始まりは、一滴の雫だったのさ。
聖杯───凝縮された魔力の塊、無属性の力の奔流。手にした者の心を鏡に写して投影する、砂上の楼閣。
あらゆるの望みを叶える願望器、などと聞こえだけは仰々しいが、なんのことはない。つまるところは、ただの魔力の集積体だ。
本来かかる時間と手間をショートカットする小箱。贋作の、そのまた未完成の小さな一欠片に過ぎん。
過程なき成果を求めて破綻する、当然の末路ってやつだ。現代でも流行ってるんだろ? ファスト化ってやつ。情報ばっかり食ってて、胃にちっとも収まってない。
まあ、ともかく。それが誰かの手に渡ったのなら、まだよかった。
それは持ち主の願う世界だろう。
持ち主の秘めたる願いを、足りずとも叶えようとするだろう。
だが所詮は想像力だけで形作られた、実のない霧のようなもの。
奇跡は期間限定で、一夜明ければ夢は覚める。魔力の不足と手段の破綻で、果実は爛熟の前に枯れて落ちて潰れる。
本来ならばそれで終わるはずだった。
特異点も生まず、剪定の憂き目にも遭わない。世界も、願いも、無念すらも朝露と消えるだけの、知られざる話になるはずだった。
雫の落ちた場所が〝そこ〟でなかったのなら、な。
天国、地獄、ヴァルハラ、タルタロス……シバルバー───ミクトラン。
国や信仰だけ呼び名は数あるが、その本質は変わらん。
肉体が滅びた魂の、死者の行き着く、生涯の後の世界。そういう意味合いの地と思っておけ。
昔はともかく、今となっては幻想の概念だ。穴を掘れば出てくるわけもない、形而上でしか語られる事のない、それでも在ると信仰されてきた事で道が繋がれた世界の裏側。
だがその現世と冥界の狭間の、道とでもいうべき座標に、聖杯の雫が漂着した偶然が、以上の前提を覆した。
極小とはいえ、願望機の素養を備える欠片。異質な重量は道に窪みを生ませ、へこみには彷徨う霊が流れ込み、逃げ出すこともできず密集する吹き溜まりを作り出した。
溜まりに溜まった彷徨える霊魂は、どうなるか。
記憶も自我も溶けた霊がなおも抱える思い、単純で、そして切実な願いにも似た『最期の叫び』。
未練といった想念といえば、だいたいの指向性で縛られる。
『生きたい』。
『死にたくない』。
『生き返りたい』。
死を恐れる心をオレは嫌うが、否定はせん。
恐れを知らず戦う勇敢さは戦士の条件だが、死を恐れるからこそ己を奮い立たせて試練に挑むのも戦士の性だ。
宇宙の真理が解き明かされ、そこに人の生存が記されていないと知っても、奴らは構わず奈落の壁に爪を立てて昇ろうとするのだろう。その徒労は嗤いはしない。
時間の概念も不確かな領域で幾星霜。増え続ける死霊と魔力はやがて杯を満たし、死出を遡るための坂道を造り出し、望まれた機能を果たそうとした。
そうして、この世界は生まれた。
いかなる神話にも組み込まれていない、小さな、新しい冥界というわけだ。
だが悲しいかな、死者に願いは摑めない。
結果を変えられるのは、今を生きる者に限られた権利だ。
霞の如く茫洋な霊の手では、杯に手を伸ばしてもすり抜けるばかり。
幾ら数が増えども、源泉の願いと魔力を嵩増しするだけで、新造された冥界を漂うだけだ。
だというのに、だ。既に満杯になった器は、それでもと受諾した願いを果たさんとした。
あくまで無私に。空回りする結果になった霊への憐憫は微塵もなく、ただただ機械的に。目的を果たすため。
天を創り、地を創り、街を創り、民を創った。
冥界の主にはありがちなクソ真面目さだが………機械はどこまでいっても機械だな。
人の心を解さず、魂を支配するどころか逆に従わされる冥界神などお笑い草だ。
どれほど残酷でも冷血でも、死を司る神は厳粛に命を視て、各々の結論を出さなければならない。そうでなくては、冥界に秩序は訪れない。
だからこんな、生きたいという願いを叶えんが為に、願いを叶え得る生者を死の根元まで引きずり下ろして競わせるなんていう、みっともない歪みを生じさせちまう。
さて。では、
ルール説明といこう。
冥奥領域───其処がこの街の名だ。ま、オレが勝手につけたんだがね。
二十一世紀初頭の日本、そこの首都を模した街。死者の記憶をかき集めた、はりぼての家と残骸の住民。
あ? 日本の冥界でもないのになんで東京なのかって?
いいじゃねえか東京。オレは好きだぜ。精緻で猥雑で、常に文明の熱で満ちて燃え上がっている。戦争の火種がそこかしこに燻ってる証拠だ。
なにより高層建築が多い。アレはいい。一斉になぎ倒されてブッ壊される瞬間の爽快さったらない。
オレも含めて東京で騒ぎを起こそうとするヤツの理由は、あの電子回路めいた細かさのシティの中心を、ひと思いに更地にするのが気持ちいいからだと思うワケ。
だいいち、外観なんて些細な話だ。この街の機能は領域───内と外を分ける境界なんだからな。
領域の外、つまり都外はとうに冥界と化している。
いや、『領域の内のみが冥界でなくなっている』か?
当然だが、冥界は死者のための世界だ。地上から落ちてきた生者へのセーフティなぞ、始めから用意されてない。墓荒らしと見做され殺されても文句は言えん。
水も空気も、生きている命が口に入れても受け付けない。
冥界の食物を食べた者は地上に帰れない伝承は各地にあるが、まさにそれだな。
生命が常に消費している、死の危険に遭わない幸運。
死が満ちた冥界には必要のない、生存の為に必要な幸運。これを運命力を呼ぶ。
ようは酸素と思え。領域を出るのは海を素潜りするのと同じだ。短時間なら潜行できるし帰ってこれるが、潜る時間が長いほど呼吸が苦しくなり、再び潜れる体調に戻るまで時間がかかる。
生者が冥界に身を置けば、生命活動の信号と、この運命力が低下していく。
回復の見込みがないほど失い、完全に消えたなら……そこから先は言うまでもないだろ?
誰と戦わず殺されることもなく、プレイヤーは不戦敗なんてシケた結果が待っている。
復活を夢見る死霊や、敗れた英霊の残滓が徘徊して襲いかかってくるなんてのは脅威としちゃ序の口ってワケだ。
別に脱出ルートがあるわけでもないんだから、近づく理由もない、外に出なければ危険はないだろ、と思ったな?
このあたりの仕組みは中々どうしてよく出来ていてな。嫌でも外に気をつけなくちゃならないタネがあるのさ。
領域の範囲は東京全土と言っただろ? アレ、実は現時点での話でね。脱落者が出ると縮んでいくんだ。
葬者ひとりにつき地区ひとつってとこか。このペースなら……そうだな、一月も経たんうちに区外は切り捨てられるだろう。
マスターの数が減って会場が手広になる時の、後半戦用のルールだろう。切り詰めて安全地帯が減れば接触の機会もおのずと増える。
海に浮かぶ孤島をイメージしろ。
他の島は一点も見当たらず、脱出の舟もない。
自給自足できるだけの資源はあるが、全員分にはとても足りないので遠からず奪い合うしかない。
さらに時と共に潮位が上がっていき、満潮になる頃には島全体が沈んでしまう。
救助の舟がやって来るのは丁度満潮の時期。足場は1人がギリギリ息をできるだけのスペースしか残されていない。
爆弾が敷き詰められた危険地帯と、時を経るごとに削られていく安全地帯。このニ要素で舞台会場は出来ている。
単純な椅子取りゲームさ、分かりやすいだろ?
主催者もおらず、誰が考えついたでもないのに、こうも事細かく設定されてるとはね。
指向性はあるとはいえ自然の淘汰でここまでなりはしない。どっか他所のトコから引っ張ってきたのかね?
いや、オレじゃねえよ。オレならこんなぬるいルール設定するわけないだろ。
より苛烈に、よりフェアに回るよう盤面を整える。結果は振ったダイス次第ってな。
今回のオレはあくまでプレイヤー側だ。ルールに物申しても勝手に書き換えるほどの越権はせん。文句を言うにも家主は不在だ。
無法の国で、無法なりにまかり通ってる法則がある。戦争にも礼儀と作法は必要だ。
そういう意味じゃ、オレにも選べる権利があるってワケだ。こういう機会は中々無くて新鮮で、悪くない気分だぜ。
以上だ。
必要な情報はもう見せたということだ。これ以上は見せられんね。
売り値の話じゃない、オレの在り方の領分だ。どれだけ積まれても売れないものはある。人も神もそこは同じさ。
なに、そう焦るな。然る時、然る場所が訪れればキチンと話してやるさ。
少なくとも……薪を囲んだ静寂の中でする話じゃない。
しかして待つがいいさ。それまでお互い生きていたら、だがね。
最終更新:2024年04月07日 00:06