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女大学評論-3

【女大学・3】
 女子は幼いときから男女の区別を正しくして、かりそめにも戯れたることを見聞きしてはならない。
 昔の儀礼にて、男女は席を同じくせず、衣装をも同じところに置かず、同じところで湯浴みせず、物を受け取り渡すことも手から手へ直接にはせず、夜は必ず灯りを取って行かなければならない。
 他人は言うに及ばず、夫婦兄弟でも男女の区別は正しくしなければならない。

 今時の民家ではこのような儀礼を知らずして、行動がみだらで名を汚し、親兄弟に辱めを与え、一生、身をむなしいものにする者がいるが、実にもったいないことである。
 女は父母の命令と仲介がなければ、男とは交わらず親しまずと「小学」(儒学のテキスト)にも書いてある。たとえ命を失っても、心を金石のごとく堅くして義を守るべきである。



【女大学評論・3】
 幼いときから男女の別を正しくして、かりそめにも戯れたることを見聞きしてはならぬという。
 つまり、卑猥で不潔なことは目にも見ず耳にも聞かぬようにするべしという意味であろう。もっともな教訓である。

 これらは全て家風によるもので、幼い子供の父である家の主人の行いがみだらで、愛人を囲ったり外で花柳に戯れるなどの乱暴があっては、いかに子供を正しく教育しようとしても、卑猥で不潔な手本を一番近い家庭の中で見聞きさせてしまっては、千言万語の教えも水の泡となってしまうだけである。

 また、男女席を同じゅうせず云々と古くからの教えを示すのもとてもよいことだが、人事繁多の今の文明世界においては果たしてこの古い教えを実行すべきものであるかどうか、少々考えなければならないところがある。

 これも所謂言葉の采配、または売り物の掛け値と同様で、厳しく戒めればしばらくの間少しは注意する者もあろうが、浅はかな教訓であるから、実際に古い教えを守らせようとすれば表向きに守るのみで、裏面では却って大きな不都合を生じる可能性すらある。

 だいたい男女交際の清濁はその人の気品によるものであり、例えば支那主義の目で見れば、西洋諸国の貴女紳士がともに談笑し、同じ場所で湯浴みこそしないにしても同じ席で同じものを食べ、物を受け取るには手から手へすることばかりかその手を握ることを礼儀とし、男女の別なくしている様子は無礼な野民であるといえるだろう。
 しかしその内実をうかがえば別に野民ではなく、品行清潔で金石のように堅固な者が多いのである。つまり、気品が高尚なのは性欲に勝るからであると言わざるを得ない。

 かつて東京に一人の男性がいた。
 西洋の文明を非常に好み、一切万事改進進歩を気取っていながら、その中身は支那台の西洋メッキで、特に道徳についてはいつも周公孔子を云々して、子供の教育には「小学」または「女大学」などの主義を唱え、家法を厳重にして親子が顔を合わせるにも賓客のごとく、行儀を乱すことなく、一見甚だ美であるように見えた。

 しかし気の毒なことにこの男の身持ちが不行儀で淫行をほしいままにし、妾を囲って外で女を買うばかりかその男は地方出身の者で故郷に正妻を残し、東京に来てからはさらに第二の妻と結婚していた。
 一妻一妾どころか二妻数妾のめちゃくちゃで、子供たちはその厳しい父の厳重な命令を恐れて、何事においても唯々諾々するだけで、心から尊敬していたわけではなかった。
 何年もの間にその子供たちは「小学」を勉強して不孝の子となり、「女大学」を暗誦してみだらな女となったのだ。儒教の家庭から禽獣を輩出するとはおかしなことだ。

 そういうわけで、男女交際は外面の儀式よりも中身の気品こそが大切なのである。
 女子の気品を高尚にして名をけがすことのないようにしようとするならば、何はさておきまず父母の行儀を正しくして朝夕子供に手本を示すことが一番肝要なことであろう。

 また、結婚は父母の命令と媒酌がなければできないという。これも非常にもっともなことである。

 民法親族編第771条に「子が婚姻を為すには其家に在る父母の同意を得ることを要す。但し男は満30年、女は満25年に達したる後は此限に在らず。」とある。
 婚姻は人間の大事なことだから、父母の同意、つまり許可がなければかなわない。しかし父母の意見を以って子に強制するのはなおかなわないことである。
 父母に何か目的があって、無理に娘をある男の嫁に行かせようとして、大いなる間違いを起こすのはよく聞くことだ。だから男30歳、女25歳以下でも、父母の命令を以って結婚を強制することもまたできないのである。

 また、子のほうからいえばたとえ30歳、25歳に達しても、父母が健在であるときは打ち明け相談して同意を求めたほうが穏やかであろう。法律はただ極端の場合の備えである。親子の情はそのような水臭いものではない。くれぐれも心得ておくべきだ。

 また、結婚の上はたとえ命を失うとも心を金石の如く堅くして不義するなとは最も良い教訓で、男女ともに守らなければならないものだが、わが国古来の習俗を見れば一夫多妻の弊害は多く、一妻多夫の例は稀であるゆえ、金石のごとき心は男性のほうに望まれるものだ。

 このようにして男を棚に上げて女子ひとりを戒めるのは、念入りな教訓でありがたいけれども、方角違いであるといえよう。


最終更新:2007年04月27日 12:19
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