残暑も遠退く中秋の候、俺はとある平屋の一軒家を訪ねていた。
ピンポーン、とチャイムを押して待つこと数秒。
「はいはいは~~~~いっ。京介くんですかっ?京介くんだよねっ?」
「おねぇちゃん、わたしも、わたしもおにぃちゃんとお話する」
「ほら、やっぱり京介くんだ!今行くから待っててね!逃げちゃダメだからね!
ほらほらっ、珠希も行くよ、愛しのおにぃちゃんに会えるよ~」
「あっ、待って、おねぇちゃん」
ガチャ、ツー、ツー。
口角泡の飛沫を錯覚し、思わず顔に触れていた。
喧噪の坩堝とは、五更家のインターホンのことを言うのではなかろうか。
ドタドタと床を踏みならす音が、家の外まで聞こえて来て、がらりと引き戸が開く。
「いらっしゃーい、京介くぅんっ!
もーっ、来るの遅いよぉ~~~。
京介くんが来るの、ずっと待ってたんだからぁ~~~~」
おさげを犬の尻尾のように揺らし、
つっかけに爪先を通すことさえもどかしそうにして、日向がこちらに駆け寄ってくる。
彼我の距離が5メートルに縮まったところで、盛大にジャンプ。
イヤな予感、というよりは経験則が、俺の手足を動かした。
「あははっ、やっぱりちゃんと受け止めてくれるねっ!」
「お前な……怪我したらどうしよう、とか考えないのか?」
下手すりゃ、俺の代わりに大地と抱き合ってたところだぞ。
日向はぐりぐりと顔を俺の胸に押しつけつつ、
「ぜーんぜんっ!京介くんのこと信じてるから!
それにィーこうしないと京介くん、あたしのこと抱き締めてくれないじゃ~ん?」
いい歳した男が他所様の女子小学生と抱き合ってたら、色々と問題があるんだよ。
「ヨソサマなんてひっどぉ~~~~~いっ!
京介くんはルリ姉の未来の夫でー、あたしはルリ姉の妹でー、
てことは、あたしと京介くんは血の繋がらない兄妹ってことでしょ~?」
はいはい、分かったからいい加減に俺から離れろ。
通りすがりのおばさんが物凄い形相で俺たちのこと見てたぞ。
「え~やだぁ~」
と甘えた声を出し、なおも離れまいとする日向を無理矢理引き剥がそうとしたところで、
「おにぃちゃんっ」
微かな衝撃が下半身を襲う。
視線を下げれば、黒のつむじが見て取れた。
「珠希か。元気にしてたか」
「たまきは、おにぃちゃんにすごく会いたかったです!」
ぎゅうう、と太股を抱き締めてくる。
一度こうした珠希は、滅多なことでは離れようとしない。
傍から見るとますます誤解を招く図柄になっているらしく、
通りすがりの女子高生が、チラチラとこちらを盗み見ながら、携帯を弄っていた。
通報されてないことを祈るしかねえ。
「日向、珠希」
涼やかな声が聞こえてきたのは、
俺がいよいよ身動きが取れなくなり、助けを乞おうとしていた折だった。
「再会の喜びには、家の中で浸りなさいな。
いらっしゃい、京介。妹たちが迷惑をかけて悪いわね」
「いいさ、もう慣れっこだ」
瑠璃が歩み寄ってくると、まるで磁力を失ったかのように下の妹二人が離れる。
流石の威厳だな。同じ妹を持つ身として尊敬するよ。
「これも躾の賜よ」
ふふん、と胸を反らせる瑠璃を見て、日向と珠希が噴き出した。
「何がおかしいのかしら?」
「あたしと珠希は、ルリ姉が嫉妬しないように気を遣ってあげてるだけだしィー。
ねーねー知ってる、京介くん?
ルリ姉はねぇ~~~、あたしや珠希に京介くんを取られるんじゃないかって、本気で心配してるんだぁ~~~」
「ばっ、馬鹿も休み休み言いなさい」
「だってホントのことじゃん?
この前なんかさぁ、京介くんが帰った後に、『京介が迷惑だから見境無く抱きついてはダメよ』とか、
『京介はあなたたちの遊び相手である前に、わたしの彼氏なのよ』とか、いちいち説教してくるんだもん。
他の女の子が相手なら分かるけどさぁ、妹にまで嫉妬するとか、ルリ姉ってば大人気なさすぎィ――あいたッ」
ぺしこーん、といい音が鳴った。
「そこまでにしておくことね。
さもなければ"薄氷の衝撃"の上位魔法、"死の鉄槌"を使わざるを得ないわ」
一応解説しておくと、前者は平手、後者は拳骨の厨二病的解釈である。
「助けて京介く~ん、ルリ姉が虐める~~」
叩かれた頭を押さえつつ、俺の背後に隠れる日向。
こらこら俺を盾にするな。瑠璃も勘弁してやれ。
意外にも日向に助け船を出したのは、それまでジーッと瑠璃を観察していた珠希だった。
「お顔が真っ赤ですよ、姉さま?」
「なっ」
「そうだよルリ姉、ただの冗談だったのに、必死すぎ~」
さすがに末っ子に手を上げるのには、母性が呵責したのだろう。
歯軋りする瑠璃、俺を盾に煽る日向、無垢な笑顔で長女の顔色を質す珠希、という膠着状態が続くこと十秒。
俺は訪問者として、至極まっとうな意見を口にした。
「……いい加減、家の中に入れてくれないか?」
瑠璃と付き合いだしてから、早二ヶ月。
『運命の記述(ディスティニー・レコード)』に指定された儀式を一通り済ませた俺と瑠璃は、
予言書の背表紙の外側にある、自由気儘な恋人生活を送っていた。
夏休みが終わった後は、週末に五更家を訪れることが恒例化し、今日がその日というわけだ。
初見の頃から馴れ馴れしかった日向も、初めは大人しく控え目だった珠希も、
今や、扱いに困るほど俺に懐いてくれている。
ちゃん付けが呼び捨てに変わったのは最近のことで、二人にリクエストされたことが切欠だった。
『鎮まれ、俺の右腕よ、鎮まれ――!』
『ククク、真夜よ。やはりお前一人では、異形の血を制御できないようだな』
『それはどうかしら、ルシファー。
真祖の名において命ずる。彼の者に宵闇の加護を授けたまえ!』
『夜魔の女王!?
真夜――、貴様、闇の眷属に魂を売り渡したというのか!?』
昼過ぎの長閑な空気に、厨二病患者たちの応酬が木霊する。
マスケラ二期のDVDを観ましょう、と言い出したのはもちろん瑠璃で、
その目的は珠希の教育(という名の洗脳)らしいのだが、
当の珠希は画面には目もくれず、メルルのお絵描きに勤しんでいる。
そして俺はと言えば、
「こんな問題解くための公式、まだ習ってないんだけど」
「よく図形を見てみろ。
とりあえず全体の面積を出してから、斜線部以外の面積を引けばいいんだよ。
長方形とか三角とか丸とかの面積の出し方は習っただろ?」
「へぇ~~~~っ、そーいうことかー。頭いいねっ、京介くん!」
絶賛、日向の家庭教師役を務め中である。
日向が問題を解いている間、何気なく瑠璃のほうを見ると、阿吽の呼吸で目が合った。
「…………」
瑠璃が何を考えているのか、何を望んでいるのかは、手に取るように分かった。
が、まだ少し早いんじゃないか、と視線を逸らした矢先、
畳の上に伸ばした足の裏に、柔く冷ややかな感触が走る。
俺のふくらはぎ、膝裏、内股を伝い、股間を圧迫するそれは、瑠璃の爪先以外には有り得ない。
「………っふ」
いや、「………っふ」じゃねえし。
いくら卓袱台の下の出来事だからって、すぐ近くに日向や珠希がいるんだぞ。
バレたら何て説明するつもりだ、と非難の視線を向ける余裕は、瑠璃の足捌きで刈り取られた。
「お前な………」
負けじと俺も爪先を伸ばし、瑠璃のワンピースのスカート部分に差し入れる。
足指に、滑らかな布地の感触。
だいたいの見当を付けて関節を曲げると、
「……っ……ぁ……」
瑠璃は期待どおりの反応を示した。
きゅっと下唇を噛み締め、声は押さえているものの、表情の変化は隠せない。
堪える仕草に嗜虐心をそそられ、もう一度足指の関節を曲げようとしたその時、
「できました!」
「できたっ!」
日向と珠希が快哉を叫んだ。
「おにぃちゃん、これ、なんだか分かりますか?」
「ん……あぁ、アルファ・オメガか。
ダークうぃっちモードのセカンド・フォルムだよな。よく描けてる」
「せいかいですっ!」
「京介くん、京介くんっ、答え合わせして!
これ、近年稀に見るあたしの自信作だからっ!」
「いや、裏に解答載ってるだろ……おっ、正解だ。やればできるじゃねーか」
妹にしてやるノリで、お絵描きと宿題を達成した二人の頭を撫でてやる。
「……………」
あのー、瑠璃さん?
欲求不満な視線で俺を射貫くの、やめてもらえませんかね?
マスケラ見ろよマスケラ、ちょうど今作画ぬるぬるの戦闘シーンだぜ。
「もう見飽きてしまったわ。
目を瞑っていても、真夜とルシファーの一挙手一投足を想像できるくらい」
言いつつ、瑠璃は足先に力を込める。
このエロ猫め、相当焦れてやがるな。
俺は仕置きの意を込めて、卓袱台の下に手を差し込み、悪さをする足の裏をくすぐってやった。
「ひゃんっ!」
「どっ、どうしたんですか、姉さま?」
「ちょっとぉー、いきなり大きな声出さないでよね、ルリ姉」
妹二人からの非難を浴びて、恨めしげに睨み付けてくる瑠璃。
俺に足裏をくすぐられた、と言えば、なぜそんな場所に足を置いていたのか、と訊かれるのは必定で、
まさか隠れてえっちぃことしてました、と告白できるはずもなく、瑠璃が返答に窮していると、
「ただいまー」
玄関より福音来たる。
「おかえりなさぁい」と日向。
「おかぁさん、おにぃちゃんが来てますよ」と珠希。
襖が開いて現れたのは、瑠璃が大人になったらこんな風になるのだろうか、と思わせられる、
妙齢の和風美人こと、五更家三姉妹の母君である。
パートの仕事をされていて、今日は午前のみのシフトだったようだ。
「こんちわ、お邪魔してます」
「あら、いらっしゃい京介くん。
お昼ご飯はもう食べた?瑠璃に作ってもらったのかしら?」
「いえ、家で食ってきました」
「そう。今日は、これからどこかに出かけるの?」
俺と瑠璃は顔を見合わせ、首を横に振る。
するとおばさんはニッコリ笑って、
「じゃあ、日向と珠希は邪魔ね。
二人とも、お母さんと一緒に買い物に行きましょう?」
「えー、やだぁ~~。せっかく京介くんが来てるのに~~」
「おにぃちゃんも、いっしょに買い物に行きます?」
「お姉ちゃんとお兄ちゃんはお留守番。
お菓子買ってきてあげるから、お母さんの荷物持ち手伝って?」
珠希は俺と母親の顔を何度も見比べていたが、
甘味の誘惑には抗えなかったようで、クレヨンを置いて立ち上がった。
意外だったのは日向の反応で、
「あたしィー、前から欲しかったシャーペンがあるんだけどぉー、
それ買ってくれるなら、荷物持ちしてあげてもいいよ?
どーせ珠希は重いもの持てないし、あたしがいないと困るでしょっ?」
「……仕方ないわね、一つだけよ」
「やったっ」
交渉は成立した模様。
お菓子や文房具で釣られるとは、やっぱガキだなコイツら。
……べっ、別に拗ねてるわけじゃないんだからね!
「京介くん、晩ご飯食べてくでしょ?何か食べたいものとかある?」
「日向ちゃんや珠希ちゃんの好きな物にしてあげてください」
「もう、遠慮しなくていいのに」
「ハイハーイ、あたしオムライスが食べたいな~~~っ」
「たまきはカレーライスがたべたい、です」
「どっちもなんて無理よ。二人で相談して一つに決めなさい。
それじゃあ、瑠璃、京介くん、お留守番頼むわね?」
「ええ」
「了解っす」
まず最初におばさんが玄関を出て、
オムライスがいい、カレーライスがいい、と舌鋒鋭く言い合いつつ、日向と珠希が後に続いた。
家は俄に静かになった――かと言えばそうでもなく、居間のTV画面の中では依然として、
マスケラの登場人物がスワヒリ語もかくやの難解極まる必殺技名を叫んでいる。
だが雑音の有無は大した問題ではなく、焦点はむしろ、
この家に俺と瑠璃以外の人間が存在しているか否か、にあった。
「瑠璃」
「京介」
俺たちはどちらからともなく唇を合わせた。
優しく触れあうような上品なキスは程なくして、激しく貪りあうような獣の接吻へ。
「京介っ………」
喘ぎながらも俺の名を呼ぶ姿がいじらしい。
瑠璃の体を壁に押しつけ、覆い被さるように抱き竦める。
ワンピースのスカート部分を捲り上げ、閉じられた瑠璃の股に、右足を差し入れる。
瑠璃の下腹部は、既に熱を持っていた。
薄い布越しに秘核を撫でると、瑠璃の体がぴくんと跳ねた。
俺は邪魔な下着を脱がしにかかった。その時だった。
「だ……だめっ……」
トン、と胸を突かれ、後じさる。
唇を繋ぐ銀の糸が断たれたのと同時に、俺は我に返った。
「……何がダメなんだよ?」
瑠璃は息を整えながら、責めるような声で言った。
「はぁっ……はぁ……こんなところで……来客があったら……どうするつもりなの……?」
「見せつけてやりゃあいい。取り込み中だと分かったら帰るだろ」
「ば、莫迦……本気で言っているなら、正気を疑うわよ」
それなら、と俺は訊いた。
「どこでならOKなんだ?」
瑠璃は顔を背けて「着いてきて」と言い、早足で歩き出した。
白いワンピースが、幻惑するように翻る。
行き先は瑠璃の部屋と相場が決まっていた。
俺はさながら獲物を追い詰める肉食動物のように、瑠璃の後を追いかけたのだが……しかし。
「おい、開けてくれよ」
「不可能よ。あなたが真名を取り戻すまで、真理の扉が開かれることはないわ」
ぴしゃりと閉め切られた襖の向こうから、瑠璃の低い声が聞こえてくる。
「真名?俺の名前は京介だろうが」
「いいえ、あなたはルシファーに裏切られたショックで、一時的に記憶を失っているだけ」
先ほどまでのエロ猫モードからは一転、
果たして何の気紛れか、瑠璃は黒猫モードに入っているらしかった。
だが、まあいい。天然の焦らしプレイには慣れている。少しくらいは付き合ってやるさ。
「近くに、あなたが記憶を取り戻すのに必要な魔導具が落ちているはずよ」
足下に視線を転じると、いつかコスプレ撮影会をした時に着た衣装と、文庫本くらいの厚さの小冊子が置かれていた。
「魔導具は見つかったかしら」
「……ああ、見つかった」
「よろしい。では、まず闇の渦と交信なさい。
変身の仕方くらいは覚えているでしょう?」
俺は『変身』を『着替え』に脳内変換し、着衣を交換していく。
泣けることに、玄関先で元気にはしゃいでいた俺のリヴァイアサンは、
今や、真夏のアスファルトに投げ出されたミミズのように萎縮していた。
「……変身したぞ」
「上出来よ。次に、"月夕の教典(ムーンライト・ダイアログ)"の113ページを開きなさい」
なんちゃらの教典とやらは、この荒い装丁の小冊子のことを指すのだろうか。
数ヶ月前にも"運命の記述(ディスティニー・レコード)"に振り回された記憶があるが、
よもやあの時の焼き直しをするんじゃあるまいな。
恐る恐る指定された113ページを開く。それは一言で表すなら――。
「マスケラのト書きか、これ?」
「な、何をわけの分からないことを言っているのかしら。
世迷い言を喋る暇があるなら、早くそこから166ページまでを暗記なさい」
厨二病全開のセリフと情景描写の約50ページ分を、今ここで暗記しろと?
冗談じゃねえ。三日掛けても無理だ。
「せめて、軽く目を通して」
切実な声に、渋々と肯く俺。
ざっとページを捲るが、ほとんど地の文のみで、真面目に読む気はさらさら無かった。
冒頭の会話から推察するに、かなり前に五更家の居間のテレビで見た、
主人公・真夜と旧敵・夜魔の女王が契約を結ぶシーンのようだが……。
「目を通したぞ」
「早いわね。それじゃあ冒頭の一文を読み上げて頂戴」
「えーっと……"真名を思い出した真夜は、夜魔の女王と再会を果たすべく、精神世界に没入(ダイブ)した"」
「違うわ。冒頭の真夜の『セリフ』よ」
なら初めからきちんとそう言えや。
「"これが真理の門……ここを通れば、俺はこれまで封滅した能力者たちと、再び相見えることになる……"」
うおお、鳥肌が立ってきた。
ただコスプレをするのみならず、セリフも言うとなると相当の苦行だな、こりゃ。
瑠璃はナレーター風に地の文を読み上げる。
「"長い葛藤の末、真夜はゆっくりと門に手を当て、押し開いた"」
「…………」
「"押し開いた"」
「…………」
「聞こえなかったかしら?"真夜が門を押し開いた"と言っているのよ」
「俺は今からナレーター……お前の言う通りに動かなくちゃならないのか」
「そうよ」
「俺の目の前にあるのは襖で、押し開くこともできないんだが」
「融通の利かない雄ね。これ以上わたしを失望させないで頂戴」
瑠璃はコホン、と空咳をひとつ、
「"長い葛藤の末、真夜はゆっくりと門に手を当て、押し開いた"」
俺はハァ、と溜息をひとつ、真理の門もとい襖を横に引いた。
内装は以前入ったときと特に変わりはない。
ただ、瑠璃の姿がどこにも見当たらなかった。
「"門の先に広がっていたのは、荒漠たる常夜の世界。
これまでに屠ったディアブロの想念を一身に浴びながら、
真夜はただひたすらに、夜魔の女王の気配を探し求めた"」
声は明らかに押し入れの中から聞こえているのだが、
突っこんでも余計な怒りを買うだけだと思い、
「"クイーン、お前の力が借りたい"」
「"真夜の心象世界に、彼の声は虚しく響き渡った。
負の思念は刻一刻と強くなっていく。長居は彼の肉体の所有権を、思念に奪われるも同義だった"」
「"出てこい、クイーン!俺の体が欲しくないのか!"」
「"真夜の精神体が限界を迎えかけたそのとき、紅蓮の炎が彼を取り囲んだ。
それは彼に害なす思念を灰燼に帰し、常夜の闇を嚇耀と照らしだした"」
ガラリ、と勢いよく押し入れの襖が開き、
二階部分から、新衣装を身に纏った瑠璃が現れる。
転倒を危ぶみ手を差し伸べると、ペシリ、と払い除けられた。
旧敵の助けは無用らしい。
「"クックック……無様ね、漆黒……いえ、今は真夜と呼ぶべきかしら。
姿形は能力者でも、肝心の力が使えないようでは、何の意味もないものね"」
瑠璃は横木に頭を打たないよう、姿勢を低くしながら押し入れから飛び出した。
お披露目をするように、クルリと畳の上でターンする。
そして上目遣いに俺を見つめ、
「どうかしら……おかしくない……?」
お前はいいよな。好き勝手に素に戻れて。
俺は上から下に瑠璃を眺め、忌憚なき感想を言ってやった。
「すげー似合ってるよ」
「……あ、ありがとう」
瑠璃が着ているのは、マスケラ二期の夜魔の女王の新コスチュームだった。
一期のロングドレス風とはうってかわって、上はスリーブレス、下はミニのフレアスカートと、
全体的に露出度の高い、要するにエロっちいテイストに仕上がっている。
おかげで俺のリヴァイアサンも僅かに復活し、
「また裁縫の腕上げたんじゃないか?
ほら、こんな細かいところも――」
さり気なく触れようとしたところで、ひらりと身を躱される。
「"あなたがここに現れた理由は、全て分かっているわ"」
幕間はこれにて終了らしい。
「"ルシファーの裏切りに遭い、あなたは能力を失った。
他の能力者と戦うためには、新たなディアブロと契約を結ぶ必要がある。
けど、この私――夜魔の女王――が、そう易々と闇の力を譲り渡すと思って?"」
俺は冊子を構え直して言った。
「"どうすれば、俺と契約を結んでくれる?"」
「"あなたは一度私を滅ぼした仇敵。代償は大きいわよ"」
「"早く言え"」
初めて俺と真夜の気持ちが一致した瞬間である。
「"そうね……良いことを思いついたわ。
あなた、未来永劫、このわたしに傅くと誓いなさいな"」
「"ふざけるな。俺はお前の言いなりになんてならない。
交渉条件はイーブンだ。俺はお前と契約しなければ戦えない。
お前は俺と契約しなければ、俺が死ぬまで、この墓場のようなところで過ごすことになる"」
「"っふ、それはどうかしらね。わたしが存外、この場所を気に入っているとしたら?"」
「"……くっ"」
「"冗談よ。わたしとて、いつまでもこんな場所に引き籠もっているのはご免よ。
けど……、契約の前に、ひとつ約束して頂戴。
戦いが終わったその時は、わたしを闇の渦に返すと"」
「"分かった"」
瑠璃はナレーター役に転じ、
「"炎の円環の中、真夜とクイーンの距離は徐々に狭まっていく。
熱気と殺気に入り交じり、一刹那、肉欲の香が匂い立った"」
と言いながら、現実でも距離を詰めてきた。
なにしろ部屋が狭いので、移動は一瞬で終わった。
「"――これより、契約の儀を執り行う"」
瑠璃は厳かに言い……、前触れ無く、キスを仕掛けてきた。
応えようとしたところを、目線で制される。
されるがままでいろ、ということだろうか。
瑠璃の舌先が俺の唇を割り、まるで探し物を探すかのように、口内を満遍なく刺激する。
唾液の嚥下さえ許されない状況で、瑠璃は手際よく、俺の上着を脱がしていった。
瑠璃のひんやりした手が、俺の胸板に触れ、乳首を撫でさする。
「っ……く……」
変な声を上げそうになるのを必至に堪えながら、
俺は今の状況に纏わる、ある事実を思い出していた。
マスケラ二期の契約シーンは、その過激さから放送倫理に引っかかり、放映時に大幅な改変を余儀なくされたこと。
そして改変前の台本が制作関係者によりインターネット上に流出したと、掲示板で噂になっていたこと。
つまり、さっきの小冊子は……。
「……ん……む……っ……」
執拗に口蓋を侵され、思考を中断される。
復活した俺のリヴァイアサンに、瑠璃は右手で、衣装越しに触れてきた。
裏筋のあたりを爪先でなぞり、掌で玉袋の辺りを圧迫する。
情けない男の声が聞こえたと思ったら、それは俺自身の声だった。
「"契約には心身の同調が必要不可欠よ"」
夜魔の女王になりきった瑠璃が、耳許で囁く。
「"あなたはただ、わたしに身を委ねていればいい"」
耳穴が、温かく湿った何かに蹂躙される。
首筋を撫でられ、耳たぶを甘噛みされるごとに、背筋を快楽の電流が走った。
服越しの刺激だけで、射精してしまいそうな感覚があった。
「"フフ、出してしまいなさい、真夜。きっと、ものすごく気持ちよくなれるわ"」
瑠璃は俺の頭を抱え、止めとばかりに舌を絡めてくる。
股間を摩擦する瑠璃の手が速まり、重く、怠い感覚が腰を包み込む。
「ああっ、ダメだ……俺……もうっ……!」
勝ち誇った笑みを浮かべて、瑠璃は俺を見つめた。
俺も満面の笑顔で瑠璃を見つめ返してやった。
「"我慢できねぇ……なーんて言うと思ったか、夜魔の女王"」
「え?」
呆気に取られた瑠璃の頬を両手で挟み、今度はこちらから唇を押しつける。
玄関先でしたものと比較にならないほど濃厚なキスをしてやると、
瑠璃は腰が抜けたように座り込み、潤んだ瞳で俺を見上げた。
ささやかな背徳感が脳裏を過ぎる。
「"け、契約の儀はわたしが――"」
「"俺がしてやられてばかりだと思うなよ"」
攻守反転。
瑠璃の体に体重をかけ、畳の上に組み敷く。
手製の衣装を傷つけないよう、優しく上の着衣を脱がせると、
先ほどまでの威厳はどこへやら、瑠璃はイヤイヤをするように首を振った。
裸を見せ合った回数は既に十を超えているが、未だに羞恥は消えないようだ。
無論、俺としてもその方がそそるが。
「"契約を結ぶには、心身を同調させる必要があるんだろ?
なら、俺もお前を気持ちよくしてやらないとな"」
「そんなセリフ……どこにも……や……んっ」
固く尖った乳首を口に含み、舌先でつつき、歯を立てる。
艶っぽい嬌声を聞きながら、瑠璃の秘所へと手を伸ばす。
サテン地のスカートを捲り上げると、ワンピースを着ていた時と違う黒の下着が覗いた。
おそらく、このコスプレのためにわざわざ履き替えたのだろう。
その役者魂には怖れ入るが……この分だと、また履き替える必要がありそうだ。
「"大洪水じゃねえか、夜魔の女王。
俺を責めてる時からこんなにしてたのか?とんだ変態だな"」
「ち、違っ……」
「……何が違うんだ?言ってみろよ」
言葉で嬲りつつ、俺は瑠璃の下着のクロッチ部分を脇にずらし、
濡れそぼった茂みに中指を埋没させていった。
股を閉じて抵抗しても、遅い。
親指の腹で充血した秘核を摩擦しながら、根本まで埋まった中指を、指先で円を描くように動かしてやると、
「っ……はぁっ……」
切なげな吐息を漏らし、身悶えする瑠璃。
しばし手淫を楽しんだ後、俺はお約束として、引き抜いた指を瑠璃の目の前に持って行き、
「"夜魔の女王も、所詮は女だな。いや、厭らしい雌か。
ぐしょぐしょに股ぐらを濡らして、ずっと男が欲しかったんだろう?あん?"」
あれ、真夜ってこんなキャラだったっけ。
自信は無いが、瑠璃の反応を見る限り、台詞選びは悪くなかったようだ。
「"そんなに意地悪……しないで頂戴……"」
白皙の肌を朱色に染めて、懇願するような眼差しを注いでくる。
ただそれだけの仕草で、俺のリヴァイアサンの硬度は三割増である。
俺は下の衣装を脱いで一物を取り出し、物欲しそうにひくつく割れ目に宛がった。
が、すぐには突き入れずに、瑠璃の耳許で囁く。
「"契約が完了すれば、俺とお前は対等の関係になるのかもしれない"」
「"…………"」
「"でも今だけは、俺がお前の主だ。
いいか、夜魔の女王。お前はこれから、ただの人間の男に、犯されるんだ"」
言い終えると同時に、一息に腰を沈ませる。
肉壺はこれまでにない熱さと湿り気で、俺の一物を包み込んだ。
「―――ッ」
背筋を弓形に反らせ、呼吸さえ忘れて快感に溺れる瑠璃。
性行時の快楽の度合いは、女の場合、精神状態が大きく影響するという。
その理論を信じるなら、夜魔の女王のコスプレをして、同じく仇敵・真夜のコスプレをした男に犯されているという状況は、
瑠璃に最高の快楽をもたらしているに違いなかった。
彼氏彼女のエッチよりも気持ちいい、と言外に言われたようで、悔しくないと言えば嘘になるが、
まあ仕方ないか、と諦めている自分がいるのも事実だ。
実際、普段よりずっと瑠璃の中の具合がいいしな。
「"もっとだ、もっと俺を満足させろ、夜魔の女王"」
小ぶりなお尻を抱え上げ、性欲処理機を相手にしているかのように、乱暴に腰を打ち付ける。
瑠璃は息を弾ませながら、
「"はぁっ……あっ……ふっ……あなた……真夜ではないわね……"」
役から外れすぎたか、と一瞬ドキリとしたが、
「"あっ……んっ……真夜の中の異形の血が……っ……本能の解放と共に目覚めたというの……"」
流石は瑠璃、脳内補正バッチリである。
コレ幸いと俺も追加設定に乗っかり、
「"ああ、そうだ。今の俺は真夜でも漆黒でもない、お前を犯し尽くすために生まれた人格だ"」
なるたけ低い声色で言い、根本まで一物を突きいれる。
最初の三回までは試行錯誤の連続だったものの、
今や瑠璃の体の悦ばせ方は、本人の次に知悉している自負が俺にはあった。
一物のカリ首を使い、秘核の裏側にあたる部分を、孫の手の要領で刺激すると、
「ああぁっ」と甲高い悲鳴を上げ、瑠璃はあっさりと絶頂に達した。
が、そこでストロークを加減してやるほど、俺が演じている役は優しくない。
「"もう……っ……ダメ……許して……お願い……"」
「"お前は黙って契約に集中しろ。
それともイキ癖がついて、契約に集中できなくなったか?"」
瑠璃は息も絶え絶えの様子で、首を横に振る。
「"はぁ……あぁっ……もう少しで……んっ……契約は、完了よ……"」
「"いいだろう。完了と同時に、俺もお前の中に、たっぷりと子種を注ぎ込んでやる。
どんなガキを孕むか楽しみだな"」
「"だ、ダメっ……それだけは……そんなことをされたら……わたしっ……"」
言葉とは裏腹に、瑠璃の中はキツさを増していった。
無数の襞が、ひとつひとつ別個の生き物のように絡みつき、
全体としての肉壁が、精を絞り尽くさんと蠕動する。
瑠璃に弄ばれていた時と違う、本物の射精感が込み上げてくる。
無論、さっきの台詞は演技で、俺は射精寸前で一物を引き抜き、瑠璃の真っ白なお腹の上で果てるつもりだった。
が、いざその時が来ると、一定以上腰を引くことができない。
理由は単純、瑠璃の両腕が俺の背中に、瑠璃の両足が俺の腰に絡みついているからである。
「お、おま……」
「大丈夫……っはぁ……今日は……安全な日……っ……だからぁ……」
ええい、ままよ。ここまで来たら、その言葉を信じるしかない。
俺は瑠璃の背中を浮かせるようにして、斜め下から一際強く、瑠璃の体を刺し貫いた。
「"イくぞ、夜魔の女王っ!"」
「"あぁぁあぁぁぁっ!"」
一体感に脳髄が痺れ、電流が脊髄を駆け抜ける。
溜まりに溜まった熱い塊を吐き出すように、俺は瑠璃の最奥で射精した。
「本当に大丈夫な日だったんだろうな」
畳の上に寝っ転がりながら、俺は隣の瑠璃に訊いた。
「……嘘はついていないわ」
危険日に中出しした場合、妊娠する確率は約10パーセントらしいが、
果たして安全日に中出しした場合は何パーセントなのだろうか……。
ああ、こんなことなら、もっと学友の猥談の輪に入っていれば良かったぜ。
「なあ……」
隣を見れば、瑠璃は未だ恍惚醒めやらぬ、と言った様子で、ぼうっと天井を見つめている。
「はは、よっぽどコスプレエッチが気に入ったか」
「な――わたしは本来、アニメに忠実な契約シーンの再現をするつもりだったのよ。
それをあなたが暴走して……」
「言い訳すんな。お前は最初から、俺を焦らして、暴走させるつもりだったんだろ。
そうすりゃ、俺に無理矢理コスプレエッチをさせられたって言い訳ができるからな」
きゅ、と下唇を噛む瑠璃。言い返せないってことは、図星だってことだ。
俺はそんな彼女の髪を、手櫛で梳いてやりながら、
「なら、最初から正直に言えっての。俺が嫌がると思ってたのか?」
「そんなこと……面と向かって、言えるわけがないじゃない」
それもそうか、と納得する。
俺だって瑠璃に『エッチの時俺のことをお兄ちゃんって呼んでくれ!』なんて死んでも言えねえ。
や、勘違いすんなよ、そんな願望はこれっぽっちもねえからな。
「これからは、好みの場面が出て来たら、遠慮なく言え。
俺も出来る限りの範囲で、役を演じてやるからよ」
「ええ……分かったわ。わたしは最早遠慮しない。
でも、当分の間は、二期の契約シーンに勝るシチュエーションは出てこないでしょうね」
やれやれ、そんなに真夜×夜魔の女王がお気に入りか。
真夜×ルシファーの健気責めツンデレ受け以外認めませんッ、という瀬菜の声が聞こえた気がしたが、無視した。
「けどな、瑠璃。コスプレエッチに協力するにあたって、一つ、条件があるぜ」
「何かしら?」
髪を撫でられるのが心地よいのか、蕩けた瞳で瑠璃がこちらを見る。
「コスプレエッチの後は、恋人同士のフツーのエッチもする。それが条件だ」
「ふふっ……」
と瑠璃は妖艶に笑い、獲物の反応を伺う蛇のように目を細めた。
「あなたは、真夜に妬いているのかしら?
それとも自分の代わりがいるのではないかと、不安になったのかしら?」
ああ、そうだ。その通りだ。
俺はお前の望み通りの役柄を演じながら、一種の寂しさを感じていた。
瑠璃の目に映っているのは、俺ではなく、マスケラの主人公・真夜そのものなのではないか?
俺でなくとも、真夜を演じることができる男なら、瑠璃は誰でも良いのではないか?
なーんてことを考えていたのさ。
「本当に、莫迦な雄ね」
瑠璃はくつくつと喉を鳴らし、身を起こして、俺の体にすり寄ってきた。
「わたしにとって、あなたは唯一無二の存在よ。
代わりなんていない。いるわけがない。
あなたがいなくなれば……、きっとわたしは死んでしまう」
「瑠璃……」
「さあ、今度は闇の契約ではなく……恋人の契りを交わしましょう?」
瑠璃が俺の上に跨がり、すっかり固さを取り戻した一物を、優しく手に取り、自身の秘裂に導く。
涎のように垂れる白濁液が、たまらなく淫靡だった。
「んっ……はぁぁ……」
一物が完全に呑み込まれる。
俺は瑠璃の体を引き寄せ、ぴたりと上半身を密着させながら、騎乗位で突き上げた。
「京介……あぁっ……好きぃっ……」
「俺もだ……大好きだぞ……瑠璃………」
コスプレエッチもいいが、やはり俺は、こっちの方が好みだ。
それから買い物に出かけた"二人"が帰宅する直前まで、俺たちは深く愛し合った。
さて、この話には少し続きがある。
五更家で晩ご飯――カレーライス――をご馳走になった俺は、
今、下の妹二人と一緒に、居間でテレビを眺めていた。
台所ではおばさんと瑠璃が洗い物をしている。
親父さんは家から遠く離れた仕事場で、泊まり込みでお仕事……らしい。
何度か顔を合わせたことがあるが、外見内面ともに穏やかな、優しい人だった。
壁時計が八時の鐘を鳴らすのと同時に、珠希が小さな欠伸をした。
「ん、珠希、もうおねむ?今日は早いね」
「買い物に行ったせいで、疲れたのかもな」
日向は普通のお姉ちゃんらしく、優しい口調で尋ねた。
「どうする?今日はお風呂入らないで、お布団入る?」
「……お風呂、入りたいです」
この歳でも女の子か。
「便所ついでに、風呂の準備してくる。寝入るなよ、珠希」
俺は珠希の頭を撫でて、立ち上がった。
五更家の勝手は知ったるもので、俺はさして迷うことなく、縁側の廊下を進んでいった。
「待って待って、京介くんっ!」
トットットット、と小気味良い八拍子が聞こえ、背中に何かが激突したかと思えば、日向だった。
「あたしもお風呂入れるの、手伝うよ」
「一人で出来る。つーか、手伝うって何を手伝うんだ」
「ねーねー、京介くんは今日お泊まりするの?」
人の話聞いてねえな、コイツ。
「しねえよ」
「え~~~~っ!なんでなんで?
今日はお父さんも仕事でいないしィ、あたしと一晩中ラブラブする絶好のチャンスじゃん?」
「黙れマセガキ。お前とラブラブしてどうすんだ」
「京介くんひっどぉ~~~~い!今あたし超傷ついたんだからね!」
ぷくーと頬を膨らませ、睨み付けてくる日向。
……良い機会だ。ここらで灸を据えてやるとするか。
俺は屈み込み、日向と視線の高さを合わせて、
「お前、ラブラブの意味分かって言ってんのか?」
「えっ」
「ラブラブするってのが何をすることか、具体的に言えるか?」
「えっと、それは……」
日向は顔を真っ赤にさせて言った。
「し、知らないっ!」
「ウソつけ」
「ウソなんかついてないもん!」
「見たままを言えばいいんだ、できるだろ」
日向の顔色が、赤→白→青→赤と目まぐるしく変化する。
「お前なあ……覗きがバレてないとでも思ってたのか」
「……なんで」
「足音とか……なんつーか、気配?」
「ル、ルリ姉も知ってるの?」
「いいや、あいつは気づいてないみたいだ。
気づいてたら、何かしらお前に言ってただろうしな」
日向が俺とルリの秘め事を覗き見していることには、結構前から気づいていた。
今日、日向が母親の買い物に着いていった時も、
晩飯をオムライスとカレーライスのどちらするか珠希と揉めていたが、
結局出て来たのは珠希が希望したカレーライス、
日向が折れたのか、とおばさんに聞いてみたところ、
道中、突然日向が「友達を見つけたから喋ってくる!」と言って、お手伝いを放棄したからだそうで、
しかし日向の行き先は十中八九、俺と瑠璃が愛し合う自宅だったに違いない。
一部始終を盗み見た日向は、おばさんや珠希が帰ってくる頃を見計らい、
一度家を出た後で、友達と遊んできた風を装い、遅れて帰宅したのだろう。あくまで推測だが。
「京介くん、エスパー?」
当たってたのかよ。俺は溜息を吐いて言った。
「性に興味があることを、責める気はねえ。
でもな、そういうのは、保健体育の教科書見て満足しとけ」
「小学校で……そういうの、教えてくれないし」
「そりゃあ、お前くらいの年で、んな知識はまだ必要ねえからな。実技の観察なんて尚更だ」
踵を返して風呂場に向かうと、日向は俺の行く手に回り込み、腰の辺りに抱きついてきた。
「京介くんは、勘違いしてる。
あたしが京介くんとルリ姉が、エッチなことしてるの見てたのは……悔しかったから。
ルリ姉ばっかり、ずるい。あたしだって、京介くんのこと大好きなのに」
声には湿り気が混じり、本気の度合いが伝わってきた。
「……ルリ姉にしてるのと同じこと、あたしにもしてよ」
頭痛と目眩と顔の火照りが、いっぺんに俺を襲う。
オー、ジーザス。
なぜ神はかような試練を、無垢なる羊に与えたもうたのか。
どうすればいい。どうすれば、この場を丸く収められる?
どう答えれば、日向を傷つけずにすむ?
「なあ、日向。顔を上げてくれ」
「……うん」
結局、俺は先人の知恵に頼ることにした。
彼女の妹に惚れられたが、その子の幼さ故に、慕情を退けざるを得ない、
そんなエロゲ的展開を乗り切れるのは、同じくエロゲ主人公のみである。
ありがとう桐乃。俺、マジで妹ゲーやっといて良かったわ。
「俺がお前に、瑠璃にしたみたいなことをしたら、色々と問題があるんだよ。
それくらいは分かるよな?」
「うん……犯罪になっちゃうんだよね?」
「そうだ。それに何より、お前の体が、まだ完全に男を受け入れられるように出来てない。
お前も最初に覗いたときは、怖かったんじゃないか?」
コクコク、と日向は頷き、
「でもね、ルリ姉も最初の頃はすっごく痛がってたけど、
三回目くらいからかなぁ、今度はすっごく気持ち良さそうに――」
「あーあー皆まで言うな。とにかく、だ。
お前が俺とそういうことをするには、まだ五年も六年も早い。
いっぱい飯食って、いっぱい成長して、出るとこ出してから出直してこい」
俺は冗談交じりに言って、日向の胸を突いてやった。
きゃ、と可愛らしい悲鳴を上げて、日向は無い胸を隠す素振りをする。
「京介くんのエッチ……でも、期待してもいいんだよね」
「おう」
中学生、高校生に上がれば、日向も人並みに恋をするだろう。
そうすれば数年後には、この日の約束は、恥ずかしい思い出として風化しているはずだ。
俺はそう高をくくっていた。
「あたし、一途だよ。京介くんが思ってるより、ずっと」
ちゅ、と懐かしい響きが聞こえた。
「呪い、かけたから。ルリ姉がかけたのと、同じくらい強力なヤツ」
はにかみ笑いを浮かべた日向が、ステップを刻んで距離を取る。
唇に残る、熱く湿ったキスの痕。頬にされるのとは訳が違う。
しかも呪いって……お前は五更家の反厨二病勢力筆頭じゃなかったのかよ。
狼狽える俺を余所に、日向の体がピタリと静止した。
「どうしたんだ……?」
「…………」
日向は一点を凝視したまま、一言も喋らない。
俺は妙な胸騒ぎを感じて振り返った。
――夜魔の女王がそこにいた。
「そう。そういうことだったのね。
これまで考えすぎだと、有り得ないと、自分に言い聞かせてきたけれど……。
やっぱり、わたしが甘かったみたい。
あなたがここまで節操のない雄だと、見極め切れていなかったのだから」
「瑠璃、少しでいい。少しでいいから俺の話を、」
「言い訳無用。あなたの罪は極刑……いえ、万死に値するわ」
「ル、ルリ姉、京介くんは悪くないよ」
「黙りなさい」
「ひうっ」
ああ、今日は世にも珍しい日だ。
黒猫、白猫、エロ猫、そして闇猫。瑠璃の四変化を見られるなんてな。
どこから持ってきたのだろうか、彼女の手には、鋭利なGペンが握られていた。
あれで刺されたらさぞかし痛いことだろう。
「死になさい」
ああ、いったい俺は、どこで選択肢を間違えちまったんだ?
凄艶な笑顔が、鬼の形相に変わった。
俺は土下座作戦を中止し、裸足で庭に逃げ出した。
おしまい!
最終更新:2011年07月19日 15:05