虹彩

「この宇宙は間違っている」

 ――正しき宇宙とは何か。

「この世界は間違っている」

 ――正しき世界とは、何か。

 問い掛けたところで、答えを返す者などありはしない。答えを返せるモノなどありはしない。
 恐らくは本物の神でさえも、その詰問に明確な解を示すことは出来ないだろう。
 彼の問いはあまりに抽象的に過ぎた。何を以って間違いと指摘するのか、その定義が明かされていないのだから正誤の判断など出来よう筈もない。

 長髪の男だった。上質なサファイアを思わせる濃紺の髪に、凪いだ水面の如く起伏に乏しい表情。
 どんなに育ちの悪い者が見ても、一目で彼が人並み外れた叡智の持ち主であると理解しよう。
 その右手には不明な電子機器が握られ、魔境に堕ちた都で蠢く〝何か〟の挙動を無機質な電子音で絶え間なく主に報告している。
 左手はフォトニック純結晶体と鉄から成る義手だ。手のひらの真ん中にはホロスコープが埋め込まれている。

 碩学が立つのは、近未来という単語の似合う清潔な白色の地下施設。
 正しくはその心臓部といっても過言ではない、無数のスクリーンに囲まれた暗黒球体の前だ。
 英霊の座から得た知識、現界してから集めた技術、そして己自身の天賦の頭脳。
 三つの力を渾然一体とすることで形成されたそれは、2017年現代の技術水準を数百年単位で飛び越した代物だった。

「紀元一世紀から私はその間違いを知覚していた。だが、人の身で出来ることには限りがあった」

 右手の機械も。
 左手の義手も。
 この暗黒球体も。
 すべて、彼が自らの手と頭で一から設計した発明品だ。

 しかしながらこの英霊は近現代の英霊でも、未来の英霊でもない。
 彼は紀元一世紀の地球に生を受け、紀元二世紀に命を落とした。
 未だ神秘が星そのものに深く根付いていた、機械工学の〝き〟の字もないような時代を生きた人間なのである。

「しかし私の虚構を暴いた彼らを責めるべきではない。
 彼らは自分達の頭で世界の真理に辿り着いてみせたのだから。
 私の論などな。所詮、この間違った世界では何の役にも立ちはしないのだ」

 にも関わらず彼の造った道具には一箇所の綻びも設計ミスもない。
 どんな精密機械にも付き物である微細なバグの発生すらあり得ない。
 彼はそれを可能とするほどの頭脳を持った碩学だった。

 それだけの頭脳を持つが故に、最高の完成度で最悪の間違いを後世に残してしまった才人。
 彼のせいで人生を棒に振った者も、無辜の人を破滅させた者もごまんといる。
 間違いなく人類史上有数の天才だが、それだけにその失敗は長いこと人類発展の歯車を狂わせた。
 そこに間違いはない。しかし、それだけが真実というわけでもない。

「――そう。間違っているのは、この世界だ。
 ――そう。間違っているのは、この宇宙だ」

 恐らくは創生段階で、この世界は致命的な間違いを冒した。
 菓子に砂糖と塩を間違って投入するような、決してあってはならないミスを。
 そのことを知っている者は一人として存在しない。だから、この男が立ち上がった。

「世界を正す。世界を質す。……世界を糾す。
 その為に私は此処に居る。願望器の福音に導かれて、な」

「福音。福音ねェ。呪いの間違いじゃないのかい、ボクらのようなもんを呼んどいてさ」

 声がした。
 少年の声と少女の声と男の声と女の声と翁の声と媼の声。
 牛の声と豚の声と鳥の声と山羊の声と馬の声と犬の声。
 蝿の羽音と血の滴音と排泄音と放尿音と金属音――この世のあらゆる声、あらゆる音を混ぜたような声が。

 ケタケタと響く笑い声は、耳元で蝿に飛び回られるような不快感を聞く者に与える。
 見ればつい一瞬前まで確かに無人だった男の傍らに、褐色のヒトガタが立っているではないか。
 白目のない黒だけの眼球をギョロギョロと動かして、口に浮かべるのは三日月の笑み。
 その性別は見た目だけではとても分からない。少年でも、少女でも。美男でも美女でも通るだろう、中性的な美貌の持ち主であった。

「覚悟は出来てるンだろうね、やめるなら今の内だぜ? 我が愛しのマスター様よ」

「ほざけ。今更従順ぶるなよ気色の悪い。
 此処で退けるほど利口な人間なら、最初からお前のような癌細胞を取り寄せてなどいない」

「ギャハハハハハ、それもそうだなマスター!
 ワタシとしたことが、オマエはそのナリでどうしようもなく膿んだ脳髄をお持ちなアホ野郎だってことを忘れてたよ!!」

「膿んだ、とは心外だな。少なくともお前よりはマシな頭の構造をしていると自負しているぞ、ウォッチャー」

「阿呆抜かせ。頭の病気でもなきゃ、思い付いても実行に移すかよこんな真似」

 おかしくて堪らないという風に呵々大笑し、褐色……ウォッチャーと呼ばれたそれは喘鳴のように荒く息を注ぐ。
 その言動の端々或いは所作の一つ一つから滲み出ているのは、誰もが救えないと断言するだろう悪性であり獣性だ。
 これはただ面白がっているだけ。人類史に刻まれた英霊でありながら、人に忖度するつもりなど欠片もないという真性悪魔。
 その在り方はまさに人類史の癌細胞だ。そして此度の主役である才人は、それを知った上でこのサーヴァントを〝狙って〟召喚した。

「……お戯れは程々になさいませ、ウォッチャー。我があるじへの侮辱は、そのまま私への侮辱であるとお考えください」

 次に響いたのは、淀みのない、起伏もない少女の声だった。
 声の出所は部屋の入り口。
 突然虚空から現れたウォッチャーとは違い、彼女はきちんと扉から入室してきた。

 雪のような白い肌に、やや露出の多い修道服、ターコイズブルーの瞳とサイドポニー。
 背丈は小柄な方だと言うのにその胸元ははち切れんばかりの巨大な果実で膨らみ、男の劣情を誘う。
 痴女と取られてもおかしくない身なりの少女だったが、そこに人間味らしいものは全く見受けられない。
 精巧なアンティークドールが意思を持って動いているような、何とも言い難い異質さが可憐さの中に同居している。

 部屋に入るなり彼女が口にしたのは、ウォッチャーへの警告。
 それは冗談でもなければ、口先だけの脅しでもない。
 現にその左腕からは、半透明の紅いブレードが顔を覗かせている。
 ウォッチャーが一言でも次に侮辱を口にしたなら、容赦なく彼女はそれの首を刈り取りにかかるだろう。

「相変わらず物騒だなあルーラーちゃんは。人に刃物向けちゃダメって習わなかったのか? オレはただ、マスターのことを心配してるだけだぜ」

「そうですか、では不要です。あなたに慮られずとも、我らのあるじは成すべきことを成すでしょう」

「やだなあ、方便だっての。そんなことも分からないのかナ、ポンコツ人形ちゃんは」

「あいにく理解したくもございませんので。人の愚かさを象徴する、あなたのような存在の考えなど」

 まさに一触即発。
 この二騎は、水と油の関係にあるらしい。
 正確には一方的に少女人形の方が食って掛かっているだけなのだが、刃を振るわれればウォッチャーとて応戦しよう。

「控えろルーラー。此処を何処だと心得るか」

 しかし、そうなられては困る。
 今にも戦端を開きそうな少女人形を、マスターであり、あるじたる男が諌めた。
 すると、つい一瞬前まで目の前の有害物質を消し去らんと放たれていた敵意が瞬時に霧消。
 主人同様の凪いだ水面のように起伏に欠けた鉄仮面が戻ってくる。

「失礼致しました、我があるじ。必要ならば、何なりと罰をお与えください」

「仕方ないな~。そこまで言うんなら、ワタシがキッチリ一から調教してやろう。まずはワシの性癖であるところの――」

 片や、命ぜられれば自分の首を切り落としても構わないとばかりに謝意を示し。
 片や、水を得た魚のようにまた少女人形の殺意を買いそうな台詞を吐く。
 彼女らの主人たる万能の才人は、そんな二騎に付き合ってやるつもりはさらさらないようだった。
 ただ一方的に、彼は言葉を口にする。

「アヴェンジャーの様子はどうか」

 その言葉は室内の空気を一気に張り詰めさせた。
 ウォッチャー、ルーラーに続く三騎目のサーヴァント。
 そのクラスはアヴェンジャー……即ち復讐者のクラス。
 衰退の化身であるところの彼は、この場にはいない。

 というより――連れてくることも解き放つことも困難な存在なのであった、件のサーヴァントは。

「……今は眠っているようです。数時間前は拘束式を第六まで突破。式の修復には成功しましたが、格段に本来の力を取り戻しつつあるようで」

「嫌だねェ、自分ちで狂犬を飼わなきゃならないってのは。
 ちゃんと見ててくれよな、ルーラーちゃん。完全体ならまだしも、この霊基(カラダ)の余じゃありゃどうにもならんからネ」

「あなたに言われずとも理解しています。〝彼〟は我々の切り札であり、同時に最悪の時限爆弾。
 爆発の時が来るのは避けられないとしても、その期が早まるようなことだけはあってはならない。
 もしそうなった時は――私も、あなたも、恐らくはあるじ様も。この地に集った全ての役者も」

「ああ。等しく砕け散るだろう」

 実のところ、ウォッチャーとルーラーが実際にかち合ったなら勝利するのはルーラーだ。
 というのも、褐色の彼と少女人形のサーヴァントは非常に相性が悪いのである、その性質上。
 だから先程の諍いは彼にとって致命的な事態を招きかねないものだったのだが、ウォッチャーはそれでも何ら怖じ気付く様子を見せなかった。
 その彼をして、戦うのは御免だと言わしめる存在。それが、未だ封じられたままのアヴェンジャーなのだ。

 無機質ながらも強い危機感を滲ませたルーラーの長台詞を遮って、才人がアヴェンジャーが解き放たれた未来の結末を口にする。
 そうなってしまえば全てはご破算だ。最低でもこの国ごと、最悪なら地球ごと、彼らの野望は砕け散る。

 カードとして抱えるには大きすぎるリスクだが、それでもアヴェンジャーは必須の一枚だった。
 此度の主役であり、脚本家でもある彼の筋書きは常に正確無比。
 一人として不要な役者は居らず、欠けていい歯車は存在しない。

「本当に上手くいくと思ってるのかい、〝キャスター〟? 
 ……思ってるんだろうなあ。魔王なんてやってると色んな人種を見るけども、おたくは元人間の中じゃ度を越したイカれの部類だぜ。誇っていい」

「私は、この身命を賭して世界の誤りを正す。
 その為ならば多少の博打は打とう。多少のリスクは背負おう。
 お前達のような星の癌細胞も、良薬として使ってみせよう」

 全てはあるべき秩序を造る為。
 此処では嘘とされている、正しい法理を下ろす為。
 無限に広がる未来の可能性から、一切の闇を消し去る為。
 魔術師であり、学者であり、■■■■■である彼は外道に堕ちた。
 悪魔に魂を売るよりもなお恐ろしい、魔王も慄く大博打に打って出た。

「ビーストα。
 ビーストβ。
 そしてビーストγ」

 ビーストα――
 仮の霊基をルーラー。
 人類の発展の頂上より生まれ、人の全てを奪い尽くす電子の猿。

 ビーストβ――
 仮の霊基をウォッチャー。
 人類を堕落へ誘い、人の意志の傍らに常に寄り添い続ける大欲の魔王。

 ビーストγ――
 仮の霊基をアヴェンジャー。
 人類が望んだ悪の総体より生まれたモノであり、あらゆる悪の根源と謳われる衰退の邪龍神。

 いずれも使役できる存在ではない。
 ビースト。それは人類愛が転じて人を滅ぼす悪となった獣性の化身。
 それを三騎、この男は召喚した。正道にあっては成らぬ願いを遂げようと思うならば、正道の力だけで事足りる筈もないのだから。

「生まれた意味を果たせ。その果てにこそ、正しい宇宙は訪れる」

 二つ三つの腫瘍を持ち込んだところで、今更この世界の病みが深まるわけでもない。
 とうの昔に手遅れだ。先程も述べたように、恐らくは世界創生の段階から。

 だから、彼はこの世界という病巣に抗癌剤を打ち込もうとしているのだった。
 副作用は甚大。恐らく世界は巨大な疲弊に苛まれ、長い混沌に包まれるだろう。
 それでも、全てが闇に覆われるよりは幾らか救いがある。
 荒療治は不可欠なのだ。患者を寝台に縛り付けてでも、正さねばならない病がある。

「さあ――我らの偉業(グランドオーダー)を始めよう」

 彼が擁する召使は三体の人類悪。
 それぞれ未来を、欲望を、滅びを司る獣達。
 どれか一柱のみでも人類を滅ぼし得る彼らは未だ不完全ながら、しかし既に星を喰む終末の萠芽を備えている。

 グランドオーダープロジェクト此処に始動。
 星の為、世界の為、宇宙の為、未来の為。
 全ての人の営みを、永遠に守る為。
 底なしの人類愛と尽きることない執念を胸に、一人の男が運命へ挑む。


   ▼  ▼  ▼


 神代は終わり、西暦を経て人類は地上でもっとも栄えた種となった。
 我らは星の行く末を定め、星に碑文を刻むもの。
 人類をより長く、より確かに、より強く繁栄させる為の理――人類の航海図。
 これを魔術世界では『人理』と呼ぶ。

 しかしこの世界には、とある構造的欠陥が存在していた。
 その欠陥は致命的であった。人の安寧は約束されず、世界の行く末には暗闇しかない。

 ■■であるべき筈の■■は無意味な■■と■■を続け、幸福なる未来の■図は永遠に失われた。
 ■■の先、遥か地平の■■■■から訪れた一人の碩学のみが、その事実を知覚している。
 この世界そのものが人類絶滅の遠因。
 本来除去すべき巨大な病巣であると判断した碩学は未来を覆う暗闇を払う為、人類史上最大の医療処置の決行に踏み切る。

 それは数多の■■■■とこの世界を接続し、接続先の■■を■として■■させることで■■■■■の■■■を形成する禁断の儀式。

 禁断の儀式の名は、聖杯■■ ―――――― グランドオーダー。
 それは同時に、人類を守るために無数に枝分かれした■■の■■■■を■■にし、運命と戦う者への称号でもある。

 それは、未来を救う物語。

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最終更新:2017年12月10日 16:34