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新女大学-13

【新女大学・13】
女子の結婚、特に他の家に嫁入りする形で結婚した後、
その家の舅姑に仕える云々に関しては古くから世間でいろいろと言われてきたことである。
実際、姑と嫁とでは女同士であるから、その間に衝突が起きるのは珍しいことではない。

たとえ表面的には衝突していないかのように見えても、
内心で相互に含むところあって打ち解けないのは
日本国中の家のほとんどでごく普通のことであるといってもよいだろう。
世の中の姑がことごとく皆悪いわけでもなく、世の中の嫁がことごとく皆悪いわけでもない。
その人柄の良し悪しに関係なくこの両者の関係が穏やかでないのは、
つまり人の罪ではなく人間が作り出した世の中の罪であり、
一歩進めて論じるなら世の中の習慣によるものであるといわざるを得ない。



世の中に伝わっている教えによれば、嫁が舅姑に仕えるには実の父母のようにせよ、
実の父母よりもさらに手厚く親しみ敬えということだ。
それと同時に、舅姑に向かっては嫁を愛するには実の娘のようにせよという。
このことが実際に行われるならばもちろん好都合だが、自然な人情としてはいかんともしがたい。

父母でない者を父母とし、娘でない者を娘とすることはできない。
もしこれを実行しようとするならば、表面的な儀式にとどまることが多い。
たとえその一方が心から打ち解けて親しもうとしても、
先方の心に何か含むところがあるか、または含むところが
あるだろうと推察できるならば、なにぶんにも近づきがたい。
この場合は俗にいう触らぬ神にたたりなしの趣意に従い、一通りの会釈、挨拶を行い、
正直な思いは胸の中におさめておくほかには方法がない。



双方の胸に一物があったとして、その一物が悪事どころか真実の
親切、誠心誠意の塊だったとしても、既にそれを隠している状態ならば双方共に釈然とはしないだろう。
血のつながりのある親子が無遠慮に思うところを述べて、
双方の間には行き違いも誤解もあり、親に叱られ子に咎められながらも、
結局はただ一場の笑に附して根もなく葉もなく、依然として親子の情を害することもないのに
比べたら、もともと他人同士の関係では同じ年月のうちに語れるような問題ではない。


このように、舅姑と嫁との間では、その人格、品性のいかんにもその家風のいかんにもかかわらず、
双方が真の血のつながりのある親子のようにしようとするのは千に一つ、万に一つの異例のほかは
まず人間の心理としては非常に難しい願いである。

この舅姑と嫁の間の古い教えは昔から女子の教育の中にしっかりと
盛り込まれてきていて、社会全般の習慣として根付いてはいるが、
これを守ろうとすれば舅姑も嫁も共に苦労することになる。
だから、無理な努力をして失敗するよりも、できないことはできない
こととして他によい手段を求め、自然な人情の根本から割り出した
家の幸福を全うしてほしいと私は望むのだ。


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新女大学-14

最終更新:2007年11月06日 21:30
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