・葬儀・盆・故人に関する禁忌
・親指の爪の間は霊魂の進入口と考えられていたからであり
人の「死」に出会った時に、親指を隠していなければ
そこから不浄なものが入ってくると信じられていたから
・死者に引っ張られるから
・お盆から波が高くなるから
・クラゲが増えるから
・水温が下がり始めるから
・山が信仰対象の土地では、祖先の魂は死後は山に還るらしい
・「盆だんご」を背負わされる→沈む?
- 妊娠中は葬式(火葬場)に出てはいけない(赤子が連れていかれる)
・腹帯に鏡を入れとくとOK
・お腹の赤ちゃんの魂を追い出して入ろうとする
- お見舞いやお祝い(出産とかの)に行く時でも金品は8月中は渡せない
・墓石が倒れて危ないから
・昔は土葬だったから、怪我するとばい菌が入りやすかったから
・転ぶと魂が抜ける
↓
抜け殻になった体に墓場にいる霊が入ってこようとするから
・転ぶと寿命が縮まる坂や階段があるし
転ぶことは魂にとって良くないことと考えられていたのかな
・墓場で転ぶと服の片袖おいて行かなきゃいけない
袖を引っ張られて連れて行かれないようにって事か?
- お葬式が済んでから最初に笑っていいのは参列者の中で一番偉い(もしくは年長?)の人
- お盆に殺生をしてはいけない(ご先祖様が地獄に堕ちる)
- 親は自分の子どもが死んだとき子どもを焼いている焼き場に行ってはいけない
- 妻は夫の遺体を焼くのについていかない
・子供の死に狂乱した親が荼毘の火に飛び込まないようにする為
・インドのヒンドゥー教徒に伝わる「サティ=寡婦殉死」
という儀式があるそう
「夫に先立たれた妻が火葬する際に火に飛び込み後を追う」という物らしい
・サティーはシヴァの妃神サティーに由来し、父神プラジャーパティのシヴァへの非礼を詫びるため火中に身を投じた事に因む。
サティーの死を悲しんだシヴァはサティーを抱えてインド中を歩き回り
その悲しみと荒らぶる怒りは災いを撒き散らしたので、ヴィシュヌがサティーの遺骸を寸断してしまうとそれが落ちた地は聖地となり
漸くシヴァの悲しみは静まったという。
そこから未亡人となった者は夫の荼毘の中に身を投じ、若しくは場合によっては周囲に投じられて貞節を示した。
インドがイギリス統治に入ってから、イギリス政府が余りに野蛮で残酷であると徹底的に撤廃政策を敷き
それを現インド政府も政策を継承し続けた結果20世紀にはほぼ根絶されたとされる。
がどうしようもない程の田舎や不可触民の間には極々稀にあるとの説もある
(知らずにやったら目を潰される・知っててやったら命を持ってかれる)
- 身内に不幸があった時、49日までは気をつけて暮らせ
・キリストも死後一週間後甦って弟子達と七週間過ごした後神の元に帰っていったらしいよ
遺影が飾ってあると故人の魂がいつまでもそこにいるから
と今思いついた
遺影を飾っておくことで故人が己の死を理解する
とも思った
- 未婚(未成年だったかな?)の女が遺体に触ると結婚できなくなる
- 死んだ人が彼岸に帰るのを見送る儀式?みたいな帰りは来た道と違う道を通り振り返ってはいけない
死んだ人が一緒にくっついて家に帰ろうとするから目を合わさない様にするため
- お仏壇に供えるお線香は息を吹きかけて消してはいけない
必ず手で扇いで消すこと
・日本の蝋燭はハゼの実などの植物性油を原料とする黄色い和蝋燭を用いていましたので、
寺でも仏壇でも日本中、和ろうそくでした。
和蝋燭の芯は和紙のこよりで、絶えず芯から空気が供給されるため吹き消すことができません。
芯切り鋏で芯を切るのです。
ですから、もともとろうそくを吹き消すという作法・習慣が無かったというのが本当だと思います。
もともと、吹き消すものではないので、
いまの洋蝋燭でも吹き消さないことになっているというだけではないでしょうか
・「仏教 息 マナー」でぐぐってみたら、「息は不浄のものとされるから」ダメ
ということみたいだね。きちんと仏典とかに書いてあるかどうかはわからんけど
最終更新:2009年06月20日 17:57