【新女大学・14】
字の如く舅姑は舅姑であり、嫁は嫁である。
もともと親でもなく子でもないのだから、その親子でないこその真実の実際における
和合のしかたを講じるのが人情の本来の姿であろう。
これは私の特に注意することである。
近づけばさらに近づき、遠ざけてもなおますます近づこうとするのが夫婦の間であるが、
近づけば常に衝突し、遠ざければ却って近づくのが舅姑と嫁との間である。
そのため、女子が結婚したときは夫婦共に父母を離れて別に新家を設けるのが一番良いのだが、
結婚のありかたは一様ではなく、家の貧富や職業の事情も違うから、
結婚したからといって必ず別の門戸をつくることがなかなか難しいこともあるだろう。
しかし、新夫婦はせめて親世帯と台所を別にしたほうがよいと私はあくまでも主張する。
例えば家を相続する男子に嫁を貰うか、または娘が婿養子を迎える場合でも、
新夫婦と親夫婦は一家に同居せず、片方は近隣なり
または敷地内の別戸なり、またあるいは家計が許さないならば
同じ屋根の下でも一切の世帯を別々にして、つまりは新夫婦と
親夫婦の接点を少なくすることが非常に大切なことである。
新婦にとっての老夫婦は血のつながりのある父母ではないのに加え、
世代も違い、衣服、飲食などありとあらゆることにおいて考えや嗜好が違うのは当然のことであり、
その違う者同士が互いに触れ合うときには衝突するのが運命なのである。
これでは家が双方の感情を害する媒体になってしまう。
それに対し、互いに遠く離れて互いに見ていても見ないふりを
して、互いに家庭内の秘密に立ち入らないようにすれば、
新世帯も親世帯も独立した家計での自由な生活を得ることができる。それだけではない。
遠ざかるからこそ互いの心が近づき、遠めに見るからこそ憎しみ合うこともなく、
舅姑と嫁との間も知らず知らずのうちに和合して、
家庭の団欒を守ることができるのである。
つまり、このことによって新夫婦はますます互いにひかれ合い、
親夫婦とは衝突しないように避けて遠く離れてこそ互いにひかれあうということである。
世間では無数の老人夫婦が息子に嫁を迎えたり娘に養子を貰ったりしている。
無理に同じ屋根の下に同居して衝突を起せば
「これほど手近いところで優しく世話してやっているのに不平をいうとは何事だ」
などと愚痴を漏らす者が多い。
このような話はよく聞くことだが、その手近いところで優しくお世話される、
ということこそが苦痛の種なのであるとなぜわからないのだろうか。
結局これは人の罪ではなく、悪い習慣のせいである。
新旧の夫婦が共に自分たちで不愉快だと知りながら、近く接して自分たちで苦しんでいる。
人生のありかたとしては最もばかばかしいものといってよいであろう。