5巻4章 桐乃視点 アメリカにて その2
ホテルの一室――
あたしと兄貴はベッドに入り、壁を背もたれがわりにして寄り添いあっていた。
寝るにはまだ少し早い時間帯。窓の外から時々車の走る音がしてくるけど静かな夜、あたしたちも静かに時間を過ごしていた。
兄貴はむっつりと黙り込んでいたが、やがてあたしの方に顔を向けてポツリと呟いた。
「なあ桐乃、お、俺――」
「あんたの言いたいことは分かってる。だけど、今更もう遅いじゃん。それにあたしは別にいいっていってんでしょ」
「いや、しかし今からでも――」
「くどい! 往生際が悪いなぁ! だいたいもうこれからするって時まで来て何言ってんの? いいからさっさと諦めなさいよね」
まったく、さっきから二~三回このパターンを繰り返しているし。
「~~~~~チッ、分かったよ。じゃあ、……そろそろいいな?」
「う、うん。でも、あたし初めてなんだからちゃんとリードしなさいよね?」
「俺だってそんな慣れてねえっつの」
「はぁ? あんた黒いのとさんざヤってたんでしょ?」
「そりゃそうだけどよ、ほとんどは黒猫のやつが――おれはただ言われるままに動いてたダケっつうか。ぶっちゃけ、あんま覚えてない」
「はっ、なっさけな~。まぁいいわ、あんま期待してないし、そんなもんでしょうね」
「う~る~せ~。いいからホラ? 始めるぞ?」
「うん。………イイよ」
兄貴の片手がユルリと動いていき、そしてあたしの――
――あたしの…………ノーパソの電源ボタンを押した。
ウィーンと駆動音が鳴り、ディスプレイにOSが立ち上がっていく画面が映し出される。
そう、あたしたちは黒いのと兄貴が作ったというノベルゲームをやろうとしているのだ。
陸上の強化プログラムから離脱する手続きをして、いよいよ明日の便で日本へ帰ることになってんだけど、退寮手続きも終わって寮に泊まるわけにもいかなくなっちゃったから、兄貴が泊まっているホテルで一晩過ごすことにしたんだよね。
もうご飯も食べたしお風呂にも入った。んで、あとは寝るだけなんだけど、まだ眠くもなんないからくだんのゲームを今からやってみようってことになったわけ。
「――なぁ、やっぱ今からでもフロントに頼んで別の部屋取ってもいいんじゃね? それかツインの部屋に変えてもらうとか」
「まーだ言ってるし。だから言ってるっしょ? 明日の飛行機の時間まで寝るだけなのに、別部屋取るなんてもったいないじゃん。あたしがここ来た時間だって遅かったし。
フロントにだってこの部屋でって伝えてあるんだから遅いっつの。今から部屋用意してくれって言ったって、イヤな顔されて掃除もしてない誰が泊まったかも分かんないような汚い部屋あてがわれるのがオチだっつーのぉ」
いっきにまくし立てて反論を封じる。
「それとも何? 一緒の部屋だからってあたしにやらしいことでもする気? うひぃ~こわ~。寮に泊まったときも、あたしが寝てる隙にエッチなことしなかったでしょうね?」
「しねえよっ!」
「ふん、どうだか~」
「あとあんまくっつくなよ、暑っくるしいだろぉ」
「しょうがないでしょ。ノーパソなんだし、こうしないと画面見れないじゃん」
なんか前にも似たような会話したことなかったっけ?
と、喋ってる間にOSが立ち上がってデスクトップ画面に切り替わる。もうゲームはインスコ済みであとはアイコンをクリックして始めるだけ。
ちなみにノーパソは膝の上。サイドテーブルってもんがこの部屋にはなくてベッドの枕元に小物を置けるくらいのこじんまりとしたテーブルしかなかったからだ。
なわけでベッドの上に二人並んでこうしてゲームをしてるってこと。
「だいたい時間的には五時間もあれば終わる感じだ」
兄貴がゲームの概要を説明し始めた。
「一応ルートは三ルートあって、話の出だしは主人公が悪夢を見始めるとこから――」
ゲームの概要を「ふんふん」と一通り聞いてった感じ、いかにも黒いのが好きそうな話だ。
あたしも嫌いな類じゃないかな。
「ふーんなるほどね。ストーリーはちっと面白そうじゃん?」
「ま、後は実際やってみるこったな」
「そうね。さーてどんな厨二病な世界が飛び出して来るんだか」
あたしはアイコンをクリックしてゲームを開始した。オープニングに切ない感じのメロディが流れ、なんだか悲壮感がただよってきそうな絵が現れる。
兄貴の説明どおり、物語冒頭、主人公の少年が悪夢にうなされて夢の中で死者の国へと迷い込んでいく様子が描かれている。
ふぅむ……。前に読んだ同人誌も暗い感じだったけどこれもなんか雰囲気暗い。
このゲーム、コンテストかなんかに出したのよね? まったく、もうちょっと明るく作んないとユーザの食いつき悪いんじゃない?
そんな感想を抱いている間にもカチ、カチッとマウスをクリックして物語を読み進めていく。この辺はガッツリとエロゲーやってるからお手のものよね。
「……ねぇ?」
「なんだ?」
「あの黒いの、あたしとゲーム作りたがってたってほんと?」
ゲームを進めながらあたしは兄貴に聞いた。
「あぁ。直接言葉に出しゃあしてねぇけどよ。ほら、前に集まって遊んだときもそんなこと話してたろ? きっとそうだと思うぜ」
「そか……」
黒いのの顔が浮かんできて嬉しくなった。
厨二病でいつも何かしらのサムいネタ織り交ぜてあたしを嘲弄しながら話してくるアニメの趣味も服の趣味も合わない肌が白くて綺麗な黒髪のストレートでコスプレ衣装が似合っててすっごい可愛い顔。
あたし、あやせと同じくらいあいつのことが好……、き、きらいじゃないんだよね。絶対言ってやんないけど。
でも――、
「でも…さ?」
「ん?」
「あたし誰にも、なんにも連絡してなかったから……その」
何ヶ月も連絡しなかったあたしをどう思ってるんだろ。
正直なところ少し怖かった。ここで勝つまでは誰とも連絡取らないって自分で決めた『縛り』だったけど、相手から見ればずいぶん勝手きわまり無い理由だ。
しかもけっきょく勝てなくてずっと連絡しなかったわけだし。
連絡する手段が無かったわけじゃなく、一方的にあたしが無視した形だもん。
「あたしのこと嫌いに――」
「んなわけねーだろ」
言い終わる前にあたしの言葉はかき消された。
「あいつらがそんなこと思うかよ! そりゃ連絡がつかなかったことには怒ったりもしたさ。でもな、そんなことでおまえのこと嫌いになったやつなんざ一人もいねえよ!
黒猫も沙織も――あやせだっておまえのこと嫌いになったりなんかするかよ! 逆にあいつらの内の誰かが、『たかが数ヶ月程度』連絡つかなかっただけでおまえは嫌いになんのか? 違うだろ?
おまえもあいつらも、そんなやつじゃないって自分が一番知ってるだろうがよ」
真正面を向いてそう言い終えると兄貴は何かに気付いたようにふいっと顔をそむけて、最後に「ふん」と言った。
「………そっか。そうだよね。うん、そだよね」
そっか。兄貴に言われるまでも無いことだった。あたしの友達はそんな子たちなわけないじゃん。
それはあたし自身が一番よく分かってることだった。
「あんたもたまには良いこと言うじゃん」
「チッ。たまにかよ」
不満そうなこと言ってるわりにはなんだか嬉しそうじゃん。プククッとあたしは笑いをかみ殺す。
分かってんのよ? ……あたしのこと必死に励ましちゃってガラにもなくテレてんでしょ。はぁ~あ、テレんなら別の言い方すりゃいいのに、しょぼ過ぎ~。
だけど、さ。いちお~、あり――
「――がと」
声には出さず心の中でだけお礼を言おうとしたら、つい言葉がもれ出てしまった。
「あん? なんか言ったか?」
「な、なんでもないっつうの!」
チッ。聞こえてんじゃないわよ。恥ずかしいじゃん、こっち顔向けんな。あとさっきツバ飛んだし! きったなぁ~。
ムスッとしながらゲームを続けていると、「そういやぁさ」と今度は兄貴が話を振ってきた。
「アメリカのハンバーガーって大きいって聞いてたけどそうでもねえんだな」
「あー。あたしは寮生活だし、カロリー気になるから外でもあんまファーストフードは食べなかったけど、お店にもよるんじゃない? 有名なとこは世界どこいっても一緒って感じ?」
「なるほどな。てっきり三倍くらいでけーのが出てくると思って腹空かせてたのに拍子抜けだったぜ。へっ、アメリカもたいしたこたあねーな」
「プッ。なにそれ」
それからあたしたちはやいのやいの言い合いながらもゲームをしていった――。
カチ、カチ。
「ん? なんかまた知らない単語出てきたんですケド~? これって何?」
「あ~それは主人公が――なんだっけかな、確か死者の国でも死者だって気付かれずにすむ神器の名前かな」
「あいっかわらず邪鬼眼が全開なネーミングね、頭痛くなってきた」
「アイテムの裏設定とかはクリア後のオマケ特典でたっぷり見れるようになってっから、しっかり読めよ? 作品はちゃんと目を通さないと批評すべきじゃないんだよな、理乃先生?」
「うぇええええ! 厨二設定があたしを全包囲してるっ!?」
カチ、カチ。
「ところでさぁ。これってゲーコンに出したんでしょ? 結果はどうなったの?」
「クックック。聞いて驚け、掲示板で今現在も絶賛大盛り上がり中だぜ!」
「え、ウソ!? コレそんな超評価高いの?」
「あぁ。……クソゲー的な意味でな」
「ブハッw だと思ったwww」
カチ、カチ。
「てか聞いてよ!? あたしの好きなアニメ、こっちでもやってたんだけどさぁ。声優がクソ過ぎて殺意覚えたわ。あんな野太い声の女の子がどこにいるんだっつーの!
しかもさぁ、たいしたことないような暴力シーンも適当な絵でごまかしてんのよ?
隣のチャンネルに変えればバカスカ銃撃戦でグロいシーン流してて子供も見れるくせにさ、アニメだけ変に改悪してんの! マジなめてると思わない? ねぇ聞いてんのっ!?」
「……グェ。俺に言われても知んねーよ、てか首を絞める…な………」
「あれ? あんた何青くなってんの? キモ」
カチ、カチ。
「こっち来て観光とか行ったか? ほら、自由の女神とかさ」
「まさかニューヨークがどこにあるかも知ってないとかじゃないでしょうね? なんで大陸横断してまで自由の女神見に行くのよ。バカじゃん?」
「………ちょっと言ってみただけじゃん」
カチ、カチ
「あっち帰ったらさ、買えなかった新作のゲーム買いに行くからついてきてよ」
「あん? おまえ前に俺が買ってきてやったやつもまだクリアしてないんだろ? そっち先にやれよ」
「『おにぱん』も『カス妹』もやるけど、欲しいのっ! まだ特典付きが残ってるはずだし。いい? 分かった!?」
「あ~はいはいっと。で? 今度は何買うつもりなんだよ?」
「んふふ~、先月はいっぱい出てるから全部買うわよ。ざっと五タイトルくらいね」
「…………桐乃さん、パネェっすね」
「あ、あとブログで見たんだけどさ、アイスカップに入った冷やし妹パンツってやつ売られてるんだってさ。あたし恥ずかしいからあんたそれ買ってみてよ」
「おまえは俺を変態にする気マンマンですかっ!?」
「は? 元から変態じゃん、自覚無かったのあんた?」
カチ、カチ。
「ここのエフェクトちょっとカッコ良かっただろ」
「うん、けっこ良かったかも。ねぇ、このゲームって黒いのがほとんど作ったんだよね?」
「んあ? まぁそうだな。俺はたいしたことしてねえし、最終的な直しとブラッシュアップをさっき話した黒猫の友達とやった以外は、CGもシナリオも、あとスクリプトって骨組みみたいなんも黒猫のやつ一人だな」
「そっか。へー凄いじゃん」
「ほー、おまえが素直に黒猫のこと認めるとはね~」
「な、何よ? 悪いっての?」
「いいえ~別に」
ゴスッ!
「あいっつぅ、わき腹を! ~~おまえなぁ」
「フン! あんたがウザいこと言ってっからっしょ」
――カチ、カチ。
とりとめもない会話をしながらもゲームは進んでいき、気付けばシナリオも終わりに近づいてきていた。
主人公の少年は死者の国で想い人抱きかかえて逃げている。しかし後ろからは追っ手がすぐそこまで迫ってきているといったシーンだ。
「あーこいつら助からないんじゃない? フラグがめっちゃ立ってるし」
「まぁまぁ。あともうちょいなんだから、いいから進めてみろよ」
言われるままにゲームを進める。
いよいよ主人公は追い込まれ、想い人を強く抱きかかえるがどうしようもない状況。そのとき起きるはずもない彼女が目を覚まし主人公に微笑を見せたかと思うと――、
グシャ!
驚愕の目で想い人を見返すが、その目にはもう何も映らない。
朝。日に日にやつれていく主人公を心配した幼なじみが起こしに来るが、主人公は起きようとしない。
じれて布団をめくると、そこには惨殺された骸がただ転がっていた。
そして画面はブラックアウトし赤くENDのマーク。
「何よこれ、やっぱバッドエンドってやつじゃん!」
「まぁそうだな」
「はぁ~。なんか悲しいっていうかエグかったしぃ。あたしは予備知識あったからいいけどさ、他のユーザだったら泣くわよ?」
「俺もそう思う。てかおまえ涙目になってんなよ。ほら、ハンカチ」
ズビビビッ! 鼻をかんで「うっさいなぁ」と毒づいたら兄貴はげんなりした顔で見てた。
「グス。そういや三ルートあるんだっけ? じゃあ、中にはハッピーエンドもあるんだよね?」
「ないよ」
「ないの!?」
全部バッドってなんなのよそれ、びっくりだっつの――ってなんか複雑そうな顔をしてんけど、何?
「……俺もそう思う。でもこれがやりたかったんだと」
「は~ん。ったくこんなだからワナビ抜け出せないっつうのよ。あたしだったらそうね、最後は愛の力でいろいろ全部吹っ飛ばしてハッピーエンドね」
「それおまえの書いたレイプ小説じゃん。しかもなんだよいろいろって? 話が破綻しなくね!?」
「いいんだって! ユーザーはとにかくスッキリしたいもんなの。 えーと、そうカタルシスよ、カタルシス!」
「そんなもんかね」
「そーいうもんなの」
「ま、そこらの感想は帰ったら黒猫とたっぷり話すといいぜ。あいつもおまえの感想聞きたがってるはずだ」
「うん。そだね」
それからしばしエンディングの曲を聴きながら、無言のときが流れた。
なんか日本を発つ前にあたしの部屋でゲームしたこと思い出すな。なんていうかうまく言えないけど、とにかくあったかくて心地良い時間――。
チラリと横にいる兄貴の顔を見てみると、ちょうど兄貴のやつもあたしの方を向いて目が合った。
ついプイッと顔をそらしてしまう。
ちょ、こっち向かないでよ! なんか今更になって二人でくっついてゲームしてんのが恥ずかしくなってくんじゃんか。
あたふたと視線をさ迷わせると、時計が目に付いた。もうけっこう遅い時間である。ゲーム始めてから数時間たってんだもんね、当然か。
ノーパソをパタンとたたんで、
「そろそろ寝よっか」
「ウェッ!? え? あ、ああ。ほんじゃ毛布だけでも貸してくれよ、俺は床で寝るからさ」
「はぁ? 土足で歩くような床にあんた寝たいの? よっぽど卑屈な精神構造してんのね」
「ちげーよ! えーと、なんちゅうか……だからぁ」
なんか言いよどんでいる。なんとなく言いたいことは分かるんだけど無視。
「い、いいから! 寮んときだってそうしたんだし、変な病気とかになられてもこっちが迷惑だし? い、いっしょのベッド使わせてあげるつってんだからありがたく感謝しなさいよね!?」
「寮んときはもう一つベッドがあったのに使わせなったじゃねーかよ」
「あったりまえじゃん。あんたみたいなヤツを勝手に友達のベッドに寝させるわけ無いでしょ? 常識でものを考えなさいよね」
「その常識ヒドく俺にキツくね!?」
兄貴の言い分はほっといてあたしは手刀でシュッとベッドのシーツに折り目をつけた。
「あんた、ここからこっち来ちゃダメだかんね! 分かった? それと、なんかエッチなことしたらコロスから、マジで」
「……またかよ。俺、仰向けにもなれないくらいのスペースなんだけど?」
「横向きで寝ればいいじゃん」
「あの~桐乃さん? それじゃ俺、寝返りすっとベッドから落ちそうなんスけど?」
へ? なに言ってんのあんた?
「落ちたくなかったら寝返りしなきゃいいじゃない」
「マリーアントワネットみたいなこと言ってんじゃねぇよ!」
「あ~も~うっさい。さっさとしなさいよね。明日起きられなくなっちゃうじゃん」
「………ぐ。へ~へ~分かったよ。んじゃさっさと寝んぞ」
そう言うと兄貴は観念したのか、髪の毛をクシャクシャしながら背中を向けて、ベッドにつけた折り目の向こうで大人しく横になった。
あたしも背中を向けて横になる。
「電気、消すから……」
「……おう」
パチッと枕元のライトを消し部屋を暗くすると、とたんに静寂が襲ってきて秒針が時間を刻む音が聞こえてくる。
……うう、喋ってるときは平気だったけど――こうして黙っていると背中から微かに伝わる熱を妙に意識する。
き、聞こえてないよね? あたしの心臓の音とか。
とにかく寝よ。そう思ってギュッ目を閉じ、「カチ、コチ、カチ、コチ」と時計の音を聴いて何も考えず眠気を手繰り寄せようとした。
――眼をつむってたから正確な時間は分からないけど、十分か二十分。
しばらく身動きもせずに眠ろうとしてたんだけど――、はぁ。まいったな、全然眠くなんないじゃん。
背中にある熱がどうしても気になる。
暑苦しくなるような熱じゃない。冬の朝、布団の中にいるような、包み込まれて小さい頃に戻ったように心配ごとに無縁でいられるような、そんな熱をあたしは感じてた。
「……ねぇ? 起きてる?」
「あぁ」
自然と口が動いてた。なに話しかけてんだろ、あたし。
「あの――、あの、さ。あんたがここに来たのって、エロゲーしにきたんだよ…ね?」
言ったあとになって思った。あたし何聞いてんだろって。なんて答え……、期待してるんだろって――。
「エロゲーは……、ついでだ」
「え?」
「おまえに会いに来たんだよ」
「―――――…………そか」
これ以上ない答えだった。
……って、妹相手に恥ずかしいこと言ってんじゃないわよ。
「シスコン」
「るせ」
そっか。ふ~ん、そか。あたしがいないの寂しくて、心配して、会いに来たん…だ。
「なぁ?」
「………なに?」
「おまえの――おまえの足引っ張っちまって……いや、なんでもねえ。忘れてくれ」
「ん……」
兄貴が言いたいことは分かった。あたしが留学やめたの、気にしてんだ。
陸上のことは考えると悔しくて仕方無い。みんなには黙って、親にもわがまま言って反対押し切ってまで来たのになにも成果がなかった。
結局あたしは挫折して、今ここにいるわけなんだし。
でも、そのことで兄貴が責任を感じるのは筋違いでしょ。
確かに『帰ろう』って言ったのは兄貴だけど、あたしはあたしの意思で、帰ることを決めたんだから。
あたしがそう思ってるの知っているから、だから口を止めたんでしょ? 自分でも分かってんじゃん……、ばか。
それに――それに、『帰ろう』って言ってくれたの……、『おまえがいないと寂しい』って言ってくれたの……、嬉しかったし。
硬く強い、絶対だったはずのあたしの決意をあっさり壊しちゃって、日本に帰ろうって決めさせるくらいに嬉しかったんだ。マジでさ……。
それからあたしも兄貴も喋らなくなった。
目をつむっていたけど相変わらず睡魔はやって来ない。いつのまにかまた少し時間が流れたみたいだった。
気付くと、スゥスゥと背中から寝息が聞こえてくる。
兄貴、もう寝たのかな? 悟られないようにそぉっと寝返りして、兄貴の方へ向き直ってみた。
背中が静かに上下している。どうやらほんとに寝てるみたい。
「ねぇ、あに……き」
返事は返ってこない。あたしは片手を伸ばして背中をつついてみる。
あったかい。
まいったな。なんか、あたしヤバイ。全然寝れないし、なんか――なんか今夜おかしい。
「んん……む」
と、いきなり声がして背中が倒れてきた。
「っ!」
とっさに手を引っ込めようと思ったが、間に合わずに巻き込まれて背中の下敷きとなった。
起きたのかとあせったがどうやら寝返りをうっただけっぽい。スゥスゥと変わらず寝息を立てている。
ちょ、ちょっと驚いちゃったじゃん。
ていうかベッドから落ちるとか言ってたくせにこっちに寝返りしてんし! あたしがつけた折り目も越えてんじゃん!
う~。背中に挟まった手を抜きたいけど気付かれるかな? どうしよ。
少し顔を上げると兄貴の顔が見える。暗くてよく分かんないけどすっかり熟睡しているみたいだ。
なに境界線越えてきてんのよ。やっぱ妹襲っちゃう気なの、このシスコン。
もう片方の自由な手で、兄貴の鼻先をツンツン触ってみる。鼻息がなんかくすぐったい。
今度は「フゥ~」っと顔に息をはきかけてみる。
「起きない…な……」
次に頬っぺたを人差し指でクリクリしてやった。少し顔を揺らしたが、変わらず寝入っている。
へへ、おもしろー。次は鼻でもつまんでやろっかな~。
「…………ん? ……ヘッ!? え、え? な……なっ!?」
なにやってんだああぁぁ、あたしいぃぃっ!
そん時になって初めて気がついた。こうして手で兄貴の顔いじってるってことは、兄貴が仰向けになったからであり、――ということはそれだけ距離がつまっているということであり……。
ボンッ、という音がしそうなほど急激に顔が紅潮した。
ぐ、ぎががががが、がぎぎ! ば、ばばばっっかじゃん、ああああたし――ッ!?
ま、まずい。 あたし今なんか変だし。これ以上はとにかくまずい!
えっと、ええ~と、なんとか手を引っ込めないとね! そう、手をそろぉっと――って!?
「ちょ、ちょっと! 何しようとしてんのあたし? ちょっと! ネェ!?」
あたしはイタズラしていた手を『そろぉ』っと兄貴の肩に置いた。アニメやマンガなんかで、ヒロインがお姫様抱っこされて肩にしがみついてるみたいな感じで。
な!? ほんとに何やっちゃってんのよ、あたし? こ、これ以上はダメ! 絶対ダメだからね!?
必死に抵抗したけど、『何がダメなワケ?』と言わんばかりに頭の指令を裏切ったからだは、そのままモゾモゾと頭をもう一方の肩に乗せた。
すぐそばで規則正しい寝息がしてくる。
やばいやばいやばいやばい、あたしやっぱおかしいってぇぇっ……! なんなのこれ、どっかで魔道士があたしにメダパニでもかけてんの?
それに、背中ごしだった熱を全身に感じて、その熱がうつったように自分も熱くなる――。
なのに、こんなに熱くて密着してんのに、兄貴はあたしの頭のすぐ近くでスヤスヤ寝てる。起きそうなそぶりも見せない。
なんで起きないのよ、鈍感にもほどがあるんじゃない? いや、今起きられたら困るケド!
でもこんなんなってんのに起きないってやっぱおかしくない? それともあたしだけそう感じてるってこと? いやだから起きられたら困るんだってば!
ああああああぁぁぁっ、自分でも何考えてんのか分かんないし!
と、とにかく起きないでよね! あたしが離れるまで、起きたら許さないからねっ?
で、さっさと離れれば良いって分かっているのに、あたしはなぜか両腕にキュッと少し力をいれた。
――――~~~~~~~~~~ッッッッ!
だ、抱きついちゃってるよおおぉぉぉ、あたし! あ、ああ兄貴にぃ~~~~~っ!?
なんなのよぉもう~。心臓の音すごい聴こえてくるしからだ熱いし息も上手く出来ないし! 兄貴の匂い、すごく間近でする…し……。
「……スン…スン。ゃ、ゃだ。あたしキモい」
はぁ……はぁ……。やだ。なんか、こんなの…今日おかしいよあたし……。
なんでこんなことしちゃってんのよ、あたし?
そ、そもそも同じベッドで寝てんのは一晩過ごすだけなのに他の部屋取るのがもったいなかったってダケで。
あと兄貴なんだから別にへ、平気って思ったのと。それと、その――あんま認めたくないけど、嬉しくていっしょにいたかったってのもある…のかも……。
で、でも! もし、仮に、万が一、そうだとしても! こんな抱きつくようなこと!?
兄貴なんてなんでもないじゃん。グズだしスケベだし変態だし。
ただちょっとあたしにキモいこと言ったり、ウザいことしたりしてたくらいでさ……、
『ああ。おまえがどんな趣味持ってようが、俺は絶対バカにしたりしねえよ』
あたしの秘密知ってもバカにしないって言って人生相談聞いて、
『――友達、作るか』
友達作るの手伝って、
『だから俺が一緒に参加すんのは無理だって――ああもう、そんな睨むんじゃねえよっ。わーったって……ええっと』
オフ会について来て、
『桐乃――俺に任せろ』
お父さんからあたしの趣味を必死に護って、
『いいか、よく聞け、俺はなあ――妹が、大ッッ……好きだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――っ!』
あやせとの仲直りの為に頑張って、
『……桐乃さん……お友達来てるんすから、相手してあげた方がいいと思うっすよ……?』
黒いのとのケンカを仲裁して、
『……分かった。俺が一緒に行ってやるよ』
小説書いたときも色々ついてきて、
『…………いや。……ヨーグルト、食う?』
インフルエンザにかかったとき心配して、
『――ありがとよ、桐乃』
あたしの〝プレゼント〟泣くくらい喜んで、
『俺は、おまえの兄貴だしな。ま、しょーがねえ』
『約束しただろ。おまえが帰ってくるまで、護ってやるって。だから、捨てない。たとえおまえの頼みでもだ』
あたしの大切なもの、『捨てろ』って言ったのに、ずっと護ってやるって言って、
『一緒に帰ろうぜ』
『おまえがいないと寂しいんだよ!』
人生相談終わっても、心配してアメリカまで飛んできて、寂しがって、自分勝手にあたしを連れ戻しに来た。ただそれだけじゃん。
…………………………………………いや、違うよね。
自分で分かりきってんじゃん。
〝ただちょっとそれだけのこと〟をしてくれたから、だからあたしは……すごく感謝してて、嬉しがってんだ……。
特にここ数日は、ちょっとくやしいけど、兄貴が側にいるの、すっごく嬉しいって、感じてる。
凹んでるときに優しくされたら誰でもそうじゃんって、卑怯じゃんって思うかもしんないけど。でもさ、上手く言えないけど、そういうのって誰かでも、誰でもじゃないんだよね。
落ち込んでたときもそうじゃないときも、そばで何か言ってくれた、してくれたのは、誰かじゃない……。嬉しいって思ったのは、誰でもじゃない……。
…………あたしがこんなことしちゃってる理由はそういうことなのかな。絶対知られたくない理由だけど。
てゆーか知られたら恥ずかしすぎて悶死するっつの! そ、それに今日はテンションが変な方向にいってて、むしろそれが理由の九割?
だから、これは普段のあたしじゃないからしょうがないっていうか、ちょっとおかしくなってるっていうか、そういうことなワケで………。
――も、もうちょっとダケ、こうして……よっかな?
顔のすぐそばからスゥスゥと寝息がする。
妹の懊悩など知りもしないで、あいも変わらず兄貴のやつはおもいっきし寝入っている。
「プッ」
ちょっとニブすぎ? そういや、初めて人生相談したときもあたしがひっぱたくまで起きなかったしねぇ、あんた。
ちょうど一年ほど前の兄貴の部屋での出来事を思い出し、あたしはちょっと可笑しくなった。
………………。
あたしさぁ、一年前はあんまりあんたのことは兄貴だって思わなかったんだ。
思えなかった。ううん、思おうとしなかったってのが正しいかな。ケンカなんてする以前の関係だったしね。
だってあんた、いつもあたしに無関心で、やる気なさそうで、あたしを見ようともしてなかったし。
あたしはあんたのこと、ちょろっとは見てたんだよ?
陸上始めたきっかけだって――あんたは忘れちゃってるっぽいけどさ……。ま、覚えてろってのが無理だろうケド。
でさ、あんたがそんな感じだったし、あたしもそんなあんたに「どうでもいいや」て思うようになっていって――。
それがこの一年で関係が変わって。
そりゃあ表面上はそんな変わってないかも知れないし、あんたが本当はどう思ってるのかなんて分かんないけどさ。
けど、少なくとも今はあんたのこと――『あたしの兄貴』だって、思ってるよ。
あんたの、兄貴のしてくれたこと感謝してるし、いっしょにいて悪くないな~って思ってんだ。
……あんたは、あたしのことどう思ってんの? やる気なさそうな顔は相変わらずだし、あんま話しかけてこないから、どう思ってんのかよく分かんないじゃん。やっぱきらってんの?
でもそれじゃあ、あたしを心配だって言う気持ちとか、寂しいって気持ちはどこから――考えるまでもないか……。
兄妹だから――、あたしが兄貴の妹で、兄貴はあたしの兄貴だからだよね。
日本を出発する前に、あたしの部屋で言ってたよね、『俺は、おまえの兄貴だしな』って。こっちに会いに来てくれた日も、『おまえは俺の妹だ!』って。
ふふん。それにぃ~、兄貴はシスコンだもんね~。妹のあたしが可愛いくてしょうがないのっかな、バカあにきぃ? ププッ……。
そんなことを考えながら兄貴の胸が緩やかに上下するのを感じていたとき、あたしの胸の奥底で、何かがコトリと揺れた――
……じゃ…、もしあ…し…妹じゃ……かっ…ら…?
「う……ん、んあぁ~」
無意識に兄貴を強く抱きしめてた。
うめき声がして今度こそ起きた――と思ったけど違った。寝苦しいと感じたのか、兄貴はまた寝返りをうって背中を向けた。
……そろそろと手を戻し、あたしもからだの向きを変えまた背中合わせになる。
あ、危なかったぁ。絶対アウトだと思った。てかあれは気付くでしょ普通。どんだけ安眠なのよコイツ? いや気付かなかったから助かったんだけどさ。
あれ……って…………。
あっ~~、やっぱ今夜のあたし、変だ。前髪をクシャクシャして考えを無理やり吹き飛ばす。
なんか、つまんないこと考えちゃったし。はぁ、もう寝て忘れよ。寝て起きて、さっさと忘れよう!
布団を首までひっかぶって眉間にしわを寄せるくらい眼を閉じ、ようやく寝付いたのはそれから一時間ほど経ってからだった。
「ん……うにゅ」
ううん~、そろそろ朝かな?
日の光なのか閉じた瞼の外からじんわりと明るさを感じて、あたしは眠りから覚めようとしていた。
んあ~なんかすごい気持ちいいー。抱き枕をギュッと抱きしめる。
メルルちゃんの抱き枕ってやっぱいいなぁ。なんかあたしまで抱きしめられてるって感じがするよぉ。
あったかくって、良い匂いがして、フワフワでさ――、フワ……。
………………ん? あれ? こんな感触だったっけ?
なんかいつもより硬い? それにおヘソの下辺りになんかゴツゴツ当たってるし。
「ん、んぁ~」
メルルちゃん、変な声も出してるし。
えーとえーっと……、あたしは今アメリカで~、兄貴が迎えにきて~。
「――――――っ!!」
急激に覚醒して顔を跳ね上げた。
ガンッ!
「いった!」「あいって~! な、なんだぁ!?」
頭の鈍痛を押さえて、目を開くとそこには兄貴の顔があった。
――鼻がぶつかるくらいの超至近距離に。
「…………………………」
「…………………………」
お互いしばし無言。
えっと、なんていうか、あたしは兄貴に抱きついてて、兄貴の両手があたしの腰の方に巻きついてて、足なんかも絡みあってて、パジャマも少しはだけてて……、は、はだけ…て、てえぇ~~。
「あ、あ~。お、おはよう?」
兄貴の顔は青く、あたしの顔は赤く変色していく。
「こっ! こ、こ、こここのっ! こ、こここっ」
「ま、ままま待て! 落ち着け桐乃! 俺は、ただっ、寝てただけで――」
「~~~~こっっのぉぉド変態ぃぃっ! 死ねっシスコンッ!」
ドゲシッ!
「ぐはぁ――っ!」
おもいっきりヘッドバットをブチかましてつきとばしてやった。兄貴はそのままベッドから勢いよくころがり落ちる。
「あ痛っづぅ~~!」
「あ、あああんた、あたしにな、ななななな何をしてくれちゃってんのよぉ!?」
「誤解だって桐乃! おお、俺だって今起きたばっかだっつの! 冷静に話し合おう、な? な? なっ?」
まさか、お、おおお腹に当たって、ゴツゴツしたアレって、アレって―――――ッ!?
カーッと全身が熱くなる。
「問答無用ぉぉぉぉ! この変態シスコン強姦魔ぁぁぁっ!」
「だから違うって! 話を聞けよ桐乃!」
「何が違うってのよ、寝込み襲うなんてサイッテー! ケダモノッ! 畜生っ! ミジンコッ! ミドリムシッッ!」
ベッドの上からおもいっきしケリの連打を浴びせてやる。
兄貴は手で庇いながら「ちげぇ」とか「話聞け」とか言ってっけど知ったこっちゃないっつ~~~~のぉぉ!
「いて、いててて。マジ痛えからやめろって! そ、そういうおまえだって俺をなんかと間違って抱きついてたじゃねーかよぉ! 昨日も俺が寝た後に何やってたんだか」
――なっ!? な、なななな! ま、まさかコイツ!?
「お、その顔。やっぱなんかやってたんだろ。どーせ携帯ゲーム機か何かで遊んでたんだろうがよ。それで寝ぼけたんじゃねーの?」
ハッタリが当たったと思ってんのか、なんだか得意そうなツラしてくれちゃってる。
もう、こいつ○○しちゃっていいよね?
「………ふ、ふふふ。あんたは今、踏んだらいけない超特大地雷を、おもいっくそ踏んづけたのよぉッ!」
バッッッッチ――――――ッン!
「ひっぱたくよ!」
ホテル中に響き渡るくらいの勢いでひっぱたいてやった。
「あいってぇ――――ッ!」
頬を触って涙目になってる。ザマミロ。
「おまえなぁ毎度毎度ひっぱたいてから言うんじゃねーよ!」
「じゃあ『ひっぱたいた』なら使っていいの?」
「どこのプロシュート兄貴!?」
「なにジョジョネタで誤魔化そうとしてんのよこの変態っ!」
「おまえなんでそんな顔真っ赤になってんの!? 地雷って俺そこまで変なこと言った?」
「ううううううるさいっ! いいから死ね! 今死ねぇぇぇぇ!」
ギャーギャー騒いでたらホテルのボーイが何事かとやってきて、結局このケンカ騒ぎはうやむやに終わった。
その際、兄貴の顔を見てなにやらニヤニヤしてたのが気に食わなかったけど。
そろそろチェックアウトの時間がせまっていた。
朝の騒ぎのせいかどうかは知んないけど、夜中のあれは頭からどっかいっちゃったみたいだ。
今は普通だけど、また何かの拍子に――ま、いいや。もしそうでも、そんときはそんときだよね。
なことを考えてると、
「もう時間だし、そろそろ出るか。おい桐乃、ちゃんと支度はすんだか?」
トランクケースを持った兄貴が聞いてきた。
「うるさいなー。出来てるっつーの、強姦魔」
「だから違ぇって! お互い寝ぼけてたってことだろ、忘れろっ」
「う~。今朝のこと誰かに喋ったら許さないからね」
「言えるかよっ! 妹とベッドでだ、抱き合ってたなんてシャレにもなんねえっつのぉ!」
それはそれで何か――いや、なんでもない、フンッ。
言い合いながらも兄貴は忘れ物が無いかとベッドの下とかドアの裏とかをたびたび覗いて確認している。
「うっし、忘れもんはねーよな」
「ハ、無いって。しきりに確認すんの旅行初心者みたいでダサいからやめてくんなーい」
「おめぇはなぁ。ん……? 桐乃、これおまえの携帯充電器だろ?」
「あ……」
「…………」
ジトォ~っとした目であたしを見てくる。
「なにキモい顔向けてんのよっ い、今から片付けようとしてたの!」
「分かった分かった」
てな具合で部屋を出るまで朝っぱらから兄貴とギャーギャー、ギャーギャー。
でもなんていうか、悪い気分じゃないんだよね、これ。
「さーて帰るとすっか、日本によ」
「うんっ」
部屋を出てフロントへと向かう。
「くっそ~まだ頬が痛え」
「あんたが悪いの。それよりホラ、飛行機の時間だってあるんだしちょっと急ぐよ、兄貴!」
あたしは、兄貴の服のすそを掴んで小走りに歩き出した――。
おまけ 京介視点?
「ん、んぁ~」
もう朝なんだろう。俺は眠りの海底から浮上しようと、海面近くをユラユラ漂っていた。
ただ、今朝はやけに心地いい。俺のリヴァイアサンも元気はつらつとしているしな! 布団もあったけえし、なんかこうスベスベしてて肌触りもいい。
せっかくだからもうちっとこのまま寝てたいぜ。
ガンッ!
「いった!」「あいって~! な、なんだぁ!?」
いきなり顎にするどい痛みがはしって俺の願いはむなしく掻き消えた。
顎の痛みを押さえながら、なにごとかと目を開くと、そこには桐乃の顔がある。
――鼻がぶつかるくらいの超至近距離に。
「…………………………」
「…………………………」
お互いしばし無言。
あ~、なんていうかだな、桐乃のやつは俺に抱きついてて、俺の両手はなぜか桐乃の腰から服の中に侵入して素肌を直に触っていて、足もこう絡みあってて、か、考えたくねえがアレは桐乃の下っ腹に押しつけるように密着してて……。
「あ、あ~。お、おはよう?」
恐ろしい現実を目の当りにしながらも、俺は取りあえず、妹様と朝の挨拶を交わそうとコミュニケーションを試みてみた。
が、そんな俺の紳士的態度は功を奏さず、桐乃の顔がみるみる真っ赤に染まっていく。からだもなんかブルブル震えだした。いっぽう俺の顔は、自分じゃよく分からねえが真っ青になっていってるだろう。
だってさ……、ゴクリ。これから行われる、惨劇が怖いもん……。ブルブル。
「こっ! こ、こ、こここのっ! こ、こここっ」
「ま、ままま待て! 落ち着け桐乃! 俺は、ただっ、寝てただけで――」
「~~~~こっっのぉぉド変態ぃぃっ! 死ねっシスコンッ!」
ドゲシッ!
「ぐはぁ――っ!」
桐乃の全力のヘッドバットをおもいっくそブチ込まれ、俺はゴロゴロ転がりながらベッドから突き落とされた。
「あ、あああんた、あたしにな、ななななな何をしてくれちゃってんのよぉ!?」
桐乃はベッドの上から憤怒の形相で髪を逆立て、ギリリッと歯を鳴らし噛み殺そうとするかのように俺を見下ろしている。
こ、怖ぇぇぇっ~! 痛みよりも恐怖が先に立つ。
「誤解だって桐乃! おお、俺だって今起きたばっかだっつの! 冷静に話し合おう、な? な? なっ?」
なんとか怒りを静めようと低頭平身して言い訳を口にしようとするが、
「問答無用ぉぉぉぉ! この変態シスコン強姦魔ぁぁぁっ!」
――後はもうあれだ、どんなに弁明しようが聞く耳を持たれない魔女裁判の如き光景が部屋で繰り広げられていった。
最終的に、ホテルのボーイが駆けつけるくらい騒ぎ立てちまってから、ようやく桐乃のやつも怒りを収めた。
ただよ、ボーイの野郎が俺の顔を見ながら哀れみの目でニヤリと肩を叩いたのは気に食わなかったけどな。
変な
勘違いしてんじゃねえだろうな、おい!?
とまあ、日本に帰る日だってのに朝っぱらから
俺と桐乃はやかましく騒いでたわけなんだが。
俺の独善で行動し、妹の事情なんて知ったこっちゃ無い自分勝手な俺は、情けなく桐乃のやつに泣きついた甲斐があったかなとか思ったわけだ。ひでー目にあったというのにさ。
つまり――こういうのもさ、まぁ悪い気はしねえなってこった。
「さーて帰るとすっか、日本によ」
「うんっ」
帰り支度も済んで、俺たちは部屋を出てフロントへと向かう。
「くっそ~まだ頬が痛え」
フロントへ向かいながらケンカの最中にひっぱたかれた頬をさすっていると、
「あんたが悪いの。それよりホラ、飛行機の時間だってあるんだしちょっと急ぐよ、兄貴!」
桐乃はそう言って俺の服のすそを掴み一歩先を歩き出すと同時に、ちょっと振り返る。
………………………………………………。
チッ。むかつくことこの上ないが、振り向いた桐乃の顔は――
頬が痛えの忘れちまうほど、すんげ~可愛かったよ。
最終更新:2012年05月04日 19:34