ユウコ・ユズリ(謙 優子)
「ねぇ、おかあさん」
概要
ジーニ・ミイナと複雑なのか単純なのかよく分からない関係を持つ少女。
ミイナ、つまりキリカ・タキザワとそっくりの容貌と正反対の性格を持つ。
おっとりした、機敏さに欠ける悪く言えばトロい子。
しかしドが付くほどの善人で、人の悪意にまず気付かない純真さは確かに持つ。
キリカからは「人の性格の方向性は環境で決まるのに、経歴からの性格の逆算が成り立たないヤツ」と言われている。
縦ロールにした長い金髪とカチューシャ、眼鏡と黒いフリルのスカートワンピースが良く似合っており、元浮浪児という過去とは無縁そうな「お嬢様」を感じさせる雰囲気を纏う。
過去とその他
事業に失敗し、借金を抱えた両親と離れ離れになり、過去両親が周囲に振りまいた罪や悪行を原因に施設に入る事もままならず浮浪児となる。
一人どうしていいか分からず、彷徨う事数日、助けも無く食べる物も飲む水も無く、体力が尽きかけている所をキリカ(ミイナ)に助けられる。
キリカの思惑は「自分と似ていたので養護施設を抜け出した事を何者にも悟られぬよう身代わりにする」だけの事だったのだが、ユウコはそれをキリカの優しさと受け止める。
その後入れ替わりの準備も進められ、一週間後にユウコはキリカの施設に「キリカ・タキザワ」として「帰」る。
キリカは養護施設でそう己の心を開いておらず、性格を良く知る者も居なかった為にキリカ→ユウコの入れ替わりの際の変遷は
「母親の死の報せを受け、寂しく弱まった心が他を求めた事で徐々に溶けて行ったのだろう」と解釈され、誰も別人と入れ替わっているとは思わなかった。
諸々の問題から推測するに、恐らく血液型も同じである。
そこから10年間、キリカとは両手の指で数え切れるほどしか遭っていないが、それでもキリカへの慕情は続いている。
何故かキリカの事を「お姉ちゃん」ではなく、「お母さん」と呼ぶ。
その割りに養護施設で育ての親代わりとなってくれた職員の女性の事は「お姉さん」と呼んでいる。
実の母親を捨て置きキリカをお母さん呼ばわりするのは、単に元の母親への憧憬が無いに等しいからである。
ユウコの母は、真実どうだったのかは定かではないが、父親共にユウコからすればあまり自分を愛してくれる人ではなかった。
それに何かしらの悪感情を抱いているわけではないが、接した時間も非常に短く、印象としても薄いものばかりだった為、人を恨むような性質を持たないユウコには
「確かに悲しく、寂しく、親の愛というものは凄く欲しいが元の母、父にはそこまで執着していない」という状態になっているのである。
キリカの事をお母さんと呼んでおきながらも、その自由さ、強かさ、勝手さに父性も望み、求め、実際に感じている。
つまるところ実質、「キリカ・タキザワ」という同い歳の少女はユウコ・ユズリにとっては父でも母でもある。
そういうわけで、彼女の意中の人は推して知る可。
そしてなお、彼女は同性愛者という訳でもない。
現在、己の目的を終えたキリカはユウコと頻繁に会い、出かけたり部屋で遊んだりしている。
キリカとしてはユウコに執着するほどの目的・理由は無いのだが曰く「ヒマだから」。
危ない橋を渡る語録
「ねぇ、お母さん」
キリカを呼ぶ時の台詞。
非常に甘えた声色なので、これで呼ぶ度「やめい気持ち悪い」と返される。
「…おと」
「お父さん」と呼びかけて止まった時の事。
「流石に男の人にするのはないよね」と心が咎めたらしい。
「きれい……………」
推して知る可
「なんだ、よく有る話だな」
ユウコの台詞ではない。
ユウコが己の境遇を話した時にキリカが放った言葉である。
この言葉に傷つくどころか「こんな子は自分だけではないのか」と安心したらしい。
余談
元ネタは特になし。
しかし途中で確実に間違いなくあのマンガのあの子が入ってます
最終更新:2012年07月10日 07:32