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女大学評論-4

【女大学・4】
 婦人は夫の家を自分の家とするわけだから、中国では嫁入りすることを「帰る」と言う。
 たとえ夫の家が貧しくても夫を恨むことなく、天から自分に与えられた運命であると認識し、一度嫁入りしたらその家を出ないことが女の道であるというのが昔の聖人の教えである。
 もしその女の道に背き、婚家を去るならば一生の恥である。婦人には七去といって、悪いことが7つある。

1、舅姑に従わざる女は去るべし。
2、子なき女は去るべし。妻をめとるのは子孫相続のためだからだ。しかし婦人の心が正しく、行儀よくして妬む心がなければ、去らなくとも同姓の子を養うべし。
3、淫乱ならば去る。
4、嫉妬深ければ去る。
5、癩病などの悪い病気があれば去る。
6、おしゃべりで慎みなく、物言いすぎるは親類とも仲悪くなり、家が乱れるから去るべし。
7、物を盗む心あるは去る。

 この「七去」はみな聖人の教えである。女は一度嫁に入ってからその家を出された場合、たとえ富貴なる夫と再婚したとしても女の道にはずれることとなり、大いなる恥である。



【女大学評論・4】
 男子が養子に行くのも女子が嫁入りするのも、その事実は少しも違うことがない。養子は養家を自分の家とし、嫁は夫の家を自分の家とする。

 当然のことであるが、その家の貧富貴賎、その人の才能のあるなし徳のあるなし、その体の強さ弱さ、その容貌の醜美にいたるまで、よく吟味するのは全て婚約の前にすることだ。

 裏に表に手を尽くして吟味に吟味を重ね、双方ともに「この人ならば」と決断していよいよ結婚した場合、家の貧乏などを離縁の口実にしてならないことは女の道であるに限らず、また男の道として守らなければならないことである。

 最近の男子の中には往々にしてこの道を知らない。
 幼いときから他人の家に養われて衣食はもちろん、学校教育のことにいたるまでも、一切養家の世話に預かり、年頃になってからその家の娘と結婚する者がいるが、養父母はまずこれにて安心と思いのほか、この養子が立派に成長して一人前になって社会に頭角をあらわすと同時に、養家の窮屈なのを嫌って離縁復籍を申し出て、ひどい者になると結婚した妻を捨てて実家に帰るか、または独立して第二の妻をめとり、意気揚々顔色しゃあしゃあとして恥じることのない者がいる。

 不義理不人情、恩を知らない人にあらずの者であるけれども、世間にこれをとがめる人がいないのはおかしなことである。
 広い世の中にはずいぶん悪い婦人もいるものだが、その挙動を見聞きして嫌う人はいるけれども、男性と女性を比べてみればそういった悪人は男子のほうに多いのである。このあたりを見ると私は「女大学」よりも「男大学」の必要性を感じるくらいだ。

婦人に七去という離縁の理由を記しているが、
1、舅姑に従わざる女は去るべしとある。
 婦人の性格が粗野で根性が悪く、夫の父母に対して礼儀がなく不人情ならば離縁もしかるべきだ。


2、子なき女は去るべし。とある。実にいわれもなき口実である。
 夫婦の間に子がない原因が男子にあるか女子にあるか、それは生理上解剖上精神上病理上の問題であり、今日進歩している医学もなおいまだその真実を断言できるわけではない。
 夫婦が同居して子供のできなかった婦人が偶然に再婚して子供を産むことがある。みだらな男子が妾など何人もいながらついに一人もできなかったという例がある。
 これらの事実もわきまえず、この女には子ができないと断定するのはつまり無学の憶測であるといえる。

 子なきを理由に離縁するといえば、家に婿養子をとった場合の配偶者の娘が子供を産まないとき、子供のできない男は去るべしとして養子を追い出さなければならないわけだ。
 だからこの一説は女大学の作者もよほど勘弁したのか最後に文章を足し、婦人の心が正しければ子がいなくても去らなくてもよいと記したのは、さすがにこの離縁の法に無理があることを自覚したためであろう。

 また、妾に子があれば妻に子がなくても去らなくてよいとはもともと余計な文章であり、何のために記したのか理解できない。
 推測するに、本文の始めに子なき女は去るべしとまず宣言して、文章の末に至ったとき、妾に子があれば去らなくてよいと書いたのは男子に妾をとる余地を与えて、暗々に妻をもって自分の地位を固くしようとするため、妾をとることの悪さに言及することなく、かえってこれを夫にすすめているのではないかと深読せざるを得ない。

 また実際、古くから大名などが妾をとるとき、奥方からすすめられることがある。男子が醜悪をさらしながらその罪を妻に分かつとは陰険であること甚だしい。女大学の毒筆には力があるのである。


3、淫乱ならば去れという。
 わが国日本において、古来から今に至るまで男子と女子のどちらが淫乱であろうか。
 その淫乱の深浅厚薄はさておくとしても、淫乱を実際にたくましく実行するのは男子に多いか女子に多いかは詮索に及ばず明白である。

 もし男女が同様に淫乱であれば離縁される、とあれば、男子で離縁を言い渡される者は女子に比べたら大多数となるであろう。これもまた方角違いの教えである。


4、嫉妬深ければ去れという。これもまた理解しがたい教えである。
 夫婦が同居しての夫の不品行は、取りも直さず妻を虐待することである。
 共白髪を誓ったはずの妻がこれを争うのは正当防御、あるいは誤ってのことである。これを称して嫉妬深いというのか。これは離縁の理由とするに足らないことである。

5、らい病のような悪しき病があれば去れという。根拠のないこと甚だしい。
 らい病は伝染性にて、しかたなく犯されることがある。もともと本人の罪によるものではない。
 それを婦人が不幸にして悪しき病にかかったのを以って離縁とは何事か。かりそめにも夫としての人情があれば、離縁はさておき手厚く看病して、たとえ全快に至らなくてもその軽快を祈ることが人間の道であろう。

 もし、妻の不幸に反して夫がらい病にかかったらどうするというのであろう。妻はこれを見捨ててさっさと家を出なければならないというか。私は甚だ不同意である。いや、作者先生もおそらく不同意ではないのか。

 「孝婦伝」などを見れば何々女は貞操無比、夫の悪しき病を看護して何十年一日のごとし云々と称賛しているものが多い。
 先生もおそらく称賛者の一人であることは疑いのないことである。それならば悪疾の妻には会釈もなく離縁しながら、夫に悪疾あれば妻に命じて看病しろというのか。ますます理解できないことである。


6、おしゃべりで慎みない云々は去れという。これは漠然として取り留めのないことである。
 要するに婦人がおしゃべりだと自然に親類との付き合いも丸くいかなくなり、家に波風を起こすから離縁しろとの趣意であろうが、多言寡言には一定の標準を定めることなど難しい。

 ある人にはおしゃべりであると聞こえてもまたある人にはおとなしいと聞こえることもあるし、その反対もある。たとえおしゃべりでも、わずかにこの一点を根拠にして容易に離縁とは納得できない。


7、物を盗む心あれば去れという。
 物を盗むにも軽重がある。ただこれだけのことで離縁の当否を判断できるとは思えない。民法の親族編などを参考にして決めたほうがよい。


 以上、1~7にについてはいろいろと文句はあるけれども、つまり婦人の権力を取り縮めて自由をなくし、男子には思い通りに妻を去らせる権利を持たせようとしているというほかはない。

 「女大学」は古来から女子社会のバイブルであると崇められ、一般の教育に用いて女子を戒めるのみならず、女子がこの教えに従って萎縮すればするほど男子のために便利であるがゆえ、男子のほうがかえって女大学の趣意を唱えて自分の我が儘をほしいままにしようとすることが多い。

 ある地方の好色の男子が常に不品行を働き、妻の苦情に我慢できず、一策を案じて妻をキリスト教会に入会させたという。その目的はただ女性の嫉妬心を和らげて自分の獣行をたくましくしようとの計略であったから、妻の苦情がついにおさまることがなくて失望したとのおかしな話がある。

 この世の中の男子に女大学の主義を云々するのは、多くはこういった好色の男子のすることで、我田引水といわざるをえない。女子は油断禁物である。

 さて、女大学の離縁法は以上に記したる七去であるが、民法親族編第812(3)条に、夫婦の一方は以下の場合に限り離婚の訴を提起することができると書かれている。

1、配偶者が重婚を為したるとき
2、妻が姦通を為したるとき
3、夫が姦淫罪に因りて刑に処せられたとき
4、配偶者が偽造、賄賂、猥褻、窃盗、強盗、詐欺取財、受寄(財)物費消、贓物に関する罪若しくは刑法第175・260条に掲げたる罪に因りて軽罪以上の刑に処せられまたはその他の罪に因りて重禁錮3年以上の刑に処せられたるとき
5、配偶者より同居に堪えざる虐待または重大なる侮辱を受けたるとき
6、配偶者より悪意を以って遺棄せられたるとき
7、配偶者の直系尊属より虐待または重大なる侮辱を受けたるとき
8、配偶者が自己の直系尊属に対して虐待を為しまたは(これに)重大なる侮辱を加えたるとき
9、配偶者の生死が3年以上明ならざるとき
10、婿養子縁組の場合において離縁ありたるときまたは養子が家女と婚姻を為したる場合において離縁若しくは縁組の取り消しありたるとき

 これは今日わが国民一般が守るべき法律で離縁が許されるのは以上の10箇条に限るということであり、その他はいかなる場合においても双方の相談合意がなくては離縁することができないということだ。
 三行半の離縁状などは昔の物語であり、今日は全く別世界であると思わなくてはならない。

 だから女大学七去の箇条中、1、舅姑に順ならざるの文字を尊属虐待侮辱などの意味に解釈すれば離縁の理由になるかもしれないが、その他はどれ一つとして民法にあてはまるものがないようだ。法律に当てはまらない離縁法を世に公にするのは人に誤解を与える恐れがある。

 例えば国民の私裁復讐は法律では許されないことである。だから今新たに書物を書いて「盗賊または乱暴者あればこれをとりおさえた上で打つなり斬るなり思う存分に懲らしめてよい。親の敵は政府の手を煩わすに及ばない。孝子の義務としてこれを討ち取るがよい。曾我の五郎十郎こそ千載の誉れである。末代までの手本となれ。」などと書き立てて出版したとしたら、発売を禁止されるかもしれない。なぜかといえばこれは現行の法律の旨に背くことだからである。

 これも小説物語の戯作ならばまあ発売禁止にならなくてすむかもしれないが、家庭の教育書、学校の教科書としては異論が出ること必須である。
 女大学は小説でもなく、戯作でもなく、女子教育のバイブルとして、地方では今なお崇拝されるものでありながら、そのバイブルの中に書いてある内容は明らかに現行の法律に背いているものが多い。
 それが人々に与える影響は大きく、人々を誤解させて法の上での罪人にさせてしまうことにもなりかねない。教育家はもちろん政府においても注意しなければならないことである。


最終更新:2007年04月27日 12:19
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