小ネタ/ドロリッチ


「あ~~、ちーかーれーたー!!」
「はい、お疲れさん」

加奈子はそう言って、ぐっだーと控え室の壁際に鎮座しているこじんまりとしたソファにへばりついた。
俺は加奈子に聞かれないようにそっとため息をつくと、用意しておいたスポーツ飲料をほんのり赤く染まっている頬にくっつけてやる。

「ひぁっ……!?」

加奈子は一瞬驚いた表情を浮かべ、俺に非難の眼差しを送ってくる。

「ほれ。早く飲め。つかれてんだろ?」
「おめーよ、くそマネ。加奈子苺のドロリッチが飲みてーって言ってんだろうがよぉ?」
「しょうがねえだろ。……どこも売り切れだったんだから」

加奈子は尚も機嫌の悪そうであったが、俺がいろいろなところを探し回ったというのを聞いて多少は落ち着いたのか、それ以上俺のことを責め立てることはなかった。

俺は、いつも楽しみにしていた仕事の後のドロリッチがないと分かってしょんぼりと項垂れている加奈子の頭にぽん、と手を置いた。

「ごめんな。ドロリッチ買えなくて。……お詫びに何でも言うこと聞いてやるから機嫌直せよ?」
「なんでも……?」
「お……おう」

加奈子の目が据わっている。
「なんでも言うことを聞く」と言うのは言いすぎたかもしれない。
それでも一度言ったことは今更取り消すことはできない。
一体加奈子がどんな「お願い」をするのか薄ら寒い思いで待ち受けていると──

「……ドロリッチ」
「は?」
「ドロリッチ、飲みてー……」
「いや、だからドロリッチはもうどこにもなくて、さ──」

トン、と加奈子が俺のお腹あたりにぶつかる。
加奈子は上目遣いでこちらを窺っている。

「おめーの……、くそマネの……ドロリッチ」
「な────っ!?」
「おめーのドロリッチ……飲ませて……?」

加奈子は俺の股間に手を伸ばした。

静かな室内にジッパーの引き下ろす音のみが響き渡る。
俺はあまりの超展開に加奈子を引き離すことも忘れてなすがままになっていた。
トランクスからポロリ、とこぼれ出るその中身。
加奈子はその男の象徴を目の当たりにしても臆さない。

「か、か、加奈子……一体なんのつもり、で──」

ようやくそれだけがかすれながらも口からでた。
加奈子はニヤリと口の端を歪める。

「なにっておめーのドロリッチ……、用は精液飲ませろって言ってんだよ」
「な、なっ、ちょっ」
「……んだよ」

返答にならない返答を俺が返している内に加奈子はそうぼそりとつぶやいた。
いつの間にか俺の陰茎に掛かっていた手は放され、加奈子はうつむいているためその表情を窺い知ることはできない。

「くそマネは……、加奈子じゃイヤだってんのか?」

尚もうつむいたまま紡がれる言葉。

俺はその時加奈子のその言葉が僅かながら、震えていることに気がついた。
よく見ると、加奈子の華奢な双肩も小刻みに震えているようだった。

「なあ……答えてくれよ……」

加奈子のその絞り出すような声を聞いた俺は──

「ブリジットを愛している俺は、お前の想いには応えられないッ!!」
「────え?」

ぽかんとわけが分からないと言いたそうな顔になる加奈子。
と、その時控え室の扉が勢いよく開いた。

バーン! とあまりの騒音に俺は思わず耳を塞ぐ。
ふと、下を見てみると加奈子も同じように耳に手を当てていた。
室の入り口には、なんとブリジット──まださっきのイベントで彼女が着用していたアルファのコスプレのままである──が仁王立ちしていた。

「……あれ? ブリジット、まだ帰ってなかったの?」

ブリジットは加奈子よりも一足先に舞台から下り、俺からドリンクを受け取った後はそそくさと控え室を後にしていた。
だから、未だ彼女がここにいることが俺は不思議でしかたがなかった。

そういえば、今思えばブリジットは加奈子よりも先に終わったときもいつも加奈子が終わるまで控え室で待機する。
決して先に帰ってしまうようなことは絶対になかったはず。
……今日に限ってはその限りではなかったのだが。

ブリジットはニコニコと笑っている。
その可愛らしい笑顔はまるで夏のひまわりのごとく咲き誇っている。
だが、俺はかえってそれが無性に不気味に思えてきた。
一寸も崩れない微笑み。
ジッと俺の瞳の中心を見つめる大きな瞳。
言いようのない寒気に俺はブルッと一度体を大きく震わせた。

「そんなことより、今言ったことは本当ですか、マネージャーさん?」
「…………へ?」

再び背筋を走る言いようのない悪寒。

「だ か ら 、 私 の こ と を 好 き と 言 っ た の は 本 当 で す か ?」
「────ッ!?」
「教えてください、お兄さん?」
「おお、おおおお、お、俺は……」

いきなり、するっと加奈子が俺から離れて、ブリジットの脇をすり抜けて控え室から出ようと疾走する。
そのあまりの必死さに俺はどうすることもできずに、ただその背中を見送ることしかできない。
加奈子の脱走は成功するかのように思えた。
が、扉をくぐる直前にブリジットの右腕が加奈子のみぞおちに突き刺さる。
否、気づいたときにはすでに突き刺さった後だった。
俺にはブリジットの攻撃が繰り出される瞬間は視認できなかった。

まるで漫画のように回転しながら吹き飛ぶ加奈子。
そして加奈子はガッツーン、と壁に頭をぶつけてそのまま動かなくなった。
うわ、大丈夫かよアレ。なんか白目剥いてるし。

カツ、という足音に俺は我に返った。
ブリジットがこちらにゆっくり、ゆっくりと近づいてきていた。
その異様な雰囲気に俺は思わず後ずさる。

「ねえ、マネージャーさんは私のことが好き、なんですよね?」
「そ、それは──」
「はっきり言ってくださいね?」

どんどん詰め寄ってくるブリジット。
瞳に光彩がない。

俺はたちまち壁まで追い詰められてしまった。



そこで、俺はあることに気がついた。
ブリジットは俺を誘惑した加奈子をぶっ飛ばした。
そして彼女はいま、自分のことを俺が好きなのかと尋ねてきているのだ。
それらの行動から導き出される行動理念はただ一つ。

……もしかして、ブリジットは俺のことが好きなんじゃないのか?
OK、OK。分かってる、よーっく分かってる。我ながら自惚れた考えだってさ。
でも、もし俺の生き残る道があるとしたら、そこしかないんだああぁ!!

俺は現状打破のため、覚悟を決めて口を開いた。

「あ……、ああ、そうだ! 俺はお前のことが好きだ! 愛しているといっても良い!!」

その次の瞬間、俺の腹に一本の細い腕──ブリジットの右がめり込んでいた。

……え、なんで? どうしてこうなった?
俺はどこで選択肢を間違えたんだ?

薄れゆく意識の中、俺は釈然としない思いを抱いたまま沈んでいった。

「…………ここ、は?」

意識を取り戻しまぶたを持ち上げるとそこは薄暗い場所だった。
コンクリートの床が視界に入る。
じめっとした空気が俺のほおを撫でる。

ってか、体を動かすことができない。
どうやら、両手両足を何か柱みたいなものに縛り付けられているらしい。
身体をねじったりひねったりしてみるが、全くほどけそうな気配がない。
……相当きつく縛ってあるぞ、コレ。

なんとか体の自由を手に入れられないかと試行錯誤する俺の耳に、少女の声が届く。

「あ、目がさめたんですね“マネージャーさん”」

ニッコリと薄気味悪いほどの満面の笑みを浮かべたブロンドの髪の女の子。
何故か右手に包丁を持っている彼女は言わずもがな、ブリジット――


――じゃない。
俺は直感的にそう感じた。
根拠は全くないけれど。

見た目はどこからどう見ても、ブリジット・エヴァンス嬢だ。
それにさらさらと流れるようなブロンドの髪も、少々舌足らずの声も、間違いなくいつものブリジットのそれと同じに見える。

だけど、俺は何かが違う、何かがおかしいと感じていた。

「お前は……、ブリジットじゃあ、ない……」
「え? 何を言ってるんですか? 私はブリジットですよ?」

頭の上に疑問符を浮かべ、首を傾げるブリジット。
その仕草は普段ならとても可愛いらしいと思うだろうし、とても和むだろう光景なのだが、いかんせんこういう状況下ではその動作ですらただただ恐ろしく感じるのみである。
俺は、包丁の切っ先をこちらに向けているブリジットに怯えながらも、勇気を振り絞って口を開く。

「違うっ! お前は絶ッ対にブリジットじゃねえっ!」
「……………………」

俺の渾身の一言に、固まるブリジット。
全く何の反応も示さないので、そろそろ俺が不安に思い始めた瞬間、ブリジットはふうっ大きく吐息すると、顔に手をかけた。
そしてそのままその右手は何かを剥ぐように動かされる。
はたして、そこには今までのブリジットの顔とは違う顔――新垣あやせの顔があった。
彼女の手にはブリジットの顔に精巧に似せられたマスク。
どうやら、いままでのブリジットもあやせが変装していたものだったらしい。

予想外の展開に俺は大きく息を呑んだ。

「あやせ…………」
「さすがですね……お兄さん。まさか、変装が見破られるとは思いませんでしたよ……」

あやせは軟らかく俺に向かって微笑む。
俺はあやせの背後に何かが転がっていることに気がついた。
流れるようにさらさらなブロンドの髪。
小柄な体型。
端正な顔立ち。

「ブリ……ジット……?」
「あはっ、これはお兄さんが悪いんですよ?」

床に転がされているブリジットは身動き一つしない。
おそらく意識がないのだろうが……
「お兄さんのせい」とは一体どういう意味だろう?
当然のことながら、俺にはなんの身の覚えもなかった。

「どういう……意味だよ?」
「そのまんまの意味ですよ」

あやせはそう言うと手の内の包丁をしっかりと握り締めるとこちらへとにじり寄ってくる。
俺はただそれを眺めていることしかできない。

「私のことが好きじゃないお兄さんなんて…………お兄さんなんて…………死 ん じ ゃ え ば い い ん で す !」

少しずつ、少しずつ、近づいてくる。
あやせの瞳にはまったく輝きが見えない。

と、そのとき俺は肩をちょんちょんとつつかれた。

(キョウスケおにいちゃん! ロープは解いたよっ! 何とかうまく隙を作って!)
(リ、リア!? ……どうしてここに!? いや、どうして日本に!?)
(シッ! 静かに! ……そんなことより、今はここを逃れることだけ考えてっ!)
(あ……、ああ、そうだな)

ほんの少しだけ腕を動かしてみると、まったく問題なく動く。
どうして日本にリアがいて、俺を助けにきてくれたのかは分からないが、リアの言う通り今はどうでもいいことだ。
俺は体のバネに力を溜めて、タイミングを見計らう。

「死 ん で く だ さ い っ !!」
「うおおおぉぉぉぉっっ!!」

あやせが包丁を突き出しながら自身も突進してきたのに合わせて、俺は低くあやせにタックルする。
拘束さえされてなければ男と女の力の差。
あやせは、俺が抵抗できないとたかをくくっていたことも相まって、攻撃をもろに喰らって吹っ飛んでいく。
床に後頭部を強く打ち付けたのだろうか、控え室での加奈子と同じように白目を剥いて動かなくなった。

「ふうっ……、ふうっ……!」
「やったね、キョウスケおにいちゃん!」
「ああ……」
「じゃあ、早くここから逃げよう?」
「……いや」

俺の腕を引っ張るリアに対し、しかし俺は首を横に振った。

「ブリジットも連れていかないと!」

床に転がっているブリジットを指してそう言ったが、どうやらリアは不満そうな様子である。
頬をぷっくりと膨らませたリアは何とも分かりやすい「あたし怒ってるの」ポーズをとっている。

「キョウスケおにいちゃんがそうしたいって言うんなら別にいーけどさー……。リアといるのに他の女の子の心配するなんて……」
「? ?? ……なんかよく分からないけど、とにかくブリジットは連れていってやんないと」

リアの機嫌がどうして悪くなったのかは謎のままだが、今はそれどころではない。
いつあやせが再び目を覚ますか分かったものでもない。
俺は足早にブリジットの元まで駆け寄り、その小さい体を抱きかかえるとリアに付いて行ってその場を後にした。



──それから、数日後。

俺はブリジットの住んでいるマンションにいた。
彼女のベッドに腰かけている俺の右にはブリジット、左にはリアが座っている。





あの日、どこに逃げるか迷っていた俺とリアに逃走中目を覚ましたブリジットは自分のマンションにくるように勧めてくれた。
確かに高坂家に帰ってはあやせが目を覚ましたらすぐに捕まってしまうかもしれない。
少なくともブリジョンのマンションに隠れる方が見つかりづらいだろう。
俺はその申し出をありがたく受けることにした。

結局、その日の内にブリジットのマンションまであやせが来ることはなかった。
しかし、いつまでもブリジットのお世話になるわけにもいかない。
なので、俺はすぐに出ようとしたのだが、ブリジットはそんな俺を引き止めた。
「まだ危ないと思いますし、私もまだこわいです」などと年下の女の子に言われてしまっては、俺もそこを抜け出すことなどできない。
そうして、そのまま数日間。俺はここにいた。

ここでの暮らしは快適だった。
毎朝、ブリジットかリアが俺のことを起こしにきてくれる。
そしてリビングに入ればブリジットお手製の朝食がすでに三人ぶん並んでいる。

ブリジットによると、あやせはモデルをやめ、どこか遠い所に引っ越したらしい。
ただ、今も時々高坂家の前に姿を現すらしく、俺は未だにあの日以来マンションの敷地外には一度も出ていない。
なので、高校にもまったく出席できていない。
俺は元々あまり休まないたちなので、出席日数の方は問題ないのだが……いつまでも休み続けるわけには、な。
そう思いながらも結局俺はブリジットの優しさに甘えつづけてしまっている。

ちなみに、夜はいつもブリジットとリアと三人で川の字になって寝る。
一応言っておくと……別にお前らが考えてるようなやましいことは一切ないからな。
手を出したりなんかしてないし、出そうと思ったこともない。

……風呂には一緒に入ってますけどね。
でもそれだって、せびられるから入るのであって、俺の希望によるものじゃない。





「京介お兄さん? どうしたんですか?」

独り物思いに耽っている俺に気がついたのだろう、ブリジットがしなだれかかってくる。
ブリジットは俺のことを「マネージャーさん」ではなく「京介お兄さん」と呼ぶようになった。
一緒に暮らすのに、いつまでも「マネージャーさん」と呼ぶのは変だから、と言うことらしい。

「なんでもないよ」

俺はブリジットの頭を優しく撫でてやる。
相変わらずのさらさらヘアーである。
気持ちよさそうに目を細めるブリジット。

彼女は俺の心のオアシスだ。
あやせに殺されかけ、今も狙われてるかもしれない俺だが、ブリジットさえいればよかった。
思えばすべては加奈子が変になったところから始まったように思える。
だが、今となってはあの日何が起こっていたのか分からない。
でも、それはどうでもいいことだ。

俺がいて、そのとなりにブリジットがいてくれる。
それだけで俺には十分なのだから。

──何かがおかしい気もするけど、何がおかしいんだろうね?
だが、もう考える気力もない。
何かがおかしいと感じながらも俺は生きていく。


happy end?




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最終更新:2011年02月03日 08:20
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