春の青空より濃淡で、それでいて薄く紗がかかったようにくすんだ色の、青髪の少女が人混みの中を歩いていた。
少女は道行く人々に興味がない。故に、少女の目に映る景色は、街並みも人も、空も含めて、全てが灰色に見えていた。また、興味がないのは、周りの人々も同じだった。それぞれの速度で、それぞれの目的の為に、他者とぶつからないように往来を歩いている。
それでも往来を行く人々の数は多すぎて、隣の人との間隔は狭い。それに、他者とぶつからない様に気を付けているものもいれば、他のことに夢中になりながら歩いて、他者とぶつからないように注意を払うことを疎かにする者も、世の中にはいるのだ。
少女は前から足早に歩いてきた男とぶつかってしまった。少し揺らいで、少女は人混みの中に、チャリン、と甲高い小さな音を聞いた。その音にはっとして往来で立ち止まって、音の在処を捜す。人混みの流れに従わない彼女に、少しばかり嫌な顔をする人々もいたが、少女にはそれも見えなかった。全てが灰色に塗りつぶされていたから。

「落としましたよ」

声と同時に、少女の視界に灰色以外の色が飛び込んできた。灰色に見慣れた少女の目には痛い、鮮やかな躑躅色。その色の眩しさに僅かに目を細めると、その色の正体が見えた。
一人の青年だった。自分より4歳ほど年上だろうか。整えられた躑躅色の髪には一房だけ、山吹色が混じっている。続いて印象に残った色は明るい新緑、青年の目の色だった。そして青年の差し出した手には、自分が今まさに探していたヘアピンがある。
眩しくて青年を真正面から見ることが出来ず、顔を逸らしたままでそれを受け取った。少女は他人に興味が無いので、礼を言わない罪悪感も感じない。そのまま立ち去ろうとした時、あっ、と青年が声をあげた。

「待って、そんな綺麗な色の髪なのに、もったいねっすよ」
「はっ!?」
「ちょいコッチ」
「え、あの、ちょっと」

いきなり言われた言葉に思わず驚きの声をあげているうちに、青年にあっと言う間に公園のベンチに連れて行かれ、座らされる。
他人に興味が無い少女が思わず言いなりになってしまったのは、髪の色のことを言われたからだ。

(この色は、違うのに)

『わたしの色じゃない』と、他人から、それこそ己ですら否定するこの髪を、目の前の青年は綺麗だと言った。だから、びっくりして反応できずに、ついてくるような結果となってしまった。それだけだ。いざ何かあったら、青年を文字通り潰せばいい。
座らされてから、青年は聞きもしないことを喋りながら、少女の髪をいじり出した。

「オレの名前、聞いたことない?ケッコー有名なんだよねー」
「……知らない」
「そっかぁ。オレね、ヘアスタイリストなの。腕には自信あるから、ちょい待っててね。せっかくの綺麗な髪、そのままじゃもったいないし……あ、勿論そのままでも十分なんスけどね!もーっと素敵にしてあげっから!」

成程、どうりで先程から髪を触る手付きが優しくて心地いい筈だ。青年から逃げられなくなった少女はされるがままで、青年の話を聞き流す。無理にその手を払えないのは、青年が延々と話しかけてくるからだ。
ふと、風が吹いて花の香りが漂ってきた。少女は風が吹いてきた方へ目線だけを向けると、青年と同じ髪色の花が、公園の垣根に沿って群生しているのを見つけた。美しい花と同じ髪色。それは間違いなく『綺麗な色』だ。

(……自分とは、違う)

花から目を逸らすようにして目を伏せると、丁度頭上から青年の「はい終わり!」という明るい調子の声が聞こえた。青年の手持ちの鏡だろうか、薔薇に草蔦が絡み合う意匠の手鏡を渡されて見てみると、ヘアピンがつけられた両サイドから、髪を一房分ずつ後ろにむかって編み、後頭部で合流させたところをバレッタでとめられていた。俗にいうお嬢様結びで、見ただけで解る。このきらきらしたバレッタは、決して安物なんかではない。
大小様々な石を組み合わせて作られたそのバレッタは台座がシルバーブラックで、可憐で可愛らしいカメリアモチーフ、それから動きのある細い銀のリボンを組み合わせている。そのリボンにも石が一つずつ埋め込まれていた。

「どう?」
「……勝手にやっといてお金請求したりしないでよね」
「つまりお金とれるくらい良いってコトね!うっしゃあ!」
「そうきたか」
「あ、お金はマジでイラネーから心配しないで」

そのバレッタもあげる。そう言われて流石に少女は断った。青年は首を横に振って笑ったが、少女は金を払うつもりもなかったが、こんな高価なものを無料で受け取るつもりもない。
そう説明を入れて再び断りを入れると、青年はへにゃりとたれ目と猫口で笑って、また同じことを言うのだ。

「そのバレッタも君みたいな綺麗な髪を飾りたいって言ってるよ」
「違うッ……!!」
「違わないよ?」
「違うんだ!こんな髪、綺麗じゃない!」

どうしてそんな事を言うのだ。違うのに。

「『わたし』の色じゃないのにッ……!!」

『本物』はもっと、澄んだ色をしている。こんな濁った髪色は、望まれていない。誰からも。……自分ですら。
拳を握る手に力が入って、爪が掌に食い込んだ。少女にはこれ以上の否定の言葉が思いつかない。
少女の事情を知る由もない青年はそんな少女を見て、哀しそうに眉尻を下げた。
それでも青年の新緑の目が語っている。少女の髪は綺麗だと。少女は新たな否定の言葉を、精一杯探して並べていく。

「……あなたは『わたし』を知らない。だからそんな風に言えるんだ!『わたし』はこんなくすんだ色の髪じゃないし、眼の色だってそうだ!」
「くすんでなんかいない。目の色も、深くて綺麗なワインレッドだ。どうして自分をそんな風に言うんスか」
「『わたし』じゃないからだッ!!」

たまらず、少女は叫んだ。幸いにも、公園には青年と少女以外の人はいないようだった。春空に少女の叫びは消えて行く。

「誰からも言われる花のように綺麗な髪の色をしたあなたに、わたしの気持ちなんて……ッ!!」
「解るよ」
「嘘だッ!!」
「嘘なんかじゃねぇ」

柔和な印象を受ける新緑の目に射抜かれて、少女は言葉を飲み込んだ。春風がさらりと優しく吹いて、少女の髪と青年の髪を撫ぜて躍らせる。
少女が止まったのを見て、青年は新緑の目を細めて、哀しげに微笑んだ。

「君は俺の髪、綺麗だって言ってくれたよね」
「……言ったよ。人の憩いの間であるこの公園に咲く花と、同じ色だ」
「そう。俺の髪の色はこの花の名前とおんなじ名前。……その花の蜜には、猛毒がある」

そう言った青年の言葉に、少女ははっと目を見開いた。高ぶっていた感情が沈んでいくのが解った。

「綺麗でもなんでもない。毒なんスよ、この髪は」
「……そんなことない。綺麗な花の色だ」
「それなら、君の髪だってそうッスよ?」

見てごらん、と青年は公園の花壇を指さした。色とりどりの大きな花の片隅で、青い花が……少女と同じ髪色の花が咲いている。
その事に少女は大きく眼を見開いた。青年の花と比べると大分小さいが、陽に向かって背伸びして、小さな可愛らしい花を幾つも咲かせている。

「俺はあの花の色、好き。とても綺麗な色だと思う」

そこで青年はまた笑う。少女は今度こそ、否定の言葉を紡げなくなった。ここまで展開を考えていたのか、と思わず内心で悪態づく。
一連の流れが青年の計画通りであったのかどうかはさておき、青年の意図を察した少女は、ゆるゆると長い溜息をついて、静かに話し始めた。このような青年の事だ、何を話しても聞いてくれるだろう。


「……貴方は、どうして」



























少女は走った。心臓が嫌に五月蠅い。酷い動悸がしていた。


 ―……きみがとても見覚えのある表情をしてたから、かな。

 ―……誰かに自分の声を聞いて欲しい、助けてっていう顔。


青年に背を向けて、ずっとずっと走っていたけれど、その声が脳内でリフレインされる。


 ―……あのさ、俺、姉貴がいてさ。姉貴もよく、そんな顔してた。

 ―……そんで、君のこと、どーしてもほっとけなくて。

 ―……俺の髪を否定しないで、好きだよって言ってくれたの姉貴だけだったんだ。

 ―……だから、誰にも理解してもらえない辛さ、誰かに自分の声を聞いてもらった時の嬉しさ、すげーわかる。


とても長い時間を走っていた気がする。いつ、いかなる方法でか、彼女は何時の間にか、冷たい鉄の壁に囲まれた地下に戻ってきていた。
項垂れ、膝をつき、いつもの発作とは違う動悸に、胸を抑えつける。
からん、と音がして、あのバレッタが床に落ちた。激しく動いたせいだろう。しかし少女にそれを気にする余裕などありはしない。


 ―……姉貴、今、行方不明なんだよね。自分から消息を絶ったっていうか、絶縁状態ってか。

 ―……探してんだ、ずっと。

 ―……俺は姉貴に聞いてもらえて、助けてもらった。俺はそんな風に誰かを助けたいし、ずっとそういう顔のままだった姉貴を助けたい。

 ―……俺がこの職やってるのって、全部、姉貴といたことに繋がってるんだ。


「……どうして……今になって……!!」

聞いてもらっても、教えてもらっても、何処に居ても、何をしていても、この虚無感は拭えやしないのに、どうして。


 ―……存在を認めてもらえて、自分の髪はあっちゃいけないことはないんだって、言ってくれる人がただ一人いるだけで。

 ―……俺は俺だって、ここにいていいんだって、満たされる。

 ―……君にもいつか、そう思える日が来ると良いな。


青年の最後の言葉を思い出して、少女は濡れた瞳のまま上を見上げた。答えへの道標をしてくれるであろう巨体がある。けれど少女はその巨体を見ていたわけではない。その先に、巨体が導くであろう遥か彼方にある「結末(誰か)」を見ていた。
からっぽの自分を埋めてくれる、覚えだけがある何も解らない「何か」を持っている誰かを。
……そして少女は。

バサラ、僕を」

名も知らぬあの花に、思いを馳せた。







最終更新:2014年06月06日 01:09