たん、という軽い音が響いて。
 的に三本の矢が同時に突き刺さった。
 得点は20のトリプル。それが×3だから、つまり180点。
 ダーツという遊戯における理論上の最高得点だ。

 ダーツマシンの横に表示されたスコアボードには、かれこれ五ターンに渡り最高得点しか出ていないという信じ難い事実が記録されている。
 ここがある高級タワーマンションの一室という閉鎖空間でさえなければ、熱狂したギャラリーが取り巻いていても不思議ではない稀に見る熱戦。
 だがそれを奏で給うふたりのプレイヤーは、特に自分たちの偉業を誇るでもなく平静としていた。
 ひとりは黒髪の青年。そしてもうひとりは、鮮血のように真っ赤な長髪をしたドレス姿の女だった。
 青年は女によって追加された六度目の最高得点を見て笑みを浮かべながらソファを立ち上がる。
 そしてまた、矢を投げる。三本同時に。
 矢は、20のトリプルを射止める。最高得点/180点が、スコアボードに追記される。

 ここまで来たところで、テーブルに頬杖を突いた女が声をあげた。
 傍らのカクテルにはストローが刺さり、グラスの水嵩は一割ほどまで減っている。
 きわめて度数の高い、バーじゃ"潰し"のために頼まれることも多い酒だったが――女は頬を染めるでもなく、当たり前のように平静としていた。

「あのさあ。これ、つまんねーんだけど」
「何だよ。お前がやらせろって言い出したんだろうが」
「もっと奥が深ぇもんだと思ってたんだよ。
 だけど蓋開けてみたらなんだよ、ただの的当てゲームじゃねえかこんなもん。大体聞きたいんだけどさぁ」

 呆れたような顔で言う青年に、女は退屈を隠そうともせずに悪態をつく。
 そしてじゅずず、と音を立ててカクテルを嚥下した。
 おかわり、と言って差し出されたグラスに、青年が「自分で注げよ」とブーを垂れつつ同じのを注いでやる。
 これだけ見ればどこか退廃的な雰囲気のある美男美女のカップルだ。
 探せばそれなりにありそうな景色の中でただひとつ、最高得点ばかり刻まれたスコアボードだけが異彩を放っていた。

 ……ダーツというゲームは、実に単純な趣向をしている。
 言ってしまえば、難しいことなどひとつもない。
 的まで矢を届かせる力さえあれば、文字通り老若男女誰でも楽しめるスポーツだ。
 矢を投げて、的に当てる。
 単純明快、しかしだからこそ世界中で広く愛される。
 ポピュラーな射撃競技として。バーやパーティーでの余興として。
 シーンを問わず、このゲームは様々な人間にプレイされては熱狂と一喜一憂を生み続けてきた。

 矢を投げて点数を競うゲームということは、つまり。
 極論を言ってしまえば、狙った的を外さなければ必ず勝てる。
 そういう意味でも、"これ"は至って単純な勝負だ。
 無論それが口で言うほど簡単なことではないから、今日も飽きずに誰かが矢を投げているのだったが……しかし。

「こんなの外す方が難しいでしょ。考えた奴馬鹿なんじゃないの?」

 しかし困ったことに時折、それを机上論ではなく現実の成果として実現させられる人間が涌いてくる。
 テーブルから立つこともせず、乱雑な動作でおざなりに矢を投げる女。
 その手を離れた三本もまた、最高得点を意味する場所に吸い込まれていった。


「……いや、実はずっと試してみたかったんだよ。弓兵(アーチャー)なんて言われてるけど、実際のところどうなのかねってな。
 もし一発でも外そうもんなら、その時は今まで生意気言われた分も含めて思う存分マウント取り散らかしてやろうと思ってたんだが……」
「舐めすぎ。悪意にしても低レベルすぎて、いちいち勝ち誇る気にもなんないわ」
「悪意なんて大層なもんじゃねえよ。今風に言うと、アレだな。"わからせ"ってやつ?」
「お前マジでいい根性してるよな。マスターじゃなかったら……いや、ううん。マスターだとしてもそのうち潰しちゃいそう。プチって」

 ――そう、世の中にはたびたび存在する。生まれて、あるいは育ってくるのだ。
 常に、それこそ何十回でも何百回でも、何千回でも何万回でも。
 必ず狙いに当て続けることのできるプレイヤーが、そんな怪物がこの世には出現する。

 そしてそういう者たちにとって、"狙いを外す"というのは世界が崩壊するのと同じくらいの"非日常"だ。
 そうした怪物たちがもしも、ひとつの的の前に並び立ったなら。
 技術と威信とそれ以外の何かを賭けて、戦う運びとなったなら。
 その時繰り広げられる勝負は、まさに迷路。
 互いが当たり前に最高得点しか出さないのだから、外さないのだから――技術の巧拙で勝負は決まらない。

「まあ、でもそれは理由の半分だ」
「半分もあんのかよ。やっぱり結構死んでほしいかも」
「もう半分は対話だよ、対話。
 このクソみたいな世界に来て結構経ったしよ、お互いに見えてきたことってのもあんだろ?
 街が死に喰われ始めたらこうして悠長に酒の席も設けられないんだ。頃合いとしてはいいところじゃねえかい、お姫様よ」
「矢投げだけが得意のスカしたつまんない人間が私と話ぃ?
 ハッ、つまんなすぎて寝ちゃいそうね。夢でも見てる方がまだ楽しそう。そうでしょ、ねえ」

 次は青年が矢を投げる。
 結果は当然、語るまでもない。
 彼もまた弓兵(アーチャー)。故に外さない。
 天地がひっくり返っても、その矢は目的を射止め続ける。

「――薄汚い同胞殺し。『迷路の悪魔』だったっけ?」

 ぴく、と青年の身体が動いた。
 それは弓兵の少女の言葉が単なる当てずっぽうではなく、彼の真実を射止める"矢"だったことを如実に物語る。
 確かな手応えは愉悦の笑みを呼ぶ。
 にやにやと笑いながら、少女は言葉を重ねた。蟻の手足をもぐように。あるいは、子猫に針を刺すように。

「まあちょっとだけ同情するわ。下らねえ的当てのために人生潰されて、挙句何百人ってニンゲンの死を背負わされたんだもんね」
「……驚いたな。話したことあったか?」
「頭ン中の知識ひっくり返してみろよ。私とお前は本当に不本意だけど、契約のパスってやつで繋がってる。
 だから夢とかそういう形で、記憶の共有が行われることがあるんだってさ。
 残念だったわね、化けの皮を剥がされて。どれだけ飄々と掴みどころのないミステリアス演じても、私はお前の真実を知ってる。
 ねえ、カラスマ。殺して、殺して、殺して、殺して……最後はようやっと会えた竹馬の友さえブチ殺しちゃった狼男!」

 悪辣、悪逆、残酷そのもの。
 そんな笑みを貼り付けながら、少女が矢を投げた。
 剥がした傷口を鏃で穿るように、三本の矢が的に吸い込まれる。

 それを見ながら青年――ダーツプレイヤー。
 悪魔と呼ばれた男も、汗を伝わせながら笑った。
 その表情がまさに、少女の突き付けた言葉が弁解しようもない真実であることを物語っているのだった。

◆◆



 まず最初に、ある大富豪の兄妹がいた。
 天下を取る商才と、そして他人を踏みつけにする無二の残酷さを秘めた兄妹だった。
 彼らは当然の帰結として大成したが、しかしそこでひとつの問題が浮上する。

 ともに巨万の富を持つふたりが争うことになった時、どうやってそれを解決するべきか、ということだ。
 多くの金と人間を抱えるふたりが本気で争うなら、それはもう兄妹喧嘩ではなく血で血を洗う戦争になる。
 勝っても負けても多くを失う戦いなど非効率的だ。もっとスマートで、かつ納得のいくものがいい。
 そこで異常者の兄妹が目を付けたのは、自分たちの喧嘩の行く末を委ねた戦士をふたり用立てての代理戦争という形式。
 そして。この世で最も美しく、そして精神の強さが行く手を左右する――ダーツという競技であった。

 ダーツプレイヤーを養成するための施設を、全国各地に秘密裏に建設して。
 そこに攫い/買い求めてきた子どもを押し込め、過酷な環境で育て上げる。
 兄妹の間で格の差がはっきり生まれ、争うことに意味がなくなっても。
 老いた兄妹は戦いの美しさと、そこで生まれる苦悩を目的に育成と競争、勝利と破滅を積み上げ続けた。

 数多ある施設のひとつ。
 雪の降らない、とある山中の施設にて、悪魔は育った。
 友を知り、恋を知り、死を知り……そして失う痛みを知り。

 一度きりの挫折を経験し、行き止まりにぶつかった悪魔は"完成"した。
 必ず勝つ。決して負けない。そして外さない。
 戦う相手を迷路に誘い、同じ相手とは二度と戦わない伝説のダーツプレイヤー。
 誰が呼んだか『迷路の悪魔』。誰かにとってのヒーロー、そして誰かにとっての死神。


 ――烏丸徨。数多の勝利を遂げ、数多の命を奪い、遂には死そのものにさえ招待状を送られた地獄の狼である。




 烏丸の物語は、終わった筈だった。
 長い戦いの末、悪魔は遂に本懐を遂げたのだ。
 すべての元凶である兄妹の片割れを破滅させ。
 生き残った妹には、施設の解体と戦士育成の中断を誓わせた。

 にも関わらず、それでも悪魔は許されなかったらしい。
 目を覚ました時、烏丸はこの冥界にいた。
 ゲームのルールを脳裏へ強制的に叩き込まれて、この鼻持ちならない残酷姫と主従(タッグ)を組まされていた。
 もはや賞品は富ですらなく、願いを叶え、死者を蘇らせる奇跡だなんて非科学的なものにまでなってしまった。
 死の世界にて行われる死亡遊戯。
 とうとう投げる矢は形を失い、的は目には見えなくなった。来るところまで来た、というわけである。

「死に追いやった友達を生き返らせる? それとも自分の弱さで潰しちゃった恋人の喉でも治してみる?
 ああ――自分のせいで死んだ全員を蘇らせるなんてのもいいかもね。聖杯ならそのくらいは叶えられるんじゃない?」
「……、……」
「おい、もっといい顔しろよ『迷路の悪魔』。
 お前が、お前のせいで背負い続けてきた荷物をどける機会に恵まれたんだぜ? 一緒に頑張って願い叶えようや、私も応援したげるからさ」

 死んだ人間は生き返らない。
 覆水は、盆に返らない。

 その"当たり前"が、今宵の勝負でだけは覆せる。
 聖杯の獲得。
 そんなたったひとつの勝利さえ成し遂げられれば、すべてが元に戻るのだ。
 誰かの悪意で歪んだすべて。誰かの弱さで零したすべて。
 それをすべて、盆の中に返すことができる。
 悪魔は人間に戻り、誰もたかだか的当てのために死ななくてよくなる。
 それは烏丸にとって、間違いなく願ってもないことであり。
 そして、同時に。

「――私もね、苛め殺すのはとっても得意なの。
 お前と私で殺して殺して、聖杯獲って気持ちよく全部チャラにしちゃおうぜ?
 なあに、大丈夫大丈夫! そんだけたくさん殺してんだもん、今更十も二十も変わんねえって!!」

 いくつもの命を殺し、死の世界に押し込めて踏み躙らねばならないのを意味していた。 
 聖杯を欲して立ち上がった、殺す覚悟を決めた人間ならばいい。
 それなら勝負は成立する。それを倒すことに、今更躊躇は覚えない。

 だが――聖杯の獲得に固執しない無辜の人間までもが殺す対象になるというのなら、話は別だ。
 烏丸徨は確かに悪魔だ。しかしそれは、盤を前にして並び立った対戦相手に対してのみである。
 そうでなければ話が通らない。行動の理由に、説明がつかない。


 悪徳金融業者に追い詰められ、両親を奪われた少女を助け。
 悪意をもって多くの子どもを殺した敵に怒りを燃やし。
 親友のために心を乱し、涙を流す。
 彼が誰に対しても悪魔であるのなら、そんな行動/情動を起こす意味がないのだ。
 死を死で制し、血を血で洗う悪夢そのものの旅路の中で。
 確かに成してきた救いと、見せてきた"熱"が――烏丸徨が人間であることをこの上なく明確に証明していた。

 そんな彼だからこそ。
 人間の彼だからこそ。
 少女の言葉は、無遠慮に彼の痛点を抉る。

「……やっぱお前クソガキだよ。あんたによく似た奴を知ってる」
「あは、そりゃ相当なろくでなしね。で? お前はそいつをどうしたんだよ」
「殺したよ。正確には違うが、まあオレが殺したようなもんだ」

 時に。
 『迷路の悪魔』の前に敗れた中に、子どものダーツプレイヤーがいた。
 一言で言うならば、残酷そのものの人間だった。
 腕前は卓越していたが、しかし人の心が解らない。見向きもしない。
 彼は最終的に、その幼気なまでの悪意が原因で命を落とした。
 まさしく因果応報。だが同情の余地など一片もない屑の悪党だったかと言われたら、烏丸は沈黙するしかなかったろう。

 勝つこと以外は何も知らない。
 勝たなければ生きられず、敗北することは悪でしかない。
 強者であることは、すなわち当然で。
 弱者であることは、すなわち罪業である。

 そう信じて生きてきた、そうなるしかなかった人間がこの世には確かに存在するのだと烏丸は知っていたから。
 だからその行為に怒りは燃やせど、存在そのものを否定することはできない。
 何故なら自分もまた彼の同類だから。
 目的のために、自分のために誰かを殺すということが生き方のひとつとして染み付いている。

 例えばそれは、生きるため。
 例えばそれは、過去を濯ぐため。
 命を奪うことになると分かって、異も唱えずにただ矢を投げた。
 そんな、人でなしであるから。だからこそ烏丸は表向き悪態をついても、目の前の少女のことを嫌えなかった。
 生粋の加虐者にして虐殺者。
 弱いものを苛め殺し、死骸の上で嗤える存在。
 されど、烏丸は知っている。

「まさにあんたみたいな奴だった。詳しくは知らないけどな。それでも……オレは、似てると思うよ」
「へえ。ならよっぽど最高な奴だったんじゃない? 趣味が合いそう。お前じゃなくてそいつに呼ばれたかったわー……で」

 もう、知っているのだ。
 それが、彼女が生きていくために与えられた"手段"のひとつであるのだと。

「――なんだよテメエ、その眼は」


 誰かに喰われないためには。
 利用され、使い潰されないためには。
 せめて形だけでも幸せの輪郭を取り繕って、尊厳を持って生きるためには――
 彼女は、この血濡れ色の妖精はそうするしかなかったのだと。
 知っているから、視てしまったから。そして聞いてしまったから。
 だから烏丸徨は、哀れで愚かな妖精を憐れむ。

 どれだけ残酷な言動で武装していても。
 きらびやかな装いで、真実を隠していても。
 烏丸の眼には彼女の姿は、ただの薄汚れた子どもにしか見えなかった。

「あれか? お前。私が何を言おうが、所詮マスターの自分には手出しできない筈~とか寝ぼけたこと思ってんの?
 だったらお門違いだぜ。私はその気になりゃ今すぐにでもお前なんてグチャグチャにして"遊び"に使ってやれんだよ。
 分かったら態度だけは気をつけな? ワガママ、キマグレ、ザンコク、サイアク。お前が呼んだのはそういう女なんだ」

 確かな殺意を滲ませながら、華やかに笑う。
 その姿はさながら、棘だらけの薔薇の花。
 触れたもの皆不幸にする、曰く付きのレディ・スピネル。
 手が矢を握り、振りかぶる。
 結果の分かりきった投擲は、現在いったい何ターン目だったろうか。

 定かではないが、確かなことはひとつだ。
 レディ・スピネルは矢を外さない。
 『迷路の悪魔』と『血濡れの妖精』の試合は必ず千日手に陥る。
 そう、それこそ。

 それこそ――


「"祝福された後継"」
「あ?」


 ――凪いで揺らぐことのない不変の水面に、小石でも投げ込まれない限りは。

◆◆



『何故だ』
『何故なのだ』
『何故はおまえはいつもそうなのだバーヴァン・シー!』



◆◆




「妖精妃モルガンが唯一寵愛した、愚かの型に嵌めなければ救えなかった愛娘。
 そういう生き方をでも選ばなければ、明日を生きることも叶わなかったバーヴァン・シー。
 同情するよ。同時に認める。お前は間違いなく、誰よりも祝福されていた」
「――テメエ」

 先ほどまでのとは次元の違う殺意が、テーブルを文字通り叩き潰した。
 酒がぶち撒けられ、肴が飛び散る。
 胸ぐらを掴み上げる手は、わずかに掠めただけでも烏丸の喉笛を抉り取るだろう。
 今まで見せていた露悪的な言動、宝石みたいに見せびらかした悪辣。
 そのすべてがただの"ごっこ遊び"でしかなかったかのように、今、バーヴァン・シーは殺意の塊と化して悪魔たる青年と相対していた。

「見たのか。聞いたのか。テメエ如きが、お母様の言葉を」
「あんたが言ったことだろ。オレとあんたは契約で繋がってる。
 先に抜いたのはあんたの方だ。だからオレも抜いた。これで対等(イーブン)だ」
「――いい度胸だ。ならお望み通り、ここでそのおしゃべりな舌を引っこ抜いてやるよ」

 バーヴァン・シーは烏丸徨という男に対して、好意など微塵も抱いていない。
 強いて言うなら少しばかり"昔の男"に似た色をしているというだけで、しかしそれも殺すことに惜しさを覚えるほどの理由ではなかった。
 更に言うならバーヴァン・シーは、それほど聖杯戦争に対してアクティブな心持ちでいるわけでもない。
 つまり彼女には、地雷を踏んだ身の程知らずを一時の感情に任せて殺すというその行動を思い止まる理由が欠けていた。

 烏丸ほどの男がそれを理解できないわけでもないだろうに、しかし彼は動揺を見せない。
 顔色ひとつ変えることなく、真顔のまま間近のバーヴァン・シーを見つめている。
 先ほどまでと何も変わらず。憐れな、轢かれた野良猫を見つめるような眼で。

「殺すなら好きにすればいい。オレもいろいろやってきたからな。今更命が惜しいだとか喚き散らかすつもりはない」
「言われるまでもねえよ」
「ただ、そうだな。やめた方が賢明だとは言っておく」
「ハッ! 何それ、命乞いのつもりか? だとしたら見苦しいな『迷路の悪魔』! ニンゲンの分際でどこまでも思い上がりやがって!」

 嘲笑するバーヴァン・シー。
 剥き出しの殺意が、烏丸の命を奪うまでもう数秒とかからない。
 にも関わらず烏丸は、まるで彼女が自分を殺せないと分かっているみたいに不変だった。
 いや――事実、そうなのだ。彼は分かっているのだ。だから暴れもしないし、焦りもしない。冷や汗の一滴すら流さない。

「あんたは強いよ。だがそれは、所詮借り物の鎧で取り繕ったハリボテだ」
「……何が言いたい。冥土の土産だ、聞いてやるから言ってみろよ」
「素直になれよ。あんた自身それが分かってないから、こうして今も繰り返し続けてるんだろ」

 妖精の眦が、微かに動いた。
 皆に愛された妖精。
 誰よりも重宝された妖精。
 皆の捌け口として、あらゆる悪意に曝され続けてきた妖精。
 ……決して。救われることのなかった、ちいさな命。

「変わらずにいられるならそうすればいい。
 だが、不幸なことにあんたはそこまで愚かじゃないんだ。
 だからいつも間違える。モルガンの思った通りには決して生きられない。
 必ずどこかで、破綻する。あんたはバーヴァン・シーであって、トリスタンなんかじゃないから」

「……、……」
「矢を狙った的に当てるのは簡単だ。実を言うとな、そんなことは誰だってできるんだよ。
 だから"できる"人間がふたりかち合って闇雲に矢を投げ続けても、勝負は絶対につかない。
 それでも勝負のつくことがあるとしたら、その時勝者と敗者を分けるものは何だと思う?」
「知るかよ。あんな下らねえ的当てなんざ――」
「迷わぬ心、ってやつさ」

 ――矢を投げて、的に当てる。
 それは実に、本当に単純な勝負だ。
 だからこそ優れた戦士は絶対に外さない。
 不運にも的を外すなんてミス、彼らは決して冒さない。

 だからこそ。
 迷路のように入り組んだ、出口のない勝負で問われるのはもはや"技術"ではないのだ。
 何があっても揺るがない、迷わぬ心が試される。
 逆に言えば、もし迷ってしまえば。
 たとえそれがどれほど優れた、百戦錬磨の素晴らしき戦士であろうとも……

 実にたやすく。
 赤子のように拙く。
 行き止まり(デッドエンド)にぶち当たる。

「オレを殺してスッキリするのも悪かねえだろうがよ。
 どうだいバーヴァン・シー。妖精國の玉座を継ぐ筈だったお姫様。
 あんた――腹ぁ括って、オレに賭けてみねえか」
「寝言は寝て言えよ。大体なんで私がテメエに賭けんだよ。
 死霊の一匹も殺せねえ腰抜けの軟弱なザコ人間に、なんで私がベットしなくちゃならない?」
「あんたが迷路を抜けるため」

 バーヴァン・シーは救われぬモノである。
 彼女が悪かったことも、確かにあるだろう。
 だがそれ以前に、彼女ははじめから迷路の中にいた。

 それは出口のない、運命とか宿命とか、そう呼ばれるたぐいの迷路。
 広大で意地が悪く、そもそも出口があるのかどうかも分からない悪意の籠。
 ブリテンの落日と共に、憐れで愚かな妖精の物語は幕を下ろしたが。
 しかし運命は、今も彼女を迷路の中に囚え続けている。
 だから彼女は今も尚、かつて与えられた皮を被り続けているのだ。
 何も変わらず、何も揺るがず。
 いつか再びやってくる破綻の"変化"を待ち続けるだけの迷子として、今もこうして狂い哭いている。

「オレは確かに悪魔みたいな男なんだろうさ。
 実際今だって、誰か殺せって言われたらきっと迷わずに殺れる。
 そういう風に生きてきたからな。正直さっきあんたに言われた言葉も耳が痛かったよ。
 人面獣心の狼男、それがオレだ。そしてそれは、きっといつか報いを受けるまで変わらない」

 だけどな、と烏丸は続ける。
 その眼はもう、憐れんではいなかった。

「オレは多分、あんたのことを裏切れないし捨てられない。
 それをしたらオレは多分、自分自身を許せなくなっちまう」

「頼んでない。昔の友達(オトコ)と私を重ねるのは止せよ」
「ああ、そうだな。重ねてんのかもな、あいつと。
 ……あいつも大概、不器用な奴だったからな。あんたと同じくらいには」

 烏丸と彼の記憶を見たバーヴァン・シーの語る人物は一致している。
 鬱屈の中で這いつくばって、生きて、死に損なって。
 そこまでしてようやく、蛹を破って不格好な身体で羽化した男がいた。

 思えば、本当に不器用な男だったと思う。
 昔も今も、変わってるようで何も変わっちゃいなかった。
 引き裂かれ、そして再会し、殺し合って、烏丸徨はその物語を終わらせた。
 その結末を憐れみはしない。悔やむことも、しない。それはすべて生き抜いた彼への侮辱になるから。
 長い長い迷路を抜けて、花道を歩いて去っていった親友のすべてを穢すことになってしまうから。

 そして。
 嘲弄する道化の面を外した烏丸は、妖精をもう憐れまない。
 最初から、憐れんでなどいない。本当の顔はいつだって内に秘めるもの。
 地金を晒すその瞬間は、ここぞという時の大一番だけだと相場が決まっている。

「でもそれだけじゃねえから安心しろ。ちゃんとオレは、あんたをオレ自身にも重ねてる」
「……キモ。よく臆面もなくそんな臭えセリフ吐けるな、頭に虫でも涌いてんのか」
「うるせえよクソガキ。ていうかあんたはむしろ、ちょっとはオレを見習うべきだろ」

 そう。
 バーヴァン・シーは、あの施設の子どもと同じだ。

 生まれながらに迷路の中にいる。
 それしか知らないから、ずっと迷うしかなくて。
 いつも誰かの都合のために、使い潰される。
 ようやく生き方を見つけても、始まりが壊れているから普通には決してなれない。

 だから悪魔のように生きて、せめてその強さで自己を表現するしかない。
 そうしなければ、本当に何にもなれずに壊れてしまうから。
 擦り切れて、潰されて、ゴミのように朽ちてしまうと分かっているから。
 同じだ、何もかも。だからあの施設を解体させ、残るすべての子どもを救った烏丸徨は――目の前にいる"もうひとり"を見捨てられなかった。

「これは契約だ、バーヴァン・シー。
 オレを生かせ。そしたらあんたのために働いてやる」
「結局命乞いじゃねえかよ。格好つけといてダサい奴ね」
「おう、命乞いさ。あんたはオレという悪魔をひれ伏させ、契約の言葉を引き出した。そういうことにしといてやるよ」
「……それで対価が、迷路から私を出してくれるって? 抽象的すぎて話になんないわ。やっぱり殺した方が良さそうなんだけど、今んとこ」
「ハァ――欲張りな女だなお前。ベリル・ガットも苦労したんじゃねえの? じゃ……特別サービスでもう一個くれてやるよ」

 元カレの名前を出されて更に殺意の迫力が増すバーヴァン・シー。
 そろそろ胸ぐらを掴まれて強烈なパンチが飛んできそうだったが、そうなっては意味がない。

 烏丸は最後の矢を投げた。
 迷う妖精の道行きを示す、約束された最高得点。そんな矢が、飛んだ。


「バーヴァン・シー。――――あんたを、今度こそ最高の妖精騎士にしてやる」


 沈黙が流れる。
 たったの数秒。
 されどきっと、今までのどの時間より意味のある数秒。
 バーヴァン・シーは一瞬、信じられないものを見たような顔をした。
 だがすぐに、苦虫を噛み潰したような表情へ切り替わる。
 チッ、と舌打ちをして。掴み上げていた烏丸を床へ投げ捨て、ソファへ乱暴に腰を下ろした。

「……言っとくけど、納得したわけじゃないから。
 お前があんまり必死過ぎるから、なんか白けちゃっただけ」
「ゲホッ、ゴホッ……おー痛て、お前本気でぶん投げやがったな……。
 ……、……まあ今はそれでいいや。そういうことにしといてやるよ。
 ところでよ、バーヴァン・シー」

 あ? と眉根を寄せるバーヴァン・シー。
 それに対して烏丸は、ニヤつきながら指差した。
 指差す点は、遥か遠くのダーツ盤。
 今度は何だよ……と鬱陶しげにそっちを見たバーヴァン・シーの表情に、「あっ」という驚きの色が灯る。

「お前散々イキっといてひっでえ外し方してんじゃねえかよ~~~~~!!!
 ギャハハハハハハ!!! 二発チョンボて!!! これなら知り合いのヤクザ者の方がまだマシな点取るぜ、ヒィ~~~腹痛て~~~!!!!!」
「――よし殺す。絶対殺す。今ブチ殺す!!」

 ……そういえばこのニンゲンが地雷踏んできたの、矢ぁ投げる寸前だった。
 バーヴァン・シーが今思い出してももう時既に遅し。
 怒りでブレた手先から放たれた矢は辛うじて一本だけ9点を射止めていたが、残り二本はものの憐れに的を外し、チョンボ。
 高笑いする烏丸に対し青筋を立てながら再び本気の殺意を向け直す、バーヴァン・シーなのであった。

◆◆



 じじじじじじ。
 音がする。

 烏丸徨は悪魔である。
 『迷路の悪魔』。その名に嘘偽りは一切ない。
 何しろサーヴァントさえ、異郷の妖精さえ言い負かす怪物だ。

 じじじじじじ。
 眼が、ぎょろりと動く。

 『迷路の悪魔』は手の内を明かさない。
 考えを他人に悟らせず、しかし偽の印象だけは鱗粉のように振り撒いて回る。
 故に彼が実のところ何をもって勝利としているのか。
 そこに至るまでをどう歩むつもりなのか、相棒であるバーヴァン・シーでさえそれを知らない。

 じじじじじじ。
 悪魔はそこにいる。

 悪魔は契約を違えない。
 バーヴァン・シーを迷路の出口へ導く。
 彼女を呪いの厄災から、最高の騎士へと高めてみせる。
 その言葉に偽りはなく。
 だが逆に言えば――誓いを果たすために何をする気なのかは、たとえ相棒にだろうと明かしはしない。 

 『迷路の悪魔』は降り立った。
 冥界という巨大な迷路が、今彼の手中に収まっている。
 であれば後は、誰もが悪魔の悪意に怯えるしかない。
 たとえ勝負が、的に矢を射る競技ではなくなったとしても。
 それで悪魔が牙を失うわけじゃない。
 逆に、円盤と矢の縛りから解き放たれたことで悪魔は未だ誰も知らない翼をゆっくりと冥界の空に広げている。

 呪いの厄災が去るのなら。
 悪魔の厄災が吹き荒れる。

 迷うな、迷うな。
 生きたければ。

 もしも迷い、ひとたび悪魔の迷路に呑まれたのなら――





「     そこが   
             "行き止まり(デッドエンド)"だ         」




.

【CLASS】
 アーチャー
【真名】
 バーヴァン・シー@Fate/Grand Order
【ステータス】
 筋力A 耐久C 敏捷A 魔力B 幸運D 宝具E
【属性】
 混沌・悪

【クラススキル】
対魔力:EX
 決して自分の流儀を曲げず、悔いず、悪びれない。
 そんなバーヴァン・シーの対魔力は規格外の強さを発揮している。

【保有スキル】
対魔力:EX
 決して自分の流儀を曲げず、悔いず、悪びれない。
 そんなバーヴァン・シーの対魔力は規格外の強さを発揮している。

【保有スキル】
祝福された後継:EX
 女王モルガンの娘として認められた彼女には、モルガンと同じ『支配の王権』が具わっている。
 汎人類史において『騎士王への諫言』をした騎士のように、モルガンに意見できるだけの空間支配力を有する。

グレイマルキン:A
 イングランドに伝わる魔女の足跡、猫の妖精の名を冠したスキル。
 妖精騎士ではなく、彼女自身が持つ本来の特性なのだが、なぜか他の妖精の名を冠している。

妖精吸血:A
 バーヴァン・シーの性質の一つ。
 妖精から血を啜り不幸を振り撒く、呪われた性。

騎乗:A
 何かに乗るのではなく、自らの脚で大地を駆る妖精騎士トリスタンは騎乗スキルを有している。

陣地作成:A
 妖精界における魔術師としても教育されている為、工房を作る術にも長けている。

【宝具】
『痛幻の哭奏(フェッチ・フェイルノート)』
 ランク:E 種別:対人宝具 レンジ:無限 最大捕捉:1人
 対象がどれほど遠く離れていようと関係なく、必ず呪い殺す魔の一撃(口づけ)。
 相手の肉体の一部(髪の毛、爪等)から『相手の分身』を作り上げ、この分身を殺すことで本人を呪い殺す。ようは妖精版・丑の刻参りである。
 また、フェッチとはスコットランドでいうドッペルゲンガーのこと。

【weapon】
 フェイルノート


【人物背景】
 愛された子、呪われた子、穴底の呪い、今はもう亡いとある國の遺物。
 悪辣、悪逆、残酷でわがまま。
 そうあることでしか生きられなかったちっぽけな命。

【サーヴァントとしての願い】
 やるからには勝つつもりだが、生前のあれこれや変わり種が過ぎるマスターのせいで今ひとつやる気が出ない。
 ただくどいようだがやるからには勝つつもり。
 負けて無様に地を這うだなんてもうたくさん。 

【マスターへの態度】
 変人。凡庸なのか異常なのか、善良なのか悪人なのかも判断のつかない相手。
 サーヴァントとして働いてやってる自分にさえ腹の内を隠しているところが心底ムカつく。
 ……その魂から漂う血の臭いはどこか元カレを思い出させるが、しかし似て非なる存在だと理解している。


【マスター】
 烏丸徨@エンバンメイズ

【マスターとしての願い】
 ――じじじじじじ。

【能力・技能】
 人間離れを通り越し、もはや人外の域に達しているダーツの腕前。
 百発百中は大前提で、両手で三本ずつ矢を投げてそのすべてを狙いの場所に到達させる芸当を数時間に渡り再現し続けられる。
 だが真に恐ろしいのはその精神力。心理誘導、対戦相手の分析、動揺に判断を左右されない精神の安定性、どれも作中最高。
 『迷路の悪魔』が見せる弱さは、ほぼすべてが敵を陥れるための罠だと言っていい。

【人物背景】
 美しさと苦悩を持って戦い続けることを幼い頃から運命づけられた、筋金入りのダーツプレイヤー。
 『迷路の悪魔』の二つ名を持つ。
 裏ダーツの世界では非常に有名な存在だが、何故か一度試合をした相手と二度会うことがないため、その実在からして疑う者もいる。

【方針】
 「契約は果たす。一応、悪魔とか呼ばれてるんでね」

【サーヴァントへの態度】
 クソ生意気なガキ。いつか戦ったクソガキを思い出す。
 ただ、それ以上に放っておきたくない相手。
 不幸に生きるしかできない子どもという存在を、烏丸徨はもう捨て置けない。

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最終更新:2024年05月26日 19:06