この世界で生き続けること。
 その全てを愛せるように。

 ◆

 近郊農業という農業の形態がある。
 業態は呼んで字のごとく、敢えて地方の大量生産地ではなく都心部の近隣に農家を構えることだ。
 土地や諸経費にかかる物価高を犠牲にして、『輸送費の安さ』と『鮮度の保証』というシンプルかつ手堅いメリットを確保し、大量消費地に文字通りの意味で太く短く繋がる。
 栽培される品目としては、鮮度が第一である葉物野菜や花きの占める割合が多い。そして年間を通して早く育てて速く市場に届ける要請上、ビニールハウスのように環境をコントロールできる『菜園』を確保して安定生産に励む農家も多い。 
 それは近現代の英霊であったとしても、まず聖杯戦争の真っ最中には活用しない知識だ。
 しかし場所が場所であれば、思い出すことはある。
 つまり東京都にも、特別区二十三区を出れば農地はある。
 付近一帯は人家の少ない郊外で、夜になれば人目はない。
 そういう立地を探したら、ビニールハウスの点在する緑色の景色に行き当たった。
 ましてそれが畑の群れの片隅、封鎖された建物の屋内ともなればたいていの通行人も近寄りがたくなる。

 下準備自体は、それなりにしっかりとした。
 日数が経過するごとに会場外として沈んでいく市町村に、地図でバツ印をつけていく。
 都市の中核と見なされる『特別区二十三区』は最後まで残ると推定した上で、『もうすぐ消えそうな候補地』を逆算。
 さらに『往復がそこまで面倒でない距離』も加味した上で、『すでに戦場や拠点としては放棄された廃墟』を選定。
 そこが廃教会だったのは、十分な床面積や立地があっただけでなく、この国の言葉で表すなら『げんを担いだ』ところもなくはない。
 とくに神様を信じている方ではなかったけれど、廃教会には思い出があったから。
 ともあれ埃っぽい礼拝堂には、それでも植物の瑞々しさと、土壌の生臭さが入り混じった匂いがした。
 扉と窓を閉め切った上でなお、近隣で美味しそうな野菜がすくすく育ちつつあると感じ取れる、そんな匂いだった。

 しかし今だけは、それを腐臭と血臭が上書きしていた。
 上書きしたのは、彼女(サーヴァント)自身だったけれど。

 床や長椅子のそこかしこに積もった骸骨や腐肉の残骸に、熾火が灯っていた。
 火事として燃え移るには弱く鎮火に向かっており、しかし礼拝堂は真っ暗闇ではなくなる。
 正面に据え付けられた大きな十字架が、常人の目にも分かるほど輪郭を露わにして壁に陰影をつける。
 信心深い者であれば神様が見ていると解釈する広間で、相対するのは少女が二人だった。

「さすがに、そろそろ会話する気力ぐらいは取りもどしてくれないかな?
 本当にボクにしては珍しく、いくらでも文句を聴くつもりで臨んだんだけど」

 一人は不遜にも、十字架前の教壇の上に足を開いて立っていた。
 黒いフードに黒いマスクを装着し、背中はマントで隠した明らかに隠密の装い。
 マントの開口部から見える頭身の長い体躯は、筋肉の付き方に限れば男性的なまでに鍛えられ研がれていた。
 フードの端に引っ掛かった髪の色は、雪国に棲む狼を思わせるような蒼銀髪で、見下だす眼光は冷えきったアイスブルー。
 見下ろしているのではなく見下しているのではないか。皮肉っぽい口の利き方のみならず、眼光にはそう疑わずにいられないほどの氷の刃を宿す。
 空間の支配者としての堂々とした立ち姿といい、反抗期の抜けきらない年頃の少女がただ威嚇するだけで、まずこの眼つきにはならない。
 間違いなく歴戦の果てに獲得した凄みが、隠そうとすることなく発散されていた。

「まずは、ありがとう…………でも、何のつもり? 自分の小器用さを自慢したくなったの?」

 返される言葉は、弱弱しかった。
 後半になるにつれて険がこもったものの、精根の乏しさはごまかしきれていない。
 声音の弱さを体現してあり余るようなみすぼらしさで、もう一人の少女は床にへたり込んでいた。

 どうみすぼらしいかと言うと、ほとんど下着姿だった。
 職場にて何日も徹夜して糾弾の矢面にも立つような過酷の極みを尽くし、自室に入るなり化粧落としさえできずに脱ぐもの脱ぎ捨ててベッドに倒れたような、そんな恰好。
 最低限のインナーとホットパンツ。東京にて設定(ロール)を与えらえてから、着替え自体は低頻度で繰り返したものの、外出できる着衣を纏うことはこれまで無かったほどの気力の無さ。
 そして顧みられていないのは、服装にとどまらない。手入れして晴天の下に出ればさぞかし燦然とするだろう、混じりけなしの純銀髪も、現状では荒れてボサボサした長髪を腰元まで垂らしている。
 雪のような白皙の美貌だから白雪姫と名付けられたという童話を連想するような面差しは陰り、肌も荒れ、目元にはくっきりとしたクマがある。
 この世界に堕ちてからの心労でこうなったわけではない。
 聖杯戦争を告知されたばかりの時点、サーヴァントと出会った時からこのありさまだった。

「お礼から入るんだね。口先だけでも『このまま自滅するはずだったのに邪魔しないで』って怒られるかと思ったけど。
 それか、ボクの自作自演なんだからお礼を言う義理はないって、もっと論理的に詰められるとか」

 年頃の少女としてはあまりに生活を放棄し、葬者(マスター)としてはあまりに生きる気力を欠いていた。
 そんな有り様なのに、廃教会で命を救われたこと、面倒を見てもらったことには礼を言うのかと。
 生きるつもりが無いなら、サーヴァントの護衛に対して感謝をする筋合いもないはずだと追求する。

 ――覚えておくといい。心に炎を灯せない奴は、この世界ではゴミだ。

 かつて己のことをそう断じた者の評価を、そのまま引用するのも癪ではあったけれど。
 そう言いたくなった気持ちも、己の葬者(マスター)の有様をみれば、まったく分からないではなかった。
 こいつはこのままではすぐに死んでしまうと、そう確信させる少女が眼前にいるのを見下ろす心情だ。

 外資系企業ベネリット・グループの総裁令嬢、ミオリネ・レンブラン。
 書類上では本社がある外国の名門校に在学中となっているが、目下グループの進出が拡大しつつある国で見聞を広めて自律性をどうたらこうたらと紋切り型の理由によって、お忍び留学の真っ最中。
 独立して生活したいという本人の要望により東京支社勤務の幹部にもこの事実は知らされず、日本の高校にも偽りの氏で学籍を置いている。
 当面は慣らし生活として都内のマンションで三月中を過ごし、この国での新学期開始となる四月からは通学を始める予定。

 設定(ロール)としては特異なものではあったけれど、手ひどい心的外傷を負うような経歴は見当たらない。
 それがどうして、聖杯戦争をすることになった絶望に留まらない、全てを投げ出すことを選んだような無言の引き籠りに徹しているのか。
 それを問い詰めるも、始めのうちは会話さえ成り立たず。
 もしこれが霊体化のできない生身の人間であれば、部屋から閉め出されていたのではないかという断絶があった。
 ぽつぽつとでも、受け答えが成立するようになったのは最近になってからだ。

「前に、命を助けられて、感謝しないといけない時に怒って……後から、後悔したことがあったから」

 だから相手の意図がどうであれ、お礼だけは言わなければと思った。
 失敗した苦々しい経験が、まずは感謝を優先させたのだと。 

 ミオリネはそう吐露して、教会に散らばった戦闘の残滓をゆっくりと見回した。
 取り残された残骸は、礼拝堂内に押し込められていた骸骨(スケルトン)や屍食鬼(グール)の残骸だった。
 冥界の亡者の中でも、完全に霊体からなる幽鬼(ゴースト)は霊核を射抜き、あるいは投擲武器で破壊したことで消滅を果たしたけれど。
 霊体ではない亡者たちの一部は、ミオリネを囲んで手にかけようとしたその立ち位置のままに痕跡を散らかしている。
 亡者たちがおいそれと外には出ないよう、床に染み込ませた鮮血――輸血パックや自身の血液などを混合した【魔力を含んだ生き餌の気配】――が、射殺ではなく焼殺によって倒された熾火によって浮かび上がる。
 少女ひとりを閉じ込めて周囲をぐるりと囲めるだけの数を集めるのは骨が折れたけれど、冥界との境界線が近かったことや、『手負いの魔力リソース』の振りをして誘導も効いたことで、難度はそうそう厳しいものではなかった。

「……でも、やり方には怒ってるから。この裏切りクソアサシン」
「こーんなに面倒見のいいサーヴァントをつかまえて、裏切りクソアサシンとは失礼な」
「たった今、いくらでも文句を聴くって言ったくせに」
「今夜のことについてはね。でも、今まで世話してやったことまで忘れたとは言わせない」

 毒舌鋭い少女は、少しの間バツが悪そうに眼をそらした。
 こちとら十代の身空での召喚とはいえ、後悔しないように生きたプライドはしっかりとある。
 聖杯にすがるべき未練もないし、何日にもわたって没交渉を貫かれたなら雇用の意思は無いってことで見捨てていいだろ……と思わなかったわけではない。
 しかし生前の仲間たちであれば見捨てないんだろうなと、身内が抱いていた理想、夢、情に基づいて、それらに反目しないだろうと思われる程度に根気強く面倒をみることはした。 
 引きこもって生活を放棄した少女の衣食住の世話や、最低限の清潔感の推奨。
 のみならず、『いや、お忍び留学なんて恋愛小説みたいな設定、他のマスターが知ったら怪しむに決まってんじゃん』と。
 学籍を置かれた高校からプライベートが露呈しないかどうか、本当に実家の企業が接点(ロール)として介入してくることは無さそうかどうか、ひと通りを確かめる防諜まで果たした。
 アサシンといっても、本職は影の傭兵(スパイ)だ。慣れない仕事では全然なかった。
 なかったが、もう今までの働きだけで優良サーヴァント扱いされてもいいぐらいだと思う。

「……足を引っ張った、自覚はある」
「自覚なかったらキレてたよ。『こいつ生活力が無いこと自体は素だな』ってだんだん気付いたからねボク」
「でも、さっきは本当に切り捨てを選んだのかと思った。……自分が何をしたのかは分かってる?」
「適当な冥界のおばけで蟲毒を作ってー、マスターをひっ捕まえて、連れてきて、放り込んだ。その後にしっかり助けた」

 ぽいっと。
 無造作に、冷たく。
 野良犬を放逐するように、生者を殺そうとするエネミーがわんさと蠢く礼拝堂の中央に投げ出した。

「私の学校に『氷の君』ってあだ名があったけど、あんたの方が似合うわよ。どのへんに『灰燼』とか熱い要素があるの?」
「さっき炎を使ったりはしたんだけどなー……」

 灰燼のモニカ。
 【灰燼】は、あくまでコードネーム。
 初日に行った名乗りを、ミオリネはうずくまりながらも耳と記憶に留めていたらしい。
 戦闘について話題が移ったことで、話は当初の文句に立ち戻った。

「もし私が、令呪を使ったりしたらどうするつもりだったのよ」
「君は現状零点のクソ女ではあっても阿呆には見えない。焦った時でも『自害しろ』までは言われないと思った」

 それに彼女は、世話されることにバツの悪さを露骨にするぐらいにはお人好しだった。
 ならばすぐに自害強制を選択肢に持ち出すことは無いだろうと読んでいた……と続けようとしていたのだが、『クソ女』まで言った時点でだいぶ沸点に近づいた感触があったので自粛した。

「そして、もしも『令呪を使ってまで助けてくれと望んだ』なら、それはそれで成果だ。言質が取れる」
「暴論よ……襲われてパニックになった時の証言を盾にするなんて、法廷じゃなくても通用しないわ」 
「言うほどパニックじゃなかったと思うけど……ボクのことを『小器用』だって、しっかり見ていたじゃないか」
「あんなに武器を切り替えて戦ってたんだから、不器用だと思うわけないでしょ」

 先ほど、彼女は『小器用さを』自慢したくなったのかと皮肉った。
 戦闘力、実力という言葉を使わずに、器用という単語を使った。
 それは正しい。サーヴァントが屍鬼、死霊などの亡者たちを多対一で倒せること自体は、そう珍しくはない結果だ。
 英霊とただの幽鬼がどのように違うのか、サーヴァントについて知識を持った葬者ならば、その強弱関係には思い至れる。
 しかし、聖杯戦争に参加することも抗うことも気乗りせずに、ふさぎ込んでいた少女が。
 鉄火場に放り込まれた上でもルールを念頭において、『評価すべきは亡者を倒したことではなく、全方位から隙間なく押し寄せるエネミーに全て対応し、マスターを傷つけさせなかった器用さだ』と分析できていた。
 それも一振りの斬撃で全てを一掃するような必殺技ではなく、銃器、小刀、投擲鉄球、放火装置等を次々に切り替え、跳弾さえも計算したように全方位を無駄なく迎撃する戦い方に、眼を瞠っていた。
 たいていのことは、戦闘実技を含めてなんでもできる。器用万能に。
 しかし表の英雄を張るような『圧倒的な正攻法』は持ち合わせていない。
 自分が引いたサーヴァントの概略を、彼女は正しく掴んでいる。

 よって、彼女には葬者としての心構えも、絶やしていない思考もある。
 ただ、心に炎を灯してくれる大切な人の不在によって、足が竦んでいる。

「スレッタ」

 名前一つ。
 それを口にしただけで、目つきが変わった。
 これまでにないほど鋭くなっただけではない。顔に熱が宿った。

「絶体絶命に見える亡者の群れを見て、最期の言葉がそれだ。
 君が言っていた『花婿さん』の名前だろう?」
「馴れ馴れしく踏み込まないで」

 花嫁。花婿。父親。花婿の母。花婿の姉。そしてガンダムという唯一の固有名詞。
 要約すれば、花婿の母親から花婿を取引材料にしてほとんど脅迫のように利用され、間接的に大量殺人の罪を背負い、花婿の姉を取りもどすために仮称養母は更なる罪を重ねようとしている。 
 そこに、花婿がもう一度二人で立ち向かおうと迎えに来たのだと。

 ――扉、開けてもいいですか?

 その言葉に応えて歩き出したところまでしか、覚えていないと話は途切れていた。

「あいにくと、もう聞かなかったことにはできない。
 すがるのか、謝罪か、どっちでも意味するのは『もう一度会いたい』だから」

 ミオリネに、もはや命運はここまでかとはっきり思わせる。
 しかし、実際に傷を負わせることはしない。
 だが敗死に向かって逃げるのかどうかを突きつけ、答えてもらう。
 仕組んだのは、そういう段取りだった。


「……前に、言ったでしょう。私はもうこの先、間違えて人を死なせたくない」

 もうこれ以上、『自分が進んだことで生まれた犠牲者』を一人だって背負いたくない。
 それは愛する人を護ろうとして進み、何も手に入らず破滅していった少女が戦争に背を向ける理由だった。

 彼女のように夢を語って躓いた挫折者なら見たことがあったなと、重なる。
 おそらく、誰かを切り捨てて幸せになること自体に、不向きなお人好しなのだろう。
 しかもミオリネは頭の回転が速い。だから先の先まで予期してしまう。
 たとえ『彼女自身は誰も見捨てずに生きて帰ろうと足掻くことを選んだ』のだとしても。
 足掻いた結果が出るまで、今もなお生まれている犠牲者は、『救えなかった命』になる。

 もしも生還が叶わなければ、『無駄な足掻きによって多くの人を死なせた』という罪だけが残り。
 もしも生還が叶ったとしても『その生還の為に、これだけの犠牲が生まれた』という命を背負うことになる。
 どちらに進んだとしても、彼女にとっては正しくない結末。罪過の輪からは抜け出せない。

「でも、歩き出すつもりだったんだろう? 今度は花婿さんも失うかもしれないと分かった上で」

 本当に間違えないために諦めるというなら。
 『命懸けでお母さんを止めたいから手伝ってください』と言われても立ち上がらないはず。
 間違えるかもしれなくても、結果から目を背けずに歩き出す。
 その答えを、彼女はもう見定めている。
 せっかく歩き始めたのに、花婿の伸ばす手にはたどり着けなかったことが花嫁に膝をつかせていた。

「だって……スレッタ一人だけに背負わせていいことじゃ無い……! それぐらいは、分かってる……!」

 二人なら、たとえ間違えても結果を受け止める覚悟ができた。
 罪も、想いも共有する家族として、地獄行きかもしれない選択でも進めた。
 何も手に入らないかもしれなくとも、二つ以上を目指して進むことは間違っていないと信じられた。

 本当に、『良いなそれ』と思った。

 こちらを睨みつけ、涙よりも歯を食いしばる姿を見せてまで、『大切な人を残して逝くことになる』ことには嘆くだけの被害者でいるまいとする、その切実な境遇を羨ましがるほど恥知らずではないけれど。 
 花嫁も花婿も、一人で結果を引き受けるには臆病で。
 二つ以上欲しがるぐらいには。
 ……この世界で生き続けること、その全てを愛していた。
 それができるぐらいに、目一杯の祝福をもう周りから受け取っていた。

「君の花婿の代わりになる、なんてことはできない。花婿になりたいとも思わない」」 
「わざわざ憎まれ口まで添えないでくれる?」
「だからできるのは、最低限の担保。そして事実の指摘だけだ。
『今回の戦争の犠牲者も、君の家の結婚事情も、べつに君だけの責任じゃない』ってこと」

 何も、戦うことを選んで死人が出ても、すべて『ミオリネのせいで死んだ』とまで言えないだろうが、と。
 そんな当たり前のことも指摘できないようでは、こっちだって沽券にかかわる。それは前提として。

「……そうかもしれない。でも、何を担保するのよ」

 大切なな女の子を想うあまり。
 かつて『その子の身の安全』と引き換えに好きな女の子を傷つけ、遠ざけた女が。
『もう関係は終わったはずだった女の子が、そうじゃないと分かったから』本音では帰りたいと望んでいる。
 なるほど。整理すると、改めて腹がたってきた。
 なんでこんな拗らせた女の弱音を、鵜呑みにして死なせてやらなければならないのか。
 だから、不可能任務に挑む。

「ボクは、引き受けたからには脱落(リタイア)しないものとして動く。
 だから想定する結末は、聖杯を手にして帰るか、それ以外に生きる術を見つけて帰るかの二択だ。
 もしも最後に一組になるしか道が無かったなら。最期にこんな冥界(せかい)をぶっ壊そう。
 どうせ、姑を何とかするために聖杯を使おうとは思ってないんだろ?」

 願いを叶えて間違いを無かったことにしよう、なんて都合のいいことは期待できない。
 だったら、二度とくだらない戦争が起こらないよう、地獄の仕組みに対してだけは一矢報いよう。
 つまりは『せめて最大限に八つ当たりしてから帰ろう』という身もふたもない提案。

 花嫁も、ただただ驚いていた。
 しんとした誰も何も言わない時間が流れる。
 沈黙をおかずにいられないぐらいには、それは彼女にとって怪訝で、予想外のことだったらしい。

「英霊の座に還らないで、私に付き合って……それであんたには何が手に入るの?」

 サーヴァントからの提案は、せめて最低限のケジメはつけられるんじゃないかという気休め。
 そして、聖杯で願いを叶える心算がないのに、極力はマスターの望みに添って戦うという終結までの厚意だった。
 さんざん悪態をついてきたアサシンが、そこまで付き合うと言ったのだから困惑もする……というのは読める。

 読めるけれど、理由を問われても応えられない。
 モニカにとって、それは最重要機密だった。
 踏み込まれると、胸がざわざわする。
 よくも触れたなと殺意さえ覚える。
 心臓がうるさくなり、呼吸する空気の重さまで変わる。

 モニカの生前、それは露見するだけで犯罪扱いが必定だった。
 そして世の中のことが無くとも、大事だからこそ秘めると決めたものだった。
 たった一人を例外に墓場まで持って行くと決めて、死後でも冥府でも伝えるほど安くない。
 しかし 『察してくれ』で済ませるには世界観が違うことも分かっている。

「説明できるようなことじゃない。
 でも、全く見返りが無いようにも思ってない」

 教壇から跳躍して、ミオリネの近くへと着地する。
 浮遊感は一瞬。
 とんと両足が絨毯をとらえる。
 靴が血だまりを吸った床を踏みしめた。
 いくらか視線の距離が近づき、言葉を仕切りなおす。


 「ボクのいた世界(ところ)には、とてもお堅い恋愛観しか無かったんだ」


 決して目一杯の祝福はないと悟った上で、愛し抱くと決めた花束。
 そんな彼女のことは、秘匿したままに。

「男同士、女同士で添い遂げるのは選択肢として全然なし。逮捕案件。
 影の戦争でも、恋心を脅迫材料にされて破滅した人を何度も見て来たよ」

 驚愕、というほどでは無いにせよ。
 意外性をともなった動揺。
 それがミオリネの両眼の瞠りように表れた。
 女同士の恋愛、婚約が『全然あり』ではない時代、地域もあること自体は知っていたのだろう。

「もちろんそういう人達だって、好き好んで立場や居場所を失いたいわけじゃない。
 想いを殺して、手堅く生きて、できそうにない選択を排除して、残ったものを大切にする。
 人口に余裕のない傷だらけの戦後社会に合わせて、情熱の無いほどほどの人生を妥協する。
 隠したい人は誰だってそうしてる。それなのにどうして、隠しきれなくて破滅する人が出てくるのか」

 好きな人を想う気持ちを質にとって、あの人を守りたいならああしろ、こうしろと脅しをかけられる。
 ミオリネにもそういう経験自体はあったからか、瞳がぶれる。

 まったく。
 もうこいつを見捨てて座に還っていいんじゃないか、まで思ったのは本当だった。
 カッとなったのは、少しずつ断片的に明かされた来歴で、花婿を女の子だと察した時から。
『妥協していた』頃のモニカが見れば、嫉妬心から大嫌いになっていたことは想像に難くない。
 女同士が全然ありで、『好き』と言っても良くて、自分の気持ちを伝えることに躊躇いがない。
 しかも二人で最高のドレスを着てずっと一緒に、なんて告白返しがある。
 羨ましいな……と、今は思わない。
 しかし、幼い子どもだった頃はそうではなかった。
 自分は、誰かと想いを分かち合えることがないまま死ぬのではないかと、怯えていた時期があった。

「誰だって、認められたい、祝福されたい誘惑があるからだ。
『お義母さん、娘さんを私にください』とか、そんな大げさなことだけじゃない。
 一生に一度のプロポーズを成功させた会社員は、同僚に打ち明ける時に得意そうにしてる。
 喫茶店で好きな人について『恋バナ』ってものをする女の子たちは、幸せそうにしてる。
 君等の場合、花婿の保護者の所に乗り込んで、『姑の不始末は止める』って言いたいんだろう?
 いいじゃないか。きっとそれが叶ったなら、間違えた責任とか抜きにしても愉快だ」
「さっきから姑、姑って……人が死んでるんだけど……」

 怒りよりも戸惑いによって、ミオリネは不謹慎だと言い返す。
 お前は本当は、被害者だ加害者だとかを抜きに『お義母さん』と呼びたいんじゃないかと。
 発想としてはあったけれど、まだ言語化を成していないもやもやを突かれたように言葉が止まる。

「でも、母親は死なせないつもりだった。それどころか、家族になるつもりもあった。
 お母さんが大好きな娘を連れて説得しに行くなら、目的は排除じゃなくて和解なんだから」

 夫や娘を殺された母親に対して、実質的に殺した張本人である仇の娘が家族になろうと誘う。
 客観的に因果関係を並べればおかしい。
 しかし誰だって、一緒にいたい人と一緒にいることを許されたら、きっと嬉しい。
 それが許されなければ、義母どころか実の母だって居場所にならないことがある。

 ――さぁ、お母さんのようにアナタも弾いてごらん?
 ――上手いだけで、魂が感じられない。
 ――魂が目覚めるのは恋よ。しっかり異性と恋に落ちなさい。
 ――男と女はそういうものよ。
 ――学校に気になる男の子はいないのかしら? 

 モニカは両親を、いわゆるクソ親だとか親失格だと思ったことはないけれど。
 生まれ育った家はどうしても、居場所にならなかった。 
 一方で、タブーの感情を抱いていると察した上でなお、姉妹として扱ってくれる者達もいた。
 家族になれる、なれないに、正しい答えなんて始めからなかった。

「もし君たちのやりたいことが叶ったなら、きっと希望になる。だから決めた」
「どんな希望?」
「いつか、地獄(せかい)が何にも縛られない場所に変わること」

 格差があり、戦争があり、余裕がない世界で。
 灯火たちは、痛みに満ちた世界であっても花を植え続けた。
 次の世代では、荒野が花園に変わりますように。
 彼女たちが生きて叶えたい望みも、きっとそれに近しいものだと思ったから。

「そんなもの、私達の時代にもきっと無い。先のことだってどうなるか分からない」
「それでいいよ。ボクが勝手に期待して、勝手に後押しするだけだから」

 もうこれ以上秘したものを明かすつもりはないと、モニカはマントに手を入れた。
 準備中に産直の小屋から拝借したトマトを取り出し、かぶりつく。
 補給よりも会話を終わらせる目的で行った仕草だけれど、ミオリネはそれをしげしげと見ていた。
 つい見入ってしまうだけの意味が、そこにあるかのように。
 食べ終わったヘタだけをぽいと捨てた時、戦闘を終えてから初めて彼女が動いた。
 立ち上がろうとする予備動作のように、姿勢を変えて切り出す。

「……明日には家の外、見て回りたい。ここが、どんな地球なのか分かるようなところ」
「つまり、新婚旅行の予行演習ね。りょーかい」

 やっと生気が宿り始めていた声に、手間がかかったなぁと内心で安堵する。
 さすがにお手をどうぞと立たせるのは花婿の仕事だろうかと迷っていると、ミオリネの方から伸ばしてきた。
 ただし握ることを求めるのではなく、ストップと言うように手のひらをかざす形で。

「起こす手は要らない。自分で立つ。だからもう少し待って」

 そこに一途さの証明を見たような気がして、なんだか悪くない心持になる。
 だからモニカは、自分の魂が所属する家族たちが使う、最上級の賛辞を口にした。


「――それは実に極上だ」


 【CLASS】
アサシン

【真名】
≪灰燼≫のモニカ@スパイ教室

【性別】
女性

【属性】
混沌・中庸

【ステータス】
 筋力D 耐久B 敏捷A 魔力E 幸運D 宝具B

【クラス別スキル】
気配遮断:C
自身の気配を消すスキル。
隠密行動に適している。完全に気配を断てばほぼ発見は不可能となるが、
攻撃態勢に移るとランクが大きく下がる。
アサシンのクラススキル。

諜報(劣):B
気配を遮断するのではなく、気配そのものを敵対者だと感じさせない。
ただし直接的な攻撃に出た瞬間、このスキルは効果を失う。
アサシンはもともと養成学校の落ちこぼれ生徒『のみ』を集めて編成された特殊部隊に属しており、十代の時点での資料が裏社会にもほぼ出回っていない。
これに伴い、諜報の効果が働いているうちはサーヴァント反応やステータス表示も確認できなくなる。

【固有スキル】
破壊工作:B
戦闘を行う前、戦闘の準備段階で相手の戦力を削ぎ落とす才能。
生前はチームのエースとして味方の護衛、敵暗殺者の撃退などの戦闘における功績が多かったが、工作活動やゲリラ戦術など潜入任務に際して有用となる術義は一通り履修している。

義悪趣味:A
一流のスパイがそれぞれ異なる『詐術(心理的盲点をついた騙し討ち)』を持ち合わせる世界における彼女の詐術。そして性格的個性。
まさかここまでするはずがない、言うはずが無いという振舞いで敵にも味方にも真意をはぐらかす。
己の『好きのかたち』を社会的タブーであるがゆえに秘して人と距離を置いてきた少女は、好意を分かりやすく、十分に伝わるように伝えるには捻くれすぎた。
局面しだいでは味方に不和の種を植えてしまうデメリットスキルだが、信頼する相手との間で十全に機能すれば『つい宣告まで険悪そうにしていた者同士が阿吽の呼吸で動いている』などのような『騙し』が成立する。

焔の薫陶:B
心を燃やし、疲労のピークであっても過集中を維持し続ける。いわゆるゾーン状態。
そこに『焔』という世界最高峰の隠密集団の一人から秘伝された神速の足捌きと、恩師から学び取った回避術を複合させることで、たとえ多人数からなる包囲掃射の真ん中に放り込まれても、一切の致命傷を負わずに全弾やり過ごした上で反撃を可能とする。
戦闘続行を『瀕死の傷でも戦闘を可能にする』スキルだとすれば、焔は『致命傷だけは避けながら戦闘を続行する』スキルに相当する。
ステータスの耐久:Bを成さしめるのは、頑健性ではなく回避性能によるものである。

【宝具】
『氷刃を燃やし尽くす灰燼(モエハナヤグトキ)』
ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:五感の認識範囲すべて 最大補足:-
特技:盗撮。
この自己申告は正しくとも正確ではない。
正確には『光屈折・運動エネルギー・位置情報・地理条件等のすべてを考慮に入れて空間を捉える人間離れした情報処理能力』と『処理した情報のすべてに死角なく対応できる超精密動作』である。
宝具としての要点は、五感でとらえた断片情報からフィールドにあるすべての情報を読み取ること。
戦闘ではこれを利用して、『意識の間隙をつく、あるいは死角を的確についた攻撃を、戦場の破壊や跳弾なども考慮しながら手数と敏捷性に任せて間断なく叩きこみ、一方で自身と味方に向けられた攻撃は死角なしに対応して防ぎきる』という戦法をよく使う。
またレンズの光屈折を利用した収斂発火を片手間に仕掛けるなど、破壊規模を拡大させる手管にも長けている。

それらが結果的には認識される前に盗撮を成功させる特技となって表れているため、光を用いた攻撃にたいして初撃のみの命中率プラス補正を得る。
(ただし近代に相当する時代の英霊であるため、レーザー火器、ビーム兵器のような高火力の光兵器は持ち合わせていない。単純な腕力では原作中でも力負けする場面があることも含めて、火力不足が難点)

『焔より愛をこめて贈る灯火(SPY-ROOM)』
ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:- 最大補足:-
かつて世界大戦を終結に導いたスパイ一家、『焔』。
その唯一の生き残りが、戦後に焔を継ぐチームを育てるべく召集した『スパイ教室』があった。
不可能任務専門チームのエースであるだけでなく、学舎で学んだ生徒の一人。
その逸話と、彼女独自の『実演されたことは全て記憶して精密に再現する特技』が複合したことによる学習能力。
魔力や固有の体質に依らない『技術』のみを要求される体術、実技であれば、あくまで身体能力が許す限りにおいて初見で模倣して扱うことが可能になる。
スキルとしては専科百般、皇帝特権に近しくも、『他者から学び取る』形で習得することに独自性を持つ。

【weapon】
秘武器≪付焼刃≫……ただの可燃性薬品をしみ込んだ紙吹雪と、携行型の照明灯。
しかし飛散した紙片の全てを狙った位置に飛ばせる精密コントロールと、レンズの多重屈折を切り替えて光の密度を狙って操る計算能力により、認識範囲のありとあらゆる座標にピンポイントの収斂発火を起こす火器。爆弾の遠隔着火にも用いられる。
基本的には奇襲用の隠し武器であるため、強者と認識した相手にしか使わない。
他、拳銃、小刀、投擲鉄球などの近接武器も様々扱う。
変装道具や生前の仕事道具も必要に応じて現出可能。

【人物背景】
不遜な捻くれ者。18歳時の姿で召喚。
熱情の欠落をきっかけスパイ養成学校を落ちこぼれて、『スパイ教室』に入校。
咲き狂う花園に心乱されて、氷(なまくら)の刃は溶け落ちた。
かつて不死身と謳われた女スパイの薫陶を受け継ぎ、燃え尽きるまで戦った灰燼。

【サーヴァントとしての願い】
不幸は幸福をくれた。
だから後悔はしていない。

【マスターへの態度】
生活力皆無のクソ女で、甘さを捨てられない馬鹿。
せいぜい『お幸せに』って言わせろよ。


【マスター】
ミオリネ・レンブラン@機動戦士ガンダム 水星の魔女

【性別】

【マスターーとしての願い】
生還し、スレッタとともにクワイエット・ゼロを阻止する
いつか二人で地球に行く約束を果たす

【能力・技能】
経営学部の優等生。
急造で立ち上げた会社を経営できるだけのリーダーシップ、経営手腕、戦略眼、交渉力。
また勉強すること自体を得意としており、本分ではない機械の取り扱いなどもマニュアルを読めばすぐに覚えてしまう。

【人物背景】
魔女の花嫁。
魔女と出会うまで他人を信用しておらず、言葉も足りないことが多かった。
しかし芯には魔女を惹きつける譲れない優しさを持っている。

【方針】
ぎりぎりまで誰かを見捨てないまま生き残る

【サーヴァントへの態度】
不遜な態度には、学園でのセセリアやフェルシー達のような気に食わなかった女生徒を思い出す。
言動に腹がたつこともあるし、それなりに貸しを作ったことを重く感じてはいるが、ミオリネの根っこがお人好しである為に召喚後にずっと世話になったことには内心で素直に感謝している。

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最終更新:2024年05月27日 20:10