【女大学・2】 女は容貌よりも心が美しいのがよい。
心の美しくない女は心騒がしく眼恐ろしく、人を怒り言葉が下品で口ばかり人に先立って人を恨み妬み、自分ばかりを誇って人をそしり笑い、人に勝ったような顔をしているのは全て女の道として間違ったことである。
女はただやわらかに従って貞信を心がけ、情け深く静かであるのがよいのだ。【女大学評論・2】 冒頭第一に「女は容貌よりも心が美しいのがよい」とある。
女子の生まれつきの容貌を重んずるのではなく、心の美しいものがよいと書いて文章に力をつけているのはなかなかの技だが、これは単に文章家の技として見るべきものにすぎない。
その後の婦人の悪徳を並べ立てる箇条は字の如くまさに悪徳だが、心騒がしく眼恐ろしく云々、いかにも上流の人間にはあってはならないことであり、必ずしも女の道として間違っているだけではとどまらない。
もちろん男の道としても間違っていることである。心気粗暴、眼光恐ろしく、ややもすれば人に向かって怒り、言語粗野にして悪口を言い、人の上に立とうとして人を恨み妬み、自分ばかりを誇って他人をそしり、人に笑われながら自分の姿をかえりみず得意になっているのは実に下品なふるまいであり、男女にかかわらずそんな不徳は許されるものではない。
人間たるものは和順、貞信、人情深く心静かなのがよい。まことに申し分のない教訓でありそうありたいことだが、この文章においては特にこの教えを婦人のほうへばかり持ち込み、これこれは女の道として間違っている、女の道はかくあるべし、と女ばかりを戒め、女ばかりにすすめるとは全く理解できない。
例えば女は妊娠するのが天性の約束であるために、妊娠中はこれこれこういうことに気をつけるべしと、特に女子に限って教訓を言うのはとてももっともなことだけれども、男女ともにおかしてはならない不徳を書き並べて、男女ともに守らなければならない徳義を示して、女ばかりを責めるとはおかしいのではないか。
犬が人に噛み付いて却って夜の番ができないのは悪い犬であり、能力のない犬である。
この悪い犬の特性を雌犬のほうにばかり話を持ち込んで、雌犬が人に噛み付いて夜の番ができないのはよくない、とばかり言うのはおかしい。雄犬なら悪くても能力がなくてもかまわないというのか。議論片落ちであるといえるだろう。
女大学の作者は有名な大先生であるけれども(貝原益軒だと言われているが根拠はない)、全て支那流で論じているために、どうしても男尊女卑の癖が抜けないようだ。
実際には夜にきちんと番をしないで、ともすれば人を叱り倒して人を虐待するような振る舞いをするのは男子のほうに多いのだが、そこを大目に見過ごして一人だけ女性の不徳をとがめるのは、いわゆる儒教主義のひねくれた見方であるといえよう。
最終更新:2007年04月27日 12:20