チェダーがとっさに逃げるときの転移先は、大体決まっていた。ただし、そこは常に何が起きてもおかしくないある意味で危険な場所だ。
「きゃんっ!?」
 転移する際、いつもその部屋の隅に置いてあるクッションの上を狙ったのだが、チェダーが転移した先には山積みの石材があった。
 石材の周りは、いつもどおり部屋中に浮いているいくつものディスプレイとよくわからない機械類がいくつものケーブルでつながれている。
 もちろん、部屋の主が気まぐれに作成する小さなゴーレムたちもいる。チェダーの記憶が正しければ、小さな犬や蛇や小鳥が新たに追加されている。しかもみんなからだが白くて赤い模様がある。
「あ、ごめんごめん。その辺に移動させておいて」
 部屋の主が、ディスプレイと連動した端末を操作しながらチェダーに謝る。後半は彼のゴーレムへの命令だったらしく、部屋の隅から何十匹も小さい――小太りで頭に花がついている紫の――ゴーレム達が出てきて、チェダーごと石材を移動させる。
 石材が部屋の隅から別の隅っこへ移動しただけなのだが、たぶん意味はあるのだろう。
 それよりも石材の下からクッションが出てきたのでチェダーはそちらに移動した。石材の下敷きになっていたにも関わらずクッションはふかふかのままで、いつも通りクッションを抱くチェダーにすり寄ってきた。
「……シュバルツ」
「今の名前はヴォルスだよ」
「……あい。ヴォルス、僕のおもちゃの場所わかる?」
 並みではない情報屋のヴォルスには、この曖昧な質問で充分だった。端末を操作しながら、彼は即答した。
「捨てられてしまったみたいだね」
 なんとなく予想していた答えに、チェダーの目からまた涙が溢れる。
「もともと訓練場で落とすようなものでもなかったし、落し物だとみなされなかったのだろうね」
 ヴォルスの言うとおりだった。チェダーもなんとなくそんな気はしていた。けれど、違うと思いたかった。
「そんなにしょげる必要なんてないだろう?」
 小さく泣く声を聞き取ったヴォルスがディスプレイから目を上げる。クッションに顔をうずめたまま、チェダーは泣いていた。
「だ……って……!」
 今までは、怪我をして痛い時にだけ大声を上げて泣いていた。
 泣くのを堪えたいのに泣いてしまうのは、初めてだった。
 泣きじゃくるチェダーを背に、ヴォルスはチェダーを気にかけることもなく作業を続ける。
「そのおもちゃ、見た目は覚えているんだからいくらでも復元できるだろう?」
 たしっとヴォルスの指がキーを叩いて、おもちゃがいくつものホログラムとなって部屋を埋めた。どれもあのビー玉を転がして遊ぶもので、チェダーがなくしたものと同じものもあれば、それより遥かに大きいものもある。
 くるっとヴォルスが振り返って、チェダーに向き直る。
「とりあえず一通り調べて表示させたよ。君がなくしたのはどれだい?」
 これが、ヴォルスなりの励まし方だった。
 止まらない涙をクッションでぬぐって、チェダーは呟く。
「違うの……。違うの、マスター……」
 ヴォルスの言うとおり、なくしたおもちゃは復元させてしまえばまた遊ぶことができる。しかし、それに意味がないことにチェダーは気づいていた。
 この部屋中のホログラムの中にも、そしてこれから復元するおもちゃの中にも、もう『アダムスに買ってもらった』おもちゃはもうないのだ。
 そう思うと、またチェダーの目から涙が流れ落ちる。
「……そろそろ泣き止まないと、魔力が不安定になってきているよ」
 表示させたホログラムを全て消して、ヴォルスはまた端末を操作しながらいつもの仕事を再開させた。

――貴方には、ご自分以外に大切なものはないのですか?

 ふと、いつか聞いた村正の声がチェダー脳裏に浮かぶ。
「……うるさい」
 その言葉を振り払うついでにぐしぐしとクッションで涙を拭きとって、八つ当たり気味にねだった。
「ヴォルス、遊んでー?」
「めんどくさい」
「えーーーー」
 不満そうな声を上げるチェダーに、ヴォルスはちょっとの間振り返って微笑んだ。
「今ならブロック・クロックでお祭りでもしているんじゃないかな? 魔法の試し撃ちをしたいなら、アースガルド周辺がぴったりだろうね」
 それを聞いて、チェダーはにっこりと笑った。
「遊びに行ってきます!」
「いってらっしゃい」
 遊び続ければ沈んだ気持ちも塗りつぶせると信じて、チェダーは転移の陣図を発動させた。
最終更新:2012年03月27日 20:13