【新女大学・15】
新夫婦は家の事情の許す限りは老夫婦と同居しないほうがよいということは既に述べたが、さて、その新婦人が舅姑に接する方法はどうすればいいかというという問題があると思う。
新婦にとって夫は実の父母にも劣らぬほど最も親しい人物であるだろう。
その最も親しい人物の最も尊敬し最も親愛する老父母、つまり舅姑のことならば、たとえ自分の父母でなくても夫を思う気持ちから割り出した結果として、これに手厚くするのは当然のことである。
夫が常に愛玩するものは犬馬、器具にいたるまでもこれを大切にするのは妻である者の自然な情であるだろう。
ましてやたとえようもない我が夫を産み出した尊敬すべき親の老父母においては当然であろう。彼らの保養を手厚くし、感情を和らげてかりそめにも不愉快な思いをさせないように心を配ることが大切である。
特に老人は多年の経験があるのだから、万事について妨げのない限りは何でも打ち明けて相談するのがよい。
これは老人を煩わすことだという人もあるかもしれないが、その相談は老人を疎外しないという態度を表すことであうから、却ってよいことである。
かつて、ある洋学者が妻をめとり、その妻も少し英語を理解できる人で夫婦仲良く暮らしていた。
一人の老母がいたのだが、何も相談しないばかりか知らせもせずに、夫婦だけの判断だけで生活していて母はいてもいないような者の扱いをしていた。
あるとき、家の諸道具を片付けて持ち出すのを老母が見て嫁に尋ねたところ、「今日は引越しです」と言ったから、この老母の驚きは大変なものであった。
この老母は老人といってもまだ極老というほどではなく、心身ともに達者でよく物事を理解し処理する人であったが、若夫婦は常に老母をうるさく思い、朝夕、万事において英語を使って用を足していたために、引越しのその朝になるまで何事も耳に入れることなく、わけのわからぬうちにいつの間にか荷物同様新宅に運搬されたということである。
この息子の不敬、乱暴、無法はいうまでもないことだが、嫁の不埒もまた憎むべきものである。無教育な下等の暗黒社会での出来事ならまだしも、いやしくも上流の紳士淑女においてこのような奇談はただ驚くべきことである。
推察するに、この英語を使う夫婦は引越しのことを老母に語るのは無駄なことである、意見など聞かなくてもよい、ということで夫婦だけの間で決めたのだろうが、これでは老人を養うことはできても心を汲み取ることができていないということになる。
不敬、不埒というよりも、常識を失った愚か者といってよいであろう。人の心をわきまえない非人であるといっていい。女子は注意して心に銘じておくべきだ。
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新女大学-16
最終更新:2007年11月06日 21:34