「そろそろ時間よ」
「はい‥‥‥」
珠希はいつもなら「はいー」という明るい感じの返事なのに、今日は暗い。
まあ、それも当然のことね。今日は歯医者に行く日なのだから。
食後に歯を磨く癖をつけておけば、こんな呪わしく愚かなことにはならないのに。
「姉さま。やっぱり、痛いのでしゅか?」
「そうね。痛いでしょうね」
「う、ううう」
「ちゃんと歯を磨いておくべきだったのよ」
そう。全ては油断だ。
妹たちだけは悪魔の呪縛に囚われないよう、私はいつも気にかけていた。
それなのに、こんな莫迦なことになるなんて。
歯医者までの道程は、何らの変遷も無く、いつもの町並み。
だが珠希には歪な風景に見えることだろう。
歯科医院の白い外観の建物は、これから始まる悪魔的儀式を想像させないものだ。
だが、この中でどれだけの苦しみが展開されたであろうか。
受付で保険証を出してから、私と珠希は待合室の椅子に腰を掛けた。
「―――さん、どうぞ」
受付に陣取る小悪魔の呼び出しに応じ、一人の雄が診察室に入って行った。
待合室には珠希と私の二人だけ。
ということは、次の呼び出しで覚悟をしなくてはならない。
不安そうな顔をする珠希と目が合った。
チュイ――――ン
診察室から漏れてくる禍々しい音に反応して珠希が身を縮こまらせる。
「とても痛そうでしゅ」
泣きそうな目で深い不安の底に沈んだ珠希を救うために、私は珠希を抱きしめた。
「これは殆どの人が通るなのよ。この軛から逃げてはいけないわ」
「はい‥‥‥」
「大丈夫。千葉の堕天使が、この苦しみから解放してあげてよ」
「はい‥‥‥」
「五更さーん、診察室にどうぞ」
遂にやってきた。
「はいっ!」
私は立ち上がって診察室に向かった。
「姉さま、がんばってね」
無邪気な顔で私を励まそうとしている珠希が愛らしい。
クッ‥‥‥私ともあろう者が、虫歯になるなんて。
『付き添い』 【おしまい】
最終更新:2011年05月13日 06:12