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女大学評論-9

【女大学・9】
 言葉を慎むこと。おしゃべりであってはならない。仮にも人を誹り、偽りを言ってはならぬ。
 人の誹りを聞くことあったならば、心に納めて人に伝え語るべきでない。誹りを言い伝えることで、親類とも仲が悪くなり、家の中が納まらなくなる。



【女大学評論・9】
 言葉を慎んで多くを語ってはならないとは、寡黙を守れという意味であろうか。

 諺に「言葉多きは科少なし」といい、西洋にも「空き樽を叩けば声高し」という言葉がある。
 愚者の多言は確かに嫌うべきものである。婦人は静かで奥ゆかしいのが頼もしい。所謂お転婆は私の最もいやしむものであるが、ただ一概に寡黙を守れとだけ教えるなら、それは弊害がないとはいえないのではないか。

 婦人が既に年頃に達しているのに、人に接しての用談はさておき、寒暖の挨拶さえはっきりとできなくて、低い声でぐつぐつと言って人を困らせるのは珍しいことではない。
 特に病気のときなど医師に対して自分の容態を述べることができず、その医師の質問に答えるのも恥ずかしがったり恐れたりして、病症発作の前後も正確に伝えられず、寒温痛痒の軽重をはっきりと言うことができなかったら無駄に診察の時間を費やすだけではなく、その医師はついには要領を得ずして処方に当惑することさえある。

 言葉を慎み寡黙を守れという。その寡黙も次第にこれに慣れてくれば、人生に必要な弁舌の能力を枯らしてしまうことになり、実用に差し支えを生じてしまうことになるだろう。私も多弁を好むほうではないが、ただいたずらに婦人の口を閉じさせてうまくいくとは思えない。

 昔の大名の奥に奉公する婦人などが、手紙も見事に書き、弁舌も爽にして、しかも立ち居振る舞いの上品であったことはよく知られている。これは参考にする価値がある。
 だからといって、今の女子を教育するのに純然たる昔の御殿風を以ってするべきでないということは言うまでもないことだが、幼少の時から国字の手習い、文章手紙の稽古はもちろん、その他一切の教育法を文明日進の方針に仕向けて、物理、地理、歴史などの大概を学び、また家の事情の許す限りは外国の語学をも勉強して、一通りは内外の時勢に通じ、学者の話を聞いてもその意味を解することができ、自分から話すときもその意味の深浅はともかく、その話の首尾が全うしていて、他人に笑われないようにするくらいの心がけは、婦人の身になくてはならないことである。

 このように、この女大学の全編で一言も女子智育の必要性について論及していないのは遺憾というべきである。
 もちろん、人を誹ったり偽りを言うべきでない、人の謗りを伝え語ってはならない云々は、確かに当然のことであり、特に婦人に限らず男子に向けてもいましめるべきことであるから、このあたりで評論を略すことにする。


最終更新:2007年04月27日 12:45
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