【女大学・5】 女子は自分の家においては、自分の父母にもっぱら孝を行う道理である。
しかし、夫の家に行ったならばもっぱら舅姑を自分の親よりも重んじて、厚く慈しみ敬い孝行を尽くすべきである。
自分の親の方を重んじ、姑の方を軽んずることがあってはならない。舅姑の方への朝夕の見舞いを欠くべきではない。舅姑の方への勤むべき業を怠ってはならない。
もし舅姑に言われたならば、その通り慎み行って背いてはいけない。すべてのことを舅姑に問い、その教えにまかせるべきだ。
舅姑がもし自分を憎み誹っても、怒り恨んではいけない。孝を尽くして誠意をもって仕えれば、後は必ず仲良くなるものだ。【女大学評論・5】 女子は自分の家で養育されている間は父母に孝行を尽くすのはもちろんであるが、他家に縁付いた後は自分の父母よりも夫の父母である舅姑の方を信愛し尊敬してもっぱら孝行しなくてはならない、かりそめにも実の父母を重んじて舅姑を軽んじてはならない、一切万事舅姑の言うがままに従えという。
このように無造作に書き並べて教えるのはわけもないようだが、これが人間の本能でできることかできないことか、人間の普通の常識常情で行えることか行えないことか、よく考えなくてはならないところである。
実際にできないことを勧め、行えないことを強制するのはもともと無理な注文であるから、その無理はついには人に偽りを行わせるに至ってしまうであろう。
女子が結婚した後は実の父母よりも舅姑のほうを親愛するべきだといっても、舅姑は夫の父母であり自分の父母ではないのだ。
父母ではない者を父母のごとくするのみか父母に対するよりもさらに情を深くしてこれを親愛せよとは、本能にかなわないことではないだろうか。
たとえば年若い婦人が出産のとき、その枕辺の万事を指図し世話をし看護するのに、実の母と姑ではどちらが産婦のために安心であろうか。
姑も決して薄情ではあるまいし、その安産を祈る心は実母と同様であろうが、ここが骨肉微妙なところであって、なにぶんにも実母でなければ産婦の心を安心させるには不十分であろう。
また、老人が長患いをしているとき、その看病に実の娘と養子である嫁とどちらがいいかといえば骨肉の実子に勝る者はないであろう。
これは親子の実際のところを現すところで、その間に心置きがなく遠慮がないからである。その遠慮のないところは親愛の情がこまやかである証拠である。
その愛情は不言の間にあって、世の中の親子は皆そうなのである。
ただ出産や介護の問題だけではない。人間の子として父母を親しみ父母を慕い、父母として子を愛し子を親しむのは人間の本能であり、女子が他家に嫁いだからといって実の父母を第二にしてもっぱら舅姑のほうを親愛し尊敬して孝行せよとは、つまりできないことを強制しているといってよい。
もし尊び敬えと教えるならば舅姑はもともと尊属目上の人であるから嫁としてはこの教えに従うのが当然であるけれども、親しみ慈しむの一段に至っては舅姑を先にして父母を後にするというのは子たる者の心情においてはできないことではないだろうか。
論より証拠、古今東西に例がない。もし万が一例外があるとしたら、何か理由があるはずだ。
人に教えを授けるのに人間の情以外の難しいことをもってするとは教育家としてあるまじきことである。
もともと、「尊敬」は外に向かってするべきもので、「親愛」は内に向かってするべきものである。
内に親愛の情がなくても外面だけ尊敬の礼を表することはたやすいから、舅姑に対して朝夕の見舞いを欠かすべからずと教えれば、教えの通りに見舞うことも簡単だろう。勤めるべき業を怠るべからずといえばその通り勤めることも簡単だ。
嫁の役割と思えば勉強すべきことだけれど、その教訓がどんどん厳重になってしまえば自分を守ることが困難となり、内実の親愛の情はどんどん冷却してしまい、まさに内寒外温、ついには水臭い間柄となるのは自然のことである。
つまりこの場合の舅姑と嫁とでは親子でもない者を親子のようにしようとして失敗するものという他はない。世間にはそういった例が甚だ多いのだ。
このあたりを見ると女大学は人に無理を求めて却って人に偽りを行わせるものであり、虚飾虚礼を以って家族団らんの実を破るものであるといえる。
私の所見でいえば、家庭での交わりには一切人為の虚を構えないで自然の真実に従ったほうがよいと思うのである。
嫁の身であれば舅姑は夫の父母であって自分の父母ではないのだから、そのありのままにまかせ、これを家の長老尊属として丁寧に扱うのはあたりまえだけれども、実父母同様に親愛の情がないのはまたこれもあたりまえのことで、はじめからお互いに余計なことを求めずに、自然のなりゆきにまかせて円滑をはかるのが一家の幸福であるだろう。
世の中には男女が結婚した後、両親と別れて別居する者たちがいる。これは非常に人情に通じた処置といえるだろう。
その両親から遠ざかるのは逆説的に離れないという法であり、私のあくまでも賛成するところである。
中には家の貧富やその他の事情によって別居することが難しい場合もあろうが、たとえ同居したとしても老夫婦と若い夫婦との間は相互に干渉することなく、その自由にまかせて双方の苦労を共になくすことが理想なのである。
最終更新:2007年04月27日 12:23