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江島健太郎氏の

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 こういう割り切った受容の仕方ができるかどうかという点について、ぼくはいわゆる知識層と呼ばれる人々をあまり信じていない。なぜなら、世の中は無知で無謀な冒険と革命によってしか代謝したことがないからだ。知識は常に理論武装イコール自己防衛へと向かう。無知こそが外野を開拓してゆくチカラだ。コトバで大切なのは知識ではない。知識なんてものは過去への解釈学だ。そうじゃなくて、大切なのはチカラだ。チカラは未来だ。まだコトバにできそうでできない手探りの闇の部分に神だか悪魔だかはひっそり隠れている。

 だいたいそもそも、みんな、世の中の発明だとかイノベーションだとか、鼻クソほじりながらボーッとテレビを見ながら偉そうな論評垂れてるうちに勝手に誰かがどっかで成し遂げてくれて、そのうち手元に舞い込んでくるものだとでも思ってないか。それをやっているのが自分でないということに危機感を感じないのか。無謀な冒険に出ていって満身創痍になりながら成長してゆく勇気を持った人たち「だけ」が、エキサイティングな未来というものを白紙のキャンバスの上に描き上げていくのだという当たり前のことに思い至らないのか。

この文章とても良い。僕も同じことを考えている。こんな表現ができないところが悲しいけど。
とにかく、この文章は、未来へ向かうためのパワーを与えてくれる。




カテゴリ: [言葉] - &trackback() - 2006年05月15日 12:58:19
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