或る分岐の裏


 トゥルルル。
 電話の呼出音が聞こえて、わたしは安堵の息を吐いた。
 良かった、掛かりました。電話とか切ってる可能性もあるかなって心配だったんですよ?

 ……現に桐乃は電源を切ってましたし。

 でもさすがお兄さん。こうしてわたしが電話する事、分かってたんですよね。
 全く、ハラハラさせてくれます。何度もお兄さんを疑ってしまいました。
 でも数々の誘惑を断ち切っていくお兄さんの姿、格好良かったですよ。
 やっぱ、こうでなきゃっ。

 ……しかし、中々出ませんね。どうしたんでしょうか。
 ここは渡りに船とばかり、わたしの電話に飛びつく筈なのですが。
 桐乃、可愛いですものね。桐乃の誘惑に、お兄さんもタジタジな筈。
 だからこうして、このわたしが助け舟を出してあげたのに……。

 仕方ないので、一旦電話を切ることにする。。
 携帯の電波があると干渉してしまってよく聞こえないらしいからだ。

 携帯の電源を切り、再び前にある機械から伸びるスピーカーに耳を当てる。

『体……、続けるのは、ゲームなワケ?』
『げ、ゲーム以外に何があるってんだよ』

 ……。うーん、これはどういう状況なのでしょうか。
 一旦、さっきの感じは終わったみたいですけど。

 あ、わかった。わたしからの電話を切っ掛けに軌道修正を試みてる訳ですね。
 電話に出なかった事は覚えておきますけど、桐乃を傷つけるのも本意ではありませんし。
 特別に許してあげる事にします。……次やったら、お仕置きが必要ですけどね。

『……あ、あんたって、本当へたれだよね』

 お、お兄さんになんて事を言ってるんですか、桐乃は!
 いくらお兄さんだってそこまで直接的に言われたら誘惑に気づいちゃいますよ!
 ……確かにお兄さんはヘタレで鈍感な天然女たらしですが。

 あの時の事を思い出すと今でもムカムカしてきますし。

『分かった。あたしも覚悟を決めた。……ここまでやって、あたしも引き下がるワケにはいかないっての! 全国の妹ユーザーが待ってんだから、この先の展開を…ッ!』

 ……あれ? 桐乃?
 そこ、諦めないんだ。ふーん。桐乃、そんなにお兄さんが好きなんだ。へー、お兄さん想いなんだね。

 ミシッ!
 あ、と気付いた時には無意識に目の前の機械を強く握りしめていた。
 いけないいけない。

『あ、ご、……ん! い、……った?』

 電波の調子が悪くなってしまったのか、目の前の機械の調子が悪くなった。
 うまく音声を流してくれない。

 ここから先が大事なのに、どうして機械はわたしを裏切るのだろう。

『……と、……優しく、してよ』 
 ギシッ!
 ……今、聞こえた声はなんだろう。優しくして、って何? ねえ、何? 何を?
 今、何が起きてるの? 早く、早く早く早く。

 ガンガンと床に叩きつけてあげると、調子を取り戻したのか、再び音声を流しはじめた。

『……で、どうすんの?』

 何が? 何が、どうするの?
 状況が分からない。なので耳を澄ます。げ、ゲームを続けるか、って事だよねっ。

『あーあ、あたしのここ、びしょびしょ。どうしてくれんの?』

 桐乃?

『責任、と、取りなさいよ。兄貴でしょ?』

 ねえ、桐乃。何を言ってるの?

『ううん、絶対、責任を取らせる。もう、決めた。
 あんたが、どう足掻いても兄貴で居続けるというのであれば、あたしは、どうあってもあんたに責任を取らせてみせる。
あんたの身体をどこまでも気持ちよくさせてあげる、あたしを、犯させてあげる。感謝しなさいよね』

 …………。
 夢。これは夢。こんな、気持ち悪い事、桐乃が言う訳が無い。
 こんな気持ち悪いモノ、わたしの親友じゃない。
 なんて醜悪。桐乃は、そんな事言わない。わたし知ってる。そうだよね、桐乃。

「あはっ! あはははは! やだなぁ、桐乃。駄目だよ、そんな……行動しちゃ」

 わたし、許せ無く鳴っちゃうから。
 全く。そろそろ、お兄さんを助けに行かないと。そう、助けに。
 こんな事もあろうかとちゃんとこの機械用意しておいて良かった。
 本当は、黒猫さんとかそういう人対策だったんだけど……。

 ふふ、駄目だよ、桐乃。桐乃が言ったんだよね。お兄さんを、監視しろと。
 その桐乃がこんな事をしちゃうなんて……お仕置きが、必要だよね。

 何がいいだろう。これかな。これかな。これは駄目だ。桐乃、モデルだもん。
 見える位置に傷とか残ったら大変だもんね。

『桐乃、俺はおまえが好きだ』

 ガチャガチャ。
 ……あれ? 今、何か聞こえました?
 気のせいですよね。

『俺は、おまえが大好きだ』

 …………。
 ガン、ガンガン。おかしいですね。混線してるんでしょうか。

『悪い。もう手遅れだ。分かった。もう分かった。分かっちまった。自覚しちまった。駄目だ。分かっちまった。俺はさ、桐乃』

 駄目、駄目、駄目、早く壊れて、続きなんか聞きたくない、早く、早く、ねえ、早くッ!

『おまえと、結婚したい』

 ……………………………………あはっ。
 200メートル。
 それぐらい離れた場所に、誰も使ってない倉庫があって。
 そこが、わたしの隠れ家だった。
 これ以上離れると電波を受信出来ないとかで、寒くて暖房が効かない部屋だけど。
 桐乃に依頼された以上、わたしは、監視を続けていた。

 そして、今日、ようやく監視をしてた甲斐があった事が起きた。
 監視して、イケナイ事をしているのが分かったなら、お仕置きを与えないと。

 桐乃からの依頼だもん。手を抜いちゃ駄目っ!
 しっかり、最後までやらないと。

 電波を受信する機械は、今は無残にもぼろぼろになってしまって何の音も発さない。
 だから、直接、聞きに行かないと。しっかりと監視しないと。

 わたしは、200メートルの道のりを慎重に歩いていった。
 あくまで、監視が目的だから、見つかってはいけない。

 もしかして、特に何事も無く、桐乃があの部屋から出てくるかも知れないしっ。
 そしたら……。わたしが、桐乃の代わりに、お兄さんにお仕置きをしないと。

 ふふ。全くもうっ。仕方ない人なんだから。


 玄関。結局、ここに辿り着くまで、桐乃は部屋から出て来なかった。
 つまり、中にはまだあの二人が居る。

 …………。

 合鍵を使って、静かに鍵を開ける。全く音を立てない。
 何故かわたしは昔からこういう事が得意だった。

 音を立てずに、部屋に侵入する。
 そして、侵入した瞬間から、わたしは酷く嫌な気分を味わう事になる。

「な、なに盛ってんの……? ば、馬鹿じゃん」
「う、うっせえ。自分の好きな子にあんなん言われたら……さ、盛るっつうの!」

 二人の聞きたくもない睦言。
 咄嗟に飛び出してやりたくなる衝動を抑えて、わたしは二人に見つからないように、脱衣所に身を潜めた。

「きゃ……っ! あ、あんたももっと優しくしなさいよ!」
「す、すまん。ち、力加減難しいな……、こ、こうか?」
「違うし! あ、あんたねぇ? わざとやってんの?」
「やるわけねえだろ!? くそ、エロゲーだとこうすんなりいくんだけどな」

 ボフッ!

「あ、あんたねぇ!? ふ、ふつうこの場面でエロゲを参考にするっ!?」
「さ、さっきイベントCGがどうだとか言ってなかったか?」
「あれはあれ! これはこれなの!」

 …………。
 ムードもへったくれもない二人ですね。こう色んな意味で聞きたくありませんでした。
 やっぱ、こういうのは雰囲気のあるホテルとかでロマンチックにしたいですよね。

 しかし、いい雰囲気であれば邪魔もしやすかったのですけど。
「だああああっ! 駄目だ、よし、おまえに任せたっ!」
「ちょ、あんた、今凄いあたしの好感度下げたんですけどっ!?」
「く……、だ、だって仕方ねえだろ。余りにもおまえの身体がエロくて歯止めがきかねえんだよ。
 思いのまま、力任せにやっちまいそうになっちまうんだよ、くそ、悪かったな!」
「え、……あ、そ、そうなんだ? え、エロい?」
「激エロだな」

 ……よし。程よく苛々が溜まって来ました。
 邪魔するのには頃合いですね。

「……あ、あやせと比べてどっちがエロい?」

 …………。

「な、なんでここであやせが出てくんだよ?」
「だ、だって……。あんた、あやせみたいのタイプでしょ?」
「な、何故それを……っ!」

 …………。
 はっ! いけない、聞き耳を立ててしまいました。
 というか、お、お兄さん、そこは否定するところですよっ!
 ってなんでわたしがお兄さんに助言しないといけないんですかっ!
 も、もう。こ、この二人は……。

「実際あやせが先に誘惑してきたら、あんたコロっていってたんじゃないの?」
「…………」
「なに真剣に考えてんのよっ!? ちょ、ホントあんたって……! ひ、否定しなさいよ、嘘でも!」

 …………。

「あやせは、確かに俺のストライクな容姿をしているな。それは認める」

 み、認めちゃうんですか。

「み、認めるんだ……」
「でもな! 仮にありえない話だがあやせが誘惑をしてきたとしても、俺は誘惑に屈しなかったぞ」
「な、なんで……?」

 ……というか、わたしなりに頑張ったつもりですが、誘惑にすらなってなかったんですね。
 ぶち殺してやりましょうか。

「……おまえと約束をしたからだよ。おまえとの関係を何とかするまで、誰とも付き合わねえっていったろ?」

 60点の回答ですね。ここで、「おまえが好きだからだよ」とか言えれば良いのに。
 ……まあ、そういうお兄さんだったら逆にここまで女たらしになれないと思いますが。
 お兄さんは、愚鈍で馬鹿で察しが悪くて変態でセクハラだからこそ、女たらしなのですから。

「そ、そか。……じゃあ、その約束がなかったらあんた、あやせにコロっと行ってたんだ」
「ああ!」
「し、死ねっ! あ、あんたはいっぺん死んで、お願いだからっ!」

 …………。
 この場面で、あんな爽やかに「ああ!」って断言出来る馬鹿ってお兄さんぐらいしかいないですよね。
 ホントにもう、馬鹿なんだから。
「お、落ち着けって。ありえない仮定の話をしたって仕方ねえだろ。大体、あやせは俺の事嫌いなんだしさ……」
「……本当にそう思ってんの?」
「あん、どういう意味だ?」
「……絶対教えてあげない」

 …………。

「ふーん。まあ、どっちでもいいけどな。今の俺はおまえしか見えてない訳だし?」
「……バッ! ~ッ!」
「あ、やっぱ訂正させてくれるか?」
「……え?」
「これからの俺は、おまえだけしか見ない。誓うよ」

 …………。

「俺はおまえが好きだ。とても、な。来世までとは言えねえけどさ。でもさ、今生の俺の全てを掛けておまえを大事にする。絶対だ」
「あ、あんた……」

 …………。

「さて、そろそろやらせてもらうぜ。もう我慢できそうにない」
「……や、優しくしなさいよっ!」
「もちろんだ」

 …………。
 そう言えば……、近親相姦は、罪じゃなかった、んでしたっけ。
 結婚は出来ないけど、近親相姦自体は、罪じゃなかった。
 一度禁止になったのに、敢えて禁止が解除されてるんですよね……。

 …………わたしは、認めませんよ。
 兄妹でなんて、気持ち悪いし、生理的に受け付けられません。
 断固として反対しますし、絶対賛成なんてしてやりません。
 けど……犯罪じゃないものを、通報はできませんよね。

 お兄さんは、勉強をちゃんとしてました。
 そして、桐乃の約束を守りました。
 ……だから、おしおきなんて出来ませんよね。

 今、今だけは見逃してあげます。
 でも、それじゃ桐乃もお兄さんも幸せになれないという事、忘れないでください。
 一ヶ月。それがわたしが目を瞑っておいてあげる猶予です。

 いいですか。お二人の長い戦いは、まだ始まったばかりなのですから。
 せいぜい、今の内にいちゃついておいてください。

 脱衣所にあったもうひとつの機械を回収して、わたしは静かにこの場を後にする。

 わたし、負ける気ありませんから。

 胸に一つの決意を秘めて。



 完




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最終更新:2012年07月03日 00:49
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