『亡き王女のためのパヴァーヌ』という曲について誤認している聴衆は多い。
 この曲は別に、死んだ王女を葬送するために奏でられた哀歌ではない。
 昔。宮廷で小さな王女が気ままに踊ったようなパヴァーヌ。
 そういうものを意味して、モーリス・ラヴェルはこの曲を作った。

 死んだから"亡い"のではなく。
 もういないものだから"亡い"。
 言うなればノスタルジア。
 郷愁と懐古のために奏でられた旋律であり、ありふれた追憶である。

 そのことを、天才と呼ばれた青年はもちろん知っていた。
 当然だろう。
 彼らはかくあるべしと願われて生まれた命。
 生まれながらに、当たり前のものとして天才だった七つの子。
 鍵盤を通じて、聴衆に幻想の景色を見せる奇跡の子供たち。

 とはいえそんな彼も、流石に本当の死者に対してピアノを弾くのは初めてだった。
 いや、死者よりも更に希薄でうつろな存在だとすら言えるかもしれない。
 此処は冥界で、今青年のピアノに耳をそばだててファンタジーを体感しているのは世界を彩るために再現された記憶の陽炎でしかない。
 まさしく"亡き王女"だ。手を伸ばしても、希っても、決して届くことのないノスタルジーの陽炎たち。
 彼らが示す意思らしいものに意味があるのか、それとも単なる"反応"でしかないのか。
 それすら判然としない状態で弾くピアノは、なんとも言い難い虚無感を奏者にもたらしてくれた。

 ――まあ、それでもオレはミスんねーけど。

 だが。
 それはそれ。これはこれ、だ。
 脳と指先を切り離すくらいの芸当は、天才ならば誰でもできる。
 並の天才ならいざ知らず、音上の家に生まれた七つ子ならばできない道理はない。


 音上ファンタ。それが、彼の名前だった。
 指先ひとつでファンタジーを描きあげる、稀代の天才の一人である。


 柔らかく、そして緩やかな響きをもって紡ぎあげられる旋律。
 鍵盤を弾く動作のひとつひとつが、彼に許された幻想を描画する。
 それは、現実のどこにも存在しない景色。
 音のみをテクスチャとし、音のみを神秘とした空想の産物。
 イメージの共有。演奏を通じて夢を魅せる、天才どもの特権。
 これを指してファンタジーと呼ぶ。そして、音上ファンタのファンタジーは遊園地だ。

 鍵盤、音符、音楽記号のみが構成する虚構の楽園。
 素敵なドレスが来園者を彩り、色とりどりの遊具が出迎える。
 聴衆の客層とその場の厳格さに合わせ、奏者の意思ひとつで無限に形を変えるこの世にはない遊園地。
 千変万化。絢爛豪華。強烈無比なる、客を楽しませ/喜ばせることにこれ以上なく特化したファンタジー。

 天才というのは、基本的に傍若無人な生き物である。
 逸出した才を持つからこそ、彼らの立ち振る舞いは時に他人を意に介さない。
 だが唯一、ファンタだけは違う。
 彼は音上の天才達の中でただひとり、客に寄り添った演奏を欠かさない男。
 自分の見せ方と見られ方を誰より気にし、それを完璧に仕上げるために最大限の努力を惜しまない変わり者。

 だからこそ――彼の演奏はいついかなる時でも客を最高の幻想で歓待する。
 それは、この"死者未満"ばかりが集った演奏会の中でも変わることなく一貫していた。

(考えてみれば、遊園地ってのはノスタルジーの代名詞か)

 手の届かないところへ走っていってしまった、今はもう亡い王女のために奏でられるパヴァーヌ。
 誰もが一度は憧れ、楽しみ、そしていつしか遠のいていく子供時代(ノスタルジア)の象徴たる遊園地。
 ファンタの卓越した演奏技術も合わさって、これは最高のショーとなって聴衆達を極楽へ導いていた。
 そう、いつも通りだ。生者だろうが死者だろうが、地上だろうが冥界だろうが音上ファンタは何も変わらない。

 唯一違うところがあるとすれば、その右手の甲に刻まれた三画の刻印だ。
 七音音階の"ファ"を思わせる、ねじくれた音符の形と五線譜が織りなす三画。
 ピアニストという性質上、こればかりは聴く側の認識に余計なノイズを走らせるのを承知で包帯を巻くしかなかった。

(……やっぱこれだけは勘弁してほしかったなー。感覚変わんだよ、別に調整できるけどさ。
 タトゥーとしては割とイカしてるのがまた腹立つっていうか、なんつーか)

 ファンタの売り方(キャラクター)的には、タトゥー自体は特に問題ない。
 だが、この刻印を衆目に晒すことは明確に拙かった。
 令呪。この死者と残影がひしめく冥界にて、奇跡に手を伸ばす資格を有することを示す刻印。
 言うなれば戦争参加者の証である。
 いたずらにひけらかして回れば、遠からぬ内に刺客がやってくるだろうことは想像に難くなかった。

 ピアニストの手は繊細だ。
 わずかな感覚の違いが、演奏に瑕疵を生み出すことは珍しくない。

 それがたかが包帯であろうとも、である。
 とはいえそこは自他共に認める"天才"。
 ファンタほどにもなれば、違和感や感覚の違いを含めて指先の律動を調整し、結果的に普段通りのパフォーマンスを実現するのは容易だった。
 むしろ彼にとって頭痛の種なのは目立ちに目立つ令呪の存在ではなく、それを自分にもたらした――


「la――la――la――la――――♪」


 ……そう。
 今まさに、客席でひとり席を立ち上がった"あの女"の方である。



「え」
「なに?」
「うわ、ヤバすぎでしょ」
「ファンタ君かわいそー……」
「ファンにしても痛すぎじゃない? 関係者早く連れ出せよ」
「いや、でもさ」
「うん……」
「あの人――」



 どよめく会場。
 一様に示される動揺と不快感。
 理想のファンタジーが、非常識な客の登場という現実で揺さぶられる。
 無論、それしきで傾ぐほど音上のファンタジーは軽くないが。
 だが、事態はファンタによる軌道修正にさえ能わなかった。


「なんか、すっごい綺麗じゃない……?」


 長い銀髪をツインテールに括った、異国の女だった。
 海を思わせる碧眼は、まるでアクアマリンの宝石をそのまま埋め込んだかのようだ。
 纏っている服装こそ現代風だが、明らかな貴人の空気を彼女の全身が醸している。

 だが何より目を引くのは、言うまでもなくその顔であった。
 かわいいとか、きれいとか、そういう言葉で括ることが無礼に思えるほどに――美しい。
 天上の神が贔屓をし、そうあるべくして地上に送った愛し子と、そう説明されたなら信じてしまいそうなほど。
 神の恩寵を賜ったとしか思えない女の美しさと、彼女の口から出て歌い上げられる旋律が修正待ちのファンタジーに波紋を生む。

「わ……!」
「ちょ、何これ……!」
「ファンタ君の遊園地……だけじゃない!?」

 生まれたのは、遊園地を彩る硝子彫刻の数々だった。
 射し込む光、遊園地を満たす光を透過させては更に美しく輝く硝子の装飾。
 しかし元あった景色を食うではなく、より美しく、燦然たる幻想に昇華させている。

 誰もが踊り、思い思いに楽しむ遊園地。
 ひとつひとつの足取りが、輝く光のしずくを跳ねさせる。
 ノスタルジーの美しい、愛すべき輝きを永遠に閉じ込めた美しい硝子細工のファンタジー。
 無粋な乱入者であるはずの女の歌声もまた、ファンタジーを奏でていた。

 天才とは孤軍であるもの。
 並ぶこと、雑ざることを善しとしないからこその天才。
 にも関わらず、女神のごとき女の歌は当たり前にそれを実現させていた。

 ……この演奏会は後に、音楽界を揺るがすちょっとした大ニュースになる。
 音上ファンタの演奏に突如乱入し、そして演奏が終わるといつの間にか消えていった謎の美少女。
 そして彼女の歌声と天才の演奏が調和して生み出された、音と硝子のファンタジーランド。
 当のファンタはこの日のことについて聞かれても、曖昧に笑って濁すだけだったというが――それもその筈だろう。


「…………なーにやってんだ、あのおてんば女は」

 冥界の彼は、演奏で世界を股にかける天才"奏者"というだけではいられない。
 生きて再び地上にあがるため、願望器をめぐる戦争に身を投じねばならない"葬者"でもあるのだから。

 その点、颯爽たる乱入を果たし、こうして空前絶後のファンタジーショーに寄与した彼女の行動はファンタにとって最悪だった。
 何しろ彼女こそは、音上ファンタにとってのアキレス腱。
 再び天才として世に舞い戻るか、それとも冥界の砂として消え果てるかの運命を握る従者(サーヴァント)なのだ。

 パヴァーヌが終わり、ファンタの手が止まる。
 ――万雷の喝采が響いて、ホールが揺れる。
 ファンタでさえ久しく聞いたことのない、大歓声だった。
 ピアニストの舞台にはふさわしくないほどの拍手と喝采が満ちる中、女は「あっ」とばつの悪そうな顔をした。

 天才の口から、ため息が零れ出る。
 本当になんだって、自分は"あんなモノ"を引き当ててしまったのか――

「……パクられる方がまだマシだぜ、これなら」

 彼は音上。
 彼は天才。
 現代最高の奏者が産み落とした、ファンタジーの綴り手。
 家柄、容姿、才能。
 あらゆることで天に愛されている彼が、神の恩寵を受けて生まれた王妃を呼び寄せてしまったのは納得のいく因果かもしれない。

 だがファンタは、それだけだとは思っていなかった。
 その理由は、彼だけが知っている。
 振り払っても、振り払っても、頭の中から消えることのない原点。
 オリジンであり、トラウマでもある、あの日のこと。
 否応なしにそれを思い出させるあの女のことが、音上ファンタはどうしようもなく苦手だった。


◆◆


「お前な、頼むから二度とああいうことしないでくれるか」
「……ごめんなさい。出過ぎた真似をしてしまったわ」
「本当だよ、ったく……。オレを勝たせる気ねーのかと思ったわ」

 しゅんとした顔で詫びられると、何故だかこっちが悪いような気がしてくる。
 音上のファンタジーに即興で合わせるという異次元の御業を見せた女の姿は今、ファンタの待機部屋の中にあった。

「あんまり素晴らしい演奏だったから、居ても立っても居られなくなってしまったの。ごめんなさいね、悪気があったわけじゃないのよ」
「だからタチ悪いんだよ、あんたの場合」

 いっそ悪意を持って、演奏を台無しにするつもりでの乱入だったならもう少し感情のぶつけようもあったろう。
 だがこの女に限ってそれはありえないと、他ならないファンタ自身が理解してしまっていた。
 彼女の経歴を考えれば、もっと悪意にまみれてひねくれていてもおかしくはないだろうに。
 ファンタのサーヴァントであるこの女は、あらゆる悪意に曝されて死んだ者としては不可解なほどに純真だった。

 国中に追い立てられ、難癖じみた糾弾で処刑され。
 挙げ句後世に至るまで、消えない汚名を語り継がれ続ける。
 もしも自分が彼女の立場だったなら、さぞや人類やその築いた社会に対して憎しみが溢れて仕方ないだろうとファンタは思う。
 しかし彼女は、そうではないのだ。
 彼女はいつだって美しく、明るく、そして優しい。
 そんな相棒のあり方を、ファンタは薄気味悪くさえ感じていた。

「もしかして私、せっかくの演奏を台無しにしてしまったかしら」
「嫌味かー? あれだけ盛り上がって台無しなわけねえだろ。客からすれば一生忘れられない演奏になったろうよ」
「そう……! ふふ、それなら良かっ――あ、えっと、良くはないけど……でも良かったわ!」

 何故こうして、花咲くように笑えるのか。
 何故、縁もゆかりもない大衆にまでその優しさを向けられるのか。
 ファンタにはそれが、皆目理解できない。
 大衆の意思というものに、"生きるべき命"として選ばれず、見世物のように処刑される。
 それほどの屈辱を味わって、何故歪まずにいられるのか。
 それほどの絶望を味わって、何故こうも美しくい続けられるのか。
 ――何故、その微笑みを自分以外の誰かに向けられるのか。

「ファンタジー、っていうのよね。マスターの演奏は」

 音上ファンタにとって、ファンタジーとは演奏の中にのみ存在する架空だった。
 だがそのヴェールは今や崩れ、彼自身がファンタジーの中を生きる聴衆と化している。

 その最たる象徴が、この女だ。
 冥界に落ちてきた天才が召喚した、召喚してしまったサーヴァント。
 人間以外のすべてに愛された、麗しの王妃。
 美化され尊ばれ、誰もが振り返って渇望するノスタルジーが人の姿を取ったような存在。

 今は亡き王女。

「素敵な遊園地が、キラキラ、キラキラ輝いて。
 大胆で、けれど繊細な演奏が囲んで満たす、まぼろしの世界。
 私、マスターの演奏なら何度聴いても飽きないわ」
「……モーツァルトのピアノを聴いて育った奴に言われてもなー。それこそ嫌味にしか聞こえねーって」
「あら。アマデウスとマスターの演奏はぜんぜん違うわ。
 アマデウスのだってもちろんすごいけど、マスターのはなんていうんでしょう、"楽しませてやる!"っていう気持ちがとても伝わってくるの。
 だから私はね、どっちも同じくらい大好きよ。ふふ、アマデウスにも聴かせてあげたいわ! マスターの演奏!」
「はは。そりゃどうも」

 この手の美辞麗句を聞くのは日常茶飯事だが、生きているアマデウス――ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトを知る者が言うと重みも違う。
 とはいえ、別に嬉しくもない。
 褒め言葉のひとつふたつで子供のように喜ぶには、いささか世の中を知りすぎた。

「それはそうとさー。オレ、いつか聞こうと思ってたんだけどよ」
「? なあに?」
「アンタさ、口開けばオレのことばっかりじゃん? 話しかけて、心配して、かと思えば今日みたいに時々とんでもねえスキンシップしてくる」

 は、とファンタは笑った。
 どこか自嘲を含んだ、痛みの伴う笑みだった。


「まるで――母親みたいに」


 ……愛されているという実感は誇りだった。
 選ばれないのは屈辱だった。
 だから、自分で自分を選んで愛することにした。

 母がいなければ子供は生まれない。
 人間はいつだってつがいで増える。
 故に当然、音上の七つ子にも母親はいる。
 いや。今となっては"いた"というべきだろう。
 母親は死んだ。天才たちを産み落とした女は、荼毘に付されて今や墓の中だ。
 そして音上ファンタは、その死に際に立ち会うことを拒否した。

 許せなかったし、信じられなかったからだ。
 自分を見捨て、他の誰かを選んだ母親のことが。
 きっとこの気持ちが変わる日は来ない。
 そう分かっていたから、ファンタは拒否した。
 いつもそうしてきたように自分を貫いて、昔は愛していた/愛してくれていた人の最期に背を向けた。

 それを間違いだったと悔やんだことはない。
 そしてこれからも、きっとないだろうと信じている。
 死という永訣を経て、とうとう完全に自分の世界から消え去った過去の"痛み"。
 けれどこの女は、ファンタのそれを無遠慮に思い起こさせてくる存在だった。

 誰にでも分け隔てなく優しくて。
 誰にでも惜しみのない愛を注いで。
 "特別な誰か"として、そばにいる。
 まるでいつか、一緒に暮らしていた時のように。
 まだ音上家が、父と母と、そして七人の子供達で成り立っていた頃のように。

 ――それがファンタには、どうしようもなく不快だった。

「だからさ、そろそろマスターのオレにも教えてくれよ。アンタの願いってやつをさ」

 不快という表現は、もしかすると違うかもしれない。
 実態はもっと柔らかい。たぶん、苦手意識の範疇で済む感情だ。
 だって現に、ファンタはこの相棒のことが嫌いなわけではなかったから。

 だから単に、苦手なだけなのだとは思う。
 彼女に非があるわけではないが、その振る舞いと言動がどうも頭の中にまとわり付くのだ。
 頭の中の、柔らかい部分。
 晴れて終わったと引き出しの奥にしまったオリジンがむずがるのだ。

「……別に、隠していたわけではないのよ。
 でもね、それは私にとって、聖杯のあるなしで変わるものでもないわ」

 彼女は、王妃である。
 神に愛され、生まれながらにして人の上に立つことが運命づけられた女である。
 あるいはそのあり方は、ファンタを始めとする音上の天才たちにも近しいのだろう。

 凡俗ではないから、憎しみに囚われない。
 味わった屈辱も絶望も、すべて赦して慈愛を振りまく。
 そういう生き方が、できる。
 それを天才と呼ばずして何と呼べばいいのか。

「空に輝きを。地には恵みを。そして民には幸せを。
 ……それが、私の抱く願いよ。ずっと、ずうっとね」
「立派なもんだね。オレがアンタなら、多分そうはなれねーかも。
 オレはそっち方面はむしろ凡人寄りだからなぁ。手前を貶めて処刑した奴らのことなんて、祈る気にもなれないだろうな」

 この"願い"だってそうだ。
 改めて理解する。
 この女は、存在そのものがファンタジーだ。
 鍵盤の上でしか天才たれない自分など、これに比べればずっと慎ましい。
 世界で一番ワガママな女。ある意味では、その肩書きに偽りはないのだろう。
 違うのは、それが悪意や驕りによるものかどうかということ。
 革命政府が必死になってばら撒いたプロパガンダよりもずっと、麗しの王妃は余人の理解から遠い存在だったのだ。

「けどさ。アンタ、本当にそれでいいの?」

 ファンタもまた、彼女のファンタジーを見た。聴いた。
 自分の遊園地に寄り添うように現れ、それを彩った硝子の王権。

 本当に――美しい輝きだった。
 異論の余地など問うまでもなく無い、無二の輝きがそこにはあった。
 光の加減に合わせて、キラキラ、キラキラ、輝き照らす女神の寵愛。

 あの瞬間、ファンタも心から理解した。
 この女は、やはり神に愛されている。
 だからこそ、彼女はファンタジーなのだ。
 ファンタジーだから、幻想のように人を愛せる。
 地も、空も、民も。すべてを分け隔てなく愛し、その幸福を嘘偽りなく祈れる存在。

 そう分かった。身に沁みて識った。
 だからこそ、その上で。
 音上ファンタは、奏者として以外の形でファンタジーたれる存在ではないから。
 だから――その幻想に、現実という名の石を投げた。

「博愛主義もいいけどさ。ルイ君のこともたまには思い出してやれよ、マリー・アントワネット」

 アンタ、母親なんだから。
 そう続かせようとした言葉を呑み込んだのは慈悲ではない。
 ルイ、の名前が出た時。
 今までずっと微笑んでいた王妃(マリー)の顔に、紛れもない悲しみの影が差したのを見たからだ。

(……、あー)

 こいつ、こんな顔できんのかよ。
 なんだよ、ぜんぜんまだ残ってんじゃん。
 "人間"のところ、残ってんじゃんか。

 まず、ファンタはそう思った。
 そして次の瞬間、封じ込めていたオリジンが噴き出してきた。
 その顔は、見たことがあったからだ。
 忘れもしないあの日。屈辱と絶望の日。
 亡き王女のためのパヴァーヌ。音上家に、まだ王女がいた最後の日。

(墓穴掘ったな、オレ)

 マリー・アントワネットが完全なファンタジーであるなら、ファンタとしてはそれでよかった。
 痛みを知らない、知ったとしても三歩歩けば忘れてしまう化物が相手ならそれ相応の接し方もある。
 つまらない苦手意識に縛られて、この先本格化していくだろう戦争の中で判断を誤ることもなかっただろう。

 だが現実は、そうではなかった。
 音上の七つ子である自分が、奏者として以外はファンタジーでないように。
 この女も、汚点など見当たらないような麗しの王妃にも、人間の部分が残っていた。
 ファンタの投げつけた悪意は、そのファンタにとって不都合な事実をつまびらかにしただけだった。

「……悪り。ちょっと言い過ぎたわ。オレも最近予定外が重なって、ちょっと疲れてるのかもー」

 そう言って席を立つ。
 本当のことを言うわけにはもちろん行かないが、マネージャーと一応"今日あったこと"の相談もしなければならないだろう。
 愛される天才は忙しい。
 諸々の調整、ファンサービス、SNSでのマーケティング。
 たとえ仮初めの虚構であっても、相手が人間ではなくても、自分という存在が誰かの前に立つ以上そこで手抜かりはできないしする気もない。
 それが音上ファンタの生き方であり、プライドだった。

 ――微笑みでファンを癒やし。
 演奏で心酔を得る。
 愛されるために生まれた天才であることを喜び、望まれるままに振る舞うと決めている。
 奇しくもそれは、自身の呼び出した王妃の精神性に似通っていた。
 似た者同士。けれど明確に、恐ろしいほど断絶したふたり。
 それが、この美しく、あまりに輝きすぎる主従の実像であった。


「あなたにそんなことを言わせてしまってごめんなさい。……でも、本当に忘れたことなんてないのよ」

 扉が閉まり、ぽつりと小さな声がする。
 音上ファンタは愛されるように演じる。
 けれどマリー・アントワネットは、生まれながらに愛されることが決まっている。
 彼女はそういうものだから。神に愛され、王権を握るべくして産み落とされた生き物だから。

 だからマリーは、呪わない。
 ただのひとつを除いては。
 だからマリーは、憎まない。
 ただのひとつを除いては。

 音上ファンタが、ヴェールの底に大きな傷を隠しているように。
 この王妃もまたひとつだけ、大きな大きな痛みを隠している。

 子を愛さない親などいない。
 いたとして、少なくとも彼女はそうではなかった。
 選びたくても選べなかった、それを許されなかったひとつの痛み。
 泥の監獄。絶望の中で死んでいったろう我が子への思い。
 きらびやかな祝福の底に。
 癒えぬその腫瘍は、今も膿んで疼き続けている。

「あなたは、私なんて嫌いかもしれないけれど――」

 されどこの冥界に喚ばれた彼女は、復讐者ではない。
 愛される王妃。穏やかなる母。亡き王女。
 ノスタルジアの彼方より去来した、"かの日々"の生き写し。

「――私は、それでもあなたが好きよ」

 その言葉は一体、どちらへ向けられたものだったのか。
 きっと、どちらへも宛てたものだったに違いない。
 彼女は、そういう生き物だから。
 絶望と怒りの種を、それさえ抱擁して輝き続けるものだから。
 マリーは捨てない。忘れたことなどない。それでも、彼女は美しい。
 そうあり続ける。そして、世界を。そこに生きる民を、そのすべてを愛し続ける。

 彼女はファンタジー。フルール・ド・リス。
 はるか昔、貴族隆盛のフランスに生を受けた硝子の王権。
 王妃マリー・アントワネット。
 貴婦人であり、アイドルであり、そして母である女。


◆◆



 奇跡の日々は終わりを告げた。
 ある少年の願いは叶うことなく、そのすべては"天才"に取って代わられた。

 これはそれだけで、それまでの話。
 ファンタにとっても、そう大きなことではない。
 ただ、過去の残響がひとつ消えたというだけのことだ。
 天才を産んだ女は死に、子はそれをもって呪縛から解き放たれた。

 しかし問題がひとつ発生する。
 輝きすぎた天才は、世界から滑落してしまった。
 行き着いた先は正真正銘、嘘偽りのないファンタジー。
 死者がうごめき、命が溶け落ちる死の世界。
 硝子の馬に載せられて、これから天才は誰のものでもない幻想を旅する。

 彼の名前は、音上ファンタ。
 音上楽音が産み落とした奇跡の子のひとり。
 その指先でファンタジーを実現させる、輝きと痛みの子。

 ――奏者にして、葬者たる、偶像(アイドル)である。



【CLASS】
 ライダー
【真名】
 マリー・アントワネット@Fate/Grand Order
【ステータス】
 筋力D 耐久D 敏捷B 魔力B 幸運B+ 宝具A+

【属性】
 秩序・善

【クラススキル】
対魔力:C
 ライダーのクラススキル。魔術に対する抵抗力。
 Cランクでは、詠唱が二節以下の魔術を無効化する。大魔術・儀礼呪法など、大掛かりな魔術は防げない。

騎乗:A+
 ライダーのクラススキル。乗り物を乗りこなす能力。
 神より授かった王権の申し子である彼女は、フランス王家の象徴たる白馬の獣を始めとして全ての獣、及び乗り物を自在に操る事が可能である。
 ただし、竜種については騎乗出来ない。

【保有スキル】
魅惑の美声:C
 天性の美声を持つ事を示したスキル。人を惹き付ける魅了系スキルであると同時に、王権による力の行使の宣言でもある。
 象徴的な存在として現界しているマリーは、歌声ひとつで王権の敵対者へと魔力ダメージを導く。
 男性に対しては魅了の魔術効果として働くが『対魔力』スキルで回避可能。
 『対魔力』を持っていなくても抵抗する意思を持っていれば、ある程度軽減する事が可能となる。

麗しの姫君:A
 統率力としてでは無く、周囲の人を惹き付けるカリスマ性。
 Aランクのスキルを有するマリーは、ただ存在するだけで自分を守る騎士たる人物を引き寄せる。

神の恩寵:B
 最高の美貌と肉体や『王権の美』を示すスキル。最高の美貌を備え、美しき王者として生まれついている。

【宝具】
『百合の王冠に栄光あれ(ギロチン・ブレイカー)』
ランク:A+ 種別:対軍宝具 レンジ:1~50 最大捕捉:50人
 ライダーとしての宝具。ガラスの馬に乗り敵へと突撃する。
 栄光のフランス王権を象徴した宝具で、外観はフランス王家の紋章が入ったガラスで構成されている美しい馬。
 真名開放によって呼び出され、きらきらと輝く光の粒子を撒きながら戦場を駆け抜け、王権の敵対者にダメージを与える。
 それと同時に味方のバッドステータスを解除し、体力や魔力を回復する。

『愛すべき輝きは永遠に(クリスタル・パレス)』
ランク:B+ 種別:結界宝具 レンジ:0~100 最大捕捉:1000人
 「たとえ王権が消え失せたとしても愛した人々とフランスは永遠に残る」というマリーの信念が新時代と発展の象徴としてのクリスタル・パレス、歴代フランス王家の権勢を示す巨大にして優美な宮殿を呼び起こし、マリーと味方のステータスを一時的にランクアップさせる。
 ロンドン万博の水晶宮と同名なのは皮肉等ではなく、マリーが宝具を用意する際に大好きだというクリスタル・パレスを参考にしたため。これはマリーの愛がいかに広範であるかを示すものらしい。

【weapon】
 なし

【人物背景】

 王権の象徴として愛され祝福されて生きながら、王権の象徴として憎まれ貶められて死に果てた女。
 死してなお民の幸せを祈り続ける、麗しの王妃。

【サーヴァントとしての願い】
 空に輝きを。地には恵みを。
 ――民に、幸せを。

【マスターへの態度】
 かわいい人だと思っている。
 もっと仲良くなりたいが、けんもほろろの対応を続けられていてちょっぴり悲しい。


【マスター】
 音上ファンタ@PPPPPP

【マスターとしての願い】
 生還

【能力・技能】
 ピアニストとしての天才的な才能。
 ピアノの演奏を通じて聴いた人間全員に幻の景色/ファンタジーを見せることができる。
 ファンタの場合は宝石と遊園地。宝石が散りばめられた遊園地を聴衆に体験させる。

【人物背景】

 ある天才の家に生まれた七つ子の一人。
 自分が"選ばれなかった"ことを今でも憎悪している。
 本編終了後からの参戦。

【方針】
 戦闘向きの主従でないことは自分自身自覚している。
 なので早い内に協力者なり何なりを確保し、安定した基盤を築きたい考え。
 聖杯に関しては「願うことも思いつかない」ので、とりあえずは生還を優先で考えている。

【サーヴァントへの態度】
 苦手意識がある。気味が悪い。
 あまり直視はしたくない、そんな相手。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2024年04月13日 18:56