―――『他人の不幸は蜜の味』、と言うが。
人間誰しも、蜜だけでは生きていけない。
どんなに蜜を好もうが、人として身体を運営する以上、燃料として他の栄養素が必要になる。
肉だったり野菜だったり様々だが、原則として人間は他人の不幸という蜜だけでは生きてはいけない。
肉のような、温かく人並みの幸せを。
野菜のような、爽やかな日々の安寧を。
それらを纏めて摂取するからこそ、人間は健全な精神を育むことができる。
故に、人間は清濁併せ持つ。
美しいものを美しいと判断し、醜いものを醜いと判断できるのが人間だ。
…だが。
どんな事柄にも『当てはまらないもの』というのは存在する。
善よりも悪を好み。
他人の不幸を蜜とし、他の栄養素を必要としない存在。
産まれながらに人が持つべき感情を持って生まれなかった存在。
この世に望まれない破綻者。
そんな人間は、確かにいるのだ。
…ならば、そんな人間はこの世の中をどうやって生きればいいというのだろう。
善を愛し、悪を憎むのが一般の世界で。
誕生の瞬間からその在り方だった疎まれるべき破綻者に、この世に生きる価値はない。
だからその者は、『産まれる価値がない者』として『産まれた理由』を探し続ける。
……そんなもの、見つかるはずがない。
人間とは、答えの出せない生き物だ。
短い生涯で難題を見つけてはその解明に没頭し次の世代にそれを託す。
そうやってこの瞬間まで長く続いてきた種族だ。
故にその破綻者は自らの問いの答えを自らで探り当てることはできないし、己の瞳でその答えを見ることもない。
だから。
自らで答えが出せない問題ならば。
『答えを出せる者』を、喚んでしまえばいい。
―――『この世全ての悪』。
聖杯に溜まった汚泥。
世界に悪であれと望まれたモノ。
この世に現界した瞬間、人を殺すモノ。
人殺しに特化したそれは紛うことなき『悪』だ。
少なくとも、人間にとっては。
だが破綻者はそう考えなかった。
まだ産まれ出でぬ者に罪科は問えぬ。
その泥は産まれれば間違いなく人を殺すだろう。
だが、もし、産まれ出でたその『この世全ての悪』が人間に近い感情を持つならば。
その自らの存在をどう認識するのだろう。
『悪』しか成せない己を悔やむのなら、それは悪だろう。
自らの残虐を理解しているのだから。
だが、『悪』しか成せない己に何も感じないのであれば―――それは『善』だ。
何故ならば、そうであれと望まれたモノ。
世界に悪であれと望まれたモノは、当然のように自らの責務を果たすだけなのだから。
―――破綻者は、それが知りたい。
破綻者という異常がこの世に産まれた価値を。
悪性しか持って生まれなかったこの身を、どう思えば良いのかと。
この是非を、破綻者は未だ、求め続けているのだ。
▲ ▼ ▲
「ほう。セイバーのサーヴァントか。
…確かに、誉れも高き剣士のようだ」
―――京都の何処かに位置する教会。
神々への信仰。懺悔を行う場所。
その地で、俺はマスターに喚ばれた。
サーヴァント。
万物の願望器、聖杯を奪い合うため喚ばれた英雄たちの一つの側面。
しかし、どうやらこの聖杯戦争は通常とは異なるようだ。
何より人物を転移させるなど聞いたことがない―――それ一つが、高位のキャスタークラスではないと難しいという。
残念ながら、魔術には詳しくない身故に詳しい部分は理解できなかったが。
「…簡単に説明しよう。とある地で行われた聖杯戦争に用いられる『聖杯』とは名ばかりの物だ。
伝説上の聖杯と同一のものではない―――高位の魔術礼装、というのが正しいか。
長年魔力を溜め込みサーヴァントの召喚という"奇跡"を行い。
それを見せつけることで聖杯としての真贋はともかく『強大な神秘』として魔術師を呼ぶ。
それがサーヴァントの召喚の真実だ」
何事にも効果を得るには燃料が必要だ。
魔術礼装もまず"それ"に通す魔力がなければただの置物。
聖杯も同様。
奇跡を起こすと言うならば―――それ相応の、魔力が必要だ。
しかし、この聖杯戦争ではサーヴァントの召喚だけでなくマスターの転移など様々な奇跡が行われている。
それこそ、人の手に余るほどの。
恐らく。
この聖杯には、人非らざる何者かの『意図』が関わっている―――と、マスターは語る。
まだ試していない為わからないが、京都を囲うように結界が張られている可能性もある。
マスターとなるべき者を京都呼び寄せた以上、逃げ出さないように何らかの対策はしてあると見るべきだろう。
「まあ、憶測の域は出ないがな。
何らかの超常の者の意図が絡んでいるとしても、今の我等には届かぬよ。
目の前の戦争を勝ち抜かぬことにはな。
…それはそうとセイバー。おまえには、望みはあるのか?」
「望み?」
「この戦争に託す望みとやらだ。
貴様もあるのだろう?
それが聖杯に願うものか、戦いで得られるものなのかは知らんが―――」
―――召喚に応じたからには何らかの『意図』があるのだろう、と。
そう語る瞳は、人の心を暴く剣のようだ。
肉を裂き、骨を砕き、魂の奥底の古傷を抉る。
そんな錯覚すら覚える。
「ああ。私もおまえの逸話は知っている。
誉れ高きスウェーデン王。人間の英雄よ。
人間として圧倒的な神秘に対抗した戦士よ。
その心に刻んだ、おまえの願いとは何だ」
「…願い、か」
ぽつりと呟く。
人間の英雄。確かにそうだ。
俺は神の血を引いている訳でもなければ魔を扱える訳でもない。
剣士のクラスとして呼ばれたこの姿も、何も失いたくないと人間の限界まで足掻いたからこそ存在している。
…その人生に、一点の悔いもないと言えば嘘になる。
何も失いたくないと足掻いた。
結果、全てを護ることが出来た訳じゃない。
取り零しも沢山あった。
誇りを手放したこともあった。最期には、己の命すら落とした。
やり直しが望めるのなら―――あの頃に戻ることができるのならば、剣など握らず、平穏に何処かに逃げた方が幸せだったかもしれない。
「…ああ。うん、俺がもっと努力していれば。
足掻いたその先は、『結果はこうなるんだ』ってもっと早く知っていれば、俺の人生はより良いものに変わったかもしれない」
己の人生を振り返る。
考えてみれば、後半は駆け抜けるように生きていた。
冒険、というほど夢溢れるものじゃない。
常に失うことへの恐怖に追われていた。
戦うためなら手段を選ばなかったことなど沢山だ。
…今なら、もっと上手く出来たかもしれない。
無念など、数え切れないほど存在する。
「―――でもな。
無念こそあれど、未練はないよ。
あの時の俺はできる限りのことはした。
それを俺が否定しちゃ、それこそ俺の行動は無駄になる。
俺が愛した者の為にも、俺が護ると誓った者の為にも―――俺は、俺を裏切れない」
それでも。
その無念に匹敵するほどの、美しいものを見たのだ。
失うことは恐ろしい。
愛する者を奪われたくないと足掻いた。
だからこそ俺はその一瞬に生きて命を燃やし、愛を育んだのだ。
その全てを無かったことにしては。
そんな俺を愛してくれた人達の思いを、全て消し去ることになってしまう。
「…そうか。
おまえは聖杯に導かれたサーヴァントでありながら、聖杯を要らぬというのか」
「そうだ。
聖杯はいらない。身に余る願いなぞ真っ平御免だ。
俺は、こんな俺を愛してくれた者たちの為にも『この俺』でないといけない。
やり直しなんてしたら、それはもう今の俺じゃない」
サーヴァントの身であれど。
本来の俺から一側面を切り取っただけの存在だとしても、この思いは変わらない。
それが、俺の誇りであり。
それが、俺の生きた証なのだから。
「だから聖杯が欲しいのならマスターにやるよ。
何を願うのかは知らないが、俺は使わな」
「本当に。
心の底から、そう思っているのか?」
「…へ?」
重い、曇天の空のような。
先程まで手を差し伸べるようだったマスターの声には、明確な侮蔑が込められていた。
「…残念だ。
おまえのような英霊でさえ、やはり人間である限り自らの本質からは目を逸らすのか
いや。『人間だからこそ』か。
人間として、人間の英雄として生きたおまえだからこそ自らの汚泥を見つめることができない」
待て。
待て。
待て。
マスターは、この目の前の男は一体何を言っている―――?
「本当に、愛する者の為に戦った自分を誇らしいと思っているのか?
本当に。
その人生に未練はないと言えるのか?」
目の前の男の一言一言が、心の表皮を剥いでいく。
べりべり。べりべり。
"自分ですら知覚していない自分"が晒される。
駄目だ。
これ以上この男の言葉を聞いてはいけない。
聞いてはいけない、のに。
魂の奥底が、この言葉を求めている。
「何、を」
「今一度問おう、セイバー。
おまえは、生涯一度たりとも―――『何故自分がこんな目に合わなければいけない』と。
理不尽な己の運命を、呪ったことがないのか?」
魂の古傷を抉じ開ける音。
理性で抑え込んでいた感情が、顔を出す。
心が割れる。
それ以上言うなと、今までの自分が叫んでいる。
駄目だ。
駄目だ。
この男の言葉は、的確に『自らの本質』を暴き出す。
「…頃合いだな。
己を知らぬそのままでは辛かろう、セイバー。
おまえは自覚すべきだ。自らの腹の内を。
自らの憤怒を」
脳をガツンと揺らされる気分だ。
心を暴く言葉はするりと肉体に忍び込み、魂に染み込んでいく。
一刻も早く、この言葉を止めねばならない。
そう、この男を、マスターを、今すぐ殺してでも…!
其処で。
顔を上げて、ようやく気がついた。
男が、その手の甲に輝く聖痕―――令呪を掲げているのに。
「令呪を以て命じよう」
それは。
絶対遵守の、逆らうことの出来ない三画の命の一つ。
「……懺悔の時だ、セイバー。
『己が深淵から、目を背けるな』―――」
▲ ▼ ▲
遥か未来。
スウェーデンと称されるその地でノルウェー王に育てられた彼は、美しい青年だった。
…『ホテルス』。それが、彼の名だった。
武芸にも秀で、敵無しとの呼び声高く。
堅琴の腕前は聴く者を魅了し、芸術への理解も深かった。
天才だった―――という訳ではない。
出来損ないという程でもない。
ただありふれた才を持つホテルスは、ありふれているだけに誰よりも努力した。
この身に宿る才が人と変わらないのならば。
天才の何倍も努力して、その域に到達すればよい。
努力することを努力できる。
ただホテルスの辞書には『諦める』という文字がなかったのだ。
愚直に、人よりも遥かに努力していれば無限の才を持つ者にも追い付ける。
そう、信じていた。
『―――貴方を、お慕いしております』
だからこそ、その言葉を聞いた時はとても驚いた。
努力するしか能のない自分を愛してくれる人がいることに、とても驚いた。
王女ナンナ。
理知的で清純な、美しい女性だった。
二人はすぐに恋に落ちた。
愚直に努力を重ねるホテルスをナンナは愛し。
そんな自分を誰よりも認め、愛してくれたナンナをホテルスは愛した。
幸せだった。
人間としての人並みの幸福を噛み締めていた。
しかし。
ある日、それは訪れた。
ナンナは沐浴を好んでいた。
美しい彼女は、愛した男に愛されるに値する女になるよういつも自分を磨いていた。
長い髪に水が滴り、完成された肢体に纏う。
本人にその気がなかったとしても、その姿はとても美しく―――それでいて、男の欲情を煽った。
その美しさは神々にすら届く。
偶然。
神の子であり、半神であるバルデルスがその姿を見てしまったたのだ。
引き締まった身体。
美しい所作。
水に濡れて光る、身体の造形。
『ああ、なんと美しい。
美しい。美しい美しい美しい……!!
その身体を我が物に。
あの女は、このバルデルスにこそ相応しい…!』
バルデルスは激しい欲情を抱いた。
男として、ナンナを己の女にしたいと思った。
だが、ナンナは既に愛している男がいるという。
バルデルスは自らの国へと帰り、軍を整えた。
この半神バルデルスの愛を断ると言うならば。
力尽くで、奪ってみせようと。
その報告を聞き付けたホテルスは、国王に申し出る。
「―――私はナンナと添い遂げます。
私は彼女を愛している。
彼女はこんな私を愛してくれた。
それを、あんな野蛮な半神如きに渡す訳にはいかない」
婚約の申し出だった。
ナンナと添い遂げると誓った。
誰よりも愛していると。
この生涯をかけて護り通すと決めた。
『―――ならぬ』
しかし。
国王から告げられたのは、否だった。
「何故ですか」
『ナンナを幸せにすると言ったな。
その役目、貴公に果たせるとは思えぬ』
「…婚約において、本当に"大切"なのは個人の意思だと思いますが」
『本当に"必要"なのは王の許可だ。
貴公は婚約相手に相応しくないとこの王が判断した』
「ナンナに届くよう努力を続けてきたッ!」
『貴公に選択権はない。
全ての権限は王にこそある』
「納得出来かねます…!」
『これは王の"勅令"だ』
堂々巡りだった。
努力を重ねたのも、全てはこの時にあったのかもしれない。
そう思えたのに、この想いは届かぬのか。
神々に奪われて全て終わりなのか。
心に暗幕が落とされる。
…私では、ナンナを幸せに出来ないのか。
そう思い顔を上げると―――王の、悔やむような顔がそこにあった。
『…この私とてな。
本当は、貴公とナンナで幸せになってほしい。
しかしな。それは、叶わぬのだ。
―――半神バルデルスが、ナンナを奪うために軍を整えているとの連絡が入った。
軍神。激昂する者。様々な異名を持つ神"オーティヌス"の息子。
それだけではない。トール神も戦線に出るとの話が届いている。
…この国とナンナは、奪われる。
貴公は殺されるだろう。
私は。
ナンナがようやく手に入れた幸せたを、夫を、失うような思いをさせたくない』
それは。
王の、絞り出したような本心だった。
本当は婚約も認め、その幸せを国を挙げて祝ってやりたい。
だが、人間は神には敵わないのだ。
圧倒的な力に全ては奪われる。
蟻(人間)が群れを成したところで象(神)には届かない。
だからこそ。
直ぐに奪われる幸せなら―――いっそのこと、その味を教えないことこそが救いであろう、と。
奪われる。
奪われる。奪われる。
超常なる存在に、全てが奪われる。
人間の力なんて大したことのないものだ。
いくら努力を重ねたところで、届かないものはある。
いつかそれに直面するのはわかっていた。
心の何処かで理解していた。
だから、此処は納得しろ。
諦めて次の幸せを探せば、それで。
……ああ、でも。
「―――私が、戦います」
―――それでも、俺は、引けなかった。
それからは、少しも安らぐことのない日々だった。
ホテルスの言葉を受けた王は、苦渋の決断をする。
『遠い凍土の地にあるミミングスの洞窟で作られた剣を求めよ』、との命を下す。
神すら殺す、その名剣。
それを手にすれば神とすら戦えるというのだ。
長い時間を、遠い大地まで歩いたホテルスはミミングスの洞窟に到着する。
手段を選んでいる暇はない。
ホテルスは必勝の剣に見合う価値のモノなど、最初から持っていないのだ。
だから、まず誇りを捨てた。
人である幸せを手に入れるために、人の誇りを捨てた。
ミミングスの洞窟にてサチュルン神の人質を取り、剣を渡すよう脅した。
この者の命が惜しければ貴様達の名剣を寄越せ、と。
そして無限の富の腕輪と、ミミングスの剣を得たホテルスは国へ帰る。
戦争は間近だった。
半神バルデルスが率いるオーティヌスやトールの軍が、群れを成して現れたのだ。
スウェーデンを襲う神々に対抗する人間の軍。
しかし、それらは一蹴される。
トールの鎚、ミョルニルが人々を紙のように吹き飛ばす。
…規模が、違い過ぎる。
技術だけならホテルスも神々に匹敵する。
しかし、存在の規模(スケール)が違い過ぎる。
技量が同等な剣士が二人いたとして。
神が持つ剣が鋼で出来たそれならば、人間が持つのは木の枝だ。
余りにも魂のサイズが違い過ぎる神は、相対するだけで人の魂を押し潰す。
軍を蹴散らしたトールが、目の前に現れる。
身に纏う雷が空気を焼き、人々が道を開ける。
『―――ヌシがホテルスか』
「如何にも」
一言で大気が震える。
…まるで、山を見ているようだ。
押しても引いても人間の力ではビクともしない存在が、ヒトの言語で接している。
通常の人間なら一息の間もなく、神気に捻り潰される。
『貴様に恨みはない。
しかし、此もまた運命よ。
仕方無しと諦め、その命を差し出すがいい―――!!』
雷神の鎚、ミョルニルが迫る。
その雷が光速だとするならば。
その鎚は、神速のソレだ。
上方から振り下ろされたそれは、容易く人間を地面に描かれた染みへと変える。
…光る、流星のようだ。
人の領域では届かない。
人の手では届かない。
限界を越えなければ、この神には届かない。
だからこそ。
「―――唸れ」
脳裏に描く軌道は一つ。
流星よりも速く。雷よりも速く。
速く。速く。より速く。
この身体を一本の剣と成し。
剣から迸る凍気の濁流を、一本の流れへと変換し。
轟く雷撃を凍気により迎え撃ち。
頭蓋を割る神速の軌跡を、人の腕にて凌駕する―――!!
ごろん、と。
音を立てて、何かが地面へと落下する。
想像を絶するほど重く、硬いのだろう。
落下した衝撃で、地面が耐えきれず蜘蛛の巣のように亀裂が走っている。
『貴様、我のミョルニルを―――!!』
叩き斬った。
ミョルニル、と呼ばれた鎚は根本から切断されている。
神速を人の身にて凌駕し、その存在を叩き伏せた。
「ああ、それだけじゃない」
カチャリ、と剣を再び構える。
これなら、闘える。
護ることができる。
最早神など、恐るるに足らぬ。
「次は、おまえだ……!!」
―――結果。
神々の軍は、撤退した。
主戦力であるトールの敗北。
ミョルニルという伝説の武器を切断しな男。
軍の士気は大幅に下がり、圧されていた神々の軍は成す術なく己の陣地へと帰っていった。
このままでは全滅も有り得ると判断した、半神バルデルスの決断である。
国が平和になってから。
ホテルスはすぐに、ナンナと婚約をした。
国中を挙げたパレードは華やかで。
あれだけ反対していた国王も王の威厳など何処えやらという風に、みっともなく笑顔を涙で濡らしていた。
『……ねえ、ホテルス様』
「…どうした、ナンナ。大丈夫、私はこれからも君を護るよ」
『ううん、違うの。
貴方はきっと私を守ってくれる。
努力の人だもの。不可能を可能にする男。
その真っ直ぐな所に、私は恋をしたのだから』
ぴとり、とナンナがホテルスの厚い胸板に寄り添う。
ホテルスはそっと、痛めてしまわないように、覆うように抱き締めた。
幸福だった。
戦ってよかったと思った。
この小さな幸せを、護れたんだと実感した。
顔を胸元に押し付けていたナンナはひょこりと顔を上げ、満面の笑みで。
『この幸せが、何時までも続いたらいいのになって―――』
そんな、尊くも儚い願いを口にした。
それだけでこの先の人生、闘える活力が湧いてくる。
「…ああ。続くさ。きっとな」
……ああ、そうだ。
続いたら、良かったのに。
国王の娘、ナンナと婚約したことによりスウェーデン王となったホテルスはバルデルスの軍との最後の戦いへと出る。
互いの軍が剣を交わす中、バルデルスとホテルスは相対する。
交差する。
その剣撃は、鮮烈だった。
バルデルスが嵐ならば、ホテルスは突風。
暴力的なまでの神の力を人間の技術で捌いていく。
…どれだけの時間が立っただろう。
最早軍は疲労困憊、立っているのはバルデルスとホテルスのみとなった。
互いの剣はたった一つの速度も落とさず、何度も何度も交差し。
そして、その決着。
『ホオォテルゥゥスゥゥゥッッッ!!!』
「バル、デルス―――!!!」
貫いたのは、ホテルスの剣だった。
ずぶりと、バルデルスの腹部に魔剣が捩じ込まれる。
洞窟の乙女にて授かった勝利の帯は決定的な瞬間に、ホテルスに勝利を授けたのだ。
バルデルスは致命傷を負い三日後に死亡した。
これで、スウェーデンは平和になる。
そう思ったのも束の間だった。
バルデルスの親であり神・オーティヌスは息子の死亡に激怒した。
たかが人間風情が、半神である息子を刺し殺したと。
そうして怒りのままに送り出された刺客、半神ボーウス。
結論から述べると、半神ボーウスはホテルスを殺した。
神との連戦に人間が耐えられる筈がなかったのだ。
だが、それでは終わらせない。
ホテルスは身を犠牲にした最後の手段で―――半神ボーウスに致命傷を与え、ボーウスもまたその翌日に死に絶えたという。
これが、英雄ホテルスの人生だ。
未練はある。
もっと上手くやれたかもしれない、などと思うこともある。
だが、ナンナが愛してくれたのはこのホテルスだった。
努力を重ね、困難から逃走しなかったホテルスだった。
ならば、やり直しなどしてはナンナを裏切る行為になる。
故に、聖杯は要らず。
不要なんだ。
もう要らないんだ。
願いなんてない。
襲い掛かる試練相手に此所までやったんだ。
人間として十分上手くやった―――
「―――その試練が。
『理不尽』だと感じたことは、一度もないのか?」
だから。
その言葉は、押さえていた『本心』を抉り出した。
そもそもの発端は何だ。
ナンナと二人で、人並みの幸せを得るはずだった未来を壊したのは誰だ。
「―――曰く。
半神バルデルスは国王の娘ナンナの沐浴を覗いた際の情欲によりその身体を欲したという。
…惨めだな。
貴様の幸せは、獣にも劣るただの性欲により貶められたのだ」
ふつふつと、何かが込み上げる。
嫌な、感情だ。
認めてはいけない何かだ。
此を認めては、決定的な何かを喪うという確信がある。
「半神バルデルスとの戦争で何人の国民が死に絶えた?
トールの鎚にて何人の兵士が骨すら残さず蒸発した?
おまえの愛した国民の何百人が、英雄ホテルスが死に際に駆け付けてくれる姿を夢想し、潰れ死んでいったのだろうな」
自分が愛していたのは、ナンナだけではない。
幼い頃から生きていた国も、兵士も、その国民もみんな愛していた。
「中には家庭を持つ兵士もいただろう。
死んだ夫の帰りを永久に待ち続ける妻もいるだろう。
その母親を見て、父親が死んだことを悟り甘えることを諦めた子供もいただろう」
幸せを奪われたのは自分だけじゃない。
自分の愛した者、全てだ。
何故だ。
何故こうなった。
自分がナンナと出会ったからか。
自分が無様にも足掻いたからか。
それとも―――
「…そうだな。
おまえの言う通りだ、セイバー。
その苦しみは辛かろう。
己の憤怒の理由が見当たらぬ苦痛は理解できる。
良いだろう、私がおまえの憤怒を言葉にしてやろう」
魂が、霊基が歪んでいくのを理解できる。
恨みを知らなかったこの身体に、ドス黒い『何か』が沸き上がる。
ああ、駄目だ。
この言葉を聞いたら、最期になる。
しかし。
この魂は、不思議とそれを受け入れていた。
「最初から―――『最初から神などいなければ、こんなことにはならなかったのに』な」
言葉はギロチンのように。
己の隠されていた本心の蓋を、叩き切った。
▲ ▼ ▲
精神が、現実に帰る。
教会は変わらない。
証明で照らされた協会は、今も神々しく懺悔の時を待っていた。
ただ。
少しだけ、世界が曇って見えた。
「どうだセイバー。
気分の方は?」
「最悪の気分だ。でも、今ならわかる。
俺は、ただ醜い自分を見ないようにしていただけだったんだな」
幼い頃から努力した。
努力に努力と努力を重ね、才など無くても一流に辿り着けるのだと証明した。
…それが、間違いだったのだ。
努力したのは、才が無い故に諦めたく
なかったのではない。
『何故自分だけ』。
どうしようもなく誰かを妬み、才が無い己を恨み、その境遇を憎んだから。
その恨みを埋めるよう、醜く努力で蓋をしただけ。
「もう一度問おう、セイバー。
……この『戦争』に託す望みは、何だ?」
「…ああ。決まってるよ、そんなこと」
空を見上げる。
視線は高く。
教会の天井を遥か越え。
その視線は雲を越え。
空を越え、星を越え。
何処にいるかもわからない、神々へ向けて。
「―――この世から神を切り離す。
この世の人々の脳内から『神という概念』を消し去る。
何かの間違いが起きても人々に二度と干渉できないように、その信仰を完全に消し去ってやる」
すうう、と身体が霊子となり空間へと溶けていく。
なるほど、これが霊体化か、と思う。
便利なものだとその性能を理解すると、目の前の男が口を開く。
「何処に行くつもりだ、セイバー」
「何処も何もない。戦いになるその時まで休ませてもらうさ。
マスターには感謝しているよ。あんたがいなけりゃ、俺はまだ『奪われる側』のままだった。
…そういや、名前を聞いていなかったな。マスター、あんたの名を」
身体は霊子となり空間へと溶けた。
肉体を有さない、というのは時として有利に働く。
マスターは長身の男だった。
見る者に圧迫感を与えるであろうその姿は、およそ協会には似合わない。
懺悔を聞く、というより懺悔をさせるといった方が正しいのではないかとさえ思えた。
「ああ、名乗っていなかったな」
男はゆっくりと口を開く。
「―――言峰綺礼。
何、英雄に覚えて頂けるほどの崇高な者ではない。
神父、で構わんよ」
▲ ▼ ▲
(―――やれやれ。
私もまだ、大人とは言い切れんな)
教会の自室にて、神父は一人思う。
人間である、人間の為の英雄。
それがホテルスだ。
彼の在り方にも諸説あるが、大体はそう考えて間違いはない。
そして。
神父は―――その人間の部分の傷を開いた。
(…八つ当たり、なのかもしれんな。
求めても得られなかったもの。手に入れたというのに手に入らなかったもの。
人としての、人並みの幸福。
どのように掬い上げても水のように隙間から零れ落ちた、感情。
それを手にし、そして奪われた身で―――それも仕方ないと諦めたその姿)
自分が死に物狂いで求めても手に入らなかったそれを奪われて諦めているその顔が。
およそ、勘に触ったのだろう。
「……まあいい。
セイバーもこれで乗るつもりにはなっただろう。
ならば、私も己の為に動くだけだ」
この場の聖杯は、恐らく冬木のそれではない。
参加者の転移。京都という場への固定。
どれも規格外の奇跡だ。
冬木の聖杯ではないとすれば、禍々しいあの泥も注がれているか怪しい。
ならば。
聖杯を勝ち取り―――あの泥をこの地に顕現させるのも、それはそれで悪くない。
生まれる価値無き者が生まれる価値。
己の在り方が生まれつき悪の者が。
外界との隔たりを感じ、孤独のままに生きる"悪"に果たして罪科はあるのかどうか。
……今の神父では、その答えは出せない。
だからこそ、聖杯を用い『答えを出せる者』を顕現させる。
それが、『この世全ての悪』。
悪であれと望まれた、人を殺すだけの呪いである。
「だが、それは最終目的だ。
聖杯を知る者として導くことも吝かではない」
しかし、神父は破綻者である前に聖職者だ。
助けを乞われれば手を差し伸ばすこともあるだろう。
何故と聞かれれば嘘を話すこともない。
今のところは、そうだな。
聖職者の仕事を果たすとしよう―――と神父は、自室を照らす蝋燭を見つめた。
【CLASS】セイバー
【真名】ホテルス
【出典】デンマーク人の事積
【性別】男性
【身長・体重】189cm・80kg
【属性】中立・悪
【ステータス】
筋力B 耐久C 敏捷A 魔力E 幸運D 宝具B
【クラス別スキル】
対魔力:C
第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。
騎乗:B
騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなせない。
復讐者:D
復讐者として、人の恨みと怨念を一身に集める在り方がスキルとなったもの。
周囲からの敵意を向けられやすくなるが、向けられた負の感情は直ちにアヴェンジャーの力へと変化する。
忘却補正:A
人は多くを忘れる生き物だが、復讐者は決して忘れない。
忘却の彼方より襲い来るアヴェンジャーの攻撃はクリティカル効果を強化させる。
自己回復(魔力):D
復讐が果たされるまでその魔力は延々と湧き続ける。微量ながらも魔力が毎ターン回復する。
【固有スキル】
常勝の帯:A
森の乙女たちに渡された、光輝く帯。
身に着けた者に勝利をもたらすと言われる。
「致命的な隙」や「絶体絶命」を回避可能な困難へと変え、それらを乗り越えていく英雄の象徴。
二重召喚:B
二つのクラス別スキルを保有することができる。
極一部のサーヴァントのみが持つ希少特性。
ホテルスが自らの怒りを自覚したと同時に会得した。
ホテルスの場合、セイバーとアヴェンジャー、両方のクラス別スキルを獲得して現界している。
神々との決別:B
彼の生涯は、神との戦いだった。
愛するべき者を奪われないために。
愛した者と共に歩むために、彼は神の軍勢と戦った。
人の尊厳を守るべく神と決別し立ち上がった人間のスキル。
神由来の能力や神性を持つ者への強大な耐性、及び特効を持つ。
どんな神にも剣を向ける鋼の意思…しかし、彼も最期には神の刺客に殺されてしまう。
故に、神性を持つ者と戦う度にこのスキルは徐々に弱まっていく。
【宝具】
『神よ、滅び伴え(ミミングス・グーディラ)』
ランク:B 種別:対神宝具 レンジ:1〜99 最大捕捉:300人
神―――オーティヌスなどを相手取り、トールのミョルニルを根本から切断しバルデルスを葬った神殺しの魔剣。
凍土の山にて鍛えられた、超低温の魔剣。
神性・及び神の類いの者に特効を持ち、真名解放すればその一振りであらゆる概念は凍結され、神々の武具ですら一太刀の内に両断される絶対破壊の一撃と化す。
サーヴァント版ライザーソードのようなもの。
『神よ、共に逝きよ(ラスト・ホテルス)』
ランク:B 種別:対神宝具 レンジ:1〜10 最大捕捉:30人
ホテルスを殺した半神ボーウスは、彼につけられた傷が原因で翌日に絶命した。
その逸話を具現化する。
彼は人生の最期の瞬間、ボーウスに敗北した。
しかし、それだけでは終わらない。
彼はその死の瞬間、自らに宿る魔術回路を魂・及び『神よ、滅び伴え』と接続した…と本作では定義する。
己の魔力及び魔剣の神気を体内で混ぜ融合させ、魂を燃料に魔術回路に限界を越えて回転させる。
体内には己の魔力・魔剣の神気・魂が一体化するまで練られ、高密度のエネルギーと化したモノが極限まで貯められ―――その結果訪れるのは、体内からの超起爆。
自身を宝具と接続し『己は宝具と同義である』と己の概念を書き変え破裂する、『壊れた幻想』。
ホテルスの自滅を前提とした、敵対者を己と共に葬る最期の手段である自爆宝具。
【人物背景】
スウェーデン王の息子であり、ノルウェー王に養育された男。
武芸や堅琴にも秀でており、まさにパーフェクトボーイだった。(努力の賜物ではあるが)
そんな彼に国王の娘・ナンナは恋をし、二人は情熱的な時間を過ごした。
しかし、ある日偶然ナンナの沐浴を目撃してしまったオーティヌスの息子、バルデルスはその肢体と美しい姿に一目惚れ。
絶対に我が物にする―――ホテルスを殺害してでも、と決意する。
それを知ったホテルスは、様々な情報を得て遠く凍った山・ミミングスに神にも勝てる武具があることを知る。
そこでホテルスはナンナを奪われないためなりふり構ってはいられないと凍った山にて人質を取り、剣と無限の富を与える腕輪を奪取する。
そうしてホテルスはナンナを奪いに来たバルデルス軍と激突する。
人を蹴散らすオーティヌスの息子バルデルス。
ミョルニルを振り回し軽々と蹂躙する雷神トール。
劣勢に追い込まれるが、ホテルスにはあの剣があった。
見事トールのミョルニルを根本から切断し、その威力で神々を撃退したという。
そして森の乙女たちなら帯を受け取り、バルデルスとの戦いで辛勝する。
これで妻と幸せに暮らせる…と、誰もが思っていた。
平穏は長く続かず。
自らの息子を殺されたオーティヌスの怒りは凄まじく、半神ボーウスを送る。
そして、またもや起こった死闘の末にホテルスは死亡する。
しかし、その時つけた傷によりボーウスも翌日に絶命したという。
…結局、彼は神の子でもなければ選ばれた勇者でもなく。
聖剣を預けられた訳でもない。
だから剣を奪うしかなかった。
神の血を引いている訳でもない。
だから足掻くしかなかった。
そんな愛する人と共に生きたかった、ただの人間なのだった。
通常は『神と決別した、何処までも人間の英雄』として召喚される。
だがしかし、言峰の令呪により自らの悪性の感情と直面させられた。
何故自分がこのような目に合わなければいけない。
自分は、ただ愛する人と生きたかっただけなのに。
身勝手な神々の行動で人生を狂わされた怒り。
神々への憎しみ。
確かに己の内に存在し、しかし愛してきた者の為にも目を背け続けてきた負の感情を直面させられた彼は、自らの願いを発見する。
神という存在をこの惑星から切り離す。
神々の身勝手で人生を狂わされた男は、自らの身勝手で神を殺すのだ。
【外見的特徴】
軽い布を身を纏っているが、王族であるからかその布も高価な物であるようだ。
短い緑髪と程よい筋肉は普通の青年を思わせる。
育ちがいいため基本は高貴な思いやりのある、しかしてそれを押し付けない優しい青年だが、己の負を自覚したためやさぐれている。
一人称は俺。
まだ若い頃は「私」だったが、数々の戦いが彼を男らしくしたようだ。
【聖杯にかける願い】
願いはたった一つ。
聖杯を使いこの世から『神』という概念を切り離し人を自立させることで信仰を消し、神を消滅させる。
【マスター】
言峰綺礼@Fate/stay night
【能力・技能】
聖堂教会の最も血と臓物の匂いがする部署、異端討伐を主とする『代行者』。
神の代わりに魔を消滅させる戦闘集団の一人。
人のトラウマや心の傷に敏感で、その類いを察知するのはとても早い。
黒鍵を使った投擲能力や『傷を開く』ことに特化しているため精度の高い治癒魔術を使用する。
教会の使徒として洗礼詠唱も修めており、霊体や魔に強い。
中国拳法、八極拳の達人でもあり自身は『真似ただけの内に何も宿らぬもの』と称しているがその精度は極上で、その実、恐るべき人体破壊技術と化している
【weapon】
聖堂教会にて使われる悪魔祓いの護符。
投擲用の剣であり、柄は短く刀身は長いため斬り合うのには向かない。
これを弾丸の如きスピードで投擲する。
死徒の身体に人間の摂理を無理やり取り戻させ、その上で塵に返す剣。
普段は柄だけであり、収納は簡単なので多く持ち歩ける。
埋葬機関の第七位などは、その服の下に百程度隠し持っているそうだ。
腕に残る『過去の聖杯戦争で使われなかったマスター達』の令呪。
無色の魔力源であり、それを攻撃に転用することも魔術に使うことも可能。
【人物背景】
万人が愛するものを美しいと思えず。
他人の不幸や痛み、苦悩を好む生まれながらの外道。
それでいて「人並みの幸福」への願望を捨てきれない男。
己が破綻者なのを理解しつつ。
それに対し納得もしたが。
未だ彼は、その破綻者という価値のない者がこの世に産まれた価値を。
初めから世界に望まれなかったものが産まれた意味を。
外界との隔たりをもったモノが、ありのままに生き続けることに罪があるのかどうか―――その答えを探し求めている。
参戦時期は不明。少なくとも第五次聖杯戦争はある程度始まっているよう。
【方針】
監督役でもないのでセイバーの自由にさせる。
【聖杯にかける願い】
今の己では答えが出せぬ問い。
その問いの答えを出せる者を顕現させるのも、良いかもしれない。
最終更新:2018年01月07日 20:34