大剣は大砲の如く偉容を誇り、筋骨隆々とした肉体を堅牢な鎧で守る姿は、まさに人の形をした要塞。
 戦争ではない。一方的な蹂躙が始まり、華々しい優勝への道筋が約束されたと確信していた。
 魔術師のプライドと、引き当てた英霊の威光。もしも、慢心への自覚が少しでもあれば、また違う未来があったかもしれない。
 だが、ついにそれを知らぬまま、敵マスターの女を見つけた男は、セイバーに奇襲を命じた。
 宝具を展開させれば、何が起きたかわからないままマスターはこの世から消え去ると思われた。
 されど、繰り出された刃を阻むのは、深紅の一閃。ほんの一突きで、刀身を粉々に砕いた。
 その敗北を認識する間もなく、アーマーごと霊核は貫かれ、胴体も切り裂かれる。人間の目では到底認識できない速度で、唐突な鎌鼬にセイバーが切り裂かれ、そして死んだ。傍目にはそう見える。
 僅か三秒。勝負や対決とは呼べないそれは、あっという間に終わった。


「ランサーは、どう?」
「特に言うことはない。やるべきことは、ただ一つ」

 ガキン、とランサーの持つ武器が地面に下ろされる。
 背丈ほどある槍を彩るのも、赤。但し炎や鮮血でなく、不吉の予兆と言われる赤月だ。
 その先端より三日月型の刃が飛び出し、命を刈り取る大鎌(デスサイズ)となった。
 ああ、成程と男は納得する。
 ランサーの女は死神だ。
 肉体から魂を切り離して、冥府の炎に放り投げようとしている。

「待つんだよん、ランサー」

 しかし、異を唱えるのは敵マスター。
 その一声でヒールは鳴り止み、ランサーは矛を収める。
 だが、これで危機が去ったと安堵する程、男は楽観主義ではない。
 何故なら、女の瞳に潜むおぞましい気配は、未だに残ったままだから。

「何だ。この男を哀れんだのか?」
「まさか! アタシはただ、やってみたいことがあるの……」
「やってみたいこと?」
「うん♡ マスター相手にはまだ試していないアタシの能力……どこまで通用するのか試してみたいんだよん!」

 すたすたと歩み寄ってくる様すら恐ろしく。
 ひぇっ、と。
 女子供のように悲鳴をあげるが、男に情けないと責められる謂れはない。
 生命線を粉微塵にされ、せめて一矢報いようとする気概は槍兵の眼力で潰された。
 そんな哀れな敗者はモルモットとして扱われようとしている。
 動物実験は禁止の動きが近年各国で増えているものの、この冥界でそんな倫理が機能するはずがない。

「削除(デリート)」

 そうして、男は何も見えなくなり。
 全てを消されてしまった。


 ◆


 都内某所。
 コンクリートジャングルの中に隠れ、道行く人々も横目で流すような何の変哲もないマンション。
 入り口には警備員が立ち、老若男女問わず頻繁に出入りする。都会では珍しくない光景だ。
 だが、特段目立つ要素のない平々凡々な建造物だからこそ、魔物の胃袋と化しているとは思わない。
 現代社会に溶け込めるほど平常すぎた。


「ふふ」

 マイ=ラッセルハートは笑みを浮かべている。
 時空犯罪組織クロックハンズの十一時(イレブンオクロック)として、時を遡って人の命を弄び続けたマイ。
 聖杯を手に入れるため、その時計の針は冥界にて動き出した。
 邪魔者である巻戻士達が介入する気配はない。
 同胞からの救援も見込めないが、生き残れるのはただ一人である以上、かえって好都合だ。

「アタシの編集(エディット)と消去(デリート)はサーヴァントには効果なし……でも、マスターとNPCなら大丈夫……ふふ、ふふっ、フフフフフ…………」

 手の平で懐中時計を弄りながら、鼻歌交じりにPCを操作するマイ。
 彼女が持つのは、ただ時を刻むだけの時計ではない。時間の流れを超越し、過去または未来に渡るタイムマシンだ。
 そしてマイはただのタイムトラベラーに非ず、夢の機械を用いて人間の脳すらも自在に操れる。
 記憶を消去(デリート)し、思うがままに編集(エディット)する、事実上の洗脳。
 冥界を舞台にした聖杯戦争の葬者(マスター)にされて数日、彼女は実験体を入手し続けていた。
 初手にNPC、次いでサーヴァントを落として丸裸となった敵マスター。地道にデータを集めながら、地盤を固めていく。
 その気になれば100人単位の手駒を即時に得られるが、大規模な洗脳は他の主従から目を付けられるリスクがある。
 聡明な彼女ですらも聖杯戦争は不可知の領域。
 初戦でランサーから戒められたように、一切の油断が許されない状況だ。

「それで、ランサー……いいや、アルレっち。初めての東京は楽しい?」
「私は休暇で来ているのではない。マスターに召喚されて以来、一時たりとも欠かさずに情報を集めている。
 この都市のモデルになった日本についても調べた。歴史を紐解けば、私たちが生きたテイワットの稲妻に近い……しかし、文明には驚かされてばかりだ。
 是非ともスネージナヤに持ち帰り、調べ上げたいほど。同じ執行官(ファトゥス)の「博士」が知れば、驚喜するだろうな。
 手渡されたこのスマートフォンや、君が今使っているパソコン……スメールのアーカーシャ端末に近いが、利便性はより優れている」
「intelligent(アンテリジャーント)! アルレっち、もうスマホを使いこなしてるね!」

 その格と威圧感を目の当たりにして尚、マイは己のサーヴァントに馴れ馴れしく接する。
 クラス、ランサー。表の名はアルレッキーノで、真名ペルヴェーレ。
 幻想世界テイワットの七国の一つ、氷国スネージナヤのファデュイ執行官(ファトゥス)。第四位「召使」の位が与えられた外交官だ。
 アルレッキーノの姿を見た途端、マイは笑みを浮かべる。
 この聖杯戦争に、勝てると。
 灼熱をその身に凝縮させ、睨み付ければ魂魄まで焼き尽くせるだろう眼力。それを、アルレッキーノはコントロールしていた。
 ステータスと全身から放たれるオーラは並の英霊を遥かに凌駕し。現代社会において必須な各種機械の意義と使い方を、僅か1日程度で把握する恐るべき頭脳。
 何よりも、格式高い英霊すらも瞬く間に屠る戦闘能力に、マイは目を光らせて。
 幼少より類い希なる才を発揮し、人知を越えた技術と知識を誇る彼女は、すぐに勝利への道筋を設計し始めた。

「そうだ! 今のアルレっちは、どれだけ強いの?」
「英霊との手合わせがほんの数回では、断定できない。だが、今の私はテイワットにいた頃と比べて、弱体化している……マスターが不在ではまともに戦えないだろう」
「ふーん。あれでも、弱くなっているんだ」

 荒ぶる神々でさえも顔を背けかねないアルレッキーノ。
 クロックハンズの邪魔立てをする巻戻士たちも、彼女からすれば象から見た蟻だ。仮にサーヴァントという優位を取っ払った所で、何分渡り合えるか。
 レモンやアカバといった2級までの巻戻士ですら相手にならない。最強の巻戻士と称されたシライや、組織の創設者であるゴローならば、抵抗だけは許されるだろう。だが、アルレッキーノからすれば赤子も同然。
 幾度となく繰り返せばチャンスは訪れるが、そもそも猶予を与えるはずがない。
 仮に命を拾えたとしても、アルレッキーノに心を折られて再起不能になる。
 そのアルレッキーノが、弱体化している。これは事実だろう。
 英霊の召喚は、生前に比べて弱体化するケースが珍しくない。アルレッキーノも同様で、その度合いを計る意図もあって、敵対サーヴァントを屠った。
 出た結論は、ランサーのアルレッキーノは生前と比較して弱い。その上で、最優のセイバーを始めとした、サーヴァントとの戦いに無傷で勝利し続けた。シャドウサーヴァントが相手でも、掠り傷はおろか埃一つすらない。
 それほどに、アルレッキーノが強すぎたのだ。



「でも、アタシだって巻き戻し(リトライ)ができないから、仕方ないね」

 そして制限はマスターも同様。
 マイだけでなく、クロックハンズ及び巻戻士たちにとって生命線となる異能が、この冥界では封じられている。
 そう。時間逆行ーー巻き戻し(リトライ)ができない。
 この冥界に飛ばされて、聖杯戦争に携わる知識を入力(インプット)されてすぐ、マイは巻き戻し(リトライ)を試みる。
 だがタイムマシンは反応せず、冥界から逃げられなかった。
 生還条件はたった一つ。マスターたちを一人残らず殺し、聖杯を手に入れること。

「だから、聖杯戦争のNPCと葬者(マスター)を捕まえ、こうして調べ上げたのか」
「うん♡ アタシは天才ハッカーだから、人間の脳だってハッキングできるよん! その途中で、アタシを含めた葬者(マスター)全員の体内に作られた神経……魔術回路について調べたの!
 血液など、人間の命が回路を通じて魔力に変わって、サーヴァントが戦える。令呪だって、この回路と深く繋がってることがわかったよん」

 初戦で無力化したマスターの男を確保した目的はデータ収集だ。
 マイ自身の能力測定はもちろん、マスターとなった人間の構造を把握する必要があった。
 その為に病院の機械を利用し、男の体を隈無く調べ上げている。もちろん、病院の関係者の記憶を編集(エディット)して。
 複雑な機械をハッキングする彼女なら、CTやX線など現代医療に携わるあらゆる機械も手足同然。
 魔術回路と令呪の仕組みを、現代科学で解き明かした。

 人形となった男の利用価値はこれだけに留まらず、対マスターの鉄砲玉としても働かせている。
 二組目の主従に男を差し向けて、アルレッキーノのマスターであるように振る舞わせた。
 戦闘の隙をついて二人目のマスターすらも操り、強引に令呪を使わせる。
『マイ=ラッセルハートと、そのランサーを全面的にサポートせよ』ーーこう命令されては、アーチャーのサーヴァントも有無を言わさないまま、実験材料になるだけ。
 なお、ハッキングした彼らは既に屠った。
 手駒は必要だが、ルール上では敵として扱われている以上、後生大事に抱えられない。

「本当だったら、サーヴァントもハッキングしたかった。けど、たくさん検査をしても何も見えなかった。あーあ、廃墟にいるアイツらもハッキングできたらなー」
「それは不可能。神秘を宿さなければ、サーヴァントには傷一つ負わせられない。君たちの時代の科学や文明と言えど、我々を探るにはあまりにも脆弱だ」
「でも、サーヴァントのことを科学的に知れたら、かなり有利になると思うの。もちろん、慎重に動くことは忘れない」

 会場の外に赴いて、死霊やシャドウサーヴァントたちの調査を行ったこともある。
 荒廃しきった瓦礫の山でもアルレッキーノは健在。鬼神の如く勢いで、蔓延る悪霊を一閃した。
 だが、調査は短時間で打ち切った。マイへの影響を考慮して、長時間の滞在は避けている。
 マイの異能はシャドウサーヴァントにも効果がない。そう、一時的な結論を出した。

「アルレっちのマスターになった上で、編集(エディット)と消去(デリート)も乱用したら……アタシの脳に相応の負荷がかかって、死ぬかもしれないからね」
「懸命な判断だ。サーヴァントの使役だけでも、マスターにとっては大きな負担になる」
「だから、この能力は切り札。必要な時以外は使わないし、同じミスだって繰り返さない」

 トントン、と指で頭部を小突く。
 冥界に来る少し前、マイは巻戻士たちとの戦いに敗北した。その数はなんと、556回。
 若き日のシライを殺し、弱体化した巻戻士本部を壊滅させるため、過去に遡った。
 それに失敗したのは、決してマイが無能だったからではない。
 マイがいかなる手を尽くそうとも、巻戻士たちは知恵と根気を振り絞って運命を変え続けた。
 その過程で、マイ自身が死ぬ結末を迎えた世界線も数多くあったが、その全てが巻戻士に覆された。
 大罪を犯したマイの命すらも救った上で、巻戻士は敗北の運命を巻き戻し。
 そうしてマイは逮捕された。だが、天運はまだ尽きなかった。



「君の身の上は聞いた。時を遡る二つの勢力……巻戻士とクロックハンズ、実に興味深い」

 アルレッキーノが淡々とあげた視線の中で、鋭いクロスマークが静かに燃え上がる。その目つきは、今までとは比較にならない程に重苦しい。

「だが、君の願い……忌み嫌った巻戻士たちと同じ道を歩むことを、知らないはずがないだろう」

 そして、従者から問われる。剣呑な声色だけで空気が震え、心臓すらも貫きかねない。
 既にアルレッキーノには全てを話した。マイがこれまで歩んだ人生も、聖杯にかける願いも、包み隠さずに。
 もし、これから先、何か一つでも答えを間違えたら首が落とされる。中途半端な嘘や弁明は通用せず、小手先の企みなどすぐに見抜く。
 アルレッキーノの真価は、卓越した戦闘能力や兵を率いるカリスマ以上に、交渉術にあった。
 水の国フォンテーヌを始めとして、各国でスネージナヤの外交官として手腕を振るってきた「召使」。
 相手の感情、表情の動き、積み上げられた筋道と論理ーー針の穴ほどの隙間すら見逃さず、双方が利益を得るため、常に優位な立場で交渉を進めた。

「君がどう思うかは自由だが、形では私の主になった以上、相応の示しをつけてもらいたい。己の矛盾から目を背ける程度の器では、早死にするだけだ」
「アタシを殺すの? アルレっちだって、聖杯が手に入らないよん」
「ならば、そこまでだったこと。死は誰にでも平等に訪れる……私は、子供たちと一緒に歌声を聞くだけだ」

 彼女は真の意味で忠義を誓ってなどいない。
 仮に、マイが少しでも無様な姿を晒せば、アルレッキーノは裏切りの算段を立てる。万能の願望器を失うことも厭わずに。
 アルレッキーノは本気だ。
 立場問わず厳格なルールの下で接し、裏切り者が出れば例外なく処す。それは共に過ごした『家族』が相手でも例外ではなく、時として『殺した』。
 彼女が運営する孤児院ーー壁炉の家(ハウス・オブ・ハース)の子供たちは、そうして育ってきたのだから。

「わかってる。アタシが、巻戻士と同じことをやろうとしてるって」

 覚悟の上だった。
 半端なサーヴァントなど願い下げ。
 むしろ、これほどに揺るがない英傑こそ、マイは求めていた。
 馴れ合いではない。必要なのは勝利。

「でも、ママとパパが生き返るなら、アタシはどんなことでもやる。絶対に諦めたりなんかしない」

 亡くなった二人は望んでいないーー反吐が出るご高説を口にするサーヴァントなら、即座に自害させた。
 矛盾なんてとっくに理解してる。
 憤怒で腸が煮えくりかえっていた。
 でも、理屈や怒りを超越する愛が動かしていた。大好きなママとパパを取り戻すーーマイの胸を満たすのは、ただそれだけ。
 決して忘れもしないあの日。2068年8月1日に、ニューヨークインベントビルで起きた爆破事件。
 絶望的な状況の中、400人中398人が生還を果たした奇跡。実態は巻戻士たちによる剪定で、ママとパパだけが見殺しにされた。
 なら、二人の死を覆すには聖杯の力しかない。
 巻き戻し(リトライ)はおろか、途中棄権(リタイア)だって認められない。
 この聖杯戦争は最初で最後のチャンスだった。

「巻戻士の代わりに、アタシが聖杯の力でママとパパを助ける…………アルレっちにだって、邪魔をさせない」

 アルレッキーノを前にしても、マイの殺意は漲っていた。
 今更、まともな道に戻るつもりはない。幼い頃にクロックハンズの手を取ってから、とっくに捨てた。
 巻き戻し(リトライ)でシライの死を繰り返したのだから、マスターだっていくらでも殺せる。
 クロックハンズの十一時(イレブンオクロック)ではない。
 ただの、マイ=ラッセルハートとして、大好きなママとパパを生き返らせたい。


(クロノっちの気持ちが、ちょっとだけわかったかも。助けたい人がいたら、こんなに必死になるんだね)

 少し前だったら、聖杯の力で巻戻士たちを一人残らず消し去って、平等な世界を作ろうとした。
 けれど、彼はーークロノは約束した。マイを助けるために巻き戻し(リトライ)を繰り返し、誰一人として見捨てないと宣言している。
 もし、彼がこの世界にいたら、聖杯戦争を止めるために動いていただろう。例え、巻き戻し(リトライ)が使えなくともお構いなしに。

(ごめんね、クロノっち。でも、アタシは諦められなくなった……聖杯があるって知ったら、ゲットしない訳にはいかないよん。代わりに、世界は変えないから)

 これはクロノに対するせめてもの筋だ。
 いち早く彼との約束を放り投げ、再び悪に手を染めるのだから、クロックハンズとしての願いは捨てる。
 でも、たった一つのワガママは叶えたい。

(ねぇ、クロノっち。アタシがいなくなって、巻戻士の本部は大パニックになってるよね? いくら探したってムダ。もう、誰にもアタシを捕まえられない)

 見つけられないクロノっちのせいだよん、と。
 遠くにいる彼をけらけらと笑いながら、アルレッキーノと視線を交わす。

「憤怒と感傷に振り回されるな」

 灼熱は、眼睛で強く燃え上がったまま。
 真正面から受け止めたマイの額から汗が流れる。動揺や恐怖でなく、熱を逃すための生理的な発汗だ。
 それでも、槍兵が放つ峻厳な雰囲気は静まっている。

「衝動と躊躇いを生んで、隙に繋がる。私からマスターへの忠告だ」
「アタシだって、もう二度と失敗しない。だからデータを集めてるし、アタシだけの攻略未来(クリアルート)を設計してる。あとはアルレっちと、子供たちみんなの力が必要だよん」

 マイが使役するのはアルレッキーノだけではない。
 ランサーの宝具として登録された『壁炉の家(ハウス・オブ・ハース)』の子供たちもいた。
 この家に引き取られた子供はファデュイの構成員として育ち、ある者は諜報員、またある者はスパイ、別のある者は兵士としての道を歩む。一人一人の練度は高く、お父様であるアルレッキーノに絶対の忠誠を誓っている。

「ねえ、アルレっち」
「何だ」
「アルレっちは……「お父様」は、家族に囲まれて幸せだった?」
「幸せ、か。私は子供たちから信頼されたし、私も子供たちを高く評価した。これだけは言える」
「そっか。いいなぁ……enviable(エンヴィアブル)……」

 思わずこぼれ落ちた言葉。
 マイの眼差しに染まるのは、羨望。
 血の繋がりはなくても、アルレッキーノは子供たちに帰る家を用意していた。
 みんなで一緒にパーティーを開いたし、お父様はプレゼントをたくさん貰った。
 ずっと昔にマイが亡くした家族の団欒を、アルレッキーノは子供たちにいっぱい与えてくれた。

(だから、アルレっちはアタシのサーヴァントに、なってくれたのかな)

 湧き上がる悲嘆に蓋をして。
 ただ、マイは未来を見つめていた。ママとパパに褒められて、いっぱい楽しい時間を過ごして、子守唄を聞きながら安らかに眠れる日々。
 理想の世界よりも、もっと大事な宝物を求めて。マイ=ラッセルハートは聖杯戦争の葬者(マスター)として戦う道を選んだ。

「愛が深いね、アルレっち」

 両親の形見を、優しく握りながら。






 ひとりぼっちで大人になってしまった哀れな子供。
 己のマスター……マイ=ラッセルハートへの印象は、憐憫。もしも、マイがテイワット大陸にいたら、アルレッキーノは彼女の「お父様」になったはず。
 狂気の奥底にあるのは、両親に対する深い愛。二人だけを見捨てた巻戻士たちへの復讐で悪の道に墜ちた。
 そのマイを救ったのも巻戻士とは、何の皮肉か。

 アルレっちは……「お父様」は、家族に囲まれて幸せだった?

 そう聞かれた時、マイの瞳に宿る切望を確かに見た。
 ならば、サーヴァントとしてアルレッキーノは戦うだけ。
 同情などではない。マスターが信念を掲げるならば、その槍となるのが筋だ。

「お父様」

 人気のない闇の中で、アルレッキーノに呼びかける静かな声。
 マジシャンの双子と潜水士の少年が立っている。兄のリネと妹のリネット、二人の義兄弟であるフレミネ……3人とも、アルレッキーノにとっての宝物で、立派な子供たちだ。
 その気になれば、彼らだけで主従を仕留めるのは造作もない。だが、相応の魔力が必要で、滅多なことでは呼び出せない凄腕たちだ。
 魔力の都合上、現界して活動できるのは三人までがやっと。それも短時間のみ。
 英霊と、宝具になった今の子供たちは、アルレッキーノの呪いによって生まれた『余燼』に近い。最期を見届けた親友クリーヴのように、冥界に閉じ込められた。

「収穫はあったか」
「はい。僕たちは敵マスターの拠点をいくつか掴みました。そして、聖杯戦争に関する不穏な動きも。お父様、またはマスターの命があれば、僕らはいつでも動きます」
「今の私たちは宝具なので、普段は待機モードですが、一声かけてくれれば応戦モードになります」
「この都市の水路や、調節池の構造も隈無く把握しました……マスターから調査を依頼されたら、ぼくに任せてください」

 子供たちは気安く呼べない。
 だが僅かな時間でも、確かな成果を挙げている。不穏な気配の察知は勿論、敵対主従の誘いとしても有能だ。
 水陸問わず、彼らに目を付けられたら誰も逃げられない。

「みんな、ご苦労。あとで私の口からマスターに報告しよう。君たちは休むといい」
「待ってください、お父様。僕は……いいや、僕たちは知りたいのです。マスターではなく、お父様個人の願いを」

 一歩前に出ながら、リネはそう問いかけた。

「私たちは、まだ聞いていません。お父様が、聖杯にかける願いがあるのか」
「ぼくも同じです。マスターの願いは、尊重します……でも、お父様がただ言いなりになるなんて耐えられない」

 子供たちとてマイの境遇には思うところがある。
 だが、先代「召使」クルセビナや「博士」ドットーレのように非人道的な実験を行う女など認められない。
 もしも、マイが聖杯で世界を身勝手に書き換えるなら、アルレッキーノは即座に粛正した。

「聖杯にかける願いなど、ない」

 静かに、決然たる声で否定する。

「私たちサーヴァントは過去の虚像……如何に未練があり、それを晴らす機会が与えられようとも、彼女たちが生きる「今」を押し退けるなどあってはならない」
「でしたら、どうして聖杯戦争のサーヴァントになることを選んだのですか? お父様が命じてくだされば、僕たちはすぐにでも動きます」
「リネ。まだ、その時ではないからだ。彼女に与えられたチャンス……その果てに何があるかを見極めるまで、私はマイ=ラッセルハートのサーヴァントでいるつもりだ」

 彼女が心を入れ替えて善人になるなど、奇跡が起きない限りあり得ない。
 だが、顔も知らないクロノという人物は、己の信念を曲げずにマイを救った。その尽力を、部外者が恣意で無意味にする権利はない。
 故にアルレッキーノは決めた。主となった女が、何を成し遂げられるのか見守ることを。
 かつて、裏切り者のフィリオールたちの処刑を、客人の旅人が食い止めようとした。リネたち三人と結託し、力の差など関係なくアルレッキーノに信念を見せている。
 あの時と同じ。万能の願望器を勝ち取れるかは、マイ次第だ。



「親の愛を受けられないのは、子供にとって悲しいことだからな」

 ここにいる三人だけではない。『壁炉の家(ハウス・オブ・ハース)』に育ったみんなが頷くであろう、憂いを帯びた「お父様」の言葉。
 アルレッキーノーー否、ペルヴェーレの親友だったクリーヴの生涯は、実母のクルセビナに翻弄され続けていた。
 ペルヴェーレはその手に取った剣で親友を殺し、その果てにクルセビナの胸を貫いた。大罪は氷の女皇に赦され、邪眼と共に「召使」アルレッキーノの名が与えられる。
 しかし、アルレッキーノはとうに決めていた。女皇陛下だろうと、訣別の時が来たら剣を振り下ろすと。マイ=ラッセルハートとて例外ではなかった。
 主との関係がどうなるかはわからない。ただ、如何なる終点に辿り着くのかを見届けるだけ。


 子供たちが闇に消えた頃、アルレッキーノは主の元に歩みを進めた。



【CLASS】
ランサー

【真名】
アルレッキーノ@原神

【ステータス】
筋力 A+ 耐久 C++ 敏捷 B+ 魔力 D 幸運 C+ 宝具 A+++

【属性】
中立・中庸

【クラススキル】
対魔力:C
第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。

【保有スキル】

凶月血炎:B+
彼女の体内で幼き頃より暴れ回る炎であり、呪いにして一種の才。
この炎は自他問わず命を蝕み、呑み込まれた者の「残影」がこの世に残る。サーヴァントとして召喚されてからは「残影」が現れることはないが、呪いは健在で、斬撃として相手にダメージを与えられる。
また、ある極秘実験では彼女の体から炎を取り出し、壁炉の家に関する全ての記憶を抹消した逸話もあった。
テイワット大陸において元素力の使用にも神の目または邪眼が必要だが、アルレッキーノはこの呪いで炎を操れる。このスキルにより、ランサーが事実上魔力切れを起こすことはない。

命の契約:B
万象、灰に帰す。
アルレッキーノが自身の火力を増すためのスキル。
このデバフ効果が付与されると、あらゆる回復効果を無効化し、令呪を含めたマスターからの魔力供給が得られなくなってしまう。それと引き換えに、契約の度合いに応じて彼女の炎が更に燃え上がり、ダメージ倍率が上がっていく。
10分ほどの時間が経過すれば自然に解除されるが、ランサーの霊基が崩壊するリスクが伴う危険なスキル。

神の目:C
アルレッキーノの名が与えられる前、ペルヴェーレが神に認められた証にして魔力器官。
この神の目を手にした人間は、7つの元素力のうち一つを自在に操れるようになる。アルレッキーノの神の目は炎元素を宿し、上記のスキルと合わさってダメージ効果を増幅させる。
テイワット七神に纏わる代物のため、同ランクの神性スキルも兼ね備えている。

邪眼:B
「神の目」の複製品にして、「召使」の称号と共に氷の女皇から与えられた力。
凶月血炎、神の目に続く三つ目の力。神の目すらも凌ぐ力を誇るが、代償として使用者の命を削る危険な代物。
スネージナヤのファデュイ執行官(ファトゥス)全員が氷の女皇に忠誠を誓っており、アルレッキーノも例外ではない。その忠誠心によって、大半の精神攻撃を無効化できる。

人間観察:B
人々を観察し、理解する技術。
ただ観察するだけでなく、対象の生活や好み、住んでいる国の情勢までも正確に把握し、これを忘れない記憶力が重要とされる。
アルレッキーノは外交官としての交渉術及び観察眼に長けており、双方が友好的な関係を保つために誠意を持ち続けていた。


【宝具】
『昇りゆく凶月』
ランク:B+ 種別:対軍宝具 レンジ:- 最大捕捉:-
アルレッキーノの元素爆発にして、凶月血炎の翼を振り回して広範囲の炎元素ダメージを与える。
命中した相手には「血償の勅令」が付与され、追加の炎元素ダメージを30秒間与える。
上記の「命の契約」における契約の度合いによってダメージ数値が変わり、また消耗した分だけ霊基が回復する効果がある。
同ランクまでの対魔力スキルを持たなければ、炎の呪いによって焼かれ続けるだろう。

『壁炉の家(ハウス・オブ・ハース)』
ランク:B+ 種別:対人宝具 レンジ:- 最大捕捉:-
「召使」アルレッキーノが運営する孤児院・壁炉の家(ハウス・オブ・ハース)の子供たちを呼び出す宝具。
この家に引き取られた子供たちはファデュイの一員として育てられ、皆が何らかのスキルに長けている。
過去にはルールに背いた裏切り者も出たが、既にアルレッキーノの烈火に焼かれ、誰一人残らずに『殺された』。
よって、この宝具で呼び出されるのは、アルレッキーノに絶対の忠誠を誓う子供だけに限定される。
リネ、リネット、フレミネの三人は特に優れた霊基を誇り、サーヴァントとも互角に渡り合えるが、その分だけ魔力消費が激しい。令呪1画を使わない限り、彼らだけの単独行動は最大10分までしか維持できない。

『双界の炎の余燼(ペルヴェーレ)』
ランク:A+++ 種別:対人宝具 レンジ:1 最大捕捉:-
「召使」アルレッキーノが己の名と共に力を解放し、灼熱の炎と共に顕現する恐るべき姿。ペルヴェーレが宝具となった。
暗赤色のオーラと共に背中からは禍々しい翼が生え、対魔力スキルを含めた全ステータスが爆発的に向上する。巧みな連携を見せた旅人とリネたち4人を終始圧倒し、完勝したほどの戦闘力を発揮した。
この姿になれば赤月のシルエットも二本に増え、彼女自身の優れた武芸も合わさって攻守共に隙が無くなる。また、ダメージの他にも標的を拘束する効果が凶月血炎に加わり、実力ある英雄すらも抜け出すことは困難。
仮に力尽くで拘束を破壊しても、彼女の瞳を覗き込めば奥底に宿る赤黒い月を直視し、身動きが取れなくなる。

【weapon】
赤月のシルエット。

【人物背景】
ファデュイ執行官(ファトゥス)の第四位「召使」にして、壁炉の家(ハウス・オブ・ハース)を運営する「お父様」。
交渉術と戦闘能力に長けており、スネージナヤの外交官を務めている。
一見すると誠実かつ道徳心に溢れているが、他の執行官からは瞳に宿る狂気を警戒されている。
本名はペルヴェーレ。親友クリーヴの願いを背負い、子供たちが憧れる「王」として振る舞い続けた。

【サーヴァントとしての願い】
聖杯で何かを叶えようとは思わない。今はただ、マスターを見極めるだけ。

【マスターへの態度】
幼くして両親を亡くし、憎悪に駆られた哀れな子供。
最も、同情で戦うつもりはなく、マイが己の信念を曲げるのであればすぐ家族の元に送り届ける。


【マスター】
マイ=ラッセルハート@運命の巻戻士

【マスターとしての願い】
ママとパパを生き返らせるため、聖杯戦争に勝ち残る。

【能力・技能】

発明家として優れたスキルを持ち、特にハッキングが得意。どんな高度なセキュリティを誇る機械だけでなく、人間の脳すらもハッキングできる。
彼女はその手に持つタイムマシンで、人間を自由自在に操れる。
消去(デリート)で記憶を消去し、編集(エディット)は都合のいいように書き換えることが可能。
ただし、この能力はマスターとNPCのみに有効で、サーヴァントには通用しない。また、何らかの精神耐性を持つマスターであれば、この能力に対抗できる。
クロックハンズ及び巻戻士が持つ時間逆行・巻き戻し(リトライ)は制限により使用不可能。


”神殺し(ディーサイド)”
対巻戻士に備えた切り札である”究極編集(ファイナルカット)”。
伝説の武芸者が編集(エディット)された四本の腕(アーム)が顕現し、それぞれ自分の意志を持って敵に襲いかかる。
非常に強力だが、その分だけ脳に負荷がかかり、発動から2時間経過するとマイ自身が死亡する。


【人物背景】
時空犯罪組織クロックハンズの十一時(イレブンオクロック)。
発明家のラッセルハート夫妻の娘として生まれ、将来は二人のようになりたいと夢見ていた。
しかし、ビル爆発で両親が犠牲になり、二人を見捨てた世界への復讐に走った女。
原作5巻、第21話で巻戻士に逮捕されてからの参戦。

【方針】
聖杯の獲得を目指すが、かつて幾度となく敗北したので慎重に動く。
戦闘及び諜報活動はアルレッキーノ達に任せながら、聖杯戦争に関するデータを集める。
脳への負荷も考慮して、消去(デリート)と編集(エディット)の使い所を見極めなければならない。

【サーヴァントへの態度】
頭が良くて、圧倒的な強さを誇るサーヴァント。
自分の願いに非協力的であるとわかった上で共に戦いたい。
そして、家族の愛に満たされていて、羨ましくもある。

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最終更新:2024年05月23日 22:35