【女大学・13】 若いときは、夫の親類・友達・下男などの若い男にうち解けて話をしたり近づいたりしてはならない。男女の隔てを堅くすべきだ。
いかなる用があっても、若い男に手紙など出してはならない。【女大学評論・13】 若いときは夫の親友、友達と打ち解けて話すべきでない、いかなる必要があっても若い男に手紙を出してはならないというのは、嫌疑を避けるという意味であろう。
しかし、婦人の心が高尚であるなら、形式上の嫌疑は恐れることはない。
私はこのような田舎風の外面を装うよりも、婦人の思想を高いところに導き、男女が打ち解けて楽しく自由自在に談笑しながらも、疑わしき事実が行われないことを願う。教育の必要性もこのあたりにあるといえるだろう。
籠の中に鳥を入れ、この鳥は籠に入れているから逃げることなどないと喜んでいる人がいるが、こんなことに感心する必要はない。私はこの鳥を放し飼いにして平気でいようとするほうだ。
今の世間では実際問題として、女子が身持ちを悪くして恥をさらす者がいないわけでなく、頻繁に聞くことである。このような身持ちの悪さの原因は、父母または夫がその女子を深く家の中に閉じ込めておかなかったからだと言う人がいるが、必ずしもそうではない。
もともと、品行の正邪は本人の性質であり、時の事情にもより、受けてきた教育の方法でもあるのだが、とにかくこれを不正に導くのは家風にほかならないと断言することができよう。
幼少のときから整頓もされず不始末な家風の中で寝起きし、厳格なる父親はただ厳しく人を叱咤しながら、その身は醜行ばかりで、ひどい者になると同父異母の子女が一家の中に群居して、朝夕その一人の父親、そしてたくさんの母の言語挙動を見ていれば、父母の行うことであるから子供の目にはさほど醜いものとも見えず、娘時代に既にそのような環境にいれば、その娘が嫁いでその夫がさらに不品行で乱暴な者であっても、それは醜界を出て醜界に入るというだけのことで、彼女は別に気にもとめなくなってしまうだろう。
世間で姦婦といわれる者の多くはこのような醜い世界に出入りし、他の醜い世界に揉まれているものだ。
もちろん姦はいやしむべきものだけれども、彼女たちがそんなふうに育ったのは家風によるものと言わざるを得ない。
清浄無垢の家に生まれて清浄無垢の父母に育てられ、さらに清浄無垢の男子と結婚した婦人の中に不品行を犯すものはほとんどないといってよい。
だから、一家の妻に品行を正しくさせようと思うならば、主人がまず自分からその身を正しくして家風を美しくすることである。前記したような籠の鳥の主義は最もいやしむべき考え方で、私は少しも納得することができない。
また、婦人は年若き男子に手紙など出してはならないというが、これはばかばかしいことこの上ない。この忙しい文明社会において手紙を出すことを禁じられてしまったら、いったいどうやって連絡を取ればよいというのであろうか。
夫が繁忙なら、夫に代わって手紙を送り受け取る必要が出てくる。特に夫が病気のときなどは、医師に容態を知らせて往診を依頼し薬を出してもらうことは妻の義務である。
それなのに、いかなる用事があろうとも手紙を出すべからずとは。私はこれを女子の教訓とは認めない。この世のおかしな話として一笑するのみである。
最終更新:2007年05月01日 14:27